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岩切城、続きです。 「8」から「6」(上段)「7」(下段)を見る。間の窪みは堀切「オ」。 逆に「6」から「8」。山城ですね〜。 「6」の北西尾根にある堀切「カ」。この堀切もよく残ってますね〜。 「6」から主郭方面の斜面。切岸が立派で、武者走り状の通路もあります。 そして、「6」と主郭「1」との間の堀切「ウ」。『仙台市史』城館編の表紙にもなってます。 そして主郭「1」に到着。なかなか広いです。 「1」から「6」「7」を見る。間は堀切「ウ」。 「1」から北東にある「5」を見る。 「1」から先ほどの「6」北側斜面と堀切「カ」を見る。これぞ山城。素晴らしい。 「1」の南側にある「2」「3」「4」を見る。 「1」と「2」の間の堀切状の地形。『仙台市史』ではここが虎口だとしていたような。あるいは東遺構群から「4」まで回り込ませていた可能性もあるのかな。 「4」から「3」「2」「1」を見る。段々状になっていることがわかります。この「4」には低い土塁がめぐってますが、これは近代になってから造られたようです。そうじてこのお城は近代以降に改変されているみたいですね。それでも、よく残っている方だと思います。 まだまだ続きます。 |
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最新の情報ありがとうございます!
コンクリ等で補強したのでは?と心配しましたが・・・よかったぁ~
ところで、10年程前に仙台駅から高速バスを利用し姫松館~栗駒の鶴丸館(ここも良いです)を見て電車に乗った事を思い出しました、鉄道は現在廃線になったようですが、一泊までの高速バスは残っているようですね?
[ イラブ ]
2014/2/16(日) 午前 11:19
すごい広さ^^
山城って、いつも「どうやって資材運んだ?」って素朴な疑問湧きます^^
村ナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち
2014/2/16(日) 午後 11:28
>イラブさん
国史跡なので、さすがにそうしなかったんでしょう。築城当時はこのくらい急峻な切岸だったんですかねぇ。
姫松館は超行きたいです。調べましたら、一迫行きのバスはありますね。情報ありがとうございます。必ず行ってきます。早く雪なくならないかな…
>栞さん
ホントですよね、映像を見てみたいです。ポチありがとうございます!
2014/2/17(月) 午後 5:38
こんにちは。近代に入っても改修が行われたというのは、やはり地理的に重要な場所にあったのでしょうね。
[ 御来欧音(おらいおーね) ]
2014/2/18(火) 午後 3:12
>御来欧音さん
近代は学校のグランドとか、陸軍の砲台とか、いろんなことに使われていたそうです。どこの城跡も似たようなもんですね…。
2014/2/20(木) 午後 10:59