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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、発売です!

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秋田の久保田城、続きです。


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本丸から表門。

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本丸はなかなか広いです。

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本丸内も紅葉がきれい。

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埋門跡。

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本丸西側の多聞長屋跡。

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御隅櫓。もちろん模擬ですが、本来は2階建ての櫓があったそうです。

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別角度から。こっちから見ると、より模擬感が(笑)

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帯曲輪門。枡形しっかり残っています。

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帯曲輪門を抜けると帯曲輪があります。こういうのがよく残っているんですよね。

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ほぼ一周してきて、本丸の裏門。裏門とはいいながら、表門と同じ方向にあるし、本丸の東側ど真ん中にあるし、なかなか立派な石段付きだし、なんなんでしょう・・・。

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再び二の丸から本丸を望む。

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黒門。前回のように松下門を通る道もありますが、本来は大手門からこの黒門を通っていくのが正式ルートだったそうです。

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こんなふうに、しっかり枡形が残っています。意外とよく残っているんですよ、ほんと。

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明日発売です。よろしくお願いいたします。

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続いて、久保田城をご紹介しましょう。

秋田藩佐竹氏の居城ながら、東北人にすらあまり知られていない城ではないかと思います…。普段学生に聞いても、久保田城といってすぐわかる人は、ほとんどいないよなぁ…という感じです。

千秋公園になっているので、遺構はどうなんだろうと思っていましたが、結構残っていて、十分楽しめる城跡で驚きました。ホントに面白いので、是非秋田へ。

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現地の看板。

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大手門跡。

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大手門の堀。堀はよく残っています。

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大手門の堀沿いに西へ歩いて、中土橋通りに入ります。中土橋門跡で、反対側は穴門の堀です。

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中央図書館を過ぎて右方向へ坂道を登っていきますが、その途中に松下門跡があります。

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城内のさらに詳しい看板もあります。赤丸の部分ですね。

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広大な二の丸跡。小さいですが佐竹史料館もあり、佐竹氏関係の展示がされています。

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二の丸から本丸へ向かう長坂です。

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途中にあるのが長坂門跡。枡形です。

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こんな感じです。よく残っていますよね。

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御物頭御番所。18世紀後半の建物とのこと。こういう城門の警備をする番所の建物が残されているのも大変貴重です。これが、久保田城内で唯一残っている建物です。紅葉もキレイでしょ。

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で、この紅葉ですよ、素晴らしくないですか。

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平成13年に復元された本丸の表門です。本丸の正門で、二階建ての立派な櫓門です。

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紅葉と城、いいですね〜。ホント、穴場です。

続きます。

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金沢城と金沢柵、続きです…

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再度、縄張図です。

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前回で金沢城の主要部分を見ましたので、今回は支尾根に展開するに「西ノ丸」へ。最初の入口駐車場に石碑があるので、ここから入っていきます。細長い曲輪が続いていて、堀切が2本ありました。

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その堀切のうちの一本がこれです。山城の雰囲気、いいですね〜。

これで、金沢城は終わり。次に、麓にある陣館遺跡へ行きます。ここも金沢柵の比定地になっているので、要チェックです。

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金沢城の麓、国道13号線沿いには、後三年の役金沢資料館があります。そこの駐車場から見た金沢城跡。

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同じく駐車場から見た陣館遺跡。ここを登ります。ただし、私有地ですので、地主さんに断って入りました。

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こんな感じで削平地があります。また、大鳥井山遺跡の二重堀・土塁と同じような地形があります。もちろん、後世の改変も大きいのでしょうが、大鳥井山遺跡と似たような地形で、立地も共通点があるため、発掘すれば何か出てくるかもしれないということです。

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陣館遺跡頂上からの眺め。西北方面ですね。これがまた抜群に良いです。柵跡としてはこの上ない立地かも。

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同じく、頂上から見た金沢城跡。奥の山がそうですね。手前の住宅街を貫通しているのが、旧羽州街道です。この街道が、陣館遺跡と金沢城に挟まれていることがよくわかると思います。で、面白いのが、この住宅地あたりの地名、根小屋というんですね。根小屋は、ご存知の通り、城下町・城下集落を指す中世以来の地名で、関東以東に多い地名ですので、金沢城の「根小屋」がこのあたりにあったのでしょう。

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地図で確認しましょう。「国指定史跡へ 大鳥井山遺跡公開講座・展示会資料」(横手市教育委員会、2010年)から引用しました。街道を2つの城柵で囲む形になっています。

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これが沼館の場合も、こうなっています。同じところからの引用です。街道が沼館と千刈田遺跡に挟まれていることがわかります。沼館については、こちら↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/25519321.html

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そして大鳥井山遺跡も同様です。これも同じところからの引用です。旧羽州街道が大鳥井山遺跡と台所館に挟まれています。この図だと右側の大きい道が旧羽州街道のようになっていますが、左側の遺跡に挟まれた細い道の方ですね。しかもこの旧羽州街道をずっと北上すると、金沢城・金沢柵に至ります。大鳥井山遺跡についてはこちら↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/25183313.html

こういう立地が、東北における平安時代の城柵の1つのパターンなのではないか、ということです。こういうことがわかってきたのもごく最近のこと。まだまだこれからの研究分野で、議論がどう進展していくのか、楽しみですね。




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城郭探訪、秋田編を忘れないうちに続けていきましょう…。

今回は、横手市(旧金沢町)ににある金沢城です。金沢城自体は戦国期の山城なのですが、ここは後三年の役(1083〜87)の時に登場する「金沢柵」の比定地としても知られていて、麓には横手市立の「後三年の役金沢資料館」もあります。

金沢柵は、この地域の豪族・清原氏の居城で、源義家が包囲して兵糧攻めしたといわれています。教科書にも登場する有名なお城ですね。ただ、現在残る遺構は、戦国時代になって改修された姿のようです。戦国時代には、このあたりは南部氏や小野寺氏が支配していて、その家臣の金沢氏という人の居城だったと伝えられているとか。

この金沢城の地が本当に金沢柵跡地なのか、議論になっているようですが、金沢城では昭和39年から6回発掘されていて、後三年の役当時の遺物は残念ながら出土していないようです。それから数十年後の12世紀後半のものや、戦国時代の15・16世紀の遺物は出ています。

ただ、大鳥井山遺跡沼館城(沼柵)の記事で書きましたように↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/25183313.html
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/25519321.html

当時の城柵の立地パターンと全く同じなので、金沢柵がここにあった可能性はかなり高いようです。麓には旧羽州街道が走っていて、向かいには陣館遺跡という丘があり、こちらの方が中心部なのではないか、という説もあって、今後の調査が注目されます。

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現地にある縄張図。かなりの山です。車で行かないとキツイです。駐車場があって、そのすぐ近くにこの案内板があります。「現在地」のところから、矢印のように見て行きます。

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その前に、入口には「納豆発祥の地」の石碑が!伝承では、後三年の役の時、農民に煮豆を俵に詰めて供出させたところ、数日後に糸を引くようになり、食べたところ美味しかったので、以後食用になった、これが納豆の始まり…。

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駐車場から整備された階段を登っていくと、「兜杉」という立派な杉が見えてきます。火事でこんなになっちゃいましたが、それでもその大きさにビックリです。

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二の丸跡の金沢八幡宮です。結構広い曲輪ですね。

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二の丸から北の丸へ向かいましょう。奥に建物があるところが北の丸です。その間は堀になっています。

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で、これがその二の丸と北の丸の間の堀です。

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北の丸。岩盤を削っている部分もあります。

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北の丸から二の丸を見る。真ん中がさきほどの堀で、二の丸の方が高くなっていますね。

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斜面にはこんな感じのテラスがあります。曲輪でいいのかな。

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兵糧倉跡。ここも一つの曲輪になっています。

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そして本丸に到着!ここもかなり広いんです。高さは二の丸の方が若干高かったかも…。

支尾根にある西の丸と麓の陣館遺跡は次回見ますが、その前にこのお城の構造的特徴を。どうもこの城は、いわゆる求心的な縄張構造にはなっていないそうです。曲輪間の主従関係が不明瞭で、それぞれの曲輪が独立して集合している形になっています。こういうお城を「群郭式城郭」といいますが、この金沢城はまさにそれなのでは?という話に現地でなりました。

こうした「群郭式城郭」というのは、いちおう今までの研究によると、お城にいた権力の性格を投影したものと言われています。つまり、確固とした主従関係を構築している領主が造ったのではなく、独立性が強い領主たちが集合して作ったからこそ、こうした構造になったのではないか、ということです。

最近「群郭式城郭」はちょっとしたブームになりつつある?ので、勉強せねばなと思う今日この頃です。




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秋田の城巡りの続きに行きましょう。今回は、後三年の役(1086年)の舞台の一つである、「沼の柵」です。

奥羽を支配していた清原一族の清原家衡が籠城し、源義家と清原清衡が攻めたことで有名です。ただ、ここが本当に沼の柵跡なのかははっきりした証拠はなく、地名や地理的な位置からここだろうと言われているようです。

戦国期にはこのあたりの大名小野寺氏の沼館城として再利用されたようで、それはそれは巨大な土塁が残っています。天正十八年(1590)の豊臣秀吉による奥羽仕置の頃までは使われていたそうです。細かい歴史はおそらく史料が無くよくわかっていないはずです。

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縄張図。これは沼館城の縄張図ですね。

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沼館城遠望。周囲を沼に囲まれていたのでこういう名前がついたらしい。いかにもそれっぽい雰囲気してますね〜。現在、本丸(図の 砲砲和光院というお寺が建ってます(図のぁ法

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山門にはこんな感じで案内板と、沼の柵跡の石碑もあります。

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このお寺の境内の周囲に、立派な土塁が残ってます。これが今までで見た中でも有数の巨大土塁で驚きました。外側から見るとこんな感じ。

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境内中から見るとこんな感じ。

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土塁の上に登ってみました。分厚さがわかりますかね?本当に、これは驚きでした。あまりに立派過ぎないか…

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その土塁の一部に窪んでいる個所があって(,遼迷ε變檗法土塁が切られているかのようになっています。ちょうど人が立っている部分です。どうもここは虎口なんじゃないかという話になりました。なんか不自然なんですよね。

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三の丸の外側には八幡神社があります。図のГ任垢諭

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この参道が、昔の「宿」だった部分ではないかということです。一番奥に見えるのが、さっきの本丸,任后Г鉢,魴襪崙擦任垢諭

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神社境内にも土塁が残ってます。この裏はちょっとした崖になっていて、外郭を構成していることになります。

このように、後三年の役の頃の遺構はないですが、やはりここも旧角間川街道が通っていて、その西に沼の柵、東に千刈田遺跡というもう一つの居館があって、両方で街道を挟んでいる形になります。これは、前回ご紹介した大鳥井山遺跡↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/25063814.html
金沢柵と同じパターンだということが、最近の研究で指摘されています。なので、まだ「推定地」なのですが、そういうもろもろを考えると、ここが一番可能性が高いのかなぁと。

また、戦国期の城として見に来てもとても楽しめます。この土塁はすごいです。よくわからないのですが、基本的には昔からあるれっきとした遺構と捉えてよいのでしょう。小野寺氏が造ったのか、はたまた奥羽仕置の検地反対一揆などを通じて豊臣軍が改修でもしたのか…。

それと、ごく一部だけ発掘調査がされましたが、後三年の役の時の遺物も、戦国期の遺物も見つかりませんでした。

東北地方は城郭研究がまだまだ遅れている地域だと思うので、見るものどれも新鮮でした。


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