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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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いよいよ、立花山城へ参ります!大友氏重臣立花氏の居城として有名で、たびたび合戦の舞台になったお城としてあまりに有名ですね。天正15年(1587)、豊臣秀吉によって九州が平定されると、小早川隆景が入城します。同時に、海に面した名島城の築城が開始され、数年後にはそちらに移り廃城となったようです。現在の遺構は、立花氏時代+小早川氏時代ということのようです。

先日、先に素晴らしい眺めをご紹介しました。そちらの方は「城跡から見た風景」のコーナーへ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/31743629.html

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今回は貸切マイクロバスで行きました。登り口はたくさんあるのですが、今回は山の北麓の大駐車場に止めて、そこから一番オーソドックスな登山道を登っていきました。結構な山なのですが、本当に人が多く、駐車場も満杯で驚きました。
駐車場から歩いてすぐ、登山道入り口があります。現在は整備中で仮設の通路になっています。いよいよ登山道に、というところには杖が置いてあります。これを使って登った方が楽ですよ。

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あとはひたすら登ります。道も1本なのでわかりやすいですし、何回も人とすれ違うので安心です。ただ、かなり結構キツイです。ず〜っと登っていくと、「屏風岩」という大きな岩が見えてきます。ここが分岐点になっていて、右側に進みます。

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ここで立花山城の中心部の縄張図。木島孝之作図。同「筑前立花山城跡が語る朝鮮出兵への道程〜小早川隆景による立花山城の 大改修の実態とその史的意味〜」(『城館史料学』創刊号、2003年)から引用させて頂きました。

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さらに登っていくと、井戸へ通じる分岐点に出ます。右側の細い道を入ります。

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するとすぐに小さい沢にぶつかり、そこに井戸があります。今はこんな感じで石組が残っています。引返して、さらに登っていきます。

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まずは先に主郭内部へ。登山客がたくさんいました。

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反対側から。

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主郭周辺は見どころ満載なのですが、まずは主郭右側(南側)斜面にある石垣を。図の「I3」の部分になりますね。登山道沿いにあり、すぐに見れます。

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これもそうです。

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これもそう。ちょっと藪で見えにくいですが、確かに石垣が残っています。

まだまだ続きます。次回は、もっといい石垣の写真が出てきますので、お楽しみに・・・。


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岩屋城からの立花山城です。ここも念願かなっての訪城となりました。まずは、その素晴らしい眺めをご紹介しましょう。

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立花山城主郭から三日月山方面を見る。真ん中の山の山頂がはげてますが、それが三日月山のようで、大友氏の立花山城を攻撃した毛利氏側の陣城の跡になります。

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そして、福岡市街地方面を見る。絶景ですね〜。市街地は真ん中左で、かなりモヤって見えにくいですね・・・。モヤってたものの、十分な眺めでした・・・これが見たかったのです。

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名島城方面をアップ。真ん中の湾の左端にある森が名島城です。

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西側を見る。志賀島方面ですね。半島が伸びている奥に志賀島があります。


次回は、いよいよ立花山城を攻めます!

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最近九州づいてますが、大野城からの岩屋城です。

岩屋城は、天正14年(1586)、大友氏の重臣・高橋紹運が籠城して島津軍を迎え撃ち、壮絶な討死を遂げた城として有名ですね。先日、先に素晴らしい眺めをご紹介しました。そちらの方は「城跡から見た風景」のコーナーへ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/31625040.html

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大野城太宰府口門跡から、車道を下ること10分程度で着いちゃいます。車道脇に自然歩道もありまして、岩屋城への近道と書いてあります。今回はそちらの道を使いました。車道を降りていくと、こんなふうに看板があり、主郭への登り口があります。

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主郭背後(西北側)は、たくさんの堀切で遮断されています。これは階段の左にある竪堀で、奥で右に曲がり小規模な堀切になっています。

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階段を登ると正面に大堀切が。階段でだいぶ破壊されているようですが、十分な規模ですね。

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堀底から。大きくてカメラに収まりません。

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大堀切底から右に行くと主郭へ、左に行くと先ほどの自然歩道なのですが、左側には先ほどの竪堀から続く堀切の他に、もう数本小規模な堀切らしき跡があります。みた感じは微妙な気もしますが、縄張図などでは堀切として描かれていることが多いですかね。

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すぐに主郭へ到着!主郭の櫓台が山頂です。

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櫓台から主郭を見る。

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そして、あの有名な城跡碑。これは名碑ですね・・・

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主郭の一段下には腰曲輪が。草木が刈り取られていて見やすいです。

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また車道に戻り、高橋紹運の墓がある二の曲輪へ。細長い曲輪になっています。

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これが紹運の墓。

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二の曲輪から太宰府跡方面に降りる、大変急な道があるのですが、そこを頑張っていくと、このような岩屋谷磨崖石塔群があります。これらは鎌倉から室町時代に彫られたものということです。これはスゴイですね。岩山なので、信仰の対象にもなっていたのでしょうか。

それにしても、ここまでたどり着くのは大変でした。この奥にも曲輪や堀切がたくさんあるみたいなのですが、時間と体力の都合で断念。あまりにも急峻な道で、こんなところ通るの?と思うくらいの道です。縄張図を見ながら行きましたが、遺構はわかりにくかったですね。私に縄張読解の力がないようです。

とにかく、あの眺めは素晴らしい。私もそれなりの数の城を見てきましたが、そのなかでもベスト5に入る眺めではないかなと。是非、足を運んでみてください。

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大野城、続きです。

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南東部外郭線の土塁。南方向です。この土塁が一番有名ですかね。櫓台みたいな感じになってますが、ここからの眺めは絶景!

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こんな感じの眺望。太宰府天満宮・九州国立博物館が見えますね。素晴らしい眺め、と思ったのですが、次に行った岩屋城からの眺めにはかないませんでした。そちらの方は「城跡から見た風景」のコーナーへ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/31625040.html

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さらに土塁上を南へ歩いて下っていきます。

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下から見るとこんな感じです。すごい外郭線です・・・

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途中から太宰府口門跡へ降りる道があります。これを降りていくと・・・

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出ました、太宰府口門跡!これがまたスゴイ!規模がデカイ!

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虎口部分は石垣で固められています。これも当時からのものなのだろうか・・・

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城外から門跡を見ると、こんな感じ。右側がやや張り出していて横矢が効いています。

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そして、門跡正面左側には、こんな巨大石垣が!!スゴイ!

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アップ。これはスゴイ!ここもたしか部分的に修理はされていたと思いますが、とにかくスゴイ!


上から門跡を見下ろす。こういう城門が何ヶ所もあったようです。

大野城、今回はここまでです。まだまだ見どころはたくさんあるのですが、あまりに広大な城なので、これが限界ですね。また今度の楽しみにとっておきましょう。にしても、想像を絶するスゴイ城でした・・・。ちょっと交通の便が悪いですが、車が出せるのであれば割と簡単に行けますし、行って損はありません。おススメです!

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大野城、続きです。

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縄張図。『大野城市の文化財』第28集より引用・加筆。今回は、「百間石垣」から「北石垣」から「四王寺跡」「主城原礎石群」「焼米ヶ原」「尾花礎石群」、そして南東の外郭線まで一気に行きます。おおよそ赤線の部分です。

百間石垣の林道脇に、「北石垣」へ続く山道があります(わかりやすいです)。大野城の外郭線になります。一応階段が整備されていますが、一部崩れている箇所もあります。とのかく、ものすごく急な道です。北石垣までは距離的にはそんなにないのですが、汗だくになること間違いなしの急峻な山道になっています。

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で、汗だくで「北石垣」に到着!これを見れるなら筋肉痛もなんのその!

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ここも豪雨被害でかなり崩れてしまったため、最近修理されています。百間石垣の方が旧状をとどめた箇所が多いようで、こちらは見た目も新しい感じですね。ここもかなり急峻なところで、見学するには注意が必要です。

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木も伐採されているので、眺めがよいです。北西方面を見たところ。ちょうど博多方面ですかね。

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さらに奥へ向かいます。上の山道から北石垣を見下ろす。

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山道を登ると、ちょうどピークのところで、「小石垣」方面と「主城原礎石群」方面へ道が分かれます。今回は「小石垣」はパスして、主城原方面へ。ここからは平坦な道でとても歩きやすいです。その途中には、四王寺(院)跡があります。立派な礎石で驚きです。このお寺も、大野城が築城されてから約100年後の774年に造られた古代のお寺跡で、史料上にも登場するお寺です。

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北石垣へ行くあの道は一体なんだったのかと思うほど、平坦でよく整備された道をさらに歩いていくと、「主城原礎石群」に到着。ここはたしかに広くて建物跡が集中してあります。礎石もデカイ!意外に写真を撮っていなかったので、これだけです。

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さらに奥へ進んで、いったん林道に出て、また山道に入ると「焼米ヶ原」「尾花礎石群」に到着。この辺から太宰府口門跡あたりが一番よく整備されているところです。その名の通り、昔焼米が出てきたとか。

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礎石群からさらに奥へ行くと・・・

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大野城の南東外郭線に出ます!長大な土塁になっています。

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ものすごいスケールです!!ず〜っと土塁になっています。外側は切岸のように削っているのでしょうか、急斜面になっていますね。こんなのは見たことありません!

一気に2kmくらい歩きました。次回もあります。

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