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古い記事のコメントで失礼します。
この開田城の存在は、私が大学時代の80年代から既に知っていました。近所に友人の下宿があったので、良くその前を通りました。
当時は敷地の周囲に土塁がほぼ完存していましたが、まさかあんなに大きな物が消えて無くなる日がこようとは、夢にも思っていませんでした。
コメントを読んでいると、皆さん物分りが良い方のようですが、私はそんなに物分りが良くありません(笑)。
例えは不謹慎かもしれませんが、人が亡くなったニュースを見ても、それが赤の他人なら「あぁ可愛そうにねぇ…」と思うだけですが、それが近親者なら尋常な精神状態ではいられないでしょう。ちょうどそのような心境です。
語弊を恐れずに記すと、私は文化を壊す行為は、人の命を奪うのとと同じくらい、否、それ以上に悪意のある行為だと感じます。
近時、某宗教系テロ集団が世界遺産を破壊してまわっているニュースが伝え伝えられていますが、それと一体どこが違うのだろうかと自問自答してしまいます。
そう考えるのは、私が文化財行政に従事している立場だからなのでしょうか…?[ 堀口 健弐 ]
2016/8/22(月) 午前 10:56
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古い記事のコメントで失礼します。
既に浅学が指摘されていますが、この山崎城の縄張りは、倭城のプロトタイプ(原型)になる貴重な縄張りです。主郭から山腹の曲輪を連結する竪堀・竪土塁は、後の倭城の登り石垣を彷彿させます。
また掲載の縄張り図では表記されていませんが、横矢がかりの突出部(横矢枡形)もあり、これも倭城に先行するものです。倭城の横矢枡形は、朝鮮式城郭の「雉城」を模倣したとする説もありますが、明らかに同城の方が先行しています。
ところで同城の縄張り図は、著名な城郭だけあって多くの図が流布されていますが、皆それぞれ形が違います。自分の描いた縄張り図が正しいとは言いませんが、この辺が縄張り研究の問題点だと思います。[ 堀口 健弐 ]
2016/8/22(月) 午前 10:20
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出た!天然記念物^^
何が出ても困るけどビックリですね^^
2016/10/9(日) 午後 7:31