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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、発売です!

書庫L城と女性

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                         (画像は、松代城の城門です)

ちょっと忙しくて更新が滞り気味ですが、「城と女性」のコーナーにまいりましょう。

今回の舞台は、上野国前橋城です。城跡は現在、群馬県庁となっていて、だいぶ破壊されてしまいましたが、戦国期以来重要なお城でした。

そんな前橋城と女性との関係がわかる史料がありますので、ご紹介しましょう。宝暦8年(1758)6月、前橋城の「惣御門」、ということは城内すべての城門に対して出された掟になります。

【史料】前橋藩松平家記録 第六巻、p38

一、諸士妻子、駕篭にて御門通候者、何時ニても供之者断ニ而可相通事、
 但、同道之者、直断におゐてハ可相通事、
一、役人以下之妻子ハ、六時より四時迄ハ、切手にて可と御、四ツ打候ハゝ、罷越候其元之諸士之切手ニ而可通之、且同格之方江罷越四打候ハゝ、御門預之頭江通達断之上可相通事、
一、下女者暮六時よりハ、御門預之頭江通達断之上、可相通事
 但、町在之女者、下女ニ可准事、

まず最初の一条目。藩に仕える藩士の奥さんや子どもが、駕籠(かご)に乗って城門を通る際には、どんな時でもお供の人がちゃんと城門番にそのことを言ってから通しなさい、としています。

ただし、「同道之者」というのはお供の人とも違う、一緒に連れ立っている人なのでしょうかね、その人が直接門番に断ったのならば、通してよいとしています。

次に二条目。藩の役人以下の妻子は、六つ時(午前6:00頃)から四つ時(午後10:00頃)までは、通行許可証と思われる「切手」をチェックして通しなさい。四つ時以後は、行き先の家の人が発行する「切手」をチェックして通しなさい。「切手」にもいろいろ種類があるようで…面倒くさいですな。

次に面白いのが、「同格之方」、つまり同じくらいの身分の人の家に行って、四つ時を過ぎて城門を通る際には、そのことを城門番頭に知らせて、それから通してよいとしています。身分によって城門の通行のあり方も規定されているんですねぇ。

三条目。下女の場合は、暮六つ時(午後6:00頃)以後は、やはり城門の番頭に断り、それから通しなさいとしています。事前に知らせておけ、ということなんでしょうか。

ただし、「町在之女」、つまり町人の女性の場合も、下女の規定に準じなさいとしています。ここも身分的なものが反映されていて興味深いです。

だいたいこんな解釈でよいでしょうか…。女性1人通るにしても、実に細かい掟があったんですねぇ。こういう時間とか、どういうことが背景にあって決められているんでしょうか。

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                            (画像は、彦根城)

大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の関連書籍として刊行された『江ガイドブック (別冊歴史読本50)』に、「戦国の城とお姫様」という記事を書かせて頂きました。書いているうちに、意外に面白い史料があるもんだなぁと思い、このたび、書庫を新設することにしました。この本で書けなかったことなどを、思いついたまま更新していきますので、よろしくお願いします。

今回は、彦根城の城門と女性との関係を見てみましょう。『江ガイドブック (別冊歴史読本50)』では、「城門通行と女性」という記事も書きました。主に江戸時代の史料を使って、女性が城門を出入りする時にはどんな掟があったのか、ということを見てみました。記事で紹介しきれなかった事例がまだまだたくさんあるので、それをご紹介していきます。

ひこにゃんで有名な彦根城ですが、その彦根城の城門を女性が通行する際には、決まりごとがあったみたいです。宝暦7年(1757)4月に、城内の佐和口門・京橋口門・舟町口門の門番に対して出された掟の一節を見てみましょう…


【史料】彦根城諸門定(『彦根市史』史料編近世、p679)

一、女之分、暮六ツ已後出入致させ申間敷候、但桃灯持せ送りを付候はヽ、様子承届夜中ニ而も通し可申事、

<書き下し>
一つ、女の分は、暮六つ以後、出入り致させ申すまじく候、ただし、提灯持たせ送りを付け候わば、様子を承け届け、夜中にても通し申すべきこと、


暮6つ時ですから、おおよそ午後6:00ですね、それ以後は、女性は城門から出入りしてはならないと定めています。ただし、条件付きで通っても良いとしています。その条件とは、女性に提灯を持たせて、「送り」=見送る人?(付き人?)を付けることだと言っています。

夜、暗くなってからは女性がむやみに移動することは禁じられていたようです。女性を1人にさせないで、ちゃんと一緒に付いていく人がいて、なおかつ提灯を持たせないと、勝手な外出や入城はできなかったんですね。

ということは、裏を返せば男性だったら出入りしても良かった、ということになりますが、どうもそうだったみたいです。彦根城の場合、6つ時に閉門ですが、4つ時(午後10:00)までは大扉の脇にある「くぐり戸」は開いていて、夜中はそこから出入りしていたようです。お城の門を見ると、大扉だけでなく、小さな扉が付いているものが多いですが、そのことでしょう。

女性が夜中に出入りする時も、この小さい扉=「くぐり戸」を通っていたんでしょう。

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