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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、発売中です!

書庫L島根県の城

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皆様、コメントいつもありがとうございます!前回のを見ていると、ずいぶんと島根県関係者の方が見に来て下さったようで…。続きです。

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縄張図を再度。右上にある二の丸、本丸へと向かいます。

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二の丸。そんなに広くもなく、きちっと整形されている感じでもなく、いかにも山城の曲輪な雰囲気ですね〜。土塁はないようです。

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本丸の説明板。瓦葺きの櫓門などの建物跡が出てきたそうで。やっぱり関東の城とは違いますね〜。

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本丸。二の丸よりちょっと小さめの曲輪ですね。ここも土塁らしきものはないです。

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本丸の堀切。これは見た通り、見事な堀切です!冬に来ればもっとキレイに見ることができるでしょうね〜。この奥に、畝状竪堀群があるようなのですが、真夏で藪と蚊がものすごく、早々に退散しました…特に蚊がひどかった…

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七尾城は以上ですが、実は近くに七尾城の城門とされている門が残っているんです!それがこの医光寺の総門です。そんなのどうせたいしたことないんだろ…とか思って行ってみたら…

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こんな感じでちょっとリアルで驚きました!屋根は後世に付けたそうですが、門本体のこの雰囲気がいかにも…という感じじゃないですか?現物見ると、ホントかっこいいですよ。城門っぽい。これは納得。

次回は、益田氏の平時の居館とされている、三宅御土居に行きます!その前に、また他のお城紹介しますかね。

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埋まっていない城跡紹介のページを埋めていきます。今回は、関東から飛び出て島根県は益田市にある、七尾城と三宅御土居、さらには益田市内の史跡もめぐります。

訪れたのは、もう3年前ですか、飛行機に乗って石見萩空港に行き、レンタカーで益田市内へ。島根県の中でも有数の「都会」なのですが…東京に住んでいる身としては、石見ってものすごいところだなぁ…と…。山間部のすごさと言ったらありゃしない。本当に何にもない!道もかなり狭い!そしてものすごく深い谷だらけで、開けた場所が益田と迩摩くらいしかない!そして、人がいない!

石見国は、一国全土を支配するような大名がついに登場しなかった国で、ずっと国内各地に中小規模の領主が乱立している状況だったのですが、その理由がよくわかりました。これ、地形的に無理ですね。みんな迩摩を押さえようと必死になっているんですが、石見東部だと迩摩くらいしか開けていないんですね。益田と迩摩さえ押さえれば、この国の支配は基本的に成り立つんじゃないかと思いました

前置きが長くなりましたが、そんな益田を領していた益田氏の居城に行きました。益田氏はかなり歴史ある氏族で、近世は毛利氏の家老レベルにまで上り詰めます。古文書も大量に残っていて、東大から史料集が刊行されているなど、中世史研究において非常に重要な場所なんです。

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七尾城は市内中心部にあります。国指定史跡ですので、まずまず整備されてます。こんな感じの看板もありますし。

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縄張図。現在の姿は、おおよそ16世紀後半、毛利元就が石見に進出してくる頃に改修された後の姿といいます。その後、益田氏は毛利氏家臣となり、慶長5年(1600)、益田氏が毛利氏に従って萩に移り、廃城になったそうな。こんな感じで細長くて、堀切が数本ある、いかにもって感じの城ですね。

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城の比高はそれほどありません。数十メートルくらいですね。その中腹にあるのが「千畳敷」。この道を登るとまずまず広い曲輪に出ます。夏に行ったので、蚊と藪がすごくて大変でした…

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太鼓の壇。太鼓曲輪ですね。千畳敷の隣にある小さい曲輪です。これも藪だらけで撤退…

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厩の壇。その名の通り、ここに馬屋があったといいます。ここもそれなりの広さがある曲輪ですね。

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井戸。厩の壇の下にあります。馬釣り井ともいうそうな。厩と関わりがあるのだろうか。

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大手帯曲輪。二の丸西側下にある帯曲輪のことです。ここもいかにも城っぽい雰囲気があるところ。発掘調査により、倉庫のような建物跡が発見されています。

次は本丸へ行きます!

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