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みんな杉山城好きね・・・。

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城郭探訪、今日発掘調査現場説明会があった、横浜市港北区の篠原城を早速ご紹介しましょう。新横浜駅から歩いても10分かからないくらいの場所に、城跡があるんです。見学者は、ざっと150人くらいはいたのでは…

このお城も、歴史はよくわかっていません。戦国大名北条氏の家臣・金子出雲という人がここ篠原の代官をしていて、江戸時代には名主を務めていたことがわかっています。なので、この金子さんと関係がある城なのではないか、と一般的にはいわれています。

存在自体は昔から知られていましたが、きちんとした調査は割と最近されたばかりで、下の「参考文献」に挙げた論文が近年立て続けに出て、縄張図も発表されるようにまでなりました。意外と遺構が残っているんです。

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まずは、新横浜プリンスホテルから見た篠原城。Kさんからご提供いただきました。
真ん中の森が城跡です。今回発掘したのは、ちょうど反対側なので、この写真では見えませんね…この森の中にも土塁や堀が残っています。下に新幹線の線路も見えますね。

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縄張図。現地で配布されたチラシから引用・加筆させて頂きました。篠原城の調査を進めている伊藤慎二氏作図の縄張図をもとに、「篠原城と緑を守る会」が作成されたものです↓↓引用には十分ご注意を!
http://kikunagawa.sblo.jp/

赤線部分が、今回発掘してわかった堀です。

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横浜線の線路沿いに、見学会入口がありました。資料を頂き、まずは遺物を見学。「かわらけ」という儀式・儀礼に使う土器が少々と、瀬戸物のすり鉢の破片が1点見つかったようです(縄文土器もありました)。当日の説明では、年代は16世紀ということで、やはり戦国時代の城と考えてよさそうです。

上を見上げると、こんな感じで木が伐採されて、戦国の城が出現してました!これだけだとちょっとわかりにくいでしょうか…

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そして、これが今回発掘された「堀2」です。尾根を切っているので、堀切でしょうか。縄張図には描かれていないので、発掘して出てきた、ということでしょう。なかなか立派な迫力ある堀です。

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これも同じく。手前に延びる道状のものは、通路だそう。堀底も一部道として使っていたのかも。

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違う角度から。堀の規模がわかると思います。見学者もたくさん!堀が奥にいって右側に曲がっていますが、その先は斜面で、そのまま竪堀となっているようにも見えます…。

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奥に行きましょう。手前が縄張図でいう「曲輪検廚如∨截韻あり、右奥が「曲輪掘廖△箸いΠ銘峇愀犬任后

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そして、これも今回出てきた「堀1」です。これはかなり立派!資料によると、上幅8m、底幅1.5m、深さは右側は5.3mだそう。「堀2」と同じくらいの規模です。この堀の最下層から、瀬戸製すり鉢が出土したそう。

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今度は、手前が「曲輪掘廖◆嵋截院廚魘瓦鵑如奥が「曲輪検廚箸いΠ銘峇愀検戦国の城の雰囲気ですね〜

イメージ 10

で、こちらが「曲輪掘廚琉貮堯「土坑」が出土しています。

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発掘現場の奥にある、手つかずに残る遺構を見に行きます。「本丸」をめぐる横堀です。藪でよくわかりませんが、はっきりと残っています。やはり出土した堀と同じくらいの規模でしょうか。

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堀の途中には、こんな感じで「土橋」があります(人が立ってます)。縄張図の「イ」の部分、土橋と書いてありますね。

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同じく「イ」のあたりの土塁です。これも何が何だかわからないでしょう!

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「本丸」西北側の「ロ」の部分です。登城道のように見えますが、よくわかりません。

今回の発掘は、住宅建設のために、緊急に行われたようです。発掘した部分は、もう今日には壊されてしまうとか言っていたような…と思ったら、とりあえず埋め立てるのが今日のようです。保存するか否か…市議会議員などもたくさん来ていたというので、何か動きがあるのかも。いずれにせよ、発掘された部分はもう2度と見れない可能性があります。また1つ、城跡が消滅してしまう危機にあるという訳です。

ただ、藪の中に埋もれている部分は、市有地ということもあって、そのまま保存されるということ。こちらも上記のように立派な土塁と堀が残っていますので、今後どのようになっていくのか、注目ですね。

*場所はここ↓↓
http://yj.pn/pYOD_l

******************************************
参考文献
伊藤慎二「後北条氏小机領における篠原城山城の位置」(『中世城郭研究』20号、2006年)
中澤伸矢「篠原城・新知見の新横浜駅脇の城」(『城郭史研究』28号、2008年)
見学会資料・チラシ

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    見えなかった堀が現れるというのは、まさに発掘の醍醐味ですね♪
    その場の発掘状況というのは「その時」にしか見られませんから、貴重な機会ですね。
    ご報告ありがとうございました。

    会津で行われた北日本近世城郭検討会は大盛況でしたよ♪
    お城ブームっていうのを実感しましたね〜。

    hiro

    2011/2/3(木) 午後 10:55

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    >木暮さん
    購入したんですか、なるほど。新聞記事には市指定史跡と書いてありましたが、あれって本当なんですかね。聞いたことないんですが…

    >hiroさん
    近くだったらぜひ参加したかったです。すごい人だったようですね。神指城の研究がずいぶん進展したそうで、シンポジウム報告集として出版されることを願います。

    竹

    2011/2/4(金) 午後 8:03

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    新横浜にこのようなお城跡があるのですね。
    系列ホテルがありますので、よく行くのですがしりませんでした…。
    難しいかもしれませんが、保存がよい方向にすすむといいですねえ。
    是非次回新横浜に行く時には寄ってみたいと思います。

    しゅうちゃん

    2011/2/5(土) 午後 11:01

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    >shuchanさん
    新横浜周辺って、意外と昔の面影を各所に残していますよね。小机城だって隣駅ですし。結構「田舎」な雰囲気があって。
    本当に、どうなるのか、見守っていきましょう!

    竹

    2011/2/8(火) 午後 10:00

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    これだけの写真を、HP上に残してくださってありがとうござます。
    実は、うちはこの城跡のすぐ近くで、1枚目の写真に写っています。
    12年前くらいに、この篠原城の真正面の山の造成地に大手デベロッパーの住宅地ができて、そこに引っ越してきたのです。それまでは、うちの場所も山でした(地主さんが相続税対策でこの山を売った)。

    引っ越してきた当初、うちからは南側に篠原城の山がドーンと見えて、みごとな樹齢の桜の木もあったのですが、数年前にその桜は切られてしまい何軒か家が新築の家が建ってしまいました。
    そして、去年の説明(見学)会のことを知った時にはびっくりしました!もちろん行きましたよ!CATVさんも撮影に来ていましたね。
    (つづく) 削除

    [ reirei ]

    2012/1/12(木) 午後 4:39

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    reireiからの、つづきです(笑)
    私が10年間近く毎日新横浜駅までの通勤路として使っていた山中の小道は篠原城のふもとの敷地内だったのです。
    一昨年、開発地で空堀等がみつかったので市の教育委員会に連絡をし、遺跡調査専門会社に調査をを行わせ、空堀等を公開してくださった不動産屋さんはとても良心的だったと思います。普通こういう遺跡を見つけてもこっそり埋めて開発を進めてしまうと思います。売却が遅れいろいろと面倒ですから。今ではもうここは整地されて売却に出てしまいました。仕方ないです。残念ですがまだ調査させただけ良心的だったと思います。そして何より本丸があったとされる場所はまだ市有地です!!(つづく) 削除

    [ reirei ]

    2012/1/12(木) 午後 4:50

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    長文すみません。reireiからの続きです。
    近くの長福寺さん(薬師如来像から篠原城主金子出雲らがこの像を寄贈したと記された木簡が出てきたお寺)や、国学院大学の伊藤先生らと協力してなんとか残せないか、小机城みたいに整備できないかと思っています。私も何か協力したいです。
    実はこの新年から不思議動きが。新横浜駅へ抜ける篠原城址のふもとの近道が1/11から山林整備のため数か月通行止めになりました。横浜市実施です。何をやっているのでしょうか(私的には駅へ遠回りになるので困っています)保存の為の調査・整備ならよいのですが。 削除

    [ reirei ]

    2012/1/12(木) 午後 4:55

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    すみませえええん!reireiからの、続編です。
    実は私、去年、篠原城近辺の山に犬の散歩と装い入山し、カワラケと思われるものや陶磁器などの破片を拾ってきたりしていました(テヘへ・・何かに違法?)。お城の話は非常にロマンを感じさせるものですが、古くから地元に住んでいる方に聞くと篠原城規模のものは今の「交番」程度の役割だったとか・・。略奪や侵略を防ぐための。
    でも、小机何人衆とかには荏田城・篠原城・大豆戸城・茅ケ崎城・菊名城とか何件かがあり、すわ、北条関係で何かあった時には皆、小机城に集まったそうです。篠原城はいわゆる小机城の下部組織だったのですね。
    そして篠原の土地名の由来は、弓矢を作るための「篠竹」をそこらじゅうで耕作していたからだということらしいです。戦闘に弓矢は必須です。確かに今もうちの周りは竹藪だらけです。
    また何か動きが見受けられたら、書きますね。保存の進捗とか状況とか。 削除

    [ reirei ]

    2012/1/12(木) 午後 4:59

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    >reireiさん
    ご訪問ありがとうございます!
    私も城の存在自体は知っていましたが、こんなにすごい城だったとは思ってませんでした。一部失われてしまうのは残念ですが、発掘して公開されたことはよかったと思います。
    本丸周辺は市有地ですよね。ちょっと記憶違いかもしれませんが、たしか横浜市が公園化に向けて動き出したとかいう話を聞いたような、聞いていないような…。山林整備というのも、その動きも一環かもしれませんね。
    保存整備は地元の方々の協力・要望が大事ですからね。多くの方々に興味関心を持って頂き、さらに調査研究が進んで、後世に残っていけばいいなと思います。
    そういえば、発掘調査報告書も刊行されました。図書館などで見れると思いますよ。

    竹

    2012/1/13(金) 午前 0:01

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    続きですが、カワラケに陶磁器ですか!?それは重要ですね。文化財なので、横浜市歴史博物館にお持ち頂ければよいかと思います。今回の発掘でも、そんなにたくさん遺物は出ていないようですし、貴重なものと思います。

    竹

    2012/1/13(金) 午前 0:06

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    竹さん、ちょっと朗報?です。
    本日、篠原城すぐ下の新横浜への近道は通行止めだったのですが、午後に試しに通ってみると、通れたのです(今日の工事は午前中で終わりだったとのことです)。そしてそこに工事担当者と横浜市の担当者の方がいたので、すかさず「この工事は何のためにやっているのですか?」と聞いてみた所、市の担当者の方が「今は荒れていて、子供とかが入ると危ない状態ですので整備します。ご迷惑かけてすみません。ゆくゆくは整備して公園みたいにできれば・・」とおっしゃるのです!「あ!小机城跡みたいに山林公園にできるといいですよね!一部は去年宅地にされてしまって残念でしたが、本丸のところは横浜市さんの所有地ですよね!ぜひ、ぜひこの山を残してください・・売らないでください・・」と言うと「ええ、そうですね」とおっしゃってくださいました。希望の火が!!! 削除

    [ reirei ]

    2012/1/13(金) 午後 5:37

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    すみません、またまたreireiです。
    カワラケ様のものや陶磁器のカケラは、篠原城の山腹などによく見ると結構落ちています(犬の散歩コースw)。ただそれが近年捨てられたゴミなのかどうか自分では判別できないので(この辺の山林にゴミの不法投棄多し)、港北NTの歴史博物館に持って行き鑑定してもらいますね。今後私も「篠原城と緑を守る会」に入ろうと思います。
    昨年頭の見学会の前、長福寺さんに集まった時に接した人々の熱意に感動しました。そして奇遇なことに長福寺の住職さんの苗字と私の母の旧姓(母の実家はお寺)は同じなのです。何か縁を感じずにはおられません。 削除

    [ reirei ]

    2012/1/13(金) 午後 10:06

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    >reireiさん
    やはりそうでしたか、確か公園化に向けて動くというような話だったんですよ。その動きが出てきているということですかね。
    かわらけや陶磁器、中世のものかどうか、なかなかわからないですよね。発掘調査報告書に、遺物の写真が出ていると思うので、それと比較してみるのも手かもしれません。

    竹

    2012/1/17(火) 午後 11:33

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    今週の土曜日(6月2日)、篠原城址緑地の見学会があります。国学院大学の考古学の伊藤先生もご同行(引率?)されます。参加費は無料、集合場所は新しく設置された「篠原城址緑地」の掲示板前(新横浜方面から細い山道を登った所)、集合時間は11:00です。
    去年の遺構見学会の時に披露した空堀の所は、もう立派な住宅地となってしまいました。本丸があったとされる付近は横浜市の所有で、その後山のふもとは整備され、綺麗な柵が張り巡らされています。といっても、その掲示板のある近辺からは登る道とかないので、今回の説明会はどこから登るんだろう?と不思議です。 削除

    [ reirei ]

    2012/5/29(火) 午後 0:22

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    >reireiさん
    篠原城ではまだいろいろと動きがあるのですね。そうですか、もうあの堀はなくなってしまいましたか・・・残された部分だけでも末永く保存してもらいたいです。

    竹

    2012/5/31(木) 午後 8:26

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    今年の12月1日、2日に、五代路子さんらが「港北公会堂」で読み語り「まぼろしの篠原城」をやります。共演はチェロと尺八です。どんなお話になるのでしょうか。詳しくは「まぼろしの篠原城」で検索してみてくださいね。
    五代さんって、郷土愛あふれる方ですね。 削除

    [ reirei ]

    2012/9/2(日) 午前 1:33

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    >reireiさん
    お返事遅れてすみません。
    すごいですね、継続的に活動がされているようで、市民の皆さんの関心の高さがうかがえます。

    竹

    2012/9/20(木) 午後 7:33

    返信する
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    その後、あまり動きが無い篠原城近辺ですが、私が16年前に引っ越してきてから、駅への近道の途中のくぼんだ縦状の場所は、電化製品などが捨てられて、まあ、みるも無残な状態でした。でも、あのくぼみ方は変だなあ、と思っていたのですが、やはりあれも竪堀なのだと確信を深めています。ただ、調査されていないだけで・・ゴミ捨て場になってしまっていました。情けない事です。竪堀は、深さがあるだけなので、不思議に思っていて、伊藤先生に「この堀の中に、斜めに切った竹とかが備えられていたという事はないでしょうか?」と聞いたところ、先生は「ありうると思いますよ、結構えぐい事をやっていたと思いますよ。」とおっしゃっていました。しかし、竹の棒は風化してしまいます。今ではわかりません。 削除

    [ reirei ]

    2013/10/23(水) 午前 2:01

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    続投、すみません。色々な資料にあたってみたところ、そもそも篠原城の城主は「金子氏」ではなかったかもしれないのです。北条が小机城の手下の城を整備するに当たり、本来そこにいた城主(城とまでは言えない、領主か番屋の長だったかも)を攻めて追い出し、城主として新たにたぶん土地の豪族であったろう金子氏を据えたという話もあります。もとの城主は命からがら、山腹の寺に逃げ込み、頭を丸めて出家して身を隠した、という話もあります。でも私はこれでなんとなくわかったのが、その寺は篠原城の山腹にあるのに、なぜか篠原城保存や発掘などに協力的でないのです。むしろ、少し離れたところにある長福寺さんの方が、最後の城主の金子氏と由来が深いのです。いろいろ、昔も複雑だったのでしょうね。 削除

    [ reirei ]

    2013/10/23(水) 午前 2:10

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    >reireiさん
    ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。
    発掘調査の報告書は刊行されたみたいですね。史料も少ないので、なかなか歴史を解明することは難しそうですが、本当に立派な城でした。そうですね、金子氏以外の城主の可能性も十分あると思います。遺跡や史跡は、いろいろと大変なことが多いので、そういうのも難しい問題です…。

    竹

    2013/10/23(水) 午後 9:09

    返信する

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