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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、発売です!

書庫L山梨県の城

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投稿方法が変わって、とても使いにくくなりましたね…不満です。そのため、今回は地図無しです。すみません。

さて、山梨県は都留市にあります、勝山城をご紹介しましょう。この城は、私も実は全然知らない城でしたが、結構すごい城です。ちょっともったいない城跡ですね。

この勝山城、実はまだ調査が始まったばかりでして、その歴史もよくわかっていないようです。いちおう、文禄3年(1594)に甲府城に入った秀吉家臣・浅野長政の家老・浅野氏重という人によって築城されたということになっていますが、どうもそれ以前の戦国時代から、このあたりの領主・小山田氏の城として築城されていた可能性が高くなってきたようです。川の対岸に谷村館という小山田氏の居館があるので、詰めの城としてあったのではないか、ということですね〜。

発掘調査も行なわれていて、公園化もされていますが、アクセスが非常に悪いです。特に車で行こうとすると迷います。駅は目の前なのに、川に挟まれた台地上で、道がすごく狭くわかりにくいです。でも、立派な城なんです。

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縄張図。ちょっと小高い丘のような感じです。整備されているので、登るのもそんなに苦労しません。

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川棚展望台。ここから富士急行線を眼下に見る事ができます。

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展望台の奥に行くと、こんな感じで。

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展望台からさらに登って行きましょう。

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三の丸。

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さらに登って帯曲輪。

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そして本丸に到着。

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本丸には東照宮が建っています。

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そして、本丸斜面には、なんと、こんなに立派な石垣が残っているのです!これがなかなかの迫力で、いいですよ!

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本丸よりさらに奥にも曲輪が続いていますが、一番奥には「御茶壺曲輪」という曲輪があります。そこの手前の堀切です(竪堀と書いてありますが、堀切ですよね…)。奥に見える曲輪が「御茶壺曲輪」です。

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さっきと反対に、御茶壺曲輪から本丸方向を見る。キレイな堀切になっています。この御茶壺曲輪、これは、江戸時代の谷村藩主秋元氏が、古城となっていた勝山城跡の中に造った曲輪とされています。なんなのかというと、江戸時代には、京都の高級茶・宇治茶を江戸の将軍に献上されていて、御茶壺道中として、途中途中にその御茶を保管する場所が造られました。その一つが、この勝山城跡内に造られた、ということなんです。ここで、宇治茶が保管されていたんですね。

都留市街地にある、都留市博物館には、この勝山城についての展示や資料がありましたが、まだ不十分ですね。まだ整備はこれからのようですから、今後に期待しましょう!モノはとてもいいので、もっと宣伝してほしいです。

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新府城、続きです。

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絵図を再度。

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二の丸からの眺め。南西側の釜無川方面を望む。「七里岩」と呼ばれる断崖絶壁になっています。対岸から見ると、岩山になっていて、要害堅固であることがよ〜くわかりますよ。

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ようやく到着、本丸!本丸もなかなか広いんですね〜。

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本丸からの眺め。信濃方面を望む。天正壬午の乱の時、家康はこのような景色を見ていたのでしょう…。

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本丸にある武田勝頼供養塔。他にも長篠の戦いで戦死した家臣の供養塔みたいなものがいくつかあります。これらは江戸時代かもしくは最近のものでしょう。

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本丸から、北側に山を下りて行きます。北側はそんなに目立った遺構はないんですけど、一応外堀とされるものが残っています。絵図の上の堀ですね。それがこれ。湿地帯?のようになっていて、往時は水堀だったのでしょうかね…。

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これも外堀なんですが、真ん中左から出っ張っている台地、これが「出構」と言われているものです。堀の中に横矢をかけるために出っ張らした施設なのでしょう。

ということで、新府城のご紹介を以上です。3回目はやるかどうか…考え中です。

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城郭探訪、今回はようやく山梨県の書庫です。韮崎市にあります、新府城を御紹介しましょう。

新府城は、かなり有名な城なので、そんなに説明は不要かと思いますが、武田勝頼が対信長の拠点として築城したものの、未完成のままあっけなく放棄された城とされています。天正10年(1582)3月の武田氏滅亡後、甲斐国は織田信長の領国になりますが、同年6月に本能寺の変が勃発、甲斐国は再び戦乱の巷となってしまいます。旧織田領国をめぐって、上杉景勝、徳川家康、北条氏直の3大名による争奪戦が勃発したんですね。これを、「天正壬午の乱」と呼びます。

この乱は、甲斐、信濃各地でドンパチしていたんですが、最終的にここ新府で北条軍と徳川軍のにらみ合いという形になります。そして、新府城はこの時、徳川軍の本陣として利用されたんです。よって、現在残る遺構は、基本的には武田氏時代と考えてよさそうですが、家康による改修も考えた方が良いようです。そこのところは、またおいおい。では、早速、レッツ・キャッスリング!

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新府城の登り口。JRだと中央本線の新府駅から歩いて行ける範囲です。ここを訪れたのはもう3年前?かな、その時の写真ですので、ちょっと古いですが、まぁたいして変わっていないでしょう。東京から日帰りで十分行けます。

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縄張図とか説明板とか。割としっかりと整備されています。さっきの入口の石段は、東側です。帯曲輪、南大手門、丸馬出、三の丸、馬出、二の丸…という順番で見て行きます。

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石段を登ると、帯曲輪に出ます。それを左に進むと、南大手門に到着。このときは5月で、草ぼうぼうだったのでよくわからないでしょうけど、大手門跡なんです、これが。土塁が四方に巡らされていて、枡形になっています。

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大手門の外側には、見事な丸馬出が残っています!あんまりちゃんとした丸馬出を見たことがなかったので、これは感動ものでしたね〜。すごくデカイ丸馬出です。わかりますかね、この規模が!?丸馬出の堀底の真ん中で、左右両方の方向を撮ったものです。高低差はかなりあります。斜面の上が曲輪部分ですね。

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丸馬出を見て、さらに上へ登って三の丸を経て、二の丸入口の馬出です。ここは丸馬出ではなく、普通の四角い馬出ですね。

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で、二の丸。縄張りとしてはそんなに手の込んだ形ではなく、むしろ多くの兵員を収容することを目的とでもしているのかしらんと思えるような、広い曲輪になっています。

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