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どんどんいきます。次は、泗川倭城(そせんわじょう)です。ハングルだと、サチョン・ウェソン、ですね。別名船津里城といいます。島津氏や長宗我部氏らが関わった城で、慶長の役の時に造られたということでいいのかな。この城の攻防戦は大激戦だったようです。 城跡の東側に、明・朝鮮軍の軍塚というものがあり、その敷地内にミニ資料館のようなものがあります。そこに置いてあったパンフレットから引用。ハングルのものしかなかったので、まったく読めません…。左が城跡、右の四角い空間が軍塚です。 で、これが軍塚入口。泗川倭城を攻撃した明・朝鮮軍が大敗して、日本軍によって耳・鼻を削がれ、それが日本に送られたといいます。で、首を落としてこの塚を造ったそうです。それを、後世に再整備したと。すごい話ですな…。 こんな感じです。 城に向かいます。その途中に、なんとも巨大な土塁ラインが!案内図にも描かれています。これも倭城の外郭線の一部で、築城前にこの地に合った朝鮮の城(倉城というらしい)を利用したものだそうです。外側は谷になっていて、すごい規模です。 着きました。今はかなりキレイに公園整備されています。案内所もあるのですが、この時はたしか閉まっていたはずです。日本語のパンフもあるとかないとか。 登って行きます。石垣の跡でしょうか。 その先には、復元整備された石垣が! こんな感じです。日本もこの整備に関わっているのだとか。やり過ぎな感じの整備ですが、ともかく主要部が全体的にこんな感じで整備されています。 続きます。 |
L海外の城
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熊川倭城、5回目です。ラストです。写真だけで一気にやれば、意外と早く終わりますね。 登り石垣の上を歩いて、降って行きます。これが足元が悪くてなかなか大変でした。 下から見上げる。カッコいいですね。 もう少し奥から。このあたりが撮影スポットなのに、まさかのピンボケ…。 もっと下から。これはなかなか良いですな。 横の石垣を。 これも。左側(西側)は石垣に沿って巨大な竪堀になっています。この下が、一番最初に見た城域の入口部分になります。 これで終わりではありません。北麓にも居館というか根小屋というかがあるので、そこも見ました。やはり、石垣が残っています。 曲輪。このような曲輪がいくつかあります。 海が目の前です。ここまで船が来てたんでしょうねぇ。 これで、熊川倭城、終わりです。次は、泗川倭城です。 |
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熊川倭城、3回目です。まだまだ続きます。 天守台の上。石がゴロゴロしていて、かなり歩きにくいです。案内板があります。 天守台から主郭を見る。これだけ直線だと、縄張図が描きやすそうだ。 天守台北側。主郭の一部が伸びています。 天守台から南側を見る。海が見えます。どうも近年埋め立てられたようで、当時はもっと海が近かったようです。 天守台から、主郭南側の石垣を見る。 そして、天守台から南西方向へと延びる登り石垣を見る。海に向けて一直線! 降りて天守台を見上げると最高といわれたので、忍者のように石垣を降りて撮影。たしかに、これはいい写真。 天守台をアップ。 天守台南側石垣。すげえなあ。すごすぎてよくわからない…。 もう一度、天守台を。 さて、複雑な虎口に戻り、東側へと延びる2つの曲輪へ向かいます。図面ではそう呼ばれることもあるので、手前をC曲輪、東端をD曲輪としましょう。画像はC曲輪。こちらはヤブです。しかも、あのベットリくっつく植物のせいで、ズボンが大変なことになります。バラなど棘のある植物も多いので、いろいろと注意が必要ですよ。 これが、CとD曲輪の間の虎口部分の石垣。手前がD、右がC曲輪です。 まだまだ続きます。 |
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熊川倭城、続きです。大手口を抜けて曲輪内に入ると、まるで迷路のようになっています。こういう縄張は、なかなか見れないものです。 奥へ行くと、右側に細長い曲輪が、左側に虎口があります。その虎口。ここもバッチリ枡形です。 こんな感じです。見事ですな。 これもそうです。左上が、登ってきた道。手前が主郭側。右側も東の曲輪に続く虎口となっていて、非常に複雑な虎口になっています。 主郭を望む。また枡形虎口が見えますね。 その左側を見る。一直線で角ばったキレイな縄張・石垣になっています。 主郭から登ってきた方向を見る。左上が最初の枡形虎口、右上の石垣が先ほどの石垣、右下が2つ目の枡形虎口。 これがその2つ目の、主郭入口の枡形虎口。 主郭内部。奥に見えるのが天守台。 先ほどの右側の石垣。つまり、主郭北側の一直線に続く石垣。 天守台。 これも天守台。石段までちゃんと残っています。なんだか石垣に圧倒されて、もうこの時点でお腹いっぱいでした。 今日は、続けてアップします! |







