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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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城郭探訪、長野県の第2回目です。今回は、もう3年前になりますか、上田市の塩田城というお城に行きましょう。

上田駅から上田電鉄というローカル線に乗って別所温泉に行かれた方も多いのではないかと思いますが、別所温泉周辺は、中世は塩田荘と呼ばれる荘園で、鎌倉幕府の執権・北条氏ととても深い関係がある地域でした。その荘園を見渡すかのような山に、塩田城はあります。鎌倉時代の塩田氏の館は、麓にあったようです。

戦国時代に、この地域の有力領主である村上氏の城として築城されたようで、その後、武田信玄が攻め落とし、武田氏の属城となります。おおよそそんな感じの城ですが、武田氏関係の文献史料にもたびたび登場して、個人的な興味があるんですが、どうもぱっとしない、不思議な城、という印象を持っています…。

イメージ 1

塩田城入口には、城跡碑が!やっぱ城跡碑があると、当たり前ですが、城に来たなぁとしみじみ思います。

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看板も建ってます。これを見てもおわかりかと思いますが、どういう構造の城なのか、よくわかりません…いまいち城っぽくないような…

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坂道を登って行きます。夏に行ったので、草ぼうぼうで、蚊の攻撃を受けつつ、取りあえず見どころである虎口までは…と頑張って登りました。
ほぼまっすぐに道があって、その両側に段々状の平場がいくつもある、という感じなのですが、城というより寺院のような雰囲気です。

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登ること10分くらいで、「虎の口」と呼ばれているところに出ます。ようは虎口なんでしょ。開けた曲輪になっていて。真ん中に低い石垣があって、曲輪を2つに仕切ってあります。この仕切りの石垣のおかげで、連続枡形虎口状になっているんです。写真じゃわかりにくいでしょうが…右から登ってきて、石垣にぶつかって、左下方向に曲がる、ということですね。

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反対側から虎口を見たところ。さっきのように進むと人が立っている部分に出るわけですが、そこから、画像で言うと今度は左に曲がり、また手前に進む、ということです。枡形の空間が2つあって、合計4回曲がってさらに上に登っていく、そんな感じです。

で、この辺から麓にかけての部分は、だいぶ前に発掘調査をしているそうで、この仕切りの石垣も、どうも戦国時代前半の村上氏の頃のもの、と推測されているんだとか…本当か…。今の中世考古学の研究水準から見直してみる必要がありそうな…

ともかく、こんな構造をした虎口、しかも石垣で仕切られている虎口、なんて、ちょっと他に見たことがありません…本当に戦国の城の遺構なのか…。謎の城です…

イメージ 7

で、この虎口奥に、古井戸が残っています。ここで蚊の大群に襲われて早々に引き返しました…。遺構はもっと上にもあるそうです。が、いわゆる本丸はどこに当たるのかもよくわかりません。最高所の曲輪がそうなのか…にしてもパッとしない。周囲の山にも砦跡があるように描いてありますが、それは一体なんなのか…。

この虎口の部分はさておいて、下の方の段々状に続いている遺構は、城じゃなくて寺院なんじゃないの?と邪推してみたり…。寺院も城郭化することがありますが…

真夏に行った、ということもあるんでしょうが、とにかくよくわからん城です。出土品は、近くの「塩田の館」という施設に若干展示してありました。報告書をよく読まないと、わからん。

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ちなみに、ここ塩田・別所温泉は、「信州の鎌倉」と云われるだけはあって、国宝・重要文化財が集中しています。塩田城のすぐ隣にある前山寺にも、室町時代の立派な三重塔が残っています。あわせてどうぞ。


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城郭探訪、今度は長野県に参ります。このブログでも表紙などで度々扱っていた、長野県千曲市、戸倉・上山田温泉にある戦国の山城、荒砥城です→http://www.chikuma-bunka.jp/joyama/index.html

この荒砥城、何がすごいって、戦国の山城の姿をリアルに復元しているんですね。ついこの間まで、中世の城跡に偽天守閣を造ることが行われていましたが、最近はこんなふうにそれなりの時代考証をして当時の姿に近づけようという努力をしているところがとても多くなってきました。そのこと自体は、とても喜ばしいことと思います。

まぁもちろん、この荒砥城も、こんなに石垣で固められていた訳じゃないでしょうし、建物もあくまで推定による復元であって、これが真実の姿と思いこんでしまうことはちょっと待って頂きたいのですが、イメージの形成にはかなり役立つものかと思います。

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荒砥城入口。結構高い山にあります。山腹にはいろいろと観光施設などがあり、さらに上にあります。車がないとかなりキツイですね…
この城、歴史的にもなかなか面白い城で、もともとはこの地方の領主、村上氏の家臣の山田氏の城だったそうです。その後、武田信玄と上杉謙信との間で争奪戦が行われるなどいろいろとありまして、武田氏滅亡後は上杉景勝の持ち城となり、近くの領主・屋代秀正が、海津城に在城しつつ、荒砥城の城主となります。

イメージ 2

城門。う〜ん、なかなか雰囲気はありますな…
続きですが、その屋代氏、天正十二年にあると、徳川家康に寝返ってしまうんです。それにキレた景勝は、荒砥城を攻め、あっけなく落城、その後はよくわかりませんが、歴史の表舞台には登場しなくなりました…

イメージ 3

門を入って進んでいくと、こんな感じ。柵と櫓がど〜んと目の前に!石垣やりすぎだな…

イメージ 4

曲輪内部。この建物自体はなかなか良いのでは。当時の絵画史料に登場するような感じの建物になってますんで、割と当時の姿に近いものがあると思います。配置や数は別問題ですが。雰囲気はいいですよね〜。

イメージ 5

櫓です。戦国の城といえば、こういう井楼櫓、というイメージもだいぶ広まってきたと思います。これもどこまで本当かわかりませんが、偽天守よりは全然いいですね(笑)にしても、雨だったんで、何にも見えませんでした…

イメージ 6

これは以前表紙で使った写真。これもなかなかいいですね。

イメージ 7

櫓の上から撮った風景。真ん中の急峻な山、これが村上氏の居城、葛尾城です。武田信玄を破ったことで有名な、村上義清の居城ですね。山の形がいかにも城って感じです。
雨だったので、この程度しか見えなかったんですが、晴れていたらこれは相当眺めはいいと思います。

このように、山城全体をまるごと復元しているので、戦国の城の雰囲気を味わいたい方には、オススメです!

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