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愛媛県の城、今回は村上水軍の城として有名な来島城です。まさに「海城」といった感じで、なかなか行くこともできないところなので、非常に感動しました。 ちょっと天気が悪かったのですが、海から見た来島城。鉄塔が立っているところが本丸ですね。海に囲まれた城、まさに「海城」!今回はセミナーのチャーター船で行ったので、普段の行き方はよく知りません・・・。 漁港から見た来島城。鉄塔部分が本丸です。 まずは岩礁ピットを見に行きました。たしかここは島の西側海岸だったと思います。ちょうど潮が引いている時間だったので、ギリギリ見ることができました。こんなふうに、岩に柱穴がくっきりと残っています。これはすごい! 戻って本丸を目指します。ここが入口。「柱穴跡」の看板がありますが、これは東側の岩礁ピットのことのようです。 階段を登ると、目の前に立派な石垣が!城跡碑つきです。ここは大手門にあたる部分だとか。ただ、この石垣自体、何度も積み直しが行われているようです。特に上の方は比較的最近のものということだったような。とはいうものの、一部は城の遺構である、というお話だったと思います。やはり大手門ということで、石垣を意識的に使ったのでしょうか。 これは三の曲輪ですかね。 本丸に到着! 天気が悪かったのですが、しまなみ海道が見えます。天気が良ければ、素晴らしい眺めだったのでしょう。 戻って、城主の屋敷跡といわれる「心月庵」へ。そこから少し登る道があるのですが、そこにもこんなふうな石垣が。どこまで城の遺構がわかりませんが・・・ 遺構よりも、立地ですね。いいものを見ました。次は能島城に向います。 |
L愛媛県の城
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河後森城、続きです。 本郭から東曲輪群へと向かいます。門跡を出て下に降りていきます。 この道、岩盤を削ってキレイに階段状に整形してあるのです。これも珍しいですね。この道と石垣を伴う門跡がセットになっているようにみえるので、時期的にはこの道は新しい段階に普請された道なのかもしれません。 しばらく歩くと、東第三曲輪に到着。本郭から延びる尾根上に展開しています。 東第四曲輪・古城方面を見る。 でこれが、東第四曲輪と古城の間にある堀切。この堀切は立派ですね!ここも門跡だったような。堀底道ということですか。 古城から東第四曲輪を見る。手前が堀切です。 ここが古城。その名の通り、伝承では古い段階の城の中心部はここだったとか。微妙ですね・・・ 次に、古城から新城へ向かいます。ちょっと離れたところにあります。ここもその名の通り、新しい段階で造られた曲輪だとか・・・。手前が帯曲輪で、ヤブだらけですが奥の段が中心部です。ごく単純な縄張構造です。 発掘調査がされて、井楼櫓の跡らしきものが出ているとか。 この新城からは、西曲輪群から本郭までが一望できます。左の建物があるのが西第十曲輪。右上の開けている部分が本郭。ぐるりと曲輪が連なっていることがわかります。 西第十曲輪のアップ。 真夏に行くもんじゃないですが、まあこの地域まではそう行けるものでもないので、汗だくになりながら、ハチや蛇と戦いながら一周しました。普段見慣れている関東のお城とはやはり違うので、いろいろと興味深かったです。 見学後、町役場近くの食堂で、なんと四万十川の天然ウナギを食べてきました。この地域では、もう今やこの食堂でしか食べれないそうで、もちろんお値段はしますが、食べる機会もそうはないということで奮発。天然モノはやっぱり違いました。このおかげで、その後の日程も乗り切ることが出来ました(!?) 他のお城もどんどんアップしていきます! |
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河後森城、続きです。 西第六、五、四曲輪。このように、本郭から段々状に曲輪が連続してあるのが特徴ですね。 そして面白かったのが、この西第三曲輪と第二曲輪の間の堀切です。これが堀切!?というくらいの、ものすごく小さい堀切なのです。発掘時の写真を見てもかなり小さいです。堀切ではなくて溝ですね、これは。こんなのは見たことないかも・・・。 そして本郭から見た西第二曲輪。手前が堀切で、右側が土橋になっています。いよいよ本郭へ。 本郭には明瞭な虎口があります。ここに低いですが石垣があるんです。2、3段程度ですが、虎口部分に意図的に造られたようです。先ほど言ったように、ここも小さいですが堀切になっていまして、今は中央部分が埋められて土橋になっていて、西第二曲輪から本郭へ続いています。 これが門跡。 外側から見るとこんな感じ。門の正面右側に石垣があり、門をくぐってからも右側と正面に石垣があるようになっています。見せつけるかのような感じです。門をくぐり、左に曲がって西第二曲輪へ入り、土橋を渡って本郭、というルートですね。この石垣を持つ門は、新しい段階での虎口のようです。というのも、堀切を埋めて土橋を造っているのと、もう1つ別の虎口があることがその理由です。どうやら織豊系城郭の影響を受けているようなのですね。藤堂高虎時代あたりに造られたのかも。 これがもう1つの虎口。奥に先ほどの門跡が見えますね。先ほどの門の手前を右に曲がって斜面を登り、本郭へ入る部分にあります。こちらの方が古い段階の門のようです。このように、何回か改修されていることがわかります。合わせて登城路も付け替えられているんじゃないかなぁとも思いました。いろいろと不自然なのですよね。 これが本郭内部。建物跡があります。天守相当の建物もあったとかなかったとか。 本郭からの眺め。 いい景色でした。 次回まで続きます。 |
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愛媛県の城、取りあえず、まずは国指定史跡の河後森城(かごもりじょう)をご紹介しましょう。ここ最近たくさん城をめぐったので、写真が溜まっております。とにかく写真をアップしていきます。 この城は、宇和島の東、愛媛県と高知県の県境にあります。昔から境目の城として機能してまして、地元領主の城から長宗我部氏関係の城になり、近世初頭にも藤堂高虎や伊達秀宗などによっても使われ、元和元年(1615)頃には廃城になったと考えられています。非常に変わった縄張をしていて、新鮮でした。しかし、ここも暑かった! 松山から車で行きました。2時間ほどでした。松野町役場の目の前の小高い丘が城跡です。 登り口はいくつかありますが、反対側(南麓)に駐車場があります。そこに案内板があります。風呂ヶ谷という谷をぐるりと囲むように曲輪が配されています。 奥へ進み、まずは西第十曲輪を目指します。階段を登りますが、途中に井戸があります。発掘されたそうです。 駐車場から登ること10分かからないくらいで、西第十曲輪に到着。ここを右に曲がると・・・ 正面に虎口があり、城門が推定復元されています。小さい平入り虎口ですね。 西第八曲輪から見た西第十曲輪。尾根の先端にあり、馬屋跡、多聞櫓跡などの建物跡が見つかっています。建物がありますが、これが馬屋で、推定復元です。土塁も一部復元されています。 これが馬屋。すぐ隣にも建物跡がありますが、近すぎるため、別の時期のものとされています。多聞櫓も、新しい時期のものだそうです。曲輪自体が何時期かに分かれるということですね。 この曲輪のさらに先端には堀切が。小さい堀切です。礎石があるんですよね、これなんだったかな・・・ 説明版も充実しています。 本郭へ向かいます。真ん中の段が西第九曲輪、上が西第八曲輪ですね。 西第七曲輪かな。上が西第六曲輪。左に道があり、西出曲輪へと続いています。今回は見ませんでした。右側を登っていくと本郭です。 続きます。 |
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城郭探訪、懐かしのフィルム写真シリーズで参りたいと思います。今回は、7年ほど前に行った愛媛県の宇和島城です。 天守(天守閣)現存するお城は、日本で12城しかありませんが、そのうちの1つが、この宇和島城天守です。重要文化財になっています。戦国期には既に築城されていたそうですが、豊臣期に築城の名手として有名な藤堂高虎が入部してから、基本的には現在見られる形になったとされています。天守は、江戸時代の藩主・伊達氏によって、寛文6年(1666)に造られたものです。公式HPに様々な情報があります↓↓ http://www.city.uwajima.ehime.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&Cc=7d99090d100c29e&DM=jopvfzptijjjxbub&TSW= 城山の入口にある門。これは、家老の桑折家の長屋門を移築したもので、市指定文化財だそう。 真夏に行ったこともあり、草木が鬱蒼と茂って暗かったです…。苔むした石垣がまた雰囲気いいです。 途中には井戸があります。 頂上付近にくると、ようやく開けてきて、石垣の奥に天守が! これが宇和島城天守!ホント、ちっちゃいんですよ。ここだけポツンと残されています。小さいんだけど、実物を見ると良かったなぁ〜。なんとも言えない美しさ。 天守内部。入城料200円を払って入ります…。 天守から見た風景。海もよく見えるんです。 帰りは搦め手方面へ降りました。そこには、上り立ち門があります。公式HPによると、慶長年間(1600年前後)まで遡る可能性もある、大変古い門らしいです。 真夏で、時間もあまり無かったこともあって、そんなにしっかり見てはいないのですが、とても気に入りました。四国の城はどれもよく残っていて、とても雰囲気がいいです。四国には、丸亀城、松山城、高知城、そして宇和島城と、現存12天守のうち4つもあって、奇跡的なことなんですから、もっとその魅力をアピールして欲しいもんです。 |







