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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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城郭探訪、今回はようやく山梨県の書庫です。韮崎市にあります、新府城を御紹介しましょう。

新府城は、かなり有名な城なので、そんなに説明は不要かと思いますが、武田勝頼が対信長の拠点として築城したものの、未完成のままあっけなく放棄された城とされています。天正10年(1582)3月の武田氏滅亡後、甲斐国は織田信長の領国になりますが、同年6月に本能寺の変が勃発、甲斐国は再び戦乱の巷となってしまいます。旧織田領国をめぐって、上杉景勝、徳川家康、北条氏直の3大名による争奪戦が勃発したんですね。これを、「天正壬午の乱」と呼びます。

この乱は、甲斐、信濃各地でドンパチしていたんですが、最終的にここ新府で北条軍と徳川軍のにらみ合いという形になります。そして、新府城はこの時、徳川軍の本陣として利用されたんです。よって、現在残る遺構は、基本的には武田氏時代と考えてよさそうですが、家康による改修も考えた方が良いようです。そこのところは、またおいおい。では、早速、レッツ・キャッスリング!

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新府城の登り口。JRだと中央本線の新府駅から歩いて行ける範囲です。ここを訪れたのはもう3年前?かな、その時の写真ですので、ちょっと古いですが、まぁたいして変わっていないでしょう。東京から日帰りで十分行けます。

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縄張図とか説明板とか。割としっかりと整備されています。さっきの入口の石段は、東側です。帯曲輪、南大手門、丸馬出、三の丸、馬出、二の丸…という順番で見て行きます。

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石段を登ると、帯曲輪に出ます。それを左に進むと、南大手門に到着。このときは5月で、草ぼうぼうだったのでよくわからないでしょうけど、大手門跡なんです、これが。土塁が四方に巡らされていて、枡形になっています。

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大手門の外側には、見事な丸馬出が残っています!あんまりちゃんとした丸馬出を見たことがなかったので、これは感動ものでしたね〜。すごくデカイ丸馬出です。わかりますかね、この規模が!?丸馬出の堀底の真ん中で、左右両方の方向を撮ったものです。高低差はかなりあります。斜面の上が曲輪部分ですね。

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丸馬出を見て、さらに上へ登って三の丸を経て、二の丸入口の馬出です。ここは丸馬出ではなく、普通の四角い馬出ですね。

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で、二の丸。縄張りとしてはそんなに手の込んだ形ではなく、むしろ多くの兵員を収容することを目的とでもしているのかしらんと思えるような、広い曲輪になっています。

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