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蒲原城、続きです。 主郭(右側)と善福寺曲輪の間の堀切。 堀底を歩いて西側へ行くと、小さな曲輪がいくつかあります。 右側に城跡碑があります。 曲輪内には、ここで討死した北条氏信の石碑もあります。当時の古文書にも戦いの様子が書かれています。 主郭から見た善福寺曲輪と富士山。 で、大手方向は主郭の南西側なのですが、ヤブだらけで入れません。なので、戻ります。 戻って、入口近くにある大空堀。ここもヤブだらけで、わかりにくいです。看板も見逃してしまいそう。 入口に戻ってきました。 蒲原宿の写真も。 JR新蒲原駅ホームから、蒲原城を眺める。真ん中の山です。 およそ15年ぶりの蒲原城でした。前回は、高校の同級生・後輩と一緒に山中城とここ蒲原城を見に来たのですなあ。そこまで山城好きではなかったH君とT君、後輩のU君とM君にはお付き合い頂いて、今更ながら感謝です(笑) |
L静岡県の城
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予告通り、蒲原城の遺構をご紹介しましょう。昨日アップした蒲原城から見た風景はこちら。絶景なんですよ↓↓ http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/31825996.html JRの新蒲原駅から歩いていきました。東海道蒲原宿を越えて、山の上へと登っていきます。舗装された道路で、住宅も多いのですが、かなりの急こう配の道で、疲れます。駅から徒歩25分か30分で、ようやく搦め手にあたる入口に到着しました。 こんな看板があります。 いちおう城跡公園として整備されているのですが、結構荒れ果てています。階段を登っていくと・・・ 善福寺曲輪下の細長い曲輪に出ます。ここも改変されているんでしょうが、一応土塁が巡っている感じになっています。 もうちょっと奥に行くと左側斜面に石積みがあります。これは当時のものではないですよね。 で、ここからちょっと登ったところが、善福寺曲輪です。逆茂木らしきものが復元されていて、周囲に巡らされています。戦国の城っぽい雰囲気になっているといえましょうか。 善福寺曲輪内部。逆茂木だけでなく、櫓も3つ造られています。奥の高いところが主郭です。 その櫓から見た善福寺曲輪。発掘調査が行われて、一応はその成果に基づいて考証復元したそうです。 これもよく角度の写真ですね。善福寺曲輪と主郭の間の堀切下から見たところ。櫓と富士山が一書に写るんです。電線が残念ですが・・・ で、これがその堀切。なかなか大きくて立派な堀切です。 続きます・・・ |
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今回も縄張図を出させて頂きます。加藤理文・中井均編『静岡の山城ベスト50を歩く』(サンライズ出版)より引用・加筆。赤線のように見ていきます。 前回は主郭と思われる曲輪まで見ましたが、その西にある虎口と思われる部分。 外側から見た虎口。 虎口を出て西側に進むと、横堀へと繋がっていきます。ここはわかりやすいですね。 横堀が北側へ曲がる部分ですかね、たぶん。 これは曲がったところかな??やはりすぐにアップしないと忘れてしまいますね・・・ 横堀を歩いてぐるりと回り、一番西側の曲輪内へ入ります。その部分。図面でもわかるように、まっすぐ進んで土塁にぶつかり、左に入ります。枡形になってますかね。 そして、その一番西側の曲輪内。正面に見える土塁が真ん中の曲輪の土塁、最初に入った枡形虎口を構成する土塁です。ヤブだらけでわかりませんね・・・ 帰りは西北側へ降りていきましたが、降りるというよりは落っこちるような感じで、大変危険です。オススメ出来ません。西北側には昌渓院付城もあるのですが、ちょうどその間にある沢の部分に堀切らしきものが設けられていました。 噂通りの、見事なお城でした。本当に御所山城に似ていますね。枡形虎口が連続しているようにみえるなど、小規模ながら非常に技巧的、迷路みたいな城ですね。本立寺付城とはまたちょっと違ったタイプのお城に感じました。 というわけで、まだ付城は2つしか見ていませんが、このように韮山城包囲網を構成する付城・陣城群は極めて良好に残っていることがわかりました。将来的には見学できるよう整備される方針のようですが、かなり険しく危険な個所もあり、なかなか難しそうに思いました。 韮山はイチゴも有名です。この日もイチゴ狩りの人たちで大賑わいでした。韮山城を中心とした史跡めぐりをして、イチゴを食べて、伊豆長岡で温泉に入る。伊豆の国市へ観光しにいらっしゃいませんか??伊豆の国市観光協会HPはこちら↓↓(ただし、韮山城址が「その他」に分類されているのが悲しい・・・) http://www.izunotabi.com/ |
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韮山城包囲網の付城シリーズ、前回は蜂須賀家政軍が陣取ったと思われる本立寺付城をご紹介しましたが、今回は前野長康軍が陣取ったと思われる上山田付城をご紹介しましょう。前回の記事はこちら↓↓ http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/31575623.html http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/31601700.html 山麓から上山田付城を見る。この道が登り口になります。本立寺から南、御嶽神社を過ぎて東の方へ上っていく車道(この画像の道)があるので、そこに入り、車が入れない方の道をちょっと登ると貯水施設があります。そこが目印ですね。そこからさらに道を登っていきます。道というか沢というか。途中には巨大な岩があったりして、なかなか怖いです。ずっと登り山の鞍部に着いたかなというところで、右へ無理やり入ります。尾根上を右へとにかく進むと着きます。全く整備されていませんので、かなりわかりにくいです。 縄張図。加藤理文・中井均編『静岡の山城ベスト50を歩く』(サンライズ出版)より引用。描いたご本人と一緒に見学しました。この図面を見て、面白そうなお城だと思いませんか?実際、行くのは大変ですが、面白かったです。 城跡へ向かう途中の尾根上に、こんな塚が。どうもこれは江戸時代に山の堺を巡って村同士が争った時に築かれた塚のようです。この塚あたりまで来ると、城跡までもうちょっと。 北東側から尾根伝いに進んで、ようやく到着!いきなり枡形虎口に出くわします。まっすぐ進んで右に折れると。これが良く残っていて、以前ご紹介した小田原の御所山城の枡形虎口にそっくり↓↓ http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/25621845.html ちなみに、枡形虎口の北東側に帯曲輪がありますが、見た感じ横堀かもしれません。 内側から枡形虎口を見る。真ん中左から来て、右の土塁にぶつかり、手前へ折れ曲がるのです。 虎口を入ると真ん中の広い曲輪内に。こんな感じです。藪になってますが、お城好きの猛者さんたちが一部刈り取ってくれたようで、だいぶ見やすかったです。昔は何にもわからないくらいヒドイ藪だったとか。 東南方向に進みますと、L字状の土塁にぶつかり、左、右と曲がって進むことになります。 さらにまた右に曲がり、隣の曲輪内に入ります。このへんがこの城の見どころ。連続枡形と言えなくもない!?迷路みたいになってます。 曲輪内部から先ほどの画像の部分を見たところ。ここがこの城の中心曲輪ではないかということです。確かに、よく削平されています。人が映っているところが、先ほどの写真の部分です。L字状の土塁も見えますね。 この曲輪の北東側、先ほどの導線にもぶつかるのですが、若干ながら竪堀状の堀があります。橋で両岸を繋いでいたのか、単なる崩落の跡なのか。右側が曲輪内になります。 南東方向へ尾根上を降りていくと、段々に曲輪が続いています。いかにも駐屯地という感じ。上の大きい曲輪には武将級の人間がいて、こうした尾根上の段々の曲輪に下っ端が陣取っていたんでしょうか。 続きます。 |
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途中、小田原城が入ってしまったので、更新が遅れました、韮山の本立寺付城の2回目です。 前回見た長大な土塁線を横目に登山道を登り、山頂にやってきました。これが主郭でしょう。土塁が一部めぐっていますが、お堂もあって改変されているようです。 山頂から東側の尾根を登って行きました。ダラダラとそれなりの削平地が続き、途中に小規模ながら堀切があります。ここからさらに奥を登りましたが、登り切ったところが断崖絶壁の細尾根になっていました。なので、この堀切で城域を区切ったのでしょう。 山頂のお堂から西北側の尾根を下っていきます。ここで寄席の時間が迫った某師匠とはお別れ。あまりお話できませんでしたが、またいつかご一緒できれば!! 藪だらけなのですが、実はこっちにすごい遺構が・・・ ちょっと歩くと堀切が。しかも左斜面には犬走りらしき細い道があり、この堀底へ通じているようです。ちょっとわかりにくいですね。 さらに藪をかき分けながら下っていきます。どうもずっと土塁線が続いているようで、ところどころに「ミニ砦」ともいうべき遺構があるのです。そのうちの1つに到着。四方に土塁をめぐらし、西側、つまり韮山城側の斜面に二重の横堀を設けています。これが見事。画像は、たぶん「ミニ砦」の曲輪内のはず。土塁がありますし。 で、その「ミニ砦」の一段下には、井戸らしき池が。かなり深く、水がたっぷりあります。 どんどん下っていきます。土塁線が続いて、しばらくするとまた同じような「ミニ砦」が!ここは藪があまりなく見やすいですね。手前がおそらく堀切で、人が立っているところが虎口。左右に土塁があります。左側斜面には、先ほどと同じように、また2重の横堀があるのです。 その1重目の横堀。ここも割と見やすいです。 さらに一段下に、2重目の横堀があります。ここもわかりやすい。これは見事です。2枚目の写真、もしかしたら1重目の横堀かもしれません… 藪をかき分け、なんとか下山。麓の浄念寺さんに出ました。そこから見た富士山。 このように、韮山城包囲網の付城の遺構は、意外にもよく残っているのです。基本的には、長大な土塁線を構築して、所々に「ミニ砦」的な陣地を造って全体を繋げている、ということのようです。縄張図もあるにはあるのですが、きちんと調査されたことはないようで、今後然るべき方が描くそうです。それもそのうち公開されるでしょう。 調査は始まったばかりですので、整備されるのはまだまだでしょうが、全貌が明らかになる日はそう遠くないでしょう。 「静岡県の城」、次は同じ豊臣方の付城とされる上山田付城をご紹介します。 |




