|
津軽氏が弘前城に入る前に居城としていた、堀越城です。あまり知られていない城かもしれませんが(私はよく知りませんでした)、国史跡になっていて発掘調査も継続的に行われている城です。 南北朝時代には「堀越楯」として出てくるようで、その後戦国時代にも使われますが、津軽為信が文禄3年(1594)に大浦城からここに本拠を移します。しかし、慶長16年(1611)に弘前城が完成すると廃城となった、ということです。この地域の近世のごく初期の城の様子がわかる貴重な城のようです。 弘前駅でレンタサイクルを借りて、駅から25分くらいだったか、まずまずかかりましたが、行けなくはない距離ですよ。市街地から続く一直線の道を走ると、正面に城跡碑と熊野神社の鳥居が見えます。 城跡碑。 鳥居をくぐって奥に行くと、二の丸に入り、すぐに本丸が見えてきます。 右側を見ると、二の丸の土塁や堀が残っています。 本丸と堀。本丸はよく残っています。 本丸虎口。 本丸内部。発掘調査が今年度で終わるようで、今後は公園化するそうです。その作業が進んでいました。 本丸土塁上から二の丸を見る。 本丸西側の堀。 北東側、三の丸から本丸を見る。本丸周囲を二の丸・三の丸がぐるりと囲んでいる構造のようです。 規模は小さいので2、30分もあれば十分見ることが出来ます。津軽氏の居城にしては、ずいぶんと小規模でコンパクトな城だなぁという印象を受けました。弘前城があんなにデカいですからね。戦国期の城を、あまり改修しないで使っていたんでしょうか。 しかし、この地域は本当に史料が無いですね…。江戸時代の地誌類とか軍記物とか、弘前藩関係の編纂物とか、どの本を読んでもそういうものくらいしかなさそうなのです。 でも、かなり発掘調査も進み、いろいろと結果が出ているそうですので、公園化もされますし、今後が楽しみなお城です。「北の城」とは今後もお付き合いが続きそうなので、勉強していきたいと思います。 |
全体表示






堀越城、弘前城に行った時はぜひ一緒に訪問したい城ですね。
[ - ]
2013/12/30(月) 午後 8:54
北すぎますので、なにやら淋しい気もしますが、新しい方向の研究の成果、楽しみにしています。
[ えいき ]
2013/12/30(月) 午後 10:41
津軽為信は大浦城から直接弘前城に移ったものだと思っていました。
[ 御来欧音(おらいおーね) ]
2013/12/30(月) 午後 10:58
I wish U a H.N.Y !
堀越城は、めんどくさくて行かなかったのですよね~ 自転車は怖いし Jr.Heavy級の自分では貸してもらえないのでは?
[ イラブ ]
2013/12/31(火) 午後 7:54
>はまっ子さん
そうですね、車だったらあっという間です。周辺には他にも津軽氏関係の城跡がいくつかありますし。
>えいきさん
北の城はいろいろと面白そうです。といってもすぐに何か成果を出せるかは別問題ですが…。まあ頑張ります!
2013/12/31(火) 午後 10:41
>御来欧音さん
私もよく知らなかったんですが、こういうことみたいです。それにしても、ちょっと小さい気がします。
>イラブさん
イラブさんは相当な数の城跡を巡られておられるようですね。よく残っていていかにも城跡っぽかったですよ。
2013/12/31(火) 午後 10:44
いや、僕もよく知りませんでした。確かに小さいですね。南部氏から独立する以前ですかね。堀幅も大きくないし。信長の三間槍だと届きそうな雰囲気が・・・(笑)
[ にすけ ]
2014/1/4(土) 午後 0:49
礎石・瓦・石垣の3本柱のうち礎石だけの織豊への過渡期を知るにはいい城・・・でしたっけ?
[ かず@川崎 ]
2014/1/9(木) 午前 0:09
>にすけさん
縄張はなかなか面白いんですが、規模が思った以上に小さいです。何なんですかねえ。
>かずさん
ご無沙汰しております。礎石もあったのかな…報告書とか全然見ていないんですが、公園化整備が進んでました。
2014/1/13(月) 午後 9:04