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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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久しぶりの一日二回の更新です。時間ある時にやっておかないといけませんからね…

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縄張図。静岡県考古学会編『静岡県における戦国山城』(2010)から引用。今回も、赤線のように見ていきます。画像の右下をクリックすると拡大できます。

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「三の曲輪東馬出」です。ここも小さい丸馬出になっているようです。

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その馬出の堀。ここも藪ですな。

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さて、次はほそ〜〜い土橋を渡ります!これがちょっと危険!あまりオススメしませんので。

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その土橋から見た「外堀」。奥に見える土橋は、前回ご紹介した「三の曲輪南馬出」へと至る土橋ですね。デカすぎて堀全体が写真に撮れません!

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土橋を何とか渡り、再度「三の曲輪」内部へ突入!道状になっているので、虎口かなとも思うのですが、現地案内板では堀としているようです。どっちなのでしょうね。

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「三の曲輪」のさらに内部へ。看板には「三の丸」と記されてますね。

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「三の曲輪」と「本曲輪」の間は谷を利用したとてつもなく巨大な堀になっています…あまりの凄さにただただ茫然…
手前にあるのが「かんかん井戸」という名の井戸です。結構深いので、見学には要注意!

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この巨大な堀を下っていきます。「水の手曲輪」方向です。谷を利用した天然の水源だったようですね。堀が大きすぎて写真に入らない…

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少し下って見上げた様子。写真じゃわからないだろうな、この凄さ…

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「水の手曲輪」は今回は見ずに、その隣の曲輪に登って、「本曲輪」の周りをぐるりと歩いていきます。ずっと横堀が続いていますが、途中まで藪だらけで写真は無理でした。
しばらくすると、開けてきます。「本曲輪」東北下にある細長くやや大きめの曲輪に出ます。この写真の左上が「本曲輪」、右側の削平地がその曲輪。その間はずっと横堀が続いています。

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そこからさらに下をめぐる横堀を眺める。ここもキレイに残っています。さらに下はもう車道です。

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奥に進むと、横堀脇にまで降りる道があります。そこから横堀を撮りました。

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また戻って「本曲輪」へ突入!搦手口のようですね。登ったところはこんな感じになっています。

まだまだ続きます!

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この猛暑の中、なんと山城めぐりをしてきました(笑)前々から行きたかった静岡県の名城、高天神城と諏訪原城を見学してきました。今回は、まずは諏訪原城をご紹介しましょう。

諏訪原城は、天正元年(1573)に武田信玄の息子・勝頼によって築城されたといわれています。築城の指揮をとったのは、重臣の馬場信房という説も。

その後、天正3年の長篠の戦いで武田軍を破った勢いで徳川家康が攻め、武田軍は放火して退却しました。その後は徳川方の城として「牧野城」と改称され、今川義元の息子・氏真が一時期在番したりもしましたが、主に家臣の松平家忠が在番して、数年にわたって改修・普請を重ねていたことが文献史料から明らかになっています。

武田氏が滅亡した天正10年(1582)、あるいは家康が関東へ移ってしまう天正18年(1590)までには廃城となっていた可能性が高いです。その後の利用、つまり織豊期は…まあ現時点では考えにくいですね。

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縄張図。静岡県考古学会編『静岡県における戦国山城』(2010)から引用。赤線のように見ていきます。画像の右下をクリックすると拡大できます。

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城の南側、道路に面して駐車場があります。向かいのお茶屋さんにパンフレットも置いてあります。駐車場から案内板に従って城内に突撃です。するとすぐに大手の堀に出くわします。たぶん、堀でいいと思いますが…

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堀を越えると「大手曲輪」、奥の森が「惣曲輪」になります。静岡らしく、茶畑になっていますね。無類のお茶好きとしては、これだけでもいい光景です。

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さらに進むと、早速出ました、超巨大な空堀!これはものすごいとしかいいようがない、凄まじい規模の堀です!!この写真は「外堀」ですね。ざっと幅20m、深さ10mはあるようです。

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反対側にも同じ規模の巨大空堀が!これは「三の曲輪馬出」をめぐる三日月堀になりますが、こんな巨大な三日月堀は見たことありません…超巨大丸馬出です。

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馬出から「三の曲輪」に入るために「土橋」ですね。この下は先ほどの断崖絶壁の超巨大な堀なんですから、怖いです。

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その土橋上から見た「外堀」の続き…唖然茫然です。

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馬出内には諏訪神社があります。武田氏が築城した際に勧請したものだとか。

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南東側に進んで、先ほどの巨大三日月堀の続き…

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南東側の虎口には鳥居と城跡碑があります。

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戻って先ほどの土橋を渡り、「三の曲輪」内部に入ります。真夏ですが、割と見やすいです。

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「三の曲輪南馬出」に到着。土橋をわたった先が馬出になります。ここも丸馬出になってます。

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土橋の両側はもちろん、巨大な堀が!このスケールのデカさは異常です…

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「南馬出」をめぐる三日月堀。藪でわかりにくいですね。ここの丸馬出は、城内にある他の丸馬出と比べてずいぶんと小ぶりなんです。これが何を意味するのか、いろいろと議論があります。それは後ほど…

まだまだ続きます!

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これで最後です。

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堀を渡ると「本丸」です。上下二段に分かれていて、ここは上の段。そんなに広くありません。ここは斜めになっていなくて、キレイに削平されてますね。

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「本丸」北側土塁上から「本丸」内部を見る。

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「本丸」と「北の丸」の間の堀にかかる橋。

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これがその堀。ここも相当デカイです。

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「北の丸」内部。ここはかなり広い曲輪になってます。

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また「本丸」に戻って、隅にある「天守台」と呼ばれる櫓台へ。「天守台」とはいうものの、櫓があったということなのでしょう。ここも結構広い櫓台になってます。

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「本丸」下段にある「矢立の杉」。樹齢500円とも300年ともいわれているそうです。500年なら、山中城があった時に、この杉もあったことになりますね〜

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で、最後に「本丸」下段。弾薬庫や兵粮庫があったとされます。

これでだいたい一周した感じです。他にも討死した将兵のお墓が、「三の丸」内にある宗閑寺にあります。このゴルフ場のような整備で非常に見やすくわかりやすくなっていますが、一部では遺構の評価が間違ったまま復元してしまった部分もあるようです。お城の整備というのもなかなか難しいものです。

さて、この激戦が展開された山中城ですが、その様子が克明に記された史料があることで有名です。豊臣軍に中村一氏という結構有名な大名がいたのですが、その人の家臣である渡辺水庵という人が、城攻めの様子を書き残しているのです。その名も「渡辺水庵覚書」です。

ちょっと文章が難しくてよくわからない部分も多いのですが、「岱崎出丸」へ侵入して、「三の丸」を攻撃し、さらに「二の丸」、そして「本丸」へと突撃して、一番乗りを果たしたんだとか(ただ、この史料に登場する「二の丸」っていのは、どうも内容的に今回ご紹介した「二の丸」ではなく、「三の丸」宗閑寺と、その隣に広がる住宅地がある平坦面、そこのことではないかと思うのですが、いかがでしょうか…)

長いものなので、ごく一部を抜き出しますと、たとえば

「三の丸口にも又、二階門丈夫にして、三の丸と二の丸の間に水堀相見え、堀の上に十間余りの欄干橋有之候」とか、

本丸での話として「戌亥の角に有之五六間四方に高さ二間余り、其上にちいさきやくらも相見へ候」(たぶんこれは「天守台」のことでしょう)、とか、かなり詳しく書いてあります。

「渡辺水庵覚書」の全文は、『続群書類従』という本の第595、合戦部25に収録されています。一般向けにわかりやすく解説したものだと、最近では『一個人』2010年9月号 保存版・戦国武将の城入門、があります。

車さえあればアクセスは簡単で、珍しい畝堀・障子堀もあり、とにかく迫力があります。箱根観光と合わせて、ぜひ、ご覧になってください!

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続きです。

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「西櫓」の堀をぐるりとまわって、「西の丸」へ突撃です。

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内部はこんな感じで、キレイに削平されてはいないようですね。ちょっと斜めっているというか、でこぼこしているというか。これが山中城の曲輪の一つの特色かもしれません。

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いよいよ、中心部へと向かいます。まずは「元西櫓」と名付けられた小さい曲輪です。この名称は調査の過程で付けられたもののようです。

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「二の丸」へ突撃です。その前に立ちはだかるのが、まず堀にかかる橋と、この大きな櫓台!

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そして、「元西櫓」と「二の丸」の間の堀!もちろん、ここも畝堀です。厳重な警備になってます。

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前回見た「田尻の池」方面から「二の丸」へと登ってくるスロープ状の道。

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「二の丸」内部なのですが、ここもすごく斜めになっているのがわかるでしょうか。平らになっていなくて、かなり傾斜があります。これだけ傾斜があると、敵も来にくいでしょうから、軍事的な理由なんですかねぇ。

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そして、いよいよ「本丸」です!「二の丸」と「本丸」間の堀にかかる橋です。

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ここの堀も、もちろん畝堀!幅はそこまでありませんが、傾斜もあって見事なもんです…

次回で終わります。


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山中城、続きです。次は中心部へ参ります。

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案内図。

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国道一号線のすぐ隣が城跡入口で、売店や駐車場・トイレなどがあります。とても整備されています。その入口すぐのところにあるのが、この「三ノ丸堀」です。これも見事なもんです。

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堀沿いを歩いて奥に行くと井戸が2つあります。「田尻の池」と「箱井戸」です。ちょうど谷の底にあたる個所で、いかにも水が溜まりそうな場所です。

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井戸が分岐点になりますが、西の丸方面の左側の道を行きます。すると、「元西櫓」下の堀に出ます。植木でちょっとわかりにくいですが…

そして、いよいよ畝堀・障子堀の登場です。「西の丸」や「西櫓」を囲む畝堀・障子堀は圧巻の一言!
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まだまだ続きます。


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