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みんな杉山城好きね・・・。

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お城好きにはたまらない中世城郭、杉山城。この杉山城をめぐって、「杉山城問題」と呼ばれる大きな論争が、起きています。2008年3月14日付けの読売新聞でも大きく取り上げられました。

イメージ 1

ちなみに、「杉山城問題」に関して、私、昨年に、江戸東京博物館の「えどはくカルチャー最先端城館研究」という講座でお話させて頂きました。画像はその時のです。無断掲載まずかったら削除しますので、お知らせ下さい…。

何が問題になったのか、一言でいうと、こんだけ複雑で素晴らしい構造のお城なのに、古文書に登場しない謎のお城だったんです。でも、この縄張なら、上杉謙信・武田信玄と並ぶ強大な戦国大名・北条氏が造った最新式のお城だろう、年代は永禄年間頃(1560年頃)だろう、とされてきたんです。で、みんなそれを疑わなかったんですね。かくいう私もそう思い込んでました。これだけのお城ですからねぇ。

ところが、最近発掘調査が行われたんです。そしたらナント!建物跡もロクになく、遺構面が1面だけなので造り替えた形跡なし、その1面の遺構面からキレイにまとめて出てきた遺物は、生活感がないものばかりで、15世紀末から16世紀前半、つまりは1500年前後のものだったんです!

ということは、1500年前後にこのあたりでドンパチやってた関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏関連のお城で、しかも機能したのはほんの一時期、つまりごく臨時的に造られた陣城のようなもの、と評価されることになったのです!

これは、今までの年代より50年くらい遡るため、歴史が全然変わっちゃって、常識が一気に覆ることになるので、縄張論と考古学との間で大論争となりました。これが「杉山城問題」です。

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考古学の言う通りになっちゃうと、今まで縄張構造から「北条氏関係の城だ」とか言ってたことが怪しくなるので、「縄張研究ってどうなの?」となる。逆に、ただ遺物が出ていないだけで、考古学ではお城の縄張構造の年代はわからない、「考古学ってどうなの?」という話になる。だから、両者ともに様々な議論がされているんです。

ところが、無かったはずの関連史料が、遂に発見されたんです。

●足利高基書状写(『戦国遺文』古河公方編、606号、山田吉令筆記所収家譜覚書。なお、史料を実見のうえで一部翻刻の誤りを直しました)

椙山之陣以来、相守憲房走廻之条、神妙之至候、謹言
   九月五日       足利高基ノ由
                   花押
         毛呂土佐守殿

これにはっきりと「椙山之陣」と出てきます。細かい点は省きますが、これは1520年前後の古河公方・足利高基の手紙で、山内上杉憲房という人が杉山に在陣したことがわかります。この時、築城されたのが杉山城だと、つまり山内上杉憲房が築城したと考えられる訳です。これは、縄張論ではなく、上記のような考古学の成果とほぼ一致することはおわかりでしょう。

という訳で、やっぱり16世紀前半の上杉氏のお城でいいんじゃない?という文献史学・考古学の説と、いやいや、これだけ複雑な縄張でそれは考えられない、という縄張論の説が未だに対立している状況なんです。もちろん、それぞれの議論に限界・弱点があるので、今後はどうやってそれを乗り越えていくか、これが大切になってくると思います。

どうです、面白いでしょ?同じ杉山城というお城を見ていながらも、これだけ見方や評価が全然違うんですね〜。歴史研究の面白さはこういうところにもあります♪こんな感じで、お城はまだまだわからないことだらけなのです…

さて、皆さんはどう思いますか??

*注記
他にも、「杉山長尾」と書かれた系図史料が発見されました。これもやはり15世紀後半から16世紀前半の山内上杉氏家臣の長尾氏一族のことを指すようです。なので、杉山長尾氏というのが杉山城にいたのではないか、とも考えられます。ただし、系図なので信憑性の問題があることと、発掘調査の成果(特に臨時的な陣城という評価)と齟齬をきたすため、可能性にとどまります。なので、現在は上記足利高基書状写をベースに議論が進んでいます。いずれにせよ、戦国時代の前半であることは変わりません。ここが重要な部分です。


*********************************************
参考文献

・埼玉県立歴史資料館編『戦国の城』(高志書院、2005年)。
・拙稿「戦国前期東国の戦争と城郭―「杉山城問題」に寄せて―」(『千葉史学』第51号、2007年)。
・齋藤慎一「戦国大名北条家と城館」(浅野晴樹・齋藤慎一編『中世東国の世界3 戦国大名北条氏』高志書院、2008年)。



■この記事もだいぶ古くなってしまいました。基本的な内容は変わっていませんが、この後に以下の論文を出しましたので、最新の見解としてはこちらの方をご参照ください。

・「その後の「杉山城問題」―諸説に接して―」(『千葉史学』第60号、2012年)
・「城郭研究の現在」(『歴史評論』787号、2015年)
・「城郭研究を揺るがした「杉山城問題」とは!?」(渡邊大門編『戦国史の俗説を覆す』柏書房、2016年)
・「南北朝〜戦国前期の「陣」について」(『東北学院大学論集 歴史と文化』第55号、2017年)

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    私は中世の城又は「舘」「升形」「堀切」に興味があります
    又、山城の場合は生活する場所は何処か等興味がつきません
    いろいろと勉強させて下さい。

    [ 宮城野 ]

    2009/2/1(日) 午後 11:14

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    >riricoさん
    ご訪問ありがとうございます!
    あのへんはツーリングには良いでしょうね〜。ええそうなんですよ、かなりロマンチックなところなんですよ!是非、ちょっと立ち寄ってみてください!また遊びにいらして下さい♪

    >気楽なおんちゃん♪さん
    そのへんのことも、別に書庫を設けてやろうかなと考え中です。山城での実際に生活はどんなんだったんでしょうかねぇ。岐阜城なんかは信長が実際によく登っていたそうです。

    竹

    2009/2/2(月) 午後 11:12

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    はじめまして。カズワンと申します。履歴から訪問させていただきました。
    私も山城がすきで、頻度は非常に少ないですが、あちこちと上ったりしています。

    杉山城も上ったことがあります。きれいに遺構がのこっていますよね。個人的には1500年ごろ作られ、北条氏が拡張したものの、規模の小ささから狼煙台のような役割をはたしていたのではないか、と勝手に想像しています。菅谷館の位置づけも気になるところです。

    勝手ながらお気に入りに登録をさせていただきましたが、ご了承くださいませ。
    また、今後も訪問させてくださいませ。どうぞよろしくお願いいたします。

    k_w*n*c37

    2009/2/11(水) 午後 10:20

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    >カズワンささん
    ご訪問ありがとうございます!
    ファンポチもして頂き、ありがとうございます!菅谷館との関係は、重要だと思いますが、やっぱりよくわからないんですよ。同時期のものとは思いますが…
    今後ともよろしくお願いします!

    竹

    2009/2/12(木) 午後 10:25

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    今晩は。
    履歴から来ました。
    「杉山城問題」。ド素人の私もワクワクします。
    この問題、さらなる進展を期待したいです。

    [ ぶなじろう ]

    2009/3/2(月) 午後 10:58

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    >ぶなじろうさん
    ご訪問ありがとうございます!
    今後は、なかなか進展しなさそうですが、何をやるにしてもこの問題がつきまとうのは間違いないでしょうね〜。

    竹

    2009/3/4(水) 午後 8:43

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    興味深い内容でとても楽しみました。杉山城跡はまだ訪れていませんが、古書店で買った伊礼正雄氏の本で見事な縄張りを知っていらい、一度行ってみたいと思い続けています。僕も杉山城は縄張りの特徴から後北条氏の築城だと考えていましたが、あるいは違うかもしれない。そう思うことが不思議ではない例もある。ときおり仕事のついでに立ち寄る狭山市の柏原城跡。これは川越の合戦のおりの山内上杉氏の陣城だったらしいのですが、急ごしらえの小さな陣城ながら、横矢掛りの土塁と虎口の馬出しの構造がよく出来ていて、近世城郭の雛形のような印象を受けます。ああいう縄張りのプランが出来る技術者を抱えていたとすれば、あるいは杉山城の建造もできたかもしれない。関東の中世城郭は後北条氏によって独自の進化を遂げたとするのが通説だけれども、後北条氏はもしかしたら上杉氏他の旧勢力の中で一定程度発展していた築城プランを吸収、継承したのかもしれない。ことによれば名高い小田原城の外郭も、その雛形は山内上杉氏の築城あたりにあったのかもしれない。そんな想像もふくらみました

    [ mijinko ]

    2009/12/12(土) 午前 1:29

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    >mijinkoさん
    ご訪問ありがとうございます!楽しんで頂けて何よりです。
    伊禮さんの本をお持ちとは、かなりのお城好きの方とお見受けします…
    そうですね、私も柏原城は気になってます。本によっては、縄張が複雑だからというだけの理由で、山内上杉氏ではなく北条氏が使用したものとするのもあったと思いますが、基本は上杉氏の城とされてますよね。あれを二重三重に組み合わせたらかなり杉山城に似てくるような…。
    そもそも、何故に縄張が複雑だと戦国時代後半以降で北条氏によるものとわかるのか、という単純な疑問を持って調べてみると、実はその根拠がかなり曖昧だった、ということが、最近わかってきました。今までの「常識」は、実は厳密に検討されたうえで「常識」となったのではないんです。ここがこの問題のミソなんですね。なので、おっしゃるようなことが考えられるようになってきました。築城技術は単線的に発展するのではなく、また特定の大名によって独自に発展するものでもないと。
    この記事もちょっと古くなったので、また最新の見解を踏まえて、記事をアップしようかなと思ってます。また是非遊びにいらして下さい♪

    竹

    2009/12/13(日) 午後 9:13

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    >最新の見解を踏まえて、記事をアップ

    とても楽しみです。心待ちにしております。僕は東京の多摩在住なものですから、武蔵国と近隣の古城跡がとりわけ「お気に入り」です。古城跡探訪は仕事やハイキングのついでにちょろっと行く程度なのですが、空堀や土塁の遺構に竹さんと同じように“萌え”てしまうオタです。最近は嗜好がマイナーに傾いてしまって、南一揆とか三田氏の城跡から中世社会に思いを馳せてます。もしも機会があれば、青梅市の今井城跡とかも、ぜひ竹さんに論じてもらいたい!(マイナーですけど・・・・)

    [ mijinko ]

    2009/12/14(月) 午前 1:51

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    竹さん

    ブログにコメントいただいてありがとうございます。
    私自身、まだまだ不勉強なところが多いですが、
    いろいろとご教示いただけると助かります。

    ところで私は杉山城そのものに行ったことがないのですが、
    やはり縄張りの印象から受けるように、現地でも「技巧的」な
    特徴、印象を受けるんですかね?

    あと報告書を読んでいないので、なんとも言えないのですが、
    調査の成果と現地形の縄張り図とのギャップがどれくらいあるんでしょうか?あるいはまったくないんですかね??
    いろんな山を歩いていると、かなり改変を受けていて、
    現地形と旧地形が全然異なるようなところが多く見受けられます。
    杉山城問題では、そのあたりはどのようにクリアになってるのでしょう。
    私が参加した研究会(昨年度、山梨で行われたやつ)では、
    あまりそのあたりには触れられないで、
    「縄張り」と「遺物の時期」とがトピック的に取り上げられていて、
    いまいち判然としなかったのですが。。。

    いきなりのコメントで質問ばかりで申し訳ありませんが、
    リコメントしていただけると幸いです(*^_^*) 削除

    [ arch ]

    2010/1/25(月) 午後 9:18

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    >archさん
    ご訪問ありがとうございます!そうですか、石和のシンポにもいらしてましたか。私も参加しておりました。

    実際見て、本当によく出来ています。「技巧的」な印象を受けますよ。残りが異常に良い、ということもあるかもしれませんが。

    調査成果と縄張図とのギャップというと、出土した遺構面と現在の縄張の形とのギャップということでしょうか?基本的に造り替えの形跡がないようですし、遺構面とは全然別に縄張がされている訳ではないですね。後世の改変の可能性は無いはずです。

    なので、基本的には現在の縄張は築城された当時のままで、その下から1面のみの遺構面が出てきて、そこから15世紀末〜16世紀初頭の遺物が出ている、ということだと思います。

    で、考古学的にはその年代観で、縄張的には16世紀後半、あるいは織豊期、という年代観が与えられています。

    と、お答えになっているでしょうか…

    竹

    2010/1/25(月) 午後 9:56

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    ご丁寧な回答ありがとうございます。
    やっぱりそういうことなんですね。
    後世の改変がない以上は、考古学的には「15世紀末から16世紀初頭」と結論づけるしかないと思います。
    多分、私が担当者でも、そう表現したと思いますし。

    正直、シンポジウムに出るまで「杉山城問題」なんて知らなかったので、
    「なんだそれは?」とあたふたしたのを覚えています(笑)
    と同時に、「なんでそれまで議論されなかったのだろう」と不思議な気持ちにもなりました。

    中世考古学の場合、特に国産陶器編年が「生産地編年」であるのに対し、貿易陶磁器は「消費地編年」。縄張りは…「消費地編年」ですかね(笑)それぞれ属性の違う年代観が錯綜しているから、そう簡単には話はできないですよね。もちろん、文献にも「信憑性」ということが常に付きまとうわけで。

    それぞれの分野の得手不得手を検討して、これまでに詳細に調査された事例の検討を積み重ねていくことでしか、解決できないような問題と思います。

    城郭研究の方法論みたいなことってできないんですかね…(;_;)

    ながながとコメント申し訳ありません。 削除

    [ arch ]

    2010/1/25(月) 午後 10:21

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    >archさん
    そうですね、石和シンポをまとめた『戦国時代の城』(高志書院、2009年)にも書いてありますが、城の年代という極めて基本的な問題が、意外とおろそかにされてきたのが実情ですね。なんですかねぇ、私も今まで特に疑うことなく北条氏の城だと普通に思っていましたから、こういうこともあるんですね。

    文献も、まだまだ検討されていない史料、結構あります。文献史学の人間で、城をやっている人もあまりいないですから、あんまり注目されないんでしょうね…

    まぁともかく、まだまだ議論は続きそうで、城郭研究が活性化して、一般の方々にもその面白さや歴史の見方などを伝えることが出来ればと思ってます。

    竹

    2010/1/26(火) 午前 0:47

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  • コメ&TB、ありがとうございます。逆TBしておきます。
    しかし、前田利家や上杉景勝の築城となると、小田原成敗時ということ。。個人的には元々あったところを再整備したという方向性のような気がしますね。

    yzak-jule

    2010/3/20(土) 午後 4:44

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    >yzak-juleさん
    こちらこそありがとうございます!
    そうです、小田原合戦の時に、鉢形城や松山城を攻めますが、その時に築城された織豊系の陣城ではないかということです。最近、この説がずいぶんと流布してきまして、また1つ大きな論争!?になりそうな感じです。まだまだ議論は続きそうです!

    竹

    2010/3/20(土) 午後 10:21

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    ご訪問・コメ、ありがとうございました!

    つい先日行った杉山城について、理解が深まりました! そういえば、(先日行った際の)ガイドでも「関東管領の」という言葉がしきりにあったにも関わらず、「北条のお城めぐり」と思い込んでいましたので、改めて整理したいと思います。 削除

    [ ナカジ ]

    2010/11/11(木) 午前 10:35

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    >ナカジさん
    ご訪問ありがとうございます!
    結局、その後も議論は続いていて、共通見解とはならないまま対立が続いています…。非常にデリケートな問題でもあるので、あまり余計なことはこのブログ上では言わないことにしました。個人的には一程度の決着がついたと思っているんですけどね。今後どうなるか、楽しみです!
    また是非遊びにいらしてください♪

    竹

    2010/11/11(木) 午後 10:50

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    >bak*m*ts*daisu*iさん
    コメントありがとうございました。ただ、ちょっとそれは「アウト」です。大変申し訳ございませんが削除させて頂きました。ブログ上ですので勘弁して下さい。何かございましたら個人的にお願いいたします。どうかご理解頂きたいと思います。

    竹

    2013/12/13(金) 午後 1:38

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    すみません。言葉が過ぎました。あまりにひどい説を主張する輩なので。

    貴殿の研究は優れています。応援しています。がんばってください。

    [ bak*m*ts*daisu*i ]

    2013/12/13(金) 午後 1:47

    返信する
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    ご理解頂き、ありがとうございます。

    竹

    2013/12/13(金) 午後 1:57

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