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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、発売です!

書庫L千葉県の城

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坂田城、続きです。今回は本丸・二の丸を見ていきます。

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二の丸の虎口と土橋。非常によく残っています。奥が二の丸になりますね。

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上の写真の右側(西側)に続く堀。キレイに残っています。塁線の折れも見事です。

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こちらは左側(東側)の堀。

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二の丸内部。

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二の丸から本丸へと至る土橋。奥の虎口は、両側の土塁が張り出していて相横矢になっています。とにかく、この城は相横矢が多いですね。

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上記土橋の右側の堀。

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左側の堀。

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そして本丸に到着。

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土塁で囲まれています。

このように、とにかく異様に広大な城なのです。しかも、この坂田城だけでなく、飯櫃城や大台城など、この地域にこういう広大な城が複数あるんですね。まったくもって意味不明です。とても一国衆である井田氏の居城とは思えない規模です。もちろん、北条氏の影響もあるんでしょうけど、それにしても一つの曲輪が広大過ぎて、どう使うのか、わからないのです。お城って難しいですねぇ。

それはともかく、非常に残りもよくて面白い城です。オススメです。


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千葉県の城、行ったっきりアップしていない城がまだまだありましたので、ざっとアップします。今回は、あまりにデカすぎる城として有名な、坂田城です。以前アップした大台城といい飯櫃城といい、なぜかこの地域にはデカイ城が多いのです。戦国時代、この辺を支配した井田氏という国衆の居城でした。

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坂田池公園から見た城跡。

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現地看板の縄張図。台地全体が城跡で、一つ一つの曲輪がとても広いのです。しかも坂田城は大台城や飯櫃城と違って、横矢が随所に見られるなど非常に技巧的な縄張になっています。特に主郭と三の丸の虎口は相横矢になっていて、素晴らしいです。

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まずは「三の丸」。梅林になっているのですが、これが実に広大な曲輪になっています。一体何千人立て籠もることが出来るのやら・・・

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で、これが「三の丸」の相横矢になっている虎口です。両脇の塁線が張り出しているのですが、藪でわかりにくりです。

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その虎口の横堀。正面が張り出し部分だと思いますが、この写真じゃさっぱりです。現地に行けばわかります。

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で、これが確か「四の丸」です。ここが「三の丸」より広い、最大の曲輪ですね、とにかく広い!!

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これは「四の丸」の虎口だったと思います。ここは平入り虎口ですが、両側を分厚い土塁で固めています。小字は「枡形」というとか。当時は枡形だったのかも。

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「四の丸」虎口を出て右側(東側)にある堀だと思います。

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これもその続きだったはず。

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これもそうですね。

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これもそのはず。西側の堀かな。このあたりは非常に複雑に堀と土塁が配されています。

続きます。

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1年前に訪れておきながら、すっかりアップをするのを忘れていました、千葉県の岡本城です。以前、先に「城跡から見た風景」のコーナーでご紹介しております↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/30476982.html

岡本城は房総里見氏の居城として有名です。最近「里見氏城跡」として稲村城跡とともに国指定史跡になりました。今後調査・整備が進むことでしょう。

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縄張図(というか測量図)。千葉城郭研究会編『図説房総の城郭』(国書刊行会、2003年)より引用・加筆。登り口は複数ありますが、今回は図示したところから階段を登って行きました。非常にわかりにくいと思います。

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これが登り口。大通りから脇に入ったところにあります。

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そんなに高い山ではないので、数分で主郭に到着です。これは虎口でいいんですかねぇ。

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これが主郭の「C」。

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「Ia」方面に行きます。奥にあるのは城跡碑。「Ia」はやせ尾根になっていて、物見台といわれています。そこからの眺めは以前ご紹介した通りです。

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これが「Ib」と「供廚鯤ける大堀切。

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これは「供廚函岫掘廚鯤ける大堀切だったような。

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で、この「掘廚遼迷斜面に石垣「A」があります。これが思った以上に見事な石垣!房総の城には案外石垣があるのですよね。

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さらに北側に降りていくと、水堀とされる「B」があります。

だいぶ改変されてしまっている箇所も多く、あまり整備されていないのですが、よくよく見るとなかなか面白い城です。

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千葉の城、続きです。今度は、飯櫃(いいびつ・いびつ)城跡です。

この城は、前回の大台城のすぐ近くにある城なのですが、これまた異常にデカい城なのです。大台城は井田氏の居城でしたが、この飯櫃城は山室氏という国衆の居城だったといわれています。しかし、正直井田氏も山室氏も小規模な国衆でして、なんでそんな人たちがこんなにデカい城を造るのか、よくわからんのです。

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飯櫃城跡への入り口。県道290号からちょっと入ったところにあります。比較的わかりやすいです。正面と右側の民家があるあたりが「根小屋」地名です。城跡入口は写真左です。

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その入口には、城跡碑があります。城跡碑があるとないとでは雰囲気が違いますね。個人的には城跡碑があると嬉しいです。

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縄張図。「根小屋」から「城ノ内」へと入っていきます。

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登っていくと、「第2郭」の中に入っていきます。左側に、「主郭」の堀と土橋が見えてきます。これが土橋。

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「主郭」内部。畑になっていますが、これまた広い。

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土橋から東側の「主郭」をめぐる堀を見る。この城跡は堀がよく残っていて、見ごたえがあります。

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逆に西側の堀。なかなかいいですね〜

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土橋から見た「第2郭」。

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「第2郭」の奥の方。すごく広いです。

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「主郭」西側の堀。ここもいい感じで残っています。

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「第2郭」西側の堀。ここもデカイ堀です。

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「第3郭」。この先に「大堀切」という地名が残っていますが、城に関係する地名なのか、ただ単に谷になっているからなのか、わかりません。

一小規模国衆の居城とはちょっと考えにくいですね、かといって大名間戦争に使用された拠点城郭なのかというと、それも微妙です。たしかに、北条・里見・千葉などが争った場所ではあるものの、そこまで大規模な戦争があったわけでもないですし…。謎です。


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城郭探訪、千葉の城の続きです。今回は大台城跡をご紹介します。

大台城跡は、この地域を支配した国衆井田氏の居城として有名です。小田原合戦の時に作成された「北条家人数覚書」にも「大台の城」とあることから、天正18年(1590)時点でも存続していたことは確かなようです。その前後のことはよくわかりませんが、永禄年間頃の史料に、井田氏に宛てて「大台 参」とあることから、永禄年間(1560年頃)に大台城は既にあったといえそうです。

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全景。この城がまたやたらにデカいんですよ。

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縄張図。『芝山町史』から引用。上の全景写真は、図の右側から撮ったもの。

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城跡の麓は民家が立ち並んでいて、「根小屋」や「宿」地名が残っているという話だったような。バスが通る道路もあり、車さえあれば行きやすいです。で、その道路沿い、民家の間に挟まれた道から登っていきます。

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登っていくと、道は「主郭」と「第2郭」の間の堀の中を通る形になります。それがこの道。堀の跡の感じがしますね。

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「主郭」に到着。今は特に何もないです。ただ、広い。

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「主郭」の東北隅っこの部分。ここからの景色は多少よいのです。

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こんか感じの景色です。上空にはひっきりなしに飛行機が飛んできます。

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「主郭」と「第2郭」の間の堀。さっきの部分は道路になって破壊されていましたが、西側の部分はわりと残っていて、城だなと感じさせてくれる貴重な遺構です。

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「第2郭」。ここも広いです。だだっ広い。

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藪の中を降りて行って、「平場A」に。まったくわかりませんね…

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「虎口B」。これもまったくわかりませんね…

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もどって「第2郭」と「第3郭」の間の堀。ここもまずまず残っています。

このへんの城は、こういう感じで、やけに広くて、ずいぶんと大ざっぱな造りの城が多いです。土塁もほとんどないですね。なので、あまり「城っぽくない城」が多くて、見に行ってももう一つピンとこないんです。もっと細かく曲輪取りをしていいはずなんですが、なんでこんなに広大な曲輪にするのだろう…どうやって守るのだろう…


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