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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、重版決定です!

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           (画像は同じ群馬県の箕輪城。)

最近、めぐって城の紹介記事ばかりでつまらない人もいるかもしれませんので、たまには「城の社会史」をアップしましょう。今回は、もう21回目になります「城と竹木」のコーナーです。

今回の舞台は、群馬県桐生市の桐生城です。戦国時代の桐生には、桐生佐野氏という国衆がいて桐生城を本拠としていました。その桐生城にも、どうやら竹木が植えられ整備されていたようなんです。


【史料】「佐野重綱書状写」(簗瀬大輔「戦国期桐生領の林産資源と生業」桐生文化史談会編『桐生佐野氏と戦国社会』岩田書院、2007年、p74)

先歳本城南之馬場廻り松等植付置候処、猶此ほり切廻り植付度候而、松苗木五百本小くら・仁田山衆へ申付候也、急度差し出候様貴所申越候也、恐々謹言、
   二月三日 重綱(花押)
    新井豊前守殿


この文書は、佐野重綱の書状ですが、重綱は永正13年(1516)に没したそうですので、それよりちょっとの頃のものとされています。あくまで写しですけどね。

上記の論文では、「馬場廻り」という部分の「場廻」が判読不能とされていますが、同書に掲載されている写真を見ると、「馬場廻り」でいいと思います。

これを読みますと、先年に「本城」(桐生城か)の「馬場廻り」に松などを植えたが、今度は堀切廻りに松を植えたいので、松の苗木を500本を、桐生領内の小倉衆と仁田山衆に命じた。確かに差し出すようそちらから伝えるように、と言っています。

戦国時代のお城の植生がわかる史料なんて、そうないのですが、これは面白い史料ですね。まず、桐生城自体の構造がある程度わかります。「本城」があって、その南側に「馬場」があって、さらに「堀切」も設けられていたんですね。

で、その馬場の周囲に松の木を植えていたこと、さらに堀切の周囲にも植えようとしていたことがわかります。しかも苗木を500本ですから、かなりの数ですね。曲輪の縁に沿って松が植えられて、松並木になっていたんでしょうかねぇ。戦国時代の山城の景観・植生が目に浮かぶようではありませんか。

と同時に、山城は決してハゲ山ではなかったことがわかりますね。木があると軍事的に邪魔だから山城には木が無かった、とついつい考えてしまいがちですが、このコーナーでたくさん見てきたように、どうも実際の姿は違ったようです。城は軍事、と考えすぎるのもよくないということでしょうか。

実はすぐ近くの金山城でも、城内で植林が行われているんですよね。その史料もそのうちご紹介しましょう。


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             (画像は彦根城本丸。今も松の木、ありますね。)

なんと、約1年ぶりになりました、「城と竹木」のコーナーを更新します。記念すべき第20回目を迎えました。ネタはたくさんあるんですが、更新しなかっただけです。時間が経つのは早いですね…。

今回は、彦根城が舞台です。慶安4年(1651)8月22日に出された、彦根藩主井伊直孝の覚書の写しになります。この文書が出された背景については全然調べていないので、よくわからないのですが、彦根城の植生管理について事細かに書いてる面白い史料なので、取りあえず一部だけご紹介します。


【史料】井伊直孝覚書写(彦根市史近世史部会編『久昌公御書写―井伊直孝書下留―』162号文書)

一、本丸廻り松茂り、人之通ひも見えす候程之様ニ相聞候、左様之所ハ下枝二枝・三枝斗ツヽおろさセ候ハヽ、用方ニも能、又木もそたち可申間見合、普請奉行ニ被申付、本木之いたミ不申候様ニおろさセ、台所方かわら薪ニ不入分ハ払候様ニ可被申付事、


どうもこの頃、彦根城に御殿の建設を計画していたようで、それに関連して書かれた文書のようです(よくわかりませんが)。

これによると、彦根城の本丸の周囲に松が生い茂っていて、人の行き来している様子すら見えないほどになっていると直孝は聞いたと。そのような場所は、下枝を2枝か3枝でも切り下せば、切った枝もいろいろと使い物にもなるし、木自体の育ちも良くなるので、普請奉行に命じて木自体が痛まないように切って、不要な分は彦根城の台所方に「かわら」薪として与えるよう命じる、ということになってます。

当時の彦根城本丸が、松の木で覆われていたことがわかります。でも、その松の木が生い茂り過ぎちゃったようで、人の動きが一切わからないほど、全く城内が見えなくなってしまったと。それではいけないので、下枝を2、3本でも切りなさいと直孝は言ってます。その切った枝も、捨てるのではなくていろいろなことに使われたようで、不要な分は台所の薪として使っていたんですね。

なんでこんなことを命じたのかもよくわからないのですが、城の美観を調えるためなのでしょうか。この文書では、木で城内が見えなくなってしまっていることが問題とされていますが、別の文書(時代はちょっと違ったと思いますが)では、逆に城内が見えないように植生を管理せよと言っているものもあります。それはそれで別の理由がありそうなので、そのうち取り上げたいと思います。

この「覚書」には、他にも植生についての条文があります。それも追々。

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久しぶりに「城の社会史」を更新します。

今回は、先日アップした春日山城関係ということで、春日山城の竹木について書かれている史料を見てみましょう。


【史料】長尾景虎掟書(上越市史別編1、211号、東大影写本伊佐早文書)

    在陣留守中掟書
一、 残置留守中、各且自専、且軍役方儀与云、分限相当之外、一廉有過上人数已下、爾与可被為在府事、
一、春日山要害普請等、不可有油断事、
一、諸郷内人脚等之義、検見之者一人宛被差副、郷司・小使堅可被相触事、
     但、五十公郷除之事、
一、於万一不慮之儀出来者、頚城郡地下人、春日山へ可被入置事、
一、就諸篇現無道狼藉族、不嫌甲乙人、於立所可被可成敗、若以偏頗被抱 
 置者、帰陣之上其主人へ一段可及横振事、
一、今度留守衆之内、有身除無沙汰之方有之者、無私曲陣所へ速可有注進事、
一、於何事も、各以談合、執善而棄悪、可被及其?勤、若以抜々覚悟無同心、吾侭之擬万不致隠密、検見之者共以其交名陣中へ可註進旨、申付之事、
一、信州之義、爰元之衆、以輪番不打絶号物見勤高梨源太方へ可被合力事、
一、城山竹木不可被為剪採事、
右可被守此条々、為検見、荻原掃部助・直江与兵衛尉・吉江織部助残置之
上、分別簡要候也、仍如件、
  永禄参
    八月廿五日      景虎(花押)
     桃井右馬助殿
     長尾小四郎殿
     黒河竹福殿
     柿崎和泉守殿
     長尾源五殿

これは、永禄3年(1560)の8月25日に、長尾景虎(上杉謙信。以下、謙信とする)が出した掟書です。この時期は、ちょうど謙信が関東へ越山する時でして、本拠である春日山城を留守にするわけです。その留守中のことについて書かれた掟書、ということのようです。

いろいろたくさん書いてあって、どれも興味深いのですが、このコーナーとの関係からいうと、最後の条(太字の部分)に注目しましょう。「城山」=春日山城のある山の竹木は切り取ってはいけない、と書かれています。ということは、春日山城には竹木がある程度繁茂していたといえるでしょう。決して全部切り払われた「はげ山」ではなかったのですね。

で、城内に竹木が繁茂していたということは、植生が維持管理されていたということになるでしょう。恒常的な拠点城郭ですから、生えっぱなしにしていたのではなく、何らかの目的のために維持管理されていたということが十分推測できます。

さらに、こういう禁制が出されるということは、謙信の留守中に黙って木を切ってしまう輩が出てくる可能性があったこともわかります。燃料に使うのか、武器に使うのか、これも何のためなのかよくわかりませんが、何かに使うため、城内に生えている竹木でさえ切り取られてしまう危険性があったのですね。それだけ、竹木の需要があったこともうかがわれます。特にこの史料は、謙信の家臣宛てですので、念頭に置いているのは、留守をしている家臣およびその関係者なのでしょう。

このように、短い一文ではありますが、城と竹木のことはもちろん、当時の春日山城の景観や、上杉軍の在番の様子についても、いろいろと考えることできますね。

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                         (画像は、現在の高崎城)

「城と竹木」のコーナー、18回目になります。今回は、群馬県高崎市の近世城郭・高崎城の竹木について見てみましょう。

このコーナーにとって、高崎城は実に素晴らしい城なのです。というのも、城内にどんな竹木が生えていたのかが詳細ににわかる絵図が残っているんです。それが、文化14年(1817)に描かれた「御城御土居通御植物木尺附絵図」です。下記高崎市HPに小さいけど画像あります↓↓
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-bunkazai/bunkazai/bunka/sakurai.htm


ちなみに、高崎市から刊行された『高崎市史資料集1 高崎城絵図』(2006年)にカラー写真と解説が、絵図に書かれている文字の翻刻は、『群馬県史料集 別巻1古城誌篇』(群馬県文化事業振興会、1969年)にあります。


それを見ますと、ものすごい数・種類の竹木が城内にあったことがわかります。どうも1尺5寸以上の太さの木を1本1本書いたようで、びっしりと描かれています。よくこんな図が作成されたものだと思います。作成された背景はよくわからないようですが、木を売って緊迫した藩財政を潤そうとしたためとか、大砲の射撃に竹木が邪魔だったから調べたとか、いろいろ説があるようですが、詳細は不明です。


で、どんな木が多いのかというと、が圧倒的に多いですね。ついでですね、榎が多いのというのもあまり聞かないので、面白いです。お城といえばですが、松は意外と少なめです。他には、桜・柿・楢・樫・槻・栗・柏・梯(さわしば)・枳殻(からたち)・胡桃・榧(かや)・椿・白壇・梨があるようです。他にもあるかも・・・


さらに曲輪別の植生を見てみると、本丸は杉ばかりで、二の丸から榎や松など他の竹木が徐々に増えていって、大手門付近は松が多いということです。大手門付近に松が多いのは、美観を意識してのことという指摘もあります。櫓の近くの竹木は低くなっていて、見通しを確保しているのだろうとも。


杉や榎・松などは、基本的には植樹したもので、特に外郭の竹木は自生したと考えられるということです。ただ、竹は描かれていないのですよね。他の絵図だと、明らかに竹林が描かれているのですが、この絵図は太さ1尺5寸以上の木ということで、除外されただけなのか…


ともかく、この絵図1枚だけで、近世城郭がいかに竹木に囲まれていたのかがよくわかりますし、どこにどんな竹木があったのか、1本単位で詳細にわかるという点で、極めて注目される史料といえるでしょう。


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                 (画像は、今も山中城本丸にある、推定樹齢500年の大杉)

「城と竹木」のコーナー、今回は、以前ご紹介した、静岡県の山中城が舞台です。
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/28910876.html


山中城といえば、迫りくる豊臣軍を前に、小田原北条氏が総力を挙げて築城した山城ですが、この山中城を実際に攻撃した渡辺勘兵衛という武士が、晩年に自分の戦歴を振り返って書き留めています。「渡辺勘兵衛覚書」という史料ですが、そこでは山中城攻めの様子が実にリアルに描かれています。


で、その中にですね、山中城内の植生がわかる部分があったので、ご紹介しましょう。


【史料】渡辺勘兵衛覚書(、『続群書類従』第595、合戦部25)
…本丸所指て見へ不申候所に、かまへの戌亥にあたり、土居高き所に、大杉あまた相見候処より、鉄砲を打候間、定而本丸にて可有之と存、大杉の本へ上り、矢切の上より西向に内を見候へば、城内に東向之広間有之、其広間から前のらい地へ居こぼれ、二百計もおりしいて、手ごとに得道具を持候体相見へ候、勘兵衛、則大杉の本の塀をこえ、内へおりたち指向候時は、味方一人も無之候…


ちょっと読解が難しい史料です。勘兵衛は、山中城の出丸から攻めて、徐々に本丸へと近づいて行ったのですが、本丸がどこか、わからなかったようです。


ただ、城の構えの北西方向を見ると、高いところに大杉がたくさん見える場所があって、そこから鉄砲を打っている様子が見えたのです。勘兵衛は、「あそこが本丸に違いない!」と考え、早速大杉の根本にまで登って、「矢切」(忍び返しのこと?)の上から西側を見ると、城内に東向きの広間があって、その広間の前の空間があって、どうもどこに200人ばかりの敵の兵士がいて、みんなそれぞれ武器を持って待ち構えていた、どうもそんな感じだったようなのです。


そこで勘兵衛は、果敢にも大杉のところにあった塀を乗り越えて、本丸内部に突入したのですが、見方が誰一人いなかった、と言っています。


ここから、山中城の本丸には大杉がたくさん生えていたことがわかります。山中城は、豊臣軍を迎え撃つための、まさに軍事的な目的のために造られた城といえますが、そんな城でも、一見邪魔になりそうな大杉がたくさん生えていた、というのが現実の姿だったようです。


で、その大杉と直接関係あるのかないのか、今でも山中城の本丸下段に、推定樹齢500年の大杉があるんです。もし本当に500年ならば、山中城攻めの時にも、この杉の木はあったことになりますね。


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