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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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城郭探訪、今回は、個人的に最近、何かと縁が深くなってきた、神奈川県は相模原市にある、関東有数の戦国期山城、津久井城です。以前、「城跡から見た風景」の第1回目で取り上げました↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/8072705.html

津久井城は、鎌倉時代に築城されたとの伝承がありますが、現在残っている姿は、戦国時代のものです。戦国時代前半の大永年間、まだ小田原の北条氏が進出するかしないかの頃に、内藤氏という人がここの城主だったことが確認されています。内藤氏は、その後ほどなく北条氏の傘下に入り、津久井領を支配する領域支配者となります。津久井地域は甲斐との国境なので、絶えず「境目」の城としての役割を果たしていました。天正十八年の小田原合戦で落城し、廃城になったようです。麓の一部は陣屋として近世にも使用されていました。

それでは、スタートしましょう。城跡は現在、神奈川県立津久井湖城山公園として整備されつつあります。麓にはパークセンターがあり、津久井城に関する資料が展示・配布されています↓
http://www.kanagawa-park.or.jp/tsukuikoshiroyama/

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まずは、城外にある、内藤氏の菩提寺「巧雲寺」です。ここには、最後の城主・内藤景豊の墓があります。ただし、この景豊さん、どうも架空の人物のようで、史料には出てこないんです。最後の城主は綱秀・直行父子が正しいです。

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パークセンターを通って裏手に行きますと「御屋敷」に出ます。広大な空間です。八王子城の御主殿と同じくらい、それよりやや広いくらいでしょうか。ここは、一応伝承だと内藤氏の屋敷があったとされています。発掘でも16世紀後半の遺物が出ています。近世の陣屋もここに置かれたようです。二枚目の後ろの山が、山城部分(本城曲輪)です。

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「御屋敷」から「本城曲輪」に至る「大手道」とされる、現在では登山道になっていない、マニアックな道を登っていきますと、中腹に「タイラク主水」という曲輪があります。古絵図にそう名前が書いてあります。公園の方に聞いたところ、タイラク(平子?)という苗字の人が昔、麓の方にいたそうなので、子孫なのかもしれません。また、「タカナリゴンベエ」という大声を出す武士がここの門番をしていたという伝承があるそうな。二枚目の写真のように、一部、石積みらしき形跡があります。木が無ければ相当見晴らしは良いでしょう。

次回は、発掘された本城曲輪周辺部です!

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