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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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昔行ったお城の写真を、記録に残すためにどんどんアップしていきます。今回は、群馬県大泉町にある小泉城です。大泉なのに小泉ということで、不思議な感じです。2004年4月に訪れました。

戦国時代、富岡氏という領主の居城で、戦国時代末期までたびたび戦乱の舞台となった、北関東を代表する戦国城郭の一つでしょう。完全なる平城で、水堀が巡らされていて、総構も含めると城域も実に広大だったことがわかっています。基本的には、小田原合戦によって廃城となったとされていますが、徳川時代に一定期間使用された可能性も捨てきれません。

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小泉城跡は、現在本丸・二の丸・三の丸の一部が公園化されていて、桜の名所になっています。看板もあります。

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三の丸の堀です。全体的に、堀がよく残っています。

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三の丸内部、だったはず…

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三の丸内部には、庚申塔(江戸〜明治)や古墳もあります。城が使われていた時も、古墳はそのままあったようですね。

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本丸の堀。こちらはまるごと一周分残っています。

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本丸内には城跡碑があります。

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本丸内部。ぐるりと分厚い土塁が巡らされています。桜がキレイでした。

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本丸土塁上から。公園化されながらもよく残っています。

ちなみに、小泉城が一番初めに登場する史料は、これかなあと思いますので、自分のためにも記しておきます。

【史料】上杉顕定感状写(黒田基樹「上杉顕定文書集」。以下のPDFページで見れます↓↓)
http://www.surugadai.ac.jp/sogo/media/bulletin/Ronso40/Ronso.40.1.pdf#search=

去十一日上州大胡・小泉要害相攻之時、被疵之条、神妙ニ候、弥可被励忠節者也、
  三月十五日  顕定
     穴沢次郎右衛門尉殿

年代は不明ですが、差出人である関東管領・上杉顕定(あきさだ)は永正7年(1510)に死去しているので、それ以前です。穴沢という武士が、「小泉要害」=小泉城などを攻めて傷を負ったようで、それを顕定が褒めたたえている賞状ですね。大胡城もこれが初見??

*場所はここ↓↓
http://yj.pn/UHLzHo

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    綺麗な画像に感銘凸"\(^-^*) ポチッ!

    ヒロノブ

    2011/2/17(木) 午後 9:08

  • 竹さん、こんばんは。小泉城の桜が綺麗ですね〜
    ここは小泉線に乗車した時に立ち寄りました^^ このお城も総構だったんですね。
    TBさせて頂きますね
    WP

    Shane

    2011/2/17(木) 午後 9:32

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    こんなにきれいに、堀が残っているのですね。勉強になります。

    きれいと言ったら、桜もきれいですね。
    「もう、そろそろ桜の季節ですね」

    [ 時の旅人 ]

    2011/2/17(木) 午後 10:24

  • お久しぶりです

    桜がすごくきれいですね

    一度いってみたい

    雫(重要以外×)

    2011/2/17(木) 午後 11:43

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    竹さん、こんばんは。この小泉城、私も先月行ってきました。
    私のブログでも後ほどアップします。

    木枯し紋次郎

    2011/2/17(木) 午後 11:46

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    地元では、城ノ内公園と呼び、桜がとても綺麗な場所です。
    写真にも掲載してある堀一面が、
    桜の花びらで染まる時は、見事ですね!(^^)!

    この大泉町には、
    七夕祭りをやりません。

    七夕の日に、この城が落ちたからだそうです。

    ハイド

    2011/2/18(金) 午前 9:08

  • 結構大きいですねー。驚きました。縄張りだけ拝見すると、確かに江戸時代っぽい感じもするので、捨てきれないかもしれませんね。お墓や古墳が残されているのも感動しました。
    そう言えば、墓石が自然石のようですが、山本勘助が「墓が大きいのは家を滅ぼす」と言って山本家も代々自然石の墓石だと書いてあったのを思い出しました。こちらもそういう発想なんでしょうかね。

    [ にすけ ]

    2011/2/19(土) 午後 0:46

  • 3月にまた群馬方面に出張できそうなので、その時には訪問してみたいですね。桜がもの凄く綺麗ですが、3月だとまだまだ桜には早いですね。でも、そのほうがのんびりと散策できるかもしれませんね。

    [ - ]

    2011/2/19(土) 午後 9:08

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    >☆グランドネビュラ★☆★SHM☆さん
    ご訪問ありがとうございます!
    へえ〜そうなんですか、広いですからね〜。公園としてもキレイで広くて良いですよ!

    >Hironobuさん
    もう7年前の写真になりますが…画素数も少ないながら、意外とキレイに撮れているもんだなあと思いました。

    >Shaneさん
    小泉線、私も乗りましたよ。ああいうのは無くならないで欲しいですね〜。駅前は確かさすがにブラジル関係のお店や人がたくさんいました。ポチありがとうございます!

    竹

    2011/2/19(土) 午後 11:39

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    >シュガーさん
    よく残りましたよ、こんなに。なんでなんだろ…
    今年は桜と城の写真を撮りたいな〜

    >すいはさん
    桜と城といえば、やはり弘前城ですかね。まだ行ったことないので、一度は桜の季節に行きたいな〜

    >木枯らし紋次郎さん
    そうでしたか、あまり変わっていないのかなあ…。アップされたらぜひトラバして下さい!

    竹

    2011/2/19(土) 午後 11:41

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    >ハイドさん
    へえ〜それも知りませんでした、7月7日…小田原城開城より後に落ちた、という言い伝えになっているのですね。そういうのが今も生き続けているのは興味深いですね。

    >にすけさん
    ここもやたらデカイんですよ。総構が実際どこまでが本当なのかよくわかりませんが、相当広いことは確かでしょうね。
    これは墓石ではなく江戸時代の庚申塔のようです。庚申塔についてはあまり詳しくないので、なんともいえません…

    >はまっ子さん
    ゆっくり見れると思います。訪れやすいのがポイント高いですね。私も電車でいける城ということで一人で行けました。

    竹

    2011/2/19(土) 午後 11:46

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    こんにちは、もうすぐ桜の季節ですね。
    「大胡城」に目が留まりました、群馬県は明治の頃からの呼び名で、古くは車(くるま)と呼ばれていたそうです。古代の豪族「車持氏」の領地であったのが名前の由来のようですが、車持氏はカツ族(胡族)であり、雄略天皇に輿車を差し上げました。群馬県には胡人(ペルシャ)や高句麗など大陸からの渡来人が多く住んでいたようです。
    時代は流れ、戦国時代の彼らの子孫は戦が強かったのでしょうか?

    [ 玉依姫 ]

    2011/2/20(日) 午後 4:22

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    きれいなところですね^^
    さくらがすごく良いですね。心地よさを覚えますね

    [ rinku ]

    2011/2/21(月) 午前 0:23

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    >玉依姫さん
    大胡城には大胡氏というのがいましたね。「胡人」と関係あるんでしょうかね〜
    このへんの領主は、北条・武田・上杉といろんな大名が次々にやってくるなかで、なんだかんだで結構生き残っていった人たちが多い印象があります。戦に強かった…といえるのかな…

    >rinkuさん
    ご訪問ありがとうございます!
    ちょうど良い時期に行きました。今年もこんな感じになるんでしょうね〜

    竹

    2011/2/21(月) 午後 10:58

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    今日は。
    大川村と小泉村が合併して、大泉町になりました。
    5番目の写真の古墳は、1980年代に作られたものです。

    [ 町民 ]

    2011/6/14(火) 午前 2:49

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    >町民さん
    ご訪問ありがとうございます!
    古墳は造られたもの、ということは復元されたもの、ということですかね。昔はもっと崩れていたのでしょうか。

    竹

    2011/6/15(水) 午後 11:32

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    こんにちは。群馬県の小泉城、TBさせていただきました。

    木枯し紋次郎

    2011/11/3(木) 午後 9:23

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    >木枯らし紋次郎さん
    いらっしゃいましたか。ここも市街地の真ん中にありながら、よく残っているほうですよね。ここもなんであんなにデカいのか、謎が多い城です…

    竹

    2011/11/3(木) 午後 10:21

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    竹さん・・と言われるのですね、こんにちは、
    先日、横浜の篠原城について、ながながとコメントした(迷惑?)ものです。
    実は私の旧姓は「小泉」で、家系は武士です。しかし、ひいじいちゃんは福島のいわきの某町で町長をしていて、姓は「村上」。村上は母方の姓で、父方が「小泉」です。でもこの小泉家と村上家は複雑に入り組んでいて(養子としたり、お互いに嫁をもらいあったり)、家系図をたどると繋がっているのです!今だにわけがわかりません。
    村上家は昔は福島の藩主の所で、跡継ぎの教育係(勉強を教える)みたいなことをしていたとのことです。
    そして、父方の「小泉」家のルーツがよくわからないのです。村上家から派生したようにも見えるのです。
    今後、調べられる機会があったら調べたいですが、既に父は亡くなってしまいました。道のりは長いです。

    [ reirei ]

    2012/1/13(金) 午後 5:11

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    >reireiさん
    はい、竹です(笑)
    その小泉という名字は、この群馬県の小泉と関係があるのでしょうかね。地名としては多そうな感じなので、御先祖様はどこのご出身なのでしょうかね。
    古文書等をお持ちであれば、いろいろわかるかと思います。

    竹

    2012/1/17(火) 午後 11:30

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