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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、重版決定です!

書庫L山形県の城

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5月に久しぶりに行ってきた、米沢市の舘山城です。伊達氏の城で、一時期こっちが本拠だったんじゃないか説もあり、でも発掘したらすごいのが出てきて、ここもいろいろ論争が起きていて、なんとも不思議な城なのです。

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上杉神社からレンタサイクルで。十分行けます。

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小高い丘程度なので、すぐに登れます。で、これが問題の枡形虎口です。

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以前見に来た時より看板も増え、整備されていましたね。でも、このへんの石は基本そのままかしら。こうした状況から、破城されたのでしょうと。あるいは築城途中での放棄とも。

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キレイな枡形で、がっつり石垣なんですよね。

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ここが一番よく残っている部分。

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アップで。近世初期の上杉氏段階ではないか説が出ているのですが、いや奥羽仕置時の蒲生氏によるものでは説もあり。どうなんでしょう。以前一緒に見に行った専門家は、かなり新しいと評価していました。石垣に詳しい人、教えてください。

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この隅石が特に新しく見えるとかだったような。

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虎口脇の横堀。

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大土塁ですね。以前はもっと詳細に見たのですが、今回はこれくらいで。まだまだ謎の城は多いもんです。

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山形城、続きです。

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一文字門。

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門内部。本丸の中にも入りたかったのですが、この時は運の悪いことに入場禁止でした。

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石垣。

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本丸北側の堀。

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最上義光銅像。もっとアップで撮れば良かった。これから義光の事を勉強しなければなりません。

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二の丸東大手門。

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今はこの中にも入れるようですね。

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三の丸の土塁跡。商店街の近くにあります。他にも部分的に残っているようです。

また近いうちに訪れることでしょう。

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山形城、続きです。

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北門の堀。

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復元・整備が進む本丸へ

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本丸の堀。

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同じく。

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江戸時代に崩れた石垣が出土したので、そのまま展示しているそうです。

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かなりキレイに整備されてます。

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本丸一文字門。以前来たときにはまだ復元されていなかった門です。

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続きます。

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仙台から1時間ちょっとで山形城です。最近、調査・整備が進んでいます。去年の秋に訪れました(これで3回目かな?)。今後もいろいろとお世話になりそうです。

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霞城公園となっています。案内図。まずは二の丸の南門から見ていきます。

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JR山形駅の西口から歩いてすぐ、南門跡につきます。

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両側の堀。

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公園内に入ると、本丸の堀跡と発掘現場がありました。

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西門後を内側から

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西門跡を正面から。

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両側の堀。

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今度は北門跡。

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石垣がキレイです。

続きます。

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城郭探訪、おととしの9月に訪れた、山形県は鶴岡市にあります、尾浦城(大浦城、大山城とも)を見てみましょう。

鶴岡市といえば、庄内地方の中心地。庄内といえば、美食素材の宝庫なんですね。アル・ケッチャーノというイタリアンレストランが大人気なのはよく知られています。この時は、地元でも人気の回転すしに行きましたが、安くて美味かった…

それはいいとして、その庄内を代表する戦国城郭が、この尾浦城です。庄内地方の戦国時代は、基本的には武藤氏(大宝寺氏)という大名の支配下にありまして、その居城がこの尾浦城です。もともとは、鶴岡市中心部の方に大宝寺城(江戸時代の鶴岡城の地)を構えていましたが、天文元年(1533)に敵勢力の攻撃を受けて移住したのが始まりとか。

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現在は、大山公園になっています。まぁ完全に公園化されてしまっていて、正直がっかりでした…まったく城跡としての整備が行なわれていません。この看板にも「武藤氏本丸跡」とか「尾浦城跡」とか書いてありますが、何が何だかわからないメチャクチャな表記になってます。

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公園入り口には、いちおう立派な城跡碑があります。

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小高い丘になっていて、さすがに眺めは抜群。南方面を見たところ。

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本丸方面を望む。斜面がそれっぽさを醸し出していますが、どうなんでしょう…。曲輪跡っぽい平坦地は結構ありますが、どこまで当時の遺構なのか、よくわかりません。案内板も全くないんです。公園化でだいぶ破壊されているようです。

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看板には「隠居所」と書いてる曲輪。ここがいわば二の丸に相当する曲輪ですね。展望台があって、そこから曲輪内を撮影。真夏なので草ぼうぼうです…

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で、これがほとんど唯一の見どころである、本丸と二の丸の間の堀切です。

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ここがどうも本丸のようです。三吉神社が建ってます。

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尾浦城だけではナンなので、せっかくなので鶴岡城も。どうもこの時はあまり写真を撮っていなかったようで、ちゃんと紹介できずに残念。鶴岡城の堀です。戦国時代は、ここに大宝寺城があったようです。

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で、これが藩校致道館。貴重な遺構ですね。

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最後に、出羽三山の羽黒山の国宝五重塔!よく巡ったもんです。

戦国時代の庄内地方といえば、「庄内問題」が有名です。なんじゃそりゃという方もいらっしゃるでしょうが、「庄内問題」とは、大宝寺氏と最上義光・上杉景勝・本庄繁長らが庄内地方をめぐって争った地域紛争のことです。天正10年の最上氏進出から始まって、一進一退があって、天正14年にはやっと最上氏が大宝寺義興を倒して庄内をほぼ平定し、この尾浦城に家臣の中山光直らを置きます。

ところが、越後本庄繁長の息子で義興の養子となっていた大宝寺千勝丸(後の義勝)が、本庄繁長とともに反撃を開始して、最上軍を破って再度庄内を奪還します。その背後には、上杉景勝の存在もありました。

困った最上義光は、本庄繁長・千勝丸らの反攻が開始されてすぐに豊臣秀吉に訴え、事態の打開を図ろうと、徳川家康や富田一白といった政権の中枢部に解決を依頼し、秀吉も双方の言い分を聞いて「裁定」をすると宣言します。が、上杉景勝や石田三成らによる働きかけによって上洛した千勝丸側の主張が受け入れられ、庄内は大宝寺氏領、さらには事実上の上杉氏領に決定された、という流れです。

戦国時代の一地域紛争が、中央政権として台頭してきた豊臣政権と関わりを持たざるを得なくなってきたことを示す、まさに時代の変わり目を象徴する紛争だったんですね。それが、この尾浦城を舞台として行なわれていたのです。



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