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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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今回は、埼玉県は小倉城へ行きます。比企郡ときがわ町にある、戦国時代の山城です。比企郡のお城と言えば、嵐山町の杉山城が有名ですけど、この小倉城もよく残っていて面白いお城、謎のお城なんですね。

いつ、誰が築城したのかは、よくわかっていません。伝承、及び山麓のお寺の関係で、戦国大名北条氏の家臣・遠山氏という人がいた、と云われていますが、はっきりした史料はありません。最近、発掘調査が進み増して、15世紀から16世紀後半までの遺物が出土しているとのことなので、北条氏がいた頃に存在した可能性は高くなっています。

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小倉城の測量図。石川安司「石造りの山城 小倉城」(『戦国の城』高志書院、2005年)より引用。結構な山城です。ただ、図面右下の道まで車道が通っているので、車さえあれば比較的行きやすいお城です。方角は、下が真西、上が真東です。

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小倉城遠景。東側の車道から撮ったものです。こちら側からも登れるそうですが…

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小倉城入口。先ほどの車道を走っていくと、小倉城の方に入る入口がありまして、そこを進んで行くと、ここに到着します。案内板もちゃんとあります。

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先ほどの入口から細い山道を進んで行くと、すぐに分岐点に出ます。そこに、こんな感じで石碑があるので、この道を登って行きます…。最初の測量図のちょうど右下の道ですね。

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登っていくと、すぐに郭4の虎口に到着。郭側から見た写真です。測量図の郭4の下部分、丸が付いている部分ですね。昔は、石積みの虎口となっていたようです。

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郭4の内部。内部に段差がありますね。よくわからない形をしているような印象を持ちました…

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郭4と2の間の空堀。測量図だとわかりにくいかもですが、クランクになっています。

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郭4南側の竪堀。先ほどの空堀が、この竪堀へと続いていきます。堀を渡って…

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郭2に到着。郭4より一段高くなっています。

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郭2と1の間の堀切。谷を利用したものでしょうかね。ただ、岩盤を削ったような跡もあります。ここを道が通っています。

次回は、郭1へ行きます。

場所は、ここです↓↓

詳しい地図で見る

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お城好きにはたまらない中世城郭、杉山城。この杉山城をめぐって、「杉山城問題」と呼ばれる大きな論争が、起きています。2008年3月14日付けの読売新聞でも大きく取り上げられました。

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ちなみに、「杉山城問題」に関して、私、昨年に、江戸東京博物館の「えどはくカルチャー最先端城館研究」という講座でお話させて頂きました。画像はその時のです。無断掲載まずかったら削除しますので、お知らせ下さい…。

何が問題になったのか、一言でいうと、こんだけ複雑で素晴らしい構造のお城なのに、古文書に登場しない謎のお城だったんです。でも、この縄張なら、上杉謙信・武田信玄と並ぶ強大な戦国大名・北条氏が造った最新式のお城だろう、年代は永禄年間頃(1560年頃)だろう、とされてきたんです。で、みんなそれを疑わなかったんですね。かくいう私もそう思い込んでました。これだけのお城ですからねぇ。

ところが、最近発掘調査が行われたんです。そしたらナント!建物跡もロクになく、遺構面が1面だけなので造り替えた形跡なし、その1面の遺構面からキレイにまとめて出てきた遺物は、生活感がないものばかりで、15世紀末から16世紀前半、つまりは1500年前後のものだったんです!

ということは、1500年前後にこのあたりでドンパチやってた関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏関連のお城で、しかも機能したのはほんの一時期、つまりごく臨時的に造られた陣城のようなもの、と評価されることになったのです!

これは、今までの年代より50年くらい遡るため、歴史が全然変わっちゃって、常識が一気に覆ることになるので、縄張論と考古学との間で大論争となりました。これが「杉山城問題」です。

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考古学の言う通りになっちゃうと、今まで縄張構造から「北条氏関係の城だ」とか言ってたことが怪しくなるので、「縄張研究ってどうなの?」となる。逆に、ただ遺物が出ていないだけで、考古学ではお城の縄張構造の年代はわからない、「考古学ってどうなの?」という話になる。だから、両者ともに様々な議論がされているんです。

ところが、無かったはずの関連史料が、遂に発見されたんです。

●足利高基書状写(『戦国遺文』古河公方編、606号、山田吉令筆記所収家譜覚書。なお、史料を実見のうえで一部翻刻の誤りを直しました)

椙山之陣以来、相守憲房走廻之条、神妙之至候、謹言
   九月五日       足利高基ノ由
                   花押
         毛呂土佐守殿

これにはっきりと「椙山之陣」と出てきます。細かい点は省きますが、これは1520年前後の古河公方・足利高基の手紙で、山内上杉憲房という人が杉山に在陣したことがわかります。この時、築城されたのが杉山城だと、つまり山内上杉憲房が築城したと考えられる訳です。これは、縄張論ではなく、上記のような考古学の成果とほぼ一致することはおわかりでしょう。

という訳で、やっぱり16世紀前半の上杉氏のお城でいいんじゃない?という文献史学・考古学の説と、いやいや、これだけ複雑な縄張でそれは考えられない、という縄張論の説が未だに対立している状況なんです。もちろん、それぞれの議論に限界・弱点があるので、今後はどうやってそれを乗り越えていくか、これが大切になってくると思います。

どうです、面白いでしょ?同じ杉山城というお城を見ていながらも、これだけ見方や評価が全然違うんですね〜。歴史研究の面白さはこういうところにもあります♪こんな感じで、お城はまだまだわからないことだらけなのです…

さて、皆さんはどう思いますか??

*注記
他にも、「杉山長尾」と書かれた系図史料が発見されました。これもやはり15世紀後半から16世紀前半の山内上杉氏家臣の長尾氏一族のことを指すようです。なので、杉山長尾氏というのが杉山城にいたのではないか、とも考えられます。ただし、系図なので信憑性の問題があることと、発掘調査の成果(特に臨時的な陣城という評価)と齟齬をきたすため、可能性にとどまります。なので、現在は上記足利高基書状写をベースに議論が進んでいます。いずれにせよ、戦国時代の前半であることは変わりません。ここが重要な部分です。


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参考文献

・埼玉県立歴史資料館編『戦国の城』(高志書院、2005年)。
・拙稿「戦国前期東国の戦争と城郭―「杉山城問題」に寄せて―」(『千葉史学』第51号、2007年)。
・齋藤慎一「戦国大名北条家と城館」(浅野晴樹・齋藤慎一編『中世東国の世界3 戦国大名北条氏』高志書院、2008年)。



■この記事もだいぶ古くなってしまいました。基本的な内容は変わっていませんが、この後に以下の論文を出しましたので、最新の見解としてはこちらの方をご参照ください。

・「その後の「杉山城問題」―諸説に接して―」(『千葉史学』第60号、2012年)
・「城郭研究の現在」(『歴史評論』787号、2015年)
・「城郭研究を揺るがした「杉山城問題」とは!?」(渡邊大門編『戦国史の俗説を覆す』柏書房、2016年)
・「南北朝〜戦国前期の「陣」について」(『東北学院大学論集 歴史と文化』第55号、2017年)

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杉山城の続きです…

もう一度縄張図を出しておきましょう。
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北三の郭北二の郭間の空堀。これもよく残っているけど、そんなに大きくないんですね〜。

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北二の郭の虎口。縄張図を見て欲しいのですが、北三の郭北二の郭は堀によって遮断されているため、北三の郭から北二の郭へ入るためには、左→下→右と曲がるようになってます。このように、郭の前方を堀で遮断して、進路を側面に迂回させて造る虎口が比企地方のお城に多いようで、縄張研究ではこれを「比企型虎口」と命名しています。

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北三の郭は造成がかなり不十分で、現在でもだら〜んとした曲輪です。今回は飛ばして、本郭に行きます。本郭北側の土塁上から見た本郭内部と、城跡碑です。まずまずの広さですね。

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東二の郭から見た、本郭東側の堀と外郭方面。見事な曲線を描いてますね〜。実に美しい!

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本郭土塁上から見た、東二の郭東三の郭。これも見事な残り具合!城ですね〜。

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本郭東側の堀と虎口へ登る道。ここの虎口から石積みが発見されています!

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南二の郭東虎口。これがすごく小さくて狭い!子どもの遊び場かと思うくらい。これも1人2人通れるかどうかですね。

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南二の郭から見た本郭。郭はやや斜めになっていて平らではありません。それに、本郭までの高さや距離もあまりありません。石でも投げれば簡単に届いてしまうでしょう。

杉山城をご存知のない方もいらっしゃるでしょうけれど、こんなにキレイに中世の城跡が残っているのは滅多にありません。「中世城郭の教科書」と云われることもよくわかります。本当に、よくぞここまで残しておいてくれたものですね!

杉山城がいかに素晴らしい城跡か、ご理解頂けたかと思います。ところが、というのも変ですが、この杉山城、最近の城郭研究・歴史研究の学界において、大問題となっているお城なんです。次回は、そのことについて、お話したいと思います!


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城郭探訪、2回目は杉山城です。もう杉山城か、と思われる方もいらっしゃると思いますが(笑)、今一番書きやすいお城なので、書いちゃいます。

中世城郭ファン(特に関東在住の方々)なら誰もが知っているといっても過言ではないのが、この杉山城です。関西方面の方はあまり知らないかな…。とにかく、縄張が異常に凝っているんですね。縄張図を御覧下さい。

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ずいぶんとよく出来た縄張だということがおわかりになるのではないでしょうか?随所に配置された曲輪は横堀に囲まれ、馬出もあり、側面に迂回させる虎口もあり、規模はそれほどですが、とにかくチョコマカしているんですね。実際に見に行くと感動モノです。杉山城は、3回(予定)にわたってご紹介、検討してまいります。お付き合い下さいませ…

では、早速探訪してみましょう。池袋から東武東上線急行に乗って1時間…武蔵嵐山駅で下車、徒歩45分くらいです。歩くとかなりあります…

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積善寺・玉の岡中学校が目印です。遠景はこんな感じ。

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入り口はこんな感じ。ちょうど花がキレイに咲いていた時でした…

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早速、外郭の空堀がお出迎えしてくれます。結構小さいです。

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馬出郭(左)と、南三の郭へ入る土橋も、こんなにキレイに残ってます。しかし、馬出郭もこの土橋も堀も、みんな小さいんですよね〜。

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外郭から馬出郭へ渡る橋の上から見た、実に美しい南三の郭の堀。ホント、すごくキレイ。

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南三の郭の、長〜い横堀。ず〜っと続いてます。

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上の横堀沿いに西側を進み、井戸郭を過ぎると、本郭西側に出ます。その本郭西側の堀です。これも堀が描く曲線が実にキレイですね〜。またこの右側の堀沿いの通路が異常に狭いんです。2人横には並べないかな…

次回も遺構の紹介をし、三回目に最近話題の「杉山城問題」について考えます。


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