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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

書庫L京都府の城

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城郭探訪、京都府亀岡市に参ります。京都からJR山陰線で30分もかからないですかね、それくらいで亀岡駅に到着します。その中心部にあるのが、丹波亀山城(亀岡城)です。

天正6年(1578)頃に、あの有名な明智光秀が築城したとされます。本能寺の変の舞台にもなってますから、有名ですね。江戸時代には、藤堂高虎が築城して現在見られるような形になりました。その後、大正時代になると、新興宗教として教科書にも出てくる有名な「大本教」が城地を入手し、以後、大本教の聖地「天恩郷」として現在に至っています。

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亀岡駅前から見た城跡。真ん中の森がそうです。
まずは、亀岡駅にある観光案内所でマップを手に入れましょう。「京都・亀岡 城下町散策MAP」というパンフレットがありますが、これが素晴らしい!現在の地図と古地図を薄いシートで組み合わせてみることが出来るようになってます。こういうパンフレットは本当に良いです。

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まっすぐ歩いて5分もしないくらいで、「南郷公園」に出ます。ここに城跡碑があり、亀山城の水堀が残っています。

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水堀はこんな感じ。釣り人で賑わってました。

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そこから歩いてまた5分くらいで、大本教の正面入り口に着きます。こんな感じ。誰でも中に入ることが出来ます。

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まっすぐ進むと、左に大本会館という大きな施設が、見えてきて、右側に池が見えてきます。この池が、どうも内堀の名残だそうです。

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池に向かって右側に行くと橋がかかってます。その橋の下の石垣には、こんな感じで刻印が残ってます。当時の石ですね。
その橋を渡ると「万祥殿」という建物に出ます。この裏が本丸跡なのですが、基本的に立ち入り禁止です。ただし、万祥殿の受付にて「城跡を見学したい」と申し出れば、快く応じてくださります。予約も不要で、本当にありがたい限りです。建物の前で、まずはお祓いを受けまして、それから奥に入っていきます。

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この門をくぐると本丸です。

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門の隣には石垣もありますが、戦前の弾圧事件等でかなり破壊されているので、これもおそらく積み直したもの、もしくは新設したものでしょう。

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門をくぐるとすぐに、この立派な本丸石垣に出ます!すごい迫力です!亀山城といえば、この写真ですね〜。
右側の階段を登った上にある大きな気が、明智光秀手植えと伝わる大イチョウです。階段より上は特に「聖地」となっているため、立ち入り禁止です。

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左側の法面。この石垣、いかにも江戸時代当時のままのように見えますが、山陰線建設の時に線路の敷石としてかなり持っていかれ、さらに戦前の大本教弾圧事件の時にダイナマイトで爆破されたと聞きました。その後、信者の方々によって積み直されたんだとか。なので、当時の石垣は角っこの下の一部のみといいます。

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また別角度から。階段の部分ですね。

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城下町も歩きました。古い町並みが所々に残っています。

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大手門の跡には形原神社という神社が建っています。

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住宅街の中には外堀の跡も残っています。

京都からも近いですし、宗教の聖地ながら見学には快く応じて頂きましたし、城下町の風情も残っていて、なかなか良い散策が出来ました。

*場所はここ↓↓
http://yj.pn/WOy48f

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京都市内にある山城をもう1つ、ご紹介しましょう。その名も霊山城跡です。「りょうぜん」と読むそうな。

霊山といえば、坂本龍馬の墓がある場所として有名ですね。ちょうど大河ドラマをやっていることもあって、たくさんの人で賑わってました。その龍馬の墓のまさに裏山に、霊山城跡があります。

史料にもたくさん登場する城です。13代将軍足利義輝が天文21年(1552)に築城したとされます。前回ご紹介した中尾城とも関係が深い城ですね。ただ、翌年には三好長慶に攻められて落城したようです。

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縄張図。福島克彦「洛中洛外の城館と集落―城郭研究と首都論―」(『中世都市研究』12号、新人物往来社、2006年)より引用、竹が加筆。この図面によると、墓から道が通じているようにみえるのですが、墓の周囲はフェンスで囲まれていて先にいけませんでした。という龍馬の墓を見学するのは有料なのです。なので、墓の横の斜面を直登して、登山道になんとか出ました。不審者ですね(苦笑)

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霊山護国神社を左に見て、右に進むと正法寺への階段があります。これを登ります。

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正法寺の本堂脇を進むと、フェンスに囲まれた龍馬の墓に出くわします。行き止まりなので、その脇の斜面を直登するしかありません。なんとか登れましたよ。で、9月中で整備も全くされていないせいもあり、藪が結構すごくて、登山道の写真はほとんど撮れませんでした。

しばらく登っていくと、こんな石碑がある曲輪に到着します。これはどうも伊藤博文が建てた碑のようです。

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もう1段上に登っていきます。道はこんな感じ。わかりませんね…

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もう一段上がった隣の曲輪がどうも山頂・主郭のようです。こんな感じで、木に「霊山」という小さな標識があるだけ・・・

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これが主郭内の様子。さすがにこの周囲は見通しが良かったです。

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奥に堀切が残ってます。これははっきりとわかる遺構でした。縄張り図左下の方に延びる尾根上の段々状の曲輪も観察できました。

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同じ道を伝って帰りました。その途中からの眺め。木が無ければ相当眺めは良い城なのでしょう。墓の脇から降りようとする我々を見つめるお墓の参拝者たち・・・しょうがないですね。

今回は人数も多いうえに藪だらけで、ざっとしか見ませんでした。といってもまた行くか?と言われると…



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城郭探訪、また京都に参りましょう。長岡京市にある戦国時代の城跡、開田城です。「かいでん」と読みます。変わった地名ですよね。

この城跡は、阪急の長岡天神駅から歩いて1分着きます。非常に交通の便は良いです。現在は巨大なマンションが建ってしまったのですが、そのマンションの建設会社も含めて城の一部が保存・公開されています。

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駅から歩いて本当にすぐ、ライフォートというマンションの敷地内です。そのマンションの入り口脇に管理人室のようなところがあって、なんとそこに復元模型とパンフレットが設置されています。

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マンション建設で跡形もない城もたくさんありますが、こうして模型もパンフレットもあるという城跡は初めてです。

開田城がある地域は「西岡」と呼ばれていて、戦国時代にはたくさんの国衆・土豪といった勢力が割拠していました。そのなかの1人である、中小路氏の城だそうです。模型の通り、城ですけど方形居館といった方がピンとくるかな…

発掘調査も行なわれています。遺構は70m四方で、高さ2mの土塁と幅8m・深さ1mの堀をめぐらす構造でした。掘立柱建物跡、井戸、かまど、食器類が発見されているようです。

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南東と西北に土塁が残されて、西北部分はわずかな敷地ですが公園になっています。これはその西北側の土塁を内側から見たところ。なかなか立派ですね。

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案内板もちゃんと設置されてます。

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同じく西北側の土塁を外側から見たところ。駅前の道路沿いなのですぐわかります。

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こちらは南東隅の土塁。こちらはマンション敷地内でフェンスに囲まれながらの見学になります。奥はマンション住民用の庭園のようになっているので、住民は内側から見学できるんでしょう。

大部分は破壊されてしまったわけですが、一部をきちんと残し、模型もパンフレットも設置するということは、良いことなのではないでしょうか。

本当に駅前なので、近くを通ったらぜひ!



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中尾城続きです。その前に…

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これも大山出城で撮った写真です。左奥が中尾城に続く尾根で、いったん大きく降って、また急斜面を登っていくようになっています。写真左側や手前側に、前回掲げた2枚の土塁?があります。ずいぶんとなだらかな地形で、このあたりは削平されている感じはしなかったですね。やはりあの土塁らしきものの裏手の藪の中にあったのかな…

出城を紹介しているページがありました↓↓
http://usakuma21c.sblo.jp/article/27398038.html

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再度、縄張り図。池田誠「城郭における防御パーツ類構築編年の研究」(『中世城郭研究』18号、2004年)から引用、竹が加筆。今回は、「主郭」から見ていきます。

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主郭の「枡形虎口」??。池田さんの図では枡形の可能性を指摘しています。手前が主郭内部で高くなっています。これもそう言われればそうなのかなぁと。私、縄張はちゃんと読めませんので、おいそれと余計なことがいえませんが…

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「2郭」内部。こちらは木が生い茂っているうえに、クモの巣だらけで一苦労でした。

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「2郭」東側の堀切、のはず。真中がくぼんでますね。写真だとわかりにくいですが、現地でみるとはっきりわかります。

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「4郭」を見る。図の赤線の方向で見たところです。図面のように、たしかに土塁がありました。

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今度は赤線右下の方向に行きますが、その道。「枡形?」という虎口から降っていきます。池田さんは「祖形型枡形」という言葉を使って評価しています。これはどうなんでしょう…縄張は難しいな。

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そして、中尾城で最大の見どころ、「二重堀切」の1本目!ここもよく残っています。

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1本目の堀切底から2本目を見る。行列が出来ていますが、先頭の人は道に出ていますが、後ろの人は2本目の堀底になります。

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2本目の堀切はこんな感じです。

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二重堀切全体を眺める。手前が2本目。奥が1本目ですね。

さて、この中尾城が登場する文献史料はたくさんありますが、一番有名なのが『万松院殿穴太記』という当時将軍の側近だった人が書いたという記録のこの一節です…

つづら折なる道を廻りて登ること七、八丁、南は如意が嶽に続きたり。 尾さきをば三重に堀切て、二重に壁を付て其間に石を入たり。是は鉄炮の用心也。四方には池を堀て水をたゝへたれば、(中略)摂丹を目の下に見おろして、寔に名城共云べし。

たしかに、つづら折りの道を苦労して登りました…。尾根の先を三重に堀り切って、というのは、今回見た三つの堀切なのでしょうかね。二重の壁を設けてその間に石を入れたとあります。これは鉄砲対策であると記しているんですね。この壁が何なのか、いろいろと見解が分かれるそうです。

前回みた大山出城に石積みがあるそうなので、出城のことを指しているんじゃないか説もあります。でも、話の流れから行くと中尾城本体のような気もします。

四方に池を掘って水を湛えた、ともありますが、この山城の一体どこに…枡形っぽい窪みが池の跡だったりして…。そういえば『中世城郭研究』の最新号でしたっけ、三島さんが、城内にある窪みを貯水施設だと考えている論考がありましたね。そんな感じのが中尾城の斜面にあったんでしょうか…どうなんでしょう。

ところで、中尾城は「名城」と出てきますね。これは別の書庫で取り上げねばなりません。


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京都の戦国城郭をいくつか見てきましたのでご紹介しましょう。京都の城を紹介しているページ、案外少ないんです。いや、それなりにはあるのですが、情報量がもういま一つ足りないなぁと個人的に思ってまして、今回撮ってきた写真を使って詳しく見ていこうと思います。

まずは、京都の山城の代表格である、中尾城に行きましょう。中尾城は、銀閣寺の裏山にある本格的な山城で、遺構の残存もなかなか良いです。戦国時代の天文18年(1549)に、12代将軍足利義晴が築城した城で、13代足利義輝も使用しました。文献史料もたくさん残っていて、史料に書いてあることと現地に残る遺構との照らし合わせが可能である点でも、大変貴重な城といえるでしょう。史料については、次回紹介します。

では、さっそく登城しましょう!まずは銀閣寺まで行きます。山門を入らず左へ曲がると「八神社」が見えます。その鳥居の前をまた右に曲がると、駐車場や朝鮮学校への入り口があります。駐車場には、こんな怪しい看板がありますが、無視です(笑)

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それをさらに進んで、左側にある石垣に囲まれた民家を過ぎ、右側にある自動販売機を過ぎると、左手に以下の写真のような看板が見えます。ここを左へ入ります。他にも登城ルートはありますが、このルートが1番わかりやすいはずです。

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入り口の写真を撮り忘れたので、画像は以下から拝借しました↓↓
http://www.k3.dion.ne.jp/~mkoba911/yamakiko/daimonji.htm#no11

ここから道なき道を尾根伝いに登っていきます。中はずっと保安林になっているようで、木がたくさん伐採されているので、見通しは良いです。朝鮮学校校舎のすぐ横を通って、ずっと尾根を登っていきます。何にも案内はありません。この付近の地図・地形図を持って行くのがベストです。

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縄張図。福島克彦「洛中洛外の城館と集落―城郭研究と首都論―」(『中世都市研究』12号、新人物往来社、2006年)より引用、竹が加筆。左からの赤線のような感じで尾根を登っていきます。結構急な登り道で大変です。すると、まず一つ目のピークに達します。そこが「大山出城」という城跡のようです。

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こんな感じで土塁っぽい土盛りがあります。が、う〜ん、本当に城跡なのだろうか…個人的にはよくわからなかったです。

で、出城から東側へなだらかな尾根をいったん下っていくと、また上に上る急斜面の尾根に出ます。それをひたすら登っていきます。この辺は道らしき道がありますので、迷うことはないでしょう。

いよいよ頂上が見えてきます。最後の最後には、ありがたいことにロープが張ってあります!てかロープが無いとキツイです。ロープにつかまりながら登りきると、ようやく中尾城跡に到着です!

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別の縄張り図。池田誠「城郭における防御パーツ類構築編年の研究」(『中世城郭研究』18号、2004年)から引用、竹が加筆。赤線のように登ってきて、ロープで登ると「3郭」「櫓台」の上に出ます。櫓台か微妙ですが、たしかに南へ続く土塁より幅広になっています。

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「3郭」の「土塁」。右奥が「櫓台」です。

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「3郭」内部。細長くかなり広い曲輪となっています。いかにも山城な雰囲気です。

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「3郭」から「主郭」を見る。奥が一段高くなっていますが、それが主郭です。ここを登ると…

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ようやく「主郭」に到着!「中尾城跡」と赤字で書いてある小さな札があります(笑)。この程度の整備なんですね…

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「主郭」内部。ここも削平されていて、まずまず広いですね。

次回へ続く…




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