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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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明知城、続きです…

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再度、縄張図。前回、本丸まで到着したので、本丸からスタートです。赤線のように見ていきます。

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本丸の東端一段下に「二の丸」があります。

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「出丸」へ向かいます…

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「出丸」に到着。すぐに着きます。

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この石垣は、どうも「出丸」の虎口のようです。意外と石垣が多いんですね。

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「出丸」内だったかと思いますが、ここに建っていた陣屋の礎石とされる石。キレイに丸く穴が空いてますが…

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一番謎だったのが、この「猿戻し」。出丸の端っこの絶壁のことを指すようです。説明によると「猿も登れずに引き返すという山城防塞独特の絶壁である」と…??? ようは切岸のこと?人工的な切岸ではなく、純粋に自然地形なような…・不思議な名称です。誰が付けたんだろ…

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出丸の隣には「東の丸砦」があります。ここには貯水池があったようなので、水の手曲輪なんですかねぇ。

で、「出丸」斜面や「本丸」を取り巻く「腰曲輪」斜面に「畝堀」があると書いてあるのですが、全く分からず。てか、斜面なので畝堀ではなくて「竪堀」の間違いですよねぇ。

これは、下でご紹介している『岐阜の山城ベスト50』を読まないといけませんね。



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城郭探訪、岐阜県の明知城へ参ります。

この明知城、旧明智町にある山城です。明智町は、明智光秀誕生の地、と云われているようですが、どうも本当のところはよくわからないようです。明知は、以前ご紹介した岩村や苗木とともに遠山氏が領していたようです。明知城に拠って遠山氏は、明知遠山氏といって、岩村遠山氏、苗木遠山氏など、東美濃一帯はこの遠山氏が大きな領主として存在していました。

天正2年(1574)には、武田勝頼により落城し、本能寺の変以後は遠山氏が戻ったりまた追いだされたりを繰り返したようで、江戸時代には最終的にまた遠山氏が戻って、元和元年(1615)に麓に明知陣屋を造ってそっちに移ったため、廃城になった、ということのようです。

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去年のちょうど今頃に行きました。クソ暑かったですね…。入口はこんな感じで。いろいろルートはあるようですが、写真は「大正浪漫館」の裏手からの道です。これが大手道だそう。旧明智町は、大正時代の面影がよく残っているということで、中心部全体を「日本大正村」として、観光地としています。

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現地の縄張図。県指定史跡のようですが…やはり、地方に行くとまだこの程度の図面しかないのですね…。赤線で今回のルートを示しました。

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さっきの入口から登っていくこと数分で、「大手門東砦」に到着。看板の上に曲輪があるようです。
う〜ん、この名称、一体だれが付けたのか。地方に行くと、独特な遺構名を付けている城って多いですよね。後にもそういうのたくさん出てきますが、こういう遺構名って、もともとどっから出て来たのか、その背景が気になるところです。

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結構深い谷があります。これを越えていくと…

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「三の丸下第二砦」なるところに到着。東屋があります。このさらに上に第一砦があるよう。砦っていうか、曲輪でしょ…

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で、「三の丸」に到着。ここは結構狭い、小さい曲輪です。

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「腰曲輪」にある「石垣跡」。「三の丸」から「本丸」への入口で、どうも虎口のようです。ここに、埋もれていましたが、確かに石垣がありました。

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「本丸」に到着!そんなに高くは無い、ちょうど良い高さの城ですね。結構広くて、縄張図、看板、標柱が建っています。蚊の大群に襲われ、さっさと奥へ…

続く…


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苗木城、続きです。

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綿蔵門。本丸へと至るこの道には何重にも門が設置されています。

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綿蔵門から見た二の丸。すぐ下にあります。

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綿蔵門を通り、左に急角度で左に曲がると、すぐに坂下門に出ます。

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さらに進んで行くと、またすぐに菱櫓門に出ます。とにかく門が多い。姫路城も多いですけどね〜。

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いよいよ本丸に到着!右側が本丸口門。左にある井戸が千石井戸です。

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本丸口門を進んで行くと、天守台が見えてきました。石垣と巨岩のコラボ!異様な雰囲気です…

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そしてようやく山頂天守台に到着!巨岩を利用した天守台で、非常に珍しいんじゃないでしょうか。建物は復元されていませんが、こんな感じで展望台が組まれています。これもこれで一つの整備方法ですねぇ。

ここからの絶景はこちら↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/22389759.html

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さて、先ほどの写真にも、岩に四角い穴のような部分が見えていたかと思いますが、それをアップしたもの。これはズバリ天守の柱跡です。岩を削って柱穴にしていたんですね。寺院建築ではたまに見かけますが、城郭では珍しいですね。

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天守台に隣には、こんな変わった形の巨岩があります。「馬洗岩」といいまして、なんでも、苗木城が攻撃され水の手を断たれた時に、この岩の上に馬を乗せて、米を使って馬を洗う様子を見せて敵を欺いた、という伝説が残っているんだとか。そう、これは「城と伝説」のコーナーでも見た、あの「白米城伝説」の舞台なんです!↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/23370172.html

この岩は相当目立つ岩でしょうから、伝説の舞台としてふさわしい場所ですね。

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馬洗岩から南側を通って二の丸、三の丸へと戻ります。本丸南側の斜面は帯曲輪状になっていて、巨岩の絶壁になっています。これだけ巨岩なので、やはり信仰の対象となっていたようで、ところどころにこのような感じでお社があります。
聖地を城郭にする、ということは中世以来よくあることでして、この苗木城もまさに典型例でしょう。

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二の丸に戻ってきました。二の丸から見た本丸石垣。圧巻です…


車が無いと行くのに不便ですが、これは一見の価値ある城です。


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城郭探訪、また岐阜県に参りましょう。去年の夏に行った苗木城です。「城跡から見た風景」にて、その素晴らしい眺めはご紹介済みです↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/22389759.html

苗木城は、中世にこのあたりを領していた遠山氏という領主の城です。遠山一族は、岩村や明知なども領していて、東美濃一体に勢力を広げていました。その後、信長・秀吉の頃に一時期遠山氏は苗木を去ってしまいますが、関ヶ原の戦い以後に再び戻ってきて、江戸時代を通じて苗木藩主(1万石)として存続しました。現在残っているのは江戸時代の遺構ですね。

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苗木城は、車で行かないと不便です。しかも、有料の橋(200円)を渡らないとさらに不便です…。その橋上から見た苗木城。真ん中の一番高いところが本丸です。眼下に流れるのは木曽川。すごい城です…。
『岐阜の山城ベスト50を歩く』

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橋を渡ってしばらく進むと、麓にある苗木遠山資料館に着きます。ここは遠山氏や苗木城の資料が多数展示されていて、なかなかしっかりした良い資料館ですので、まずはこちらで勉強してから登城することをおすすめします。城下絵図も売ってますよ。公式HP↓↓
http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/museum/toyama/

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資料館から歩いて登りましたが、この入口近くまで車道が通っていて駐車場もあります。ここは風呂屋門で、石垣がしっかり残っています。中に入ると足軽長屋・侍屋敷の曲輪に出ます。

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さらに進んでまっすぐ歩いていくと、石垣や巨大な岩が次々に登場します。う〜ん、関東の城ではまずアリエナイ光景…。

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その道からは本丸が見えます。期待が膨らみます…。

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三の丸入口の風吹門です。石垣がかなり立派です!!1万石の城とは思えない…

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そして、門を入ってすぐ左にあるのが、城内最大の見どころである大矢倉です!なんじゃこりゃ…と唖然茫然としました。巨大な岩を利用しつつ石垣で固めた櫓台。ものすごい迫力です!必見です!

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その大矢倉に登って、三の丸と本丸を眺めたのがこの写真。なんなんだこの城は…

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同じく三の丸内にある苗木城跡碑。それでは、いよいよ本丸へと向かいますか。

続く…


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岩村城、続きです…

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本丸から南東方面を望む。眺めはこんなもんです。

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本丸から直下の出丸を見る。出丸に向かいましょう…

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お城の本で、岩村城の写真としてよく使われるアングルがこれ!!本丸北側の石垣です。「古城」という名にふさわしい、これぞ!という佇まいで、実に素晴らしい 画面一番奥の石垣の上からここまで細い道があって、さらに出丸へ行きます。

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さっきの写真は、この写真の一番奥、二段目の石垣を撮ったものです。わかりますかね?ここも石垣が二段になっているんですねぇ。本丸北側の出丸は駐車場になっていまして、とてもじゃないが登れない!という方は、車でここまで簡単に行けます。

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出丸には、お城の櫓の形をした休息所・売店がありますが、真夏の成果、休みでした…。ここには「氷餅蔵」なるものが建っていたんだそう。なんでも非常時のための「氷餅」を保管していた蔵だとか。「氷餅」ってなんだ!?初めて聞きましたが、どうも中世からある保存食の一種のようですね〜。↓↓

氷餅を食べてみたい方は、ページ一番下をどうぞ。

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さて、これで近世の岩村城の主要部分は見たので、次に、中世・戦国期の岩村城の遺構が残っているというので、それを見に行きましょう!本丸西側尾根伝いと、西北尾根伝いに残っています。いずれもご丁寧に案内板があります。が、西北側遺構は、堀切があったものの、藪で写真が訳わからない状況なので、ご紹介しません…。この看板の裏手の遺構を見ます。

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尾根上に築いた、典型的な中世の山城ですね。Ⅲの大堀切まで見てみました。しかし、この図面は誰が書いたのか…

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で、これが確かその大堀切だったはずです…。良く残ってました。

真夏だったので、藪だらけでダメかなぁと思いきや、意外にもよく見る事ができました。冬がもっといいんじゃないでしょうかね。

独特の雰囲気ですね。町の雰囲気自体もなんか良かったです。大変ですけど、また下から歩いて登ってみたいと思わせる魅力がありました。さすがは日本三大山城

*岩村城はココ↓↓

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