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国内の城に戻ります。溜まっています。まずは、福島県三春町にあります、三春城です。田村氏の居城として、とても有名ですね。去年11月に訪れました。城下町の面影も随所に残っていて、穏やかな街でした。 JR三春駅でレンタサイクルを借り、城下町へ。行きは登り道が多かったですが、それでも自転車で10分くらいでした。まずは、丘の上にある三春町歴史民俗資料館へ。訪れた時は、ちょうど蒲生氏郷の展示がやっていました。ここに三春城跡の立派なパンフレットがあります。すごく使えるので、ゲットして下さい。 展示を見て勉強した後、いよいよ城跡へ。 資料館から見た城跡。結構高いんですよ。 麓の三春小学校には、藩校の明徳門が残っています。 城坂から登って行きます。なかなかの急な坂です。 坂の突き当りには、竪堀があります。橋も見えますね。これはわかりやすい。左に曲がってどんどん登って行きます。 二の門跡。ここから、二の丸方面と本丸方面への道が分かれます。本丸方面へ向かいます。 こんな道で、つづら折りの道になっていますが、整備されています。右側下に見えるのが先ほどの竪堀の橋です。 上から見る。 揚土門跡。ここかな、相馬義胤が攻め込んできた場所は。 所々に岩が露出しています。 三の門跡。本丸まであとちょっと。 本丸へ向かいます。 ここにも岩が。三春城も修験と関係があるようです。これも「聖地」に築かれた一例なのでしょうね。 続きます。 |
L福島県の城
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真夏の城跡探訪、次は伊達氏の本拠・梁川城です。中世史サマーセミナーで見学しました。 梁川城は、発掘調査が進み、いろいろと注目されている城跡のようです。 遺構は所々に残っています。一番の見どころは、三の丸大学館に残る、この立派な枡形虎口。現存遺構は、上杉景勝の時代です。 すごく大きい、いかにも近世城郭の枡形虎口です。 その裏手、北側の塁線も残っています。まずは土塁。 水堀。ここに土橋も残っています。 本丸の心字池。発掘調査で出てきたもので、復元されています。伊達氏時代の庭園とされています。 そして、石垣があります。蒲生・上杉時代の石垣とされています。 またの機会に、城下町も含め、散策してみたいと思います。 |
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次は、森山地区に残る遺構です。 国道四号奥州街道から脇に入り、すこし登って行くとあります。わかりにくい場所ですが、いちおう道路沿いにあります。 振り返って防塁の続きと厚樫山を見る。 先ほどの看板のところからすこし入ると、右側の藪の中に二重堀がはっきりと残っています。ちょっとピンボケしてしまったのが悲しい。ここは全然整備されていない箇所で、普通に戦国期の城跡に来たような気分になります。オリジナルな遺構を見たい人にはオススメです。 最後に、4号線北側地区の防塁です。ここはわりと整備されています。国道のすぐ脇にあるので、わかりやすいですが、駐車スペースはほとんどないうえに、坂道になっているので、行くときは気を付けて。 山の方向へと登って行く見事な堀! 下を見ると、こんな感じ。国道4号が見えます。 防塁上から南西方面、福島市方面を見る。ちょうど、この4号線付近に当時も奥大道が通っていたようで、合戦の舞台となったのも、長い防塁ラインの中でもこのへんだけだったのでは、と考えられるとか。やはり主要街道を遮断していて、そこが攻防戦の舞台になったと。 他にも高橋地区など、残っているところはありますが、そのうち見れたらいいなと思います。いずれも車がないと見学するには不向きですが、珍しい遺跡だと思いますので、是非ぜひ。 |
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今度は時代がだいぶ遡りまして、奥州藤原氏が源頼朝の進出を食い止めるために築いた、有名な阿津賀志山防塁です。ここも昔から知っていたので、ようやく見れて良かったです。すごい規模でした。 阿津賀志山防塁は、北側の厚樫山を起点として、南の阿武隈川まで全長3kmにも及ぶ長大な堀と土塁から成っています。部分的に残っていて、国史跡になっています。まずは、阿武隈川すぐ近くに残る、下二重堀地区です。 いい雰囲気で写真が撮れました。なかなかよくないですか。左奥にある小高い山が、厚樫山です。あそこから、ここまでずっと巨大な堀が続いていたのです。 登ってみましょう。周囲が沼沢地になっていて、これもある意味天然の堀ですかね。 これも同じく。 すごいなぁ・・・。 そして、これが噂の二重堀!すごい! こんなスケールです!緑がいい色になっています。 間の土塁上から。これはすごい。 阿武隈川方向にも少し残っています。 振り返って。 道路沿いに看板があります。 続きます。 |
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福島に移りまして、石母田城です。ここも、縄張がちょっと面白いので、昔から知っていましたが、ようやく見に行くことができました。ただ、夏だったので、良く見れなかった部分も多かったです。 東北本線藤田駅の東北約1.5kmのところにあります。中心部は住宅街や桃畑になっていますが、水堀や土塁など、部分的に残っています。 城跡の北東隅。用水路は、外堀の跡だそうです。看板が写ってます。 その看板。 縄張図をアップ。馬出がある城なのです。 外堀。 二の郭土塁上にある石母田石。石母田氏が領地替えになった時、この石を持っていったら、石が泣いて嫌がったため戻した、という伝説があるそうです。で、この奥に馬出郭があるのですが、ヤブだらけでよくわかりませんでした。 西側の外堀だったか。 主郭周囲には水堀が残っています。 ここが主郭東側にあるもう一つの馬出。左側のフェンスのところが土橋になっていて、奥が馬出、左に曲がって主郭に入ります。写真じゃわかりにくいですが、ここはよく残ってました。かなり小規模ではありましたが。 しかし、なんでこんなところに、こういう凝った縄張を持つ平城がポツンとあるんでしょうか。北側はすぐ山ですし、他の三方との高低差はほとんどなく、台地が広がっています。よくわかりませんね。 |







