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書庫Lお城の事件簿

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(写真は、舞台となった江戸城馬場先濠。暫定的に以下のHPから引用)
http://www.mapple.net/photos/H0000082817.htm

「城の社会史」のコーナーに新しい書庫を設けました。その名も「お城の事件簿」。他の書庫に分類できないような史料で、なおかつ事件性があるものを、こちらで紹介したいと思います。

さて、第1回目は、なんだかタイトルからして暗そうですが…というか、暗いんです。悲しい話です。思わず涙が出そうになりました…

時は元禄12年(1699)、江戸城の馬場先堀に、一人の男が身を投げるという事件が起きました。その詳細を記した史料があるので、読んでみましょう。


【史料】御曲輪之御堀え身を投る者(「御仕置裁許帳九」石井良助編『近世法制史料』第1巻、昭和56年)

  元禄十二年卯閏九月廿八日
一人 勘兵衛
是ハ南本郷町吉(市?)兵衛店重兵衛寄子、此者先月十七日昼七ツ時馬場先御堀え飛込候を、御門番細川和泉守、牧野備前守辻番人出合、引揚ケ、御支配方え被相達、稲垣対馬守殿御差図之由ニて、和泉守家来同十九日召連来ル付、令僉議候処ニ、此者申候ハ、去寅十一月末より当月迄、松川町大工加兵衛と申者方ニ弟子致奉公罷在候処、致欠落、右市兵衛を宿ニ頼居申候処、市兵衛不勝手ニ付、やつかいニ成申義迷惑ニ存、先月十六日市兵衛方を罷出候へ共、身之置所無之ニ付、身を投、相果可申と存、御堀え飛込候由申之、右重蔵儀宿ニ無紛、其上此者腰痛候由申ニ付、養生之内、市兵衛并家主五人組ニ預ケ遣候処、今日召連来ル付、上り屋ニ入、
 右之者、稲垣対馬守殿え相伺、同卯十月二日赦免、


ところどころ、人名が間違っているような気もするのですが…江戸の街についての理解が足りないため、微妙な部分もありますが、おおよその現代語訳は、以下の通りの感じでしょうか…

お堀に身を投げたのは、勘兵衛という男でした。使用人の家に居候して働き口を探す寄子といわれた人でした。勘兵衛は、江戸の南本郷町にある市兵衛宿の重兵衛という人の寄子だったそうです。

そんな勘兵衛さんは、元禄12年9月17日の昼の七つ時(午後4:00頃)に、江戸城の馬場先のお堀へ突然飛び込んだのです。馬場先門の門番をしていたと思われる細川和泉守家や牧野備前守家の番人たちは、それを見たようで、すぐに助けだし、「御支配方」へ届け出ました。

その後、稲垣対馬守という幕府のお偉いさんでしょうか、その人がこの問題を担当することになったようで、細川和泉守の家来が19日に勘兵衛を召し連れていきました。そこで評議・尋問が行われたのですが、なぜお堀に飛び込んだのか。勘兵衛は語ります…

「去る寅の年の11月末より今月まで、松川町の大工・加兵衛という人の弟子になり、奉公していたのですが、そこから逃げ出し、市兵衛さんを宿として頼ったのですが、市兵衛さんも暮らし向きが大変なので、やっかりになると市兵衛さんに迷惑をかけてしまうと思い、先月16日に市兵衛さんのもとから出ていきました。しかし、身の置くところがないので、このままでどうしようもないと思い、身を投げて死んでしまおうと思い、お堀に飛び込みました」と…

勘兵衛は腰痛になってしまったようで、養生してから、市兵衛と五人組に預け置かれることになりました。そして、10月2日、結局お咎めなしということになったということです。

なんとも悲しい事件です。何があったのかはわかりませんが、いろいろと大変だったのでしょうね。しかし、お堀に飛び込んで自殺しようとした人がいたことには驚きです。おそらくそういう光景は、それなりに江戸時代においてあったのではないでしょうか。お堀に人が落ちたら助けろ、という掟もありますし。

その後の勘兵衛さんは、いったいどうなったのか。幸せな人生を送ることができたのか…もはや知るすべはありません…


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