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本日開催された小田原城御用米曲輪発掘調査説明会に行ってきました。「まかない丼」で充電してからの参加。相当寒かったですが、午後の説明会には200人以上いたようです。午前中はもっといたそうですので、すごいですね・・・

もっとすごいのは、これだけの範囲を発掘したこと。こんな大規模なのはあまり見たことないですね。いろいろな遺構が発見されています。忘れないうちに書いておかないと後で困るので、写真だけでもアップします。

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調査区の図面。現地見学会資料より引用。上が北です。

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江戸期の蔵跡がはっきりと出てきました。図の「蔵ァ廚隆霑辰良分。江戸時代の絵図に書かれた大きさの情報とほぼ一致しているとか。3棟出てきましたが、それぞれ基礎の造り方が異なることも判明したそうです。

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で、ここからが戦国時代・北条氏時代の遺構。まずは礎石建物跡。江戸期に造成された層の下の層から出ているので、江戸期の完成された小田原城より古い時期であることは間違いないでしょう。

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別角度から。3間×6間ほどで、1間が6尺2寸5分(約189cm)になっていると。どうもこの長さが戦国時代の小田原における長さの基本単位になっていたようです(いわゆる「小田原間」)。たしか八王子城とか鉢形城とか、北条氏の支城の建物でもこの長さだったはず。この単位をもとにして、今後小田原城や城下の研究、さらには北条氏関係の城の研究を進めていくと面白いかもと。

で、礎石建物のすぐ脇(画像の右上に見えます)には敷石の通路が出ています。本丸側へ続いていますが、どこまで続いているのかは不明。写真撮るの忘れてしまいました・・・通路だけでもなかなかすごいと思うのですが、それを壊してこの礎石建物が2時期に分かれて建てられているんだったかな。ともかく、この部分は3時期あるそうです。3時期といってもかなり短い期間の内に収まるとか。

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礎石建物跡の北側脇には、大量の16C半ば〜後半の「かわらけ」が出土した地点も。「かわらけ」は基本的には使い捨ての土器で、宴会や儀礼で使うとされてますので、そうだったんだろうと。

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もう1つの目玉が、この庭園遺構。図の「庭 廚砲覆蠅泙后水路がキレイに出土しています。水路左側が堀になっていて、そこから水路を通じて水が流れ込んでいたようです。ちょうど流れ込む部分、画像真ん中右端の四角い石組は、庭園ぽいですね。

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その水路の下の層からは「方形竪穴」と名付けられた穴が出てきまして、ここからも大量の遺物が出たとか。ここは立派な石積みになっていて注目されます。裏込めもなく、石を積んでは土で固めてまた石を積んで、という感じで、10段ほど(約160cm)積み上げているとか。

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石積み部分のアップ。ここも3時期になるそうです。すなわち、最初の水路を壊して竪穴を造り、さらにその上に石列と礎石を配置する、と。

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図の「庭◆廖水路や砂砂利が出ています。ちなみに、白い石は箱根の安山岩、黄色っぽい石は三浦半島で採れる鎌倉石、黒い石は小田原の風祭で採れる凝灰岩の風祭石だそうです。いろんな石を集めて配置していることがわかります。これは面白い。特に黒い石は珍しいですね。

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そして図の「庭」。これが面白い。手前の正方形の石が斜面に敷き詰められていますが、これは五輪塔の火輪の部分をわざわざ集めて造っています。これも見たことないですね。「護岸遺構」とされていました。上段からここに水が落ちるようになっていたということです。

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上段の部分。何やら黒い石がキレイに加工されて積まれていますが、これも戦国期の遺構だそうです。これは驚き。奥に見えるのが、戦国期の畝堀の一部。畝堀を埋めて砂利を引いて水路にしたことがわかると。

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黒い切石のアップ。

ということで、以上の事からして、この御用米曲輪は北条氏時代の中心部を構成していたと考えられます。

来年度も調査は続くそうで、来年はさらにすごい発見があるかも!?とのことでした。期待しましょう。お会いした皆様、お疲れ様でした。


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城郭探訪、今日発掘調査現場説明会があった、横浜市港北区の篠原城を早速ご紹介しましょう。新横浜駅から歩いても10分かからないくらいの場所に、城跡があるんです。見学者は、ざっと150人くらいはいたのでは…

このお城も、歴史はよくわかっていません。戦国大名北条氏の家臣・金子出雲という人がここ篠原の代官をしていて、江戸時代には名主を務めていたことがわかっています。なので、この金子さんと関係がある城なのではないか、と一般的にはいわれています。

存在自体は昔から知られていましたが、きちんとした調査は割と最近されたばかりで、下の「参考文献」に挙げた論文が近年立て続けに出て、縄張図も発表されるようにまでなりました。意外と遺構が残っているんです。

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まずは、新横浜プリンスホテルから見た篠原城。Kさんからご提供いただきました。
真ん中の森が城跡です。今回発掘したのは、ちょうど反対側なので、この写真では見えませんね…この森の中にも土塁や堀が残っています。下に新幹線の線路も見えますね。

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縄張図。現地で配布されたチラシから引用・加筆させて頂きました。篠原城の調査を進めている伊藤慎二氏作図の縄張図をもとに、「篠原城と緑を守る会」が作成されたものです↓↓引用には十分ご注意を!
http://kikunagawa.sblo.jp/

赤線部分が、今回発掘してわかった堀です。

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横浜線の線路沿いに、見学会入口がありました。資料を頂き、まずは遺物を見学。「かわらけ」という儀式・儀礼に使う土器が少々と、瀬戸物のすり鉢の破片が1点見つかったようです(縄文土器もありました)。当日の説明では、年代は16世紀ということで、やはり戦国時代の城と考えてよさそうです。

上を見上げると、こんな感じで木が伐採されて、戦国の城が出現してました!これだけだとちょっとわかりにくいでしょうか…

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そして、これが今回発掘された「堀2」です。尾根を切っているので、堀切でしょうか。縄張図には描かれていないので、発掘して出てきた、ということでしょう。なかなか立派な迫力ある堀です。

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これも同じく。手前に延びる道状のものは、通路だそう。堀底も一部道として使っていたのかも。

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違う角度から。堀の規模がわかると思います。見学者もたくさん!堀が奥にいって右側に曲がっていますが、その先は斜面で、そのまま竪堀となっているようにも見えます…。

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奥に行きましょう。手前が縄張図でいう「曲輪検廚如∨截韻あり、右奥が「曲輪掘廖△箸いΠ銘峇愀犬任后

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そして、これも今回出てきた「堀1」です。これはかなり立派!資料によると、上幅8m、底幅1.5m、深さは右側は5.3mだそう。「堀2」と同じくらいの規模です。この堀の最下層から、瀬戸製すり鉢が出土したそう。

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今度は、手前が「曲輪掘廖◆嵋截院廚魘瓦鵑如奥が「曲輪検廚箸いΠ銘峇愀検戦国の城の雰囲気ですね〜

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で、こちらが「曲輪掘廚琉貮堯「土坑」が出土しています。

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発掘現場の奥にある、手つかずに残る遺構を見に行きます。「本丸」をめぐる横堀です。藪でよくわかりませんが、はっきりと残っています。やはり出土した堀と同じくらいの規模でしょうか。

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堀の途中には、こんな感じで「土橋」があります(人が立ってます)。縄張図の「イ」の部分、土橋と書いてありますね。

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同じく「イ」のあたりの土塁です。これも何が何だかわからないでしょう!

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「本丸」西北側の「ロ」の部分です。登城道のように見えますが、よくわかりません。

今回の発掘は、住宅建設のために、緊急に行われたようです。発掘した部分は、もう今日には壊されてしまうとか言っていたような…と思ったら、とりあえず埋め立てるのが今日のようです。保存するか否か…市議会議員などもたくさん来ていたというので、何か動きがあるのかも。いずれにせよ、発掘された部分はもう2度と見れない可能性があります。また1つ、城跡が消滅してしまう危機にあるという訳です。

ただ、藪の中に埋もれている部分は、市有地ということもあって、そのまま保存されるということ。こちらも上記のように立派な土塁と堀が残っていますので、今後どのようになっていくのか、注目ですね。

*場所はここ↓↓
http://yj.pn/pYOD_l

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参考文献
伊藤慎二「後北条氏小机領における篠原城山城の位置」(『中世城郭研究』20号、2006年)
中澤伸矢「篠原城・新知見の新横浜駅脇の城」(『城郭史研究』28号、2008年)
見学会資料・チラシ

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小田原城、長くなりましたが、とりあえず最後です。

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今回は、真ん中下の赤丸部分にある、早川口遺構をご紹介しましょう。小田原駅南口から天守を通り過ぎて、歩いて15分ほどで着くと思います。

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国道135号線沿いに入り口があります。現在は公園になっています。

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案内板もちゃんとあります。

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で、これがその遺構。「二重戸張」とも呼ばれ、ようは土塁と堀を二重に設けているわけです。最盛期の小田原城の西側の玄関でした。やっぱり相当な規模です。幅もかなりあるし、当時は前回見た大堀切並みのものだったのでしょう。すごい城ですよ…

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先ほどの写真の奥から逆に見た感じ。城のことをわからない人が見たら、なんだこれはと唖然とするんでしょうねぇ…
ちょっと土塁が崩れ、堀も埋まっているので、いまいちわかりにくいかもしれませんが…住宅街のど真ん中にまぁよく残りましたよね。どういう経緯で残すことができたのかも知りたいです。

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小田原城の遺構はまだまだありますが、最近撮ったデジカメ写真はこれだけなので、これで終了。最後に、江戸時代の小田原城主大久保家のお墓を見学しましょう。大久寺というお寺で、早川口遺構から歩いてすぐです。

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これがお墓。

これにて小田原城の紹介は終了です。ちょっと長かったでしょうか…


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チリの救出劇、感動的ですね…。

さて、小田原城、続きです。今回は、北条氏時代に築かれた総構(そうがまえ)といわれる大外郭の一部をご紹介しましょう。小田原城の一番の見どころは、実はココだと思っています。

豊臣秀吉が北条氏を攻めようとするなかで、北条氏は城下町まるごと囲むような、周囲10km近くある大外郭を築きます。現在ではほとんどが消滅してしまいましたが、実はこれが部分的に残っています。なかでも、特に残り具合が素晴らしいのが、小田原城北西丘陵に位置する「小峰御鐘の台」に残る大堀切です。とにかく素晴らしいの一言。圧巻です。

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場所は、左上に赤○をした部分です。左下の赤丸は次回紹介する早川口遺構です。小田原駅北口から坂道を歩いて15分ほどで、城山公園に着きます。その公園の西端にあります。

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案内板もあります。大堀切が三本もありまして、西堀は私有地で見れないのですが、中堀と東堀が見れます。特に東堀がものすごいんです…

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東堀の土塁。この土塁だけもものすごく分厚くて高い立派な土塁なんです。こんなのが何百mも続くんですから…

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標柱も立ってます。

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で、これです!私ももう何回見に行ったことか、という感じですが、見るたびに、やっぱりこれはすごい!と思わせる、圧倒的な巨大堀切!

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ここから堀底にも入れますが、迂回して中堀にも行きましょう。中堀は舗装された道路になっているので破壊されてますが、それでもその雰囲気がよくわかります。

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ここが、中堀と東堀の結節点。本来はここも堀切となって繋がっていたようですね。ここからもちょっと急斜面ですが、東堀の堀底に降りることが出来ます。楽して入りたい方は、先ほどの場所から入った方が安全で無難です。

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これが堀底です!先ほどの入り口方面・北側を撮ったところ。すんごいんです、とにかく。

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東側斜面から撮ったところ。真ん中左側に人が写っていますが、そこが先ほどの結節点のところです。ものすごいです…

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今度は逆に南側を撮ったところ。奥に人が写ってますが、その大きさ・規模がおわかりでしょう…写真も大きくしてみました。

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もういっちょ堀底。先ほどより南側に進んで行きました。

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東堀はこの部分で九十度曲がってさらに南に続きます。その部分。横矢ってやつですかね。

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さらに進んでいくと、道路に出ます。ここからの眺めがまた絶景!左に相模湾、右側の山は石垣山一夜城です!

何回見ても感動です、これは。天守閣とかなら好きだけど、城跡や山城まではちょっと興味ないな…という方でも、この巨大堀切には感動すること間違いなしでしょう。


まだ続きます…


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小田原城、続きです…

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縄張図。『歴史群像名城シリーズ 小田原城』(学研、1995年)から引用。こんな感じのルートで見ていきます。

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小田原城天守に到着!この角度はお決まりの撮影ポイントです。

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いろいろな角度から…。巨大です。しかし、電線、なんとかならないもんか…

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天守への階段から見た本丸内部。ミニ動物園があったりするんですが、人気者だった象のウメ子が最近亡くなり、大きなニュースになってました。

天守最上階からの絶景は、以前紹介しました。こちら↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/26145579.html

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で、その最上階から見た「八幡山古郭東曲輪歴史公園」。つい最近オープンした公園で、北条氏時代の小田原城の曲輪です。マンションが建てられそうになったのですが、地元の保存運動が功を奏したとか。詳しくは↓↓
http://www.geocities.jp/odawaranokeikan/

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線路の上を通る橋を渡っていきます。下はこんな感じ。崖ですね…

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上に登るとこんな感じ。この登りが結構キツイ…。特に何もありません(笑)

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あるのは、この解説板のみですが…

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こんな感じで、これまでとは違った角度から、小田原城天守の姿が拝めるところが良いです。この角度、なかなか今までは撮影できなかったので、小田原城ファンの方は頑張って登るべしです。日テレのお天気カメラの角度に似てますねぇ。

さて、次回は、北条氏時代の遺構をさらに紹介していきます。


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