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城郭探訪、今回は、埼玉県富士見市の難波田(なんばだ)城というお城跡です。 県内ではなぜか古くから有名なお城で、私も結構昔から知ってました。縄張も馬出があったりで独特で、岩付城や忍城のように、周囲を沼に囲まれた城です。現在は、普通に住宅街や畑になってますが、遺構もまずまず残ってます。発掘調査も何度となく行われ、遺物もたくさん出ています。最近公園化されて、市立難波田城資料館もたってます。 東武東上線志木駅からバスで15〜20分くらいで、難波田城公園入口というところで下車、徒歩5分ほどで着きます。難波田氏という武士が鎌倉期からいたといわれてますが、詳細は不明です。南北朝時代には、史料上に難波田氏が登場するので、その頃にはいたようです。 去年、現地見学をして、たくさん写真も撮ったのですが…PCクラッシュでデータが取り出せず…お金をかければデータ救出もできそうですが、結構かかるみたいだし。ということで、お城の紹介は、以下の画像を引用させて頂いたHPをご覧ください。 これが、難波田城の現況。左が北ですね。曲輪や水堀の形がよくわかりますね。引用元は、富士見市のHPです↓ https://www.city.fujimi.saitama.jp/40shisei/19chikatu/Location/2010-1115-1657-126.html とまあ、こんな感じのお城なのです。 戦国時代になると、扇谷上杉氏の重臣である難波田善銀がここを居城としていたといわれます。その後「川越夜戦」で扇谷上杉氏も難波田善銀も滅亡すると、北条氏家臣の上田氏が難波田を領すようになります。なので、難波田城も上田氏の居城として改修され、今現在見られる形になった、というのが通説です。発掘調査でも、15世紀から16世紀末までの遺物が多く出ていて、おおむね合致しています。 ところが、上記の説は、江戸時代の軍記や地誌類を中心に推測されているもので、ずばり難波田城が登場する当時の文献史料は、今まで紹介されてきませんでした。が、これも実は2点あることがわかりました。今回は、それをご紹介します。 【史料1】清水正花武功覚書(『群馬県史』 資料編7中世3、3694号、清水文書) (前略) 一、武蔵国難波田之城江相働、河越之者共何も走廻り候、大窪屋敷ニ而当地ニ有之参((ママ))候鯨井与申者其外、我等鑓下ニ而三人討申候、此内負於((ママ))当地ニ赤垣助左衛門与申候者ニ我等を鑓付候、其時之覚無隠候事、 (後略) 【史料2】北条氏政感状写(『戦国遺文』後北条氏編3857号、古今感状集)。 於去五日難波田往返之敵一人、討捕之、感悦候、弥可走廻者也、仍如件、 六月朔日 氏政(北条)判 鈴木助三郎トノ 【史料1】は、北条氏家臣・清水政勝(入道して正花。康英の次男)が、晩年に自身の武功を書いた覚書の一部です。清水政勝が、難波田城を攻撃して活躍したことが書かれています。 【史料2】は、北条氏政が家臣に対して出した感状です。鈴木助三郎が、難波田において行き来していた敵を討ち取ったので、それを褒めたたえています。 【史料1】から、難波田城は北条氏の敵方の城だったことがわかります。【史料2】も、敵が難波田とどこかを行き来していたと解釈するのが自然です。ということは、この「難波田」も敵方の城=難波田城を指すと考えてよいでしょう。 で、細かい論証は省きますが、いろいろ調べた結果、両方の史料とも、どうも永禄4年(1561)である可能性が高いです。永禄4年といえば、上杉謙信が関東にやってきて小田原城まで攻撃した、あの年です。この時、難波田を含めた川越地域でも、北条氏と上杉方が散発的に戦っていました。そして、その時、上杉方として北条氏と戦っていた主力は、どうもさいたま市岩槻区の岩付城を拠点にする、岩付太田氏の軍勢だったようなのです。有名な、太田美濃守資正(道誉)、あいつです。 つまり、難波田城は、永禄4年頃に上杉方の岩付太田氏の城として存在していた可能性が非常に高いということになります。まさか岩付太田氏が出てくるとは…これには、調べていた私本人が一番驚きました。なるほどね〜と。 しかも、難波田周辺には、もともと岩付太田氏の所領がたくさんあって、さらに難波田氏と岩付太田氏は姻戚関係にあったこともわかっています。考えてみれば、荒川を挟んだ対岸は、もう岩付太田氏領なんですよね。 もちろん、それ以前に難波田氏がいた可能性、それ以後に上田氏がいた可能性は残ります。これは、今後の課題ですね。 ********************************************** 参考文献 拙稿「岩付太田氏と難波田城」(『一橋研究』第35巻第3号、2010年)PDFで見ることができます↓↓ http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/19384/1/kenkyu0350300510.pdf 応援のポチ、お願いします↓↓↓ |
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調子悪いとおっしゃってましたが、やっぱりクラッシュしてましたか。写真が消えてさぞかし無念でしょう。
結構馬鹿に出来ない規模ですよね。驚きました。
それにしても文献からいろいろとわかるんですね。
[ にすけ ]
2011/1/28(金) 午後 9:49
なかなか面白い材料を見つけましたね。永禄4年に難波だ城が岩槻太田氏のものとは意外でした。またひとつ、書けますか。
4月にお話をするようで、聞きに行きたいですが、ちょっとお値段が高めですね。(笑)
[ 馬念 ]
2011/1/28(金) 午後 11:29
TBありがとうございました。
PCがクラッシュして画像が取り出せないとは、残念なことになってしまいましたね。
難波田城が岩付太田氏の持城であったとは初耳です。難波田氏から上田氏になったと思っていました。
[ - ]
2011/1/28(金) 午後 11:48
こんばんは 竹 さん
自分はこの地域の歴史がまったく判らなかったので、
資料館で見た「難波田善銀」映像資料が面白かったでしね〜
竹 さんの資料の解説は、判りやすくて良いですね、勉強になります。
*TBさせてください。
[ 足軽 新之助 ]
2011/1/29(土) 午前 0:54
その時期の難波田城が岩付太田側の勢力圏になるとは初めて聞いたので驚きでした。非常に興味深い情報をありがとうございました。
例の余湖様の掲示板でやりとりをチラっと見て『太田好きの自分は行くしかない』と速攻見に来ました。
通説通りの、『難波田氏の後上田氏が入って改修』という話が変わるということは、城の改修者は上田氏ではないということになるので、太田資正殿の支城網整備に含まれていそうな匂いがしますね。
[ 長永 ]
2011/1/29(土) 午前 4:16
なるほど・・・文献でここまで探れるのですね。荒川を跨いだ最前線の城郭だったのでしょうか。
残念ですね、画像は救えませんでしたか・・フイルム時代と違って、デジカメの画像はトラブル一発で消えますから、危ないですよね。
こちらも最近はバックアップを取るようにしてます。
僭越ながらTBさせて頂きます。
2011/1/29(土) 午前 9:56
>AMBこもださん
私も真面目に検討中です…恐ろしいです…
>shaneさん
私はそのように結論付けました。たぶん、あっていると思うんですが…
まだまだ史料は埋もれているなと改めて実感しました。ポチありがとうございます!
>にすけさん
無念です…せっかく、このために難波田城現地にいったのに…
規模は結構デカいです。馬出もあるし、面白い縄張です。埋もれている文献史料は結構あるもんです。またどこか出てくるかも…
2011/1/29(土) 午後 5:09
>馬念さん
今日お話ししたとおりです(笑)
>はまっ子さん
岩付太田氏で間違いないと思うんですけどね。しかも実際戦っているので、基本的な縄張はこの頃に出来たのかなぁと考えています。難波田氏と上田氏との関係がどうもよくわからないので、そっちはなんとも言えません。
>足軽新之助さん
善銀グッズとかありましたね(笑)。そこに太田資正の城という説が出てきたので、次は資正グッズですね〜
2011/1/29(土) 午後 5:12
>長永さん
ご訪問ありがとうございます!太田好きでいらっしゃいますか、私も興味ありますね。あの人はいろんな意味ですごいです。
岩付太田氏説は、今回が初めてのはずです。たぶん、間違いないと思うのですが…
改修の問題ですが、実際に城で戦っていることもあるので、基本的な縄張は岩付太田氏が作ったのでは…と考えています。発掘で改修の痕跡がどうなっているのか、再検討が必要でしょうか。
>黒鍬さん
意外な人物は、太田資正でした〜。最前線、でしょうねぇ。当時北条軍が川越城にも籠城しているので、川越城と対峙していたようです。川越城からそんなに遠くないので、ピリピリしていたんだろうなぁと。
トラバありがとうございます!
2011/1/29(土) 午後 5:18
こんなところにお城があったんですね。
びっくりです。
[ くまきち ]
2011/1/29(土) 午後 7:30
40年くらい以前、この辺を行動範囲にしていました。当時、存在は知っていましたが、まだ興味がなく、寄ったことはありませんでした。
当然、まだ整備もされていませんでしたし。
この辺の考古学の資料館には後年寄ってみたことがあります。
2011/1/29(土) 午後 10:35
>くまきちさん
あの広大な平野の一角に、ポツンとあるのですよ。しかもかなり立派な城です。資料館もあって模型などでわかりやすく展示されてます。ぜひ、ご覧になってください。
>熊五郎さん
40年前なら、まだ開発される前の状態が残っていたと思います。今はかなりキレイに整備されてしまって、わかりやすい反面、古城の面影はやや薄れましたかね。
別の資料館が昔あったんですか。
2011/1/30(日) 午後 9:47
はじめまして。訪問していただいたので、おじゃましました。
埼玉のお城、菅谷城、難波田城どちらも行った事があるので、親しみを覚えました。
先日、鉢形城へ行ってきました。春、秋などは、よろしいかとおもいます。
2011/2/1(火) 午後 3:55
>taiさん
ご訪問ありがとうございます!
菅谷も難波田も行かれたのですね、それは中世城郭好きとお見受けします…
鉢形は春には気持ち良いでしょうね〜。3回くらい訪れておりますが、また再訪したいと思ってます。
2011/2/1(火) 午後 10:58
こんばんは。
1/30(日)難波田城を見て着ました。
資料館で川越夜戦のアニメ見ました。
[ 多摩湖 ]
2011/2/2(水) 午前 1:40
>多摩湖さん
そうでしたか、意外とこの城を身に行かれる方、多いようで。私が行った時もたくさん人がいました。
川越夜戦のアニメ、私も見ました。そのうち、難波田城を攻める北条軍を描いたアニメが加わるかもしれませんね〜
2011/2/2(水) 午後 8:15
難波田城はお城を公園にしたのか、公園をお城にしたか良く
分からないお城ですが、食い違い虎口とかちゃんと説明されて
いて勉強になります。舗装されているので雨の日も足元がドロ
まみれにならない利点も(^-^ゞ
2011/2/6(日) 午後 6:40
>るなさん
昔の難波田城に行ってみたかったです。どこをどの程度復元してああなったのか、よくわからないし。小さいながら資料館もあるのが良いですね。富士見市、やります…。
雨でも行けるお城確かに貴重です!
2011/2/8(火) 午後 10:03
こんにちは、トラバありがとうございました。
こちらからもよろしくお願いします。
2011/8/19(金) 午前 1:07
>木枯らし紋次郎さん
わざわざコメントありがとうございます。なかなか難波田城を紹介しているブログがないものでして、集めてました。
こちらもトラバ自由ですので、関係記事がございましたらお願いいたします。
2011/8/21(日) 午後 7:03