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大野田城、続きです。 これも「1」の曲輪。南側を見ているところ。奥に土塁と「2」の曲輪があります。 これは「2」か「3」の曲輪ですね…どっちだろう。 これが「4」の曲輪かな… で、これが「4」の南側にある堀切。図面では大きく立派な堀切に見えますが、実際にはだいぶ埋まっていて、ほとんど堀切らしい形をしていません。よくよく見ると、まあ堀切かなあと思います。 「4」の西側の斜面下にある堀切。画像の真ん中です。図面でも竪堀が2つ描かれていますが、それです。これも上から見ると堀切だなあと思います。 「4」からさらに南に下っていきます。 この図面には描かれていませんが、竪堀らしきものもありました。 で、ここが最南端の古道と登城道がぶつかる交差点の部分。お墓がありまして、昭和10年代のものもありました。すぐ近くにあった大野田の集落に関係するものでしょうか。 これが古道。しっかり道になっています。おそらく、こちら側が大手道になるんだと思いますが、よくわかりません。 戻ります。こんな景色も見えます。2枚目は隣の長者山です。 何とか無事に踏査を終えました。図面から想像するに、もうちょっとハッキリ遺構が残っているのかなと思ってましたが、現地を見てみるとそうでもなかったですね。 で、こんな山奥にあってほとんど知られていない城なのですが、意外にも史料に登場するのです。それによって、この無名の城の歴史も徐々にわかってきました。それについてはそのうちご紹介したいと思います。 |
L長野県の城
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大野田城、続きです。図面は「その1」に掲げています。 これが「5」の曲輪の北側。たしかに、きちんと削平されている感じです。 その北端には堀切が。これはキレイに残っています。でも写真じゃちょっとわかりにくいですね。 「5」の南側。このへんはデコボコしていてあまり削平されていません。 さらに南に向かって中心部の方へ行くのですが、ここが幅1mほどの長細い土橋状になっているのです。せいぜい人が行き違うくらいしかできません。 で、ここが図面でいう竪堀「エ」が入って道が屈曲している部分です。土塁状のものもあり、意図的に道を曲げている感がありました。 さらに進みます。細い道です。左上が主郭部になります。上からこの道が見下ろされているんですね。 ここ、微妙に堀状になってますが、どうもこれが図面の「イ」の堀切になるようです。現地で見るともう少しわかりやすいんですが。 さあ、だんだん撮影した本人が、どこの写真だかわからなくなってきました(笑)これは、おそらく「イ」の堀切を上から見たもののはず。だいぶ埋まっているんでしょうね。小規模にも思えますが、当時は大きかったかもしれません。 人が立ってますが、これが主郭である「1」の南にある小さい曲輪の土塁です。本当にわずかな土塁ですね。 これが主郭「1」。ここも割ときれいに削平されています。あ、ちなみに「2」の方を主郭とする説もあります。正直わかりません! まだまだ続きます。 |
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ワケあり城郭探訪、今回は秋も深まる信州のお城、大野田城をご紹介します。 大町市美麻(旧美麻村)にある山城で、大変山深い場所にあります。一応近くまで県道が通っているので、車があれば比較的訪れやすい城ではありますが、対向車とすれ違えないような道路ですし、かなりの山奥です。このお城を訪れた人は、今まで何人いるのでしょうか。ほとんどいないのではないでしょうか。それほど、ほぼ無名の城といえるでしょう。 そんな大野田城ですが、本ブログでもご紹介している『信濃の山城と館』には、ちゃんと縄張図と解説が掲載されています。宮坂さん、本当に恐るべし…。もうお一方、縄張図を描いていらっしゃいますので、現在2点の縄張図が発表されております。その歴史も、少しずつ判明してきました。 おそらく、もう2度と行かないお城でしょう。ですから、ケチせずに、撮った写真をたくさんアップしたいと思います。 これが宮坂図。『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館』7巻 安曇・木曽編から引用・加筆。左上の道が県道でして、その脇から登っていきます。といっても登り口はヤブだらけで、大変わかりにくいですし、谷が入り込んでいて道が狭く、危険です。 県道越しに見た大野田城。大町市街地方面から旧美麻村方面へ行き、県道393号に入ります。県道と言っても狭い山道。対向車が来たら終わりです。1枚目が大野田城のちょうど主郭周辺でしょうか。2枚目は、右下に尾根が下っていますが、これが大手道と考えられていて、旧大野田集落を通る峠道に合流します。図面の一番下の道が交差するところですね。 図面の「境野」の書いてあるところに若干の駐車スペースがあります。ここの石碑があります。道しるべのようですね。「このさき〜道」ですかね、読める人教えてください。 駐車スペースと登城口はこんな感じ。右に人がいますが、そこが登城口になります。 さらにわかりやすく。ちょうど紅葉しているところの下に道が隠れています。すぐ右下は谷になっていますので、道は細くて危ないです。 登城口から細い道を藪濃きしながら歩くと、すぐに道がしっかりして開けてきます。こうなると安心。でも、熊が出やすい場所柄、熊鈴を付けながらの登城でした。 こんな道をどんどん登っていきます。 で、ようやく尾根上に出ることが出来ました。図面の細長い曲輪「5」があるところですね。この写真は、ちょうど「5」に入る虎口のようなところです。 上から見たところ。まったくわかりませんね(笑) 図面にもあるように、この周辺には段々状の細長い削平地がいくつかありました。 図面の「5」から右下に細長い道が出ているのがわかると思いますが、これも旧大野田集落へと通じる道みたいです。このようにはっきり残っています。 まだまだ続きます。 |
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松代城、続きです。 本丸には天守台があります。結構大きいです。天守台からは周囲を一望できます。またこの周囲に何にもないので、よく見渡せるんです…。天守自体は造られなかったようですが、櫓が建ってました。 天守台から本丸内部を見る。太鼓門が見えますね。 天守台から北側の曲輪を見る。塀やもう1つ櫓門=北不明門が復元されています。 東方向。山々が美しいですが、左側のボコッとした山は、川中島の戦いの舞台の一つ、尼飾城跡のようです。 北側の遥かかなたには、妙高山などが見えます。 これが北不明門。本丸の門が二つとも復元されているなんて。 外側から。なかなか趣がありますな〜 小さい門とセットになってます。 全体的にはこんな感じ。 外側から見た天守台。こう見るとなかなか立派です。 北側にある新堀。さらに北側には千曲川が流れています。 本丸西側の石垣と堀。奥が天守台ですね。 ごく簡単なご紹介でした…。他にも真田宝物館や旧真田氏邸、藩校・文武学校もありますし、武家屋敷も所々に残ってます。近代の松代大本営跡も。落ち着いた城下町で、とてもいいところです。 |
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3月に行った、松代城をご紹介します。本当は細かく解説付きでアップしたいのですが、時間かかってしまうので、簡単に現況紹介ということで… 武田信玄が永禄年間に築城した海津城、川中島の戦いの舞台でもありますが、その海津城=松代城です。江戸時代は真田氏の居城として有名ですね。藩主真田氏ゆかりの史跡や城下町の風情がよく残っていて、私もこれで3回目だったと思いますが、何回行っても面白いところです。 じきに廃線になってしまうという長野電鉄屋代線の松代駅の真裏が本丸で、公園になっています。長電は長野駅からだと遠回りで全然走っていないうえに、電車賃かなり高いので、いつも長野駅からバスで行ってます。途中、川中島も通ります。 で、これが本丸南門跡と、奥が太鼓門です。近年復元されました。昔は本当に何もなかったんですがね〜だいぶ雰囲気が変わりました。 松代城の鳥瞰図。公園に入ったところにあります。三日月堀などは失われていますが、本丸は整備されたので、わかりやすいです。 太鼓門入口まで来ました。小さい門は橋詰門というそうで。朝と夜は園内に入れないようです。あまり朝早く来過ぎても入れませんよ(笑) 左右両方の水堀。これも昔は荒れ果ててましたねぇ。 太鼓門。典型的な枡形虎口になってます。人がいなくてゆっくり見学できました。 本丸内部に突入です。内側から見た太鼓門。 本丸内部には城跡碑もあります。 続きます… |







