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書庫L福岡県の城

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福岡の城探訪、小倉城です。有名なので、説明は無しで…。
http://www.kid.ne.jp/kokurajou/html/index.html

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小倉駅から商店街を歩きながら15分ほどで小倉城に到着です。市役所の隣にあります。天守周辺には近未来的?な建物があって、なんとも不思議な景観となっております…。

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本丸周辺は割と遺構がよく残っています。大手門跡の坂道を登っていきます。

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槻門跡。

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天守から見るとこういう感じです。真ん中が大手門跡。右側が槻門跡。

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さあ、天守までやってきました。

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違う角度から。

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こんなのも。

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やっぱりこちら側から見た天守は美しい。

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真正面からパチリ。これもこれでいいですな。

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一番ベタな角度からパチリ。

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裏側の石垣と堀も。

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こんな場所からもパチリ。

帰りは西小倉駅へ。歩いて10分かからないくらいです。

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城郭探訪、2月に訪れた北九州の城のうち、今回は黒崎城です。関ヶ原の戦い後に福岡に入部した黒田氏の支城「黒田六端城」の1つで、一国一城令が出されるまで存続していたそうです。どうもそれまでは城がなかったようで、新規築城だそうです。

立派な近世城郭ですが、今は城山公園となっているものの、遺構はほとんど破壊されてしまっています。

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黒崎城遠景。黒崎城は小高い丘の上にあります。JR鹿児島本線黒崎駅から徒歩10分ちょっとで麓に到着、そこから結構キツイ登り道を登ります。舗装された道路になってはいますが・・・

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頂上付近まで来ると、斜面に石垣の一部らしきものがチラホラ見えてきます。

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頂上の公園入口。ここにも石垣が。奥が駐車場になっています。

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駐車場脇にも石垣が。

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公園内。今は普通の公園になってしまっています。

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城跡碑は立派です。

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北側斜面に帯曲輪のようなスペースがあります。木が切り払われているので、降りてみると…

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ここにも石垣が。ここが一番よく残っているのかな。

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北側に降りる道にも石垣が。

この後、長崎街道黒崎宿をちょっと歩いて帰りました。かなり破壊されていますが、よくよく見ると石垣が所々に残っています。でも、最近積み直したのかなと思うものも多いですし、どこまで当時の石垣跡なのかわかりにくいですね。

他の端城もいつか見てみたいものです。


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立花山城、最後になります。

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今回見る周辺の縄張図。「イバノヲ・大タヲ」と呼ばれる地区になります。赤線のように見ていきます。左が北になります。木島孝之氏作図。同「筑前立花山城跡が語る朝鮮出兵への道程〜小早川隆景による立花山城の 大改修の実態とその史的意味〜」(『城館史料学』創刊号、2003年)から引用させて頂きました。

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曲輪韻ら「I7」の石垣へ。歩いてすぐで、案内板もあります。ここが一番よく残っていて、大規模です。

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アップで。これはすごい迫力!

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これはすごいですね〜これが見たかったのです。

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再び尾根「曲輪亜廚北瓩蝓奥へと歩いていきます。このへんは平坦な尾根でキツくはないです。左側に低いですが土塁「D1」が続いています。虎口「K4」は、よくわからなかったですね。

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そして、この立花山城の名物の1つ、登り石垣に到着!空堀「H1」の右側に部分的に残っています。これが空堀「H1」ですね。自然の谷・沢を利用して造ったんでしょうか。

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で、これが登り石垣「I7」。上の方に残っている石垣だったと思います。堀に沿って上まで続いていて、石垣が登っている感じになっています。

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もうちょっと近くで。

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たしか下の方だったと思いますが、もっと残りの良い石垣もあります。

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同じ石垣を若干アップで。

これにて時間となったので、これより奥の松尾・白嶽・大つぶら・小つぶらといった遺構群は見ることが出来ませんでした。とにかく広大な城で、まだまだ見どころは沢山あるのですが、登るのがまず大変ですから、全部見るには1日がかり、いやそれ以上必要だと思います。

これだけの遺構が残っていて、歴史的にも極めて重要な役割を果たしたお城にもかかわらず、史跡指定等はされていないということだったような。これは国指定史跡レベルの城跡ですよね。石垣なども、保存整備を図らないと、そのうち崩落してしまうのではないか・・・。登山の案内はたくさんあるものの、城跡の案内は一部の石垣を除いてほとんどないですし、せめて山頂にもうちょっと詳しい案内板を設置するとか、できればいいんですけどねぇ。ただ、あの山は登るだけで大変、車道なんてもちろんないですし、広大な城なので、現実問題厳しいのでしょう・・・

登りもキツイですが、帰路もキツイです。山城歩きは全身運動だと改めて実感しました。

なお、立花山城については「城の備品」のコーナーでも取り上げています↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/26790650.html
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/27152382.html

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立花山城、続きです。

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立花山城縄張図。今回は、主郭部の井楼山から西側へ降りていきます。赤線のように見ていきます。左が北になります。木島孝之氏作図。同「筑前立花山城跡が語る朝鮮出兵への道程〜小早川隆景による立花山城の 大改修の実態とその史的意味〜」(『城館史料学』創刊号、2003年)から引用させて頂きました。

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主郭部から降りていくと、いくつか曲輪がありますが、とある曲輪に瓦の破片が大量に散乱しています。これには驚きました、こんなの関東にはありません。上記の木島論文にも書いてありましたが、本当にそこらじゅうに落ちています。これは早急になんとかしないとマズイんじゃ・・・文化財ですので、持ってちゃいけませんよ。木島論文によると、織豊期の瓦も採取されているそうです。

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曲輪イ砲△訐亞澄ここもよく残っていますね。上記木島論文などによると、立花山城の石垣の多くは最終段階=織豊期の小早川氏時代に造られた石垣ということです。ただ、ここの石垣は小早川段階ではないと評価しているみたいです。ということは、立花氏時代の石垣??ともかく、いい感じですね。

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結構急な山道を降りていきます。道は十分整備されていて、ところどころに案内もあります。途中で「石垣」と書いた立札があるので、それにしたがって行きますと、図の左下の石垣に着きます。奥に石垣がちょこっと見えています。

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この写真は、石垣がある曲輪院平泙砲枠峭罎書かれていませんが)とその下段の曲輪。よく残っています。

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で、これが曲輪韻寮亞澄孱稗供廖

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これは立派な石垣ですね〜。

写真の枚数の問題で今回はここまで。次回で終わりです。次回は、さらにすごい石垣と、珍しい石垣をご紹介します。


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立花山城、続きです。

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立花山城の中心部の縄張図。赤線のように見ていきます。左が北になります。木島孝之氏作図。同「筑前立花山城跡が語る朝鮮出兵への道程〜小早川隆景による立花山城の 大改修の実態とその史的意味〜」(『城館史料学』創刊号、2003年)から引用させて頂きました。

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まずは、登ってきた道沿いの遺構を。図面の虎口「K1」の部分です。登山道として整備されているので、改変されていますが、ここが虎口だったようです。この階段を登ると主郭,任后

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虎口の右側、登山道沿いにも石垣があります。「I4」の部分です。

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虎口の階段を登る部分にも、このような石垣が。石垣の隅部のようですね。

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ここから曲輪△惴かいます。まずはまっすぐ進んで・・・

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「C2」の土塁にぶつかって、そこで右に曲がり、さらに左に曲がって曲輪△貌ります。

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「C2」と「C3」に囲まれた部分も虎口?とされていたと思いますが、今はだいぶ崩れていて急斜面になっています。どこに道が通じているのかよくわかりませんでした。下から見上げた写真です。

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で、ここの両脇に立派な石垣が残っています。画像は左側斜面の石垣「I1」。これは立派ですね!

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上段の石垣をアップ。

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右側斜面に残る石垣「I2」。このへんの斜面は総石垣だったのでしょう。

まだまだ続きます。次回は、西側の遺構を。もっとすごい石垣があります。


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