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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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飛騨の城シリーズ、今回は、温泉で有名な下呂市萩原町にある、桜洞城(さくらぼらじょう)というお城です。戦国時代の飛騨最大の領主であった三木氏の居城で、永正年間(1504〜21)に築城されたといいます。基本的には方形の館のような城ですが、今は水田になっていてほとんどよくわかりませんが、一部しっかりと土塁と空堀が残っています。

さて、三木氏は天正7年(1579)頃に、本拠を高山市の松倉城に移すのですが、その後もここを使い続けたようです。その理由が面白い。冬季は山城である松倉城では過ごせないので、冬は平地にある桜洞城に戻ったんだとか。だから、松倉城は別名「夏城」といい、桜洞城は別名「冬城」というんだそう。なんともいいネーミングですね〜

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城跡を望む。台地の先端なんですが、周囲からは低い場所にあります。奥が城跡で、林の部分に空堀が残ってます。

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空堀の跡だそうです。

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田んぼの方にお邪魔して進みます。写真奥にある家の右隣が、先ほどの空堀跡。そこから手前へかけてずっと空堀が続いていたそうです。

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主郭なんですが、完全に水田です。

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主郭北側には土塁がはっきりと残っています。なかなかデカいです。

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林の中にも土塁が残り…

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それとセットでこの見事な空堀が!折れもあり、これは見事でした。こんなのが残っていたとは…

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堀の続き。ちょっとわかりにくいですが、見事な横堀です。

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この空堀の隣には城跡碑も。

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台地先端西側の堀跡。この下には高山本線が走ってます。

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城跡から1km弱北側に、久津八幡宮という、三木氏ゆかりの神社があります。本殿(室町期・応永19年)と拝殿(戦国末期・天正9年)は重要文化財で、拝殿は修理中でしたが、特別に見学させてもらいました。

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この拝殿の軒には、写真のような世にも珍しい彫刻があります。最初のは三木氏の家紋で、次が矢、最後が「水を呼ぶ鯉」です。なんじゃこりゃと思うでしょうが、伝説によると、この神社周辺では洪水がよく発生していて、それはこの鯉の彫刻が水を呼び寄せているんじゃないかということになり、矢の彫刻を付け足したところ、洪水は収まったといいます。矢を鯉に向けることによって、鯉を落ち着かせたということなのでしょうかね。

城跡と神社セットで訪れると、戦国時代の飛騨の雰囲気が味わえていいと思います。

*場所はココ↓↓
http://yahoo.jp/rgjqr7

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飛騨の城シリーズ、今回は、先日「城跡から見た風景」で、その素晴らしい眺めをご紹介した、白川郷にある荻町城です。

文献史料は本当に残っていないようで、その歴史はほとんどよくわかっていません。戦国時代の終わりの頃、このへんの大きな領主であった内ヶ島氏の家臣、山下氏勝という人の城といわれていますが、いわゆる「村の城」なんていう評価も可能なんでしょうね。発掘調査も少しされたそうで、遺物もあまり出なかったようです。構造的にも臨時的な城ではないかという評価もあります。

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縄張図。いつものように、『岐阜の山城ベスト50を歩く』(サンライズ出版)から引用。

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白川郷から見た城跡。真ん中左の岡が城跡です。

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白川郷から城跡へは舗装された道路があって、訪れやすいです。そんなに高くない山ですし、なにより展望台となっていて観光客でごった返している場所ですので、全然苦になりません。歩いて15分もしないくらいで着きます。

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そして出ました、堀切です!縄張図の「A」の部分です。これが一番の見どころですね。

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堀切を過ぎると虎口「F」に出ます。こちら側はどうも「搦手」のようです。

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堀切とセットになっている土塁「B」。

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虎口「F」には城跡碑も。

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曲輪内はこんな感じ。だいぶ改変されている模様。奥に人がたくさん見える場所が櫓台「C」です。

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「C」からの眺めがこれ。もっと見たい人は、「城跡から見た風景」の書庫へ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/29326442.html

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大手虎口「E」へ向かいます。人が立っている部分がそれです。

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大手道は狭くて急でつづら折の道です。

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大手道の入口。白川郷のメインストリートに出ます。

小規模ながらも遺構はまずまず残っていて、眺めは抜群でおススメです。

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江馬氏下館、続きです…

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主門の中に入りましょう。我々は大事な「お客様」のようです…

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内側から見た主門。この門も、地元の宮大工さんに手作りで造ってもらったんだとか。

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土塀を内側から見るとこんな感じ。奥に脇門の跡がありますね。

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そして、いよいよ会所へ突入です!

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中はこんなふうになってます。細部までいろいろ考えられて復元されているそうです。

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そして、メインはやはりこの庭園!近代にはこのあたりは水田になっていたのですが、一部の石(五ヶ石と呼ばれていた)は露出していてそうです。そして、昭和51年に発掘をしたら、庭園の跡と大量の石が出てきて、それを復元したということです。一部の石は当時の配置場所のまま出土してますが、ほとんどは違う場所に移動していたといいます。

庭園は、この館が成立した14世紀末から15世紀初めに完成したものですが、樹木が植えられた跡がなく、水をためていない池、荒々しい大きな石組と盛り土からなる姿は、他に類例がないといいます。

会所の縁側からお庭を眺めながら、江馬氏の当主とお客様が会談をしていたんでしょうね。庭の後ろにそびえる山は、詰め城である高原諏訪城です。この館があった時から高原諏訪城もあったのかどうかはよくわからないようですが、時期的にはあってもおかしくなかったでしょう。

ちなみに、この江馬氏下館と同じような形の領主居館が各地に存在していますが、いずれも、室町幕府があった京都の「花の御所」の構造と類似しています。室町幕府に属する国人は、京都の将軍邸を模倣して、こうした館を築いたといえます。このように、庭園に象徴されるような中央との政治的、文化的結びつきの下でゆるやかに連合して地域秩序を形成している体制を、「花の御所体制」と呼ぶこともあります。



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東町城のすぐ近くにある、国指定史跡・江馬氏下館に行きます。こちらが今回のメインでした。

江馬氏は、飛騨国内の有力国人領主で、戦国時代の末期までこの辺りを支配してました。15世紀末〜16世紀前半まではここ江馬氏下館を居館にしてましたが、その後は前回ご紹介した東町城に居館を移したといわれているようです。

室町から戦国時代の領主の居館が非常に良好に残っている珍しいところでして、発掘調査をもとに15世紀後半から16世紀前半頃の様子が復元され、当時の領主の居館がどういうものだったのかがよくわかるようになってます。

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道の駅・神岡から江馬氏下館方面を見る。奥の山が詰めの城である高原諏訪城です。その下に館があります。道の駅のすぐ裏手で、歩いて5分ほどで行けます。

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住宅街を歩くとすぐに着きます。案内板も完備で、キレイな公園になってます。現地の学芸員さんに案内して頂けました。

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展示されている周辺地形模型。この模型を見ると、すごい山深いところにあるんだなと思いますね…

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これが現地案内図。

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北堀。堀はいずれも復元です。堀は、発掘で判明した幅・深さそのまま復元したそうです。こんなもんなのですね。軍事性はあまりない、とのことでした。確かに、これはねぇ…というと軍事性を軽視するな!と怒られそうですが…

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西堀。ここは箱堀の形になってます。

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館の門が見えてきました。手前にも左に入っていく道がありますが、これは脇門へ通じる道ですね。普段はこの脇門から出入りして、お客様などが来るときは奥の立派な主門を使ったそうです。

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主門の前には空き地が。ここには厩だとか宿直屋とかいろいろな建物跡が発見されてます。主門に入るようなお客様の馬や従者などがここで待っていると。

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そして、主門左右にある西堀。さっきの西堀の延長線上にある堀なのですが、さっきは箱堀でしたが、こっちは薬研堀というV字型の堀になっているのが特徴です。これも軍事面というよりは、堀の形で何かしらの儀礼的な面を表現しているのでは…なんていう話だったような。堀の形をどうも意識的に使い分けている、ってのはすごく面白いし、気になります。

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それでは、いよいよ主門をくぐって中に入りましょう! 続く…


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飛騨の城シリーズに入ります。まずは、スーパーカミオカンデ(ノーベル賞を受賞した小柴さんの実験施設)ですっかり有名になりました、岐阜県飛騨市神岡町にある、東町城(神岡城)です。

神岡は、鉱山の街としても有名で、今はもう採掘自体は終わっているそうなのですが、一部で操業しているそうです。飛騨高山方面や越中国方面への街道が通っている交通の要衝で、戦国時代には江馬氏という国人領主が支配してました。

東町城の近くに、江馬氏下館という江馬氏の居館がありまして(次回ご紹介予定)、そこを16世紀前半まで使って、それ以後はこちらに居館を移したんだとか。永禄年間(1560年頃)に、甲斐武田氏家臣の山県昌景が江馬氏に命じて築城したとも。あまり文献史料が残っていない地域なので、よくわかっていないようです。

その後、飛騨国が金森長近の支配下になると、支城になったようで、江戸時代初期まで存続したようですが、これも詳しいことは不明です。意外とわかっていないんだなあといったところが正直な感想です。

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東町城遠景。模擬天守閣が見えますでしょうか?台地上にありますが、内側は完全な平地になってます。

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城跡は現在郷土館や鉱山資料館などが建つ公園になっています。公園入口を入るとまず堀!

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反対側の堀。公園内はかなり整備されちゃっている感じですが、どうも基本的には当時の縄張のままのようです。この堀も遺構と考えてよさそうですね。方形プランを重ねる感じ?の縄張です。

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本丸跡なんでしょうが、そこには土塀に堀に、さっきみた模擬天守閣が!

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本丸入口。この堀も、基本的に当時からの堀なんだとか。本当かなと思ってしまう…

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奥の堀。

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そして模擬天守閣!内部には入りませんでした(笑)。この模擬天守閣は、三井金属鉱業が、神岡鉱業所100周年を記念して、昭和45年に丸岡城や犬山城を模して建てたものです。色合いが独特ですよね。

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堀内部を進んで奥へ。この石垣も、積み直しているものの、一部は当時のものだそうです。

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堀を進んで台地の縁へ。石垣と模擬天守閣。

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そして、神岡市街地を眺める。これはいい眺めです。

国道471号線沿いの道の駅・スカイドーム神岡のすぐ近くにあります。近くには高速道路もなく行くのに難儀しますが、次回ご紹介する国指定史跡江馬氏下館跡や高原諏訪城など、すぐ近くに城跡が密集していますので、結構おススメです。

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