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書庫凸 日本100「悪城」 凸

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               (武田氏館の全体図。馬念さんのブログ「古城の風景」から引用↓↓) 
http://blogs.yahoo.co.jp/siro04132001/7383115.html


さて、久しぶりに「日本100「悪城」」のコーナーに参ります。前回第1回目をご存知ない方のためにも、もう一度趣旨をご説明しましょう。

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今まで、日本城郭協会選定の「日本100名城」に対抗?して、戦国武将たちが実際に「名城」と評価した城を紹介する「真・日本100名城」のコーナーを設けておりますが↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/folder/1037932.html

今度は逆に、戦国武将たちが悪い城、よくない城、つまりは「悪城」と評価した城を紹介する、その名も「日本100悪城」のコーナーを新設しました。

「悪城」というと、その城が好きな人からは「ヒドイ!」とクレームが来るかもしれませんが、私個人の評価ではなく、あくまで当時の武将が実際にそう評価した城を取り上げます。決してけなしたり誹謗中傷をしている訳ではありません!

問題としたいのは、なぜ「悪城」と評価されたのか、です。実物を見ると立派な城に見えるのに、なぜ「悪城」なんて評価されたのか?それについて考えることで、当時の武将の戦略や外交戦術、城郭観を探っていこうという試みであります。評価は見方や状況によっていくらでも変わるものですが、このコーナーではそこまで問いません。ですので、どうか、そういう観点からお楽しみ頂ければと思います。'
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ということで、第2城目の「悪城」は、あの武田信玄の本拠である躑躅ヶ崎館(武田氏館)です。現在では武田神社が建っていて、甲府市の一大観光地になっていますね。土塁も堀も石垣もよく残っていて、発掘調査と史跡整備が進んでおります。山梨県を代表するお城です。

では、いったい誰が「悪城」と評価したのか?それは、元武田氏家臣で、武田氏滅亡後に徳川家康に仕えた、乙骨太郎左衛門(おつこつたろうざえもん)という人です。

天正10年3月、織田信長によって武田氏が滅亡しますが、6月には本能寺の変が勃発して、旧武田領国をめぐる北条・上杉・徳川氏らによる領土争奪戦が行われました。これを「天正壬午(てんしょうじんご)の乱」というのですが、今回の史料はこの時の話です。

武田氏旧臣だった乙骨太郎左衛門は、甲斐に進出してきた家康に従い、北条軍を迎え撃とうとします。その時、軍勢の数で劣勢だった家康は、甲府(古府中)に布陣しようとしますが、それに太郎左衛門は猛反発し、こう進言したのです。


【史料】乙骨太郎左衛門覚書(『富士見町史』上巻史料編、1991年)のp13

其時太郎左衛門申上候ハゝ、古府中之城ハ悪敷所にて御座候、うしろはせき水寺と申山御座候、南は善光寺の山、北ニハ遊之上之小山、西ハあけたニ而御座候、加様ニ悪敷城ニ而御座候間、御無用可被遊と申上候へハ…


この史料は、晩年に太郎左衛門が書いた「戦功覚書」の一種になります。

これを読みますと、「古府中之城」=躑躅ヶ崎館は、悪い場所です。背後は積水寺という山が、南は善光寺の山、北は「遊之上之小山」、西は「あけた」(=上田。高い土地にある田?)があります。このように悪しき城なので、古府中へ在陣することは無用です、と家康に申し上げたことがわかります。


太郎左衛門は、ようが躑躅ヶ崎館が、四方を山や高台に囲まれているので、北条氏の大軍に囲まれたら大変だ!ということを言いたかったのでしょう。大軍に囲まれてしまうような場所にある城だからこそ、「悪敷城」と評価していることがわかります。

北条氏の大軍との決戦という状況では、躑躅ヶ崎館は決して「良い城」とはいえなかったことになりますね。こういったところに、当時の武将の城郭観や戦略が垣間見られるのであります。このあと、家康は新府城に陣取って、最終的には北条氏と和睦するのであります。

ということで、乙骨太郎左衛門という武将が躑躅ヶ崎館のことを「悪敷城」と評価しているので、控えめに…


拙ブログでは、躑躅ヶ崎館(武田氏館)を「日本100「悪城」」に選定させて頂きます。


趣旨を理解して頂き、クレームはご勘弁ください…

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またまた新コーナーを開設しました!

今まで、日本城郭協会選定の「日本100名城」に対抗?して、戦国武将たちが実際に「名城」と評価した城を紹介する「真・日本100名城」のコーナーを設けておりますが↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/folder/1037932.html

今度は逆に、戦国武将たちが悪い城、よくない城、つまりは「悪城」と評価した城を紹介する、その名も「日本100悪城」のコーナーを新設します!このブログに遊びにいらしてくれる荻野直正さんという方が、すでに個人的に集めておられるようですが、私も目に付いた「悪城」をこれから収集していこうと思います。100城集まるかどうか…集まったら名城と悪城で本を出したいもんです。

■■「悪城」というと、その城が好きな人からは「ヒドイ!」とクレームが来るかもしれませんが…。私個人の評価ではなく、あくまで当時の武将がそう評価したということなので、どうぞご了承くださいませ。

それだけでなく、なぜ「悪城」と評価されたのか、その理由を探ると面白いんです。実際見るとすごく立派な城なのに「悪城」と評価されている、それは何故なのか? そこに、当時の武将の戦略や外交戦術、城郭観が表れているのではないか。ここを考えることが面白いと思っています。

ですので、どうか、そういう観点からお楽しみ頂ければと思います。■■




さて、記念すべきというか、不名誉なのかもしれませんが、第1城目の「悪城」は、以前このブログでも紹介した、静岡県の深沢城というお城です。戦国大名北条氏や武田氏が使った城で、縄張も立派ですごくいい城なんですが…↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/24176432.html

時は元亀2年(1571)正月20日、小田原城の北条氏政が、上杉謙信に書状を出しました。この時、北条氏は駿河国東部を武田信玄に攻撃されている最中で、信玄が攻撃していた城が深沢城でした。

北条氏政は、謙信軍と合流して信玄と戦おうとしていたようなのですが、それを待たずして先に深沢城の支援のために出陣してしまいます。そのことについて、氏政が謙信に弁明しているんです。


【史料】北条氏政書状(『静岡県史』資料編8中世4、295号、新田茂雄氏所蔵文書)

然者深沢之事、内々御越山待請申合、可及後詰由存候処、要害地盤悪地、三十余日昼夜攻詰、一曲輪ニ被成候之条、可引助由存、為後詰去十日小田原を打立、敵陣五里之内寄詰候処、敵金鑿を入、本城戸張迄鑿崩を、城主不待後詰、不及了簡、以自分之扱、去十六令出城候、氏政存候而致扱儀努々無之候


読んでみますと…

深沢城のことは、内々に謙信の関東への越山を待ってから後詰に及ぼうとしたのですが、要害の地盤が悪い土地なので、30日間ほど昼夜攻められて、残り1つの曲輪だけにまでされてしまいました。なので、助けるために、1月10日に小田原を出陣して、武田軍との距離5里以内にまで寄せましたが、武田軍は金堀を入れて、深沢城の本城の城門まで掘り崩してしまいましたので、城主は後詰を待たずして自分の判断で、16日に開城してしまいました。氏政が知っての行動では絶対にありません。

という感じです。

これも、「名城」と同じように、やっぱり謙信に対する言い訳の意味を込めて「要害地盤悪地」と表現しているようにみえますね。実際見た感じでは、要害堅固な場所に築かれた立派なお城です。川に囲まれた台地上で、馬出もあり、見学するにも非常に面白い城です。

それはともかく、深沢城が「悪地」と評価されていることには変わりありません。ということで、控えめに…

拙ブログでは、深沢城を「日本100悪城」に選定させて頂きます。

「名城」と違い、「悪城」というマイナスイメージなものなので、地元や深沢城ファンからはクレームが来そうですが…やっぱりマズイかな…

こんな感じで、今後もご紹介してまいります。

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「名城」のコーナーは、『歴史読本』2011年5月号の記事になりました。

『歴史読本』2011年5月号
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