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去年夏に訪れた新潟の城のうち、鮫ヶ尾城をご紹介しましょう。 この城の歴史は、よくわからないことが多いのですが、基本的には長尾氏(上杉氏)関係の城だったようです。鮫ヶ尾城が歴史の表舞台に登場するのは、天正7年(1579)、上杉景勝と景虎による家督争いである「御館の乱」の時です。御館を落とされた景虎は鮫ヶ尾城へ逃げますが、そこも攻撃され自害しました。 ちなみに、上杉景勝の書状に、「一昨十七館落居、敵悉討捕之候、さめかを一城成置候」「去十七三郎一身之躰ニ而鮫尾地へ被引退候」と出てきます(『上越市史』別編2、1796号、1800号)。どうも史料上にはこれしか登場しないようです。なので、よくわからない城なんですね。 史料上にはこれしか登場しないものの、なかなか立派な城なのです。 まずは城下の居館跡といわれている勝福寺。「立ノ内」=「館ノ内」という地名が残っているそうです。 墓地には中世のものと思われる石塔がたくさん。 お寺の裏から鮫ヶ尾城に向います。入口まで結構歩きます。日陰もなく真夏なのに皆さん倒れず、元気に歩いてましたね・・・ ようやく入口に到着。これはちゃんと下調べしないとわからないでしょう・・・ 縄張図(というか測量図)。この城、所々危険な登山道があるらしく、今回は黄色の部分から上り下りしました。今回の道が大手道だそうで。 しばらくジグザグの道を登っていくと、なかなか大きい堀切が見えてきます。測量図にありますね。 こんな道をさらに登っていきます・・・ 測量図に「虎口」とある部分です。 虎口を通って曲輪内に入り、右側へ進むと井戸があります。 井戸の上の曲輪は「三ノ丸」。ここで景虎は自刃したのだとか。 さらに登っていくと、大堀切があります。 ようやく本丸に到着! 城跡碑をパチリ 本丸からの眺めは、やはり良い。 奥にある「米曲輪」と、その間の堀切。 北麓には周辺史跡も合わせた「斐太歴史の里総合案内所」があり、そこにパンフレットなどあるそうです。真夏でも十分見れる城でした。 |
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鮫ヶ尾城は立派な遺構が残されているんですね。上杉景虎自害の城でもあり、いつか機会があったら行ってみたいですね。
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2013/1/30(水) 午後 10:15
>はまっ子さん
真夏でも、まずまず見れる城でした。ハチも飛んでましたが(笑)
2013/2/6(水) 午後 8:25