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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、重版決定です!

書庫L新潟県の城

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今年の全国城郭研究者セミナーが終わってはや一週間が経ちましたね。城郭研究の世界には本当にいろんな人がいて面白いんですが、そういえば去年のセミナー時に見に行った新潟のお城のうち、御館と福島城をまだアップしていなかったので、忘れないうちにアップしちゃいます。

まずは、御館跡。上杉謙信が亡くなった後に起きた「御館の乱」であまりに有名なお城ですね。今は住宅街の真ん中にある小さな「御館」公園になっています。遺構はありません

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現状。普通の公園です。

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こんな看板のみ、立ってます。


次は、すぐ近くにある福島城跡。こちらは堀氏の城で、関ヶ原の戦い以後に、春日山城から海に面した場所に居城を移転させました。結局数年間しか使用されずに廃城となったそうです。ここもほとんど遺構はありません。上越市立古城小学校付近が中心部だったとか。

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小学校には、城跡碑があります。この石碑がたっている石や、周辺の石は、城の石垣の石だとか。

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看板もあります。

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もういっちょ別の城跡碑。

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小学校前には、堀の跡にあたる部分が。今は蓋がされてます。

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近くの某会社の敷地内には、土塁らしきものが。

しかし、この暑さでは、今後セミナーで見学会を行うことも厳しくなってきそうですね。


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去年夏に訪れた新潟の城のうち、鮫ヶ尾城をご紹介しましょう。

この城の歴史は、よくわからないことが多いのですが、基本的には長尾氏(上杉氏)関係の城だったようです。鮫ヶ尾城が歴史の表舞台に登場するのは、天正7年(1579)、上杉景勝と景虎による家督争いである「御館の乱」の時です。御館を落とされた景虎は鮫ヶ尾城へ逃げますが、そこも攻撃され自害しました。

ちなみに、上杉景勝の書状に、「一昨十七館落居、敵悉討捕之候、さめかを一城成置候」「去十七三郎一身之躰ニ而鮫尾地へ被引退候」と出てきます(『上越市史』別編2、1796号、1800号)。どうも史料上にはこれしか登場しないようです。なので、よくわからない城なんですね。

史料上にはこれしか登場しないものの、なかなか立派な城なのです。

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まずは城下の居館跡といわれている勝福寺。「立ノ内」=「館ノ内」という地名が残っているそうです。

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墓地には中世のものと思われる石塔がたくさん。

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お寺の裏から鮫ヶ尾城に向います。入口まで結構歩きます。日陰もなく真夏なのに皆さん倒れず、元気に歩いてましたね・・・

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ようやく入口に到着。これはちゃんと下調べしないとわからないでしょう・・・

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縄張図(というか測量図)。この城、所々危険な登山道があるらしく、今回は黄色の部分から上り下りしました。今回の道が大手道だそうで。

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しばらくジグザグの道を登っていくと、なかなか大きい堀切が見えてきます。測量図にありますね。

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こんな道をさらに登っていきます・・・

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測量図に「虎口」とある部分です。

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虎口を通って曲輪内に入り、右側へ進むと井戸があります。

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井戸の上の曲輪は「三ノ丸」。ここで景虎は自刃したのだとか。

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さらに登っていくと、大堀切があります。

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ようやく本丸に到着!

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城跡碑をパチリ

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本丸からの眺めは、やはり良い。

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奥にある「米曲輪」と、その間の堀切。

北麓には周辺史跡も合わせた「斐太歴史の里総合案内所」があり、そこにパンフレットなどあるそうです。真夏でも十分見れる城でした。

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箕冠城、続きです。

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本丸と、一段下にある帯曲輪間の堀切。

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堀切の土橋を渡っていよいよ本丸へ!

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本丸に到着!真夏にも関わらずキレイに整備されていて気持ちいです。

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城跡碑もあります。

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そして、この眺め!私もそれなりにいろんな城からの風景を見てきましたが、ベスト3本に入るくらい良かったかも・・・

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二の丸まで戻って、横堀の中を西側に進んでいきます。

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堀切の左側に曲輪があり、虎口があります。

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その虎口から二の丸を見る。

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曲輪内にはL字状の土塁があります。曲輪内を仕切るものなのか、ここも虎口だったのか。

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反対側から。この曲輪から南側に降りると、最初に来た道に戻ります。

規模も構造もなかなかのもので、眺めも最高。是非一度訪れてみてください。

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溜まっている城跡写真のアップです。今回は、昨年の全国城郭研究者セミナーを途中で抜け出して行ってきた、上越市の箕冠(みかぶり)城というお城を探訪します。以前、先に「城跡から見た風景」のコーナーで、その素晴らしい景色をご紹介しました。あれは本当に良かった・・・↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/30911058.html

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現地の看板。上杉謙信の家臣・大熊朝秀の居城とのこと。車で山腹まで行けます。駐車場も整備されていて、道が細いのでバスは無理でしょうが乗用車なら結構な台数が置けるくらい広かった記憶があります。

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砂利道を登っていくと、程なく城内に入ります。すると道の右下に井戸跡があります。

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戻ってそのまま曲輪内へ。ここには巨大な池があるのです。こんな山城のど真ん中に池があるなんて、珍しいですね。これっていつからあるんでしょうか・・・

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池の南東側には長大な土塁があります。このへんの構造がよくわからんですね。この土塁の南東側下段にいくつか曲輪があるみたいなのですが、真夏のため全くわかりませんでした。

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土塁上を歩いて、池側の曲輪内へ降りて、北東側に虎口らしい部分があります。今も登山道になっています。

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本丸へ向かう階段を登ります。一段上が二の丸。

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さっきの写真右手には城跡碑が。

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左手には二の丸の内門跡の標柱が。

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ちょっと登ると両側に立派な横堀が!これは見事。

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振り返って二の丸。

続く・・・

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春日山城、続きです・・・

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上越市のパンフレット「国指定史跡 春日山城跡めぐり」から引用。

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本丸の隣にある天守台に向います。

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天守台。別に天守があったわけではなさそうです。

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天守台からの眺めは最高です。後日「城跡から見た風景」のコーナーでも取り上げましょう。

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天守台の裏には大井戸が。なかなかデカイ井戸です。

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堀切(御成街道という通路になっている)を挟んで、「鐘楼跡」という小さい曲輪があります。

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「鐘楼跡」から隣の「上杉景勝屋敷」を見る。

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「景勝屋敷」。名前がついた屋敷名・曲輪名が多いですが、あくまで伝承のようです。

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御成街道に戻り、下っていくと「二の丸」へ。

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さらに下っていくと、ここがある意味春日山城のなかでも一番「お城らしい」曲輪である「米蔵」です。ここだけ、キレイに土塁が残っているのです。

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「米蔵」の隣には「三の丸」が。ここは上杉景虎の屋敷跡と言われているそうです。景虎は、北条氏から養子に入って、御館の乱で滅亡した方の景虎です。なんだか最近人気の武将らしく、景虎を慕ってここを訪れる人も多いようで、献花もありました・・・。

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そして、舗装された道路を降りて、謙信像まで戻りました。その途中から見た中心部の全景。当時はすごい景観だったでしょうね〜

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最後に、直江津駅前の「なおえつ茶屋」にて、「芙美子のコーヒーセット」を。「放浪記」で有名な小説家の林芙美子が好んだものだそう。このお団子は「継続だんご」といって、林芙美子が自殺を考えていた時に食べて、あまりに美味かったので自殺するのを止めた、という逸話があるそう。素朴な味で、私好みのものでした。なんで「継続」なのか、それは適当にネットで調べてください(笑)

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