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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、重版決定です!

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「城の社会史」。久しぶりに「村の城」のコーナーです。今回は、前回の予告通り、領主の城に逃げ込む民衆の姿を見て行きましょう。

中世・戦国の村が、いざとなったら山に立て籠もったり、村自体を城郭化して抵抗することがあったことを今まで見ましたが、もう一つ、領主の城に逃げ込んで難を逃れる、ということもやっていたようです。

そういう風に言うと、まるで領主が民衆のことを第一に考えて優しく保護してくれたかのような印象を持たれてしまうかもしれません。それはちょっと違うと思うんですけど、実態はともかく、システムとしてそのようなものが存在した、ということは、どうも言えそうなんですね。

例えば。天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた時のこと。北条方の岩槻城の様子を、秀吉の家臣が手紙にこんなふうに書いています。(長谷川秀一等連署書状写『小田原市史』史料編原始古代中世、852号)

城のうちニハ、町人百姓女以下よりは外ハ無御座候条、命之儀被成御助候と申ニ付て、百姓町人女以下一定ニおゐてハ、可助ためニ、責衆より検使を遣したすけ、城を請取候…

岩槻城での戦いは、城の外曲輪での戦いで事実上決着が着いたようで、さらに本丸へ攻め入ろうとしたら、本丸には町人百姓女性ばかりだったんですね。で、みんな「命だけは助けてくだせぇ…」と懇願した結果、助けてもらえることになった、ということです。

ここから、岩槻城には武士とは違う、「非戦闘員」ともいえる町人、百姓、女性(子供もいたでしょう)もたくさん籠城していたってことがわかります。考えてみれば、こういうことってよくある話なんですが、今まではどちらかというと、領主が人質として強制的に収容させていたんだ、とかいうふうに解釈されがちだったんですね。

まぁもちろんそういう面はあるし、というか当時の人にとってみれば半強制だったんでしょうけど、とにもかくにも領主の城に逃げ込むという選択肢が一応あって、形的には「保護」している、ということは言えると思います。その意味で、領主の城というのも、領主の権力を誇示する施設、武士オンリーな空間では決してなくて、いざとなったら領内一般民衆にも一部開かれるような、一種の「公共的空間」でもあった、といえるでしょう。

で、これは何も日本の城だけの話じゃなくて、ヨーロッパの城ではある種常識な話なんですね。その視点で日本の城を見てみたら、なんだ日本も同じ形だ、ということになったようです。

●村の城については、以下の本が読みやすくて詳しく書いてあります↓↓
『【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』
『戦国の村を行く (朝日選書)』
『土一揆と城の戦国を行く (朝日選書)』
『戦う村の民俗を行く (朝日選書)』
『飢餓と戦争の戦国を行く (朝日選書)』
『城と隠物の戦国誌 (朝日選書)』

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「城の社会史 村の城」シリーズの2回目です。「村の城」にもいろいろあることを見てみます。その前に、そもそもなんで「村の城」なんてのがあるのか。

戦国時代の戦争というと、戦国武将たちが華々しく活躍する大合戦シーンを思い浮かべると思います。もちろんそういう面もありますが、戦場をよくよく見てみると、なかなか史料には出てきませんが、そこには一般民衆の姿が見られるのです。

中世・戦国時代は、基本的には「自力救済」といって、自分の実力で権利を実現することが普通でした。それは、武士だけでなく村人達もでして、領主を頼ることもあれば、抵抗することもあるし、基本的には自分たちの身は自分たちで守る、これが普通の世の中でした。

ですから、戦争となると、村人達は自分たちの「生命維持」のために、主体的に行動することがありました。もちろん、戦争ですから、田畑が荒らされて村人が拉致されることもありましたし、逆に「雑兵」という形で戦争に参加し、戦場で略奪行為を行っていた人々もいるなど、様々な形で戦争と関わっていたんですね。その一つが、「村の城」になります。

「村の城」と一言で言っても、いろんなパターンがあるので、おおざっぱに特徴を見てみましょう。

まず、「村の城」に籠る理由としては、\鐐茲糧鏗欧帽腓錣覆い茲θ鯑颪垢襪燭瓠↓⇔亮腓寮鐐茲忙臆辰垢襪燭瓠↓8⇒の主張、抵抗の印、だいたいこの三つかな…,鉢△鷲塾△隆愀犬両豺腓發△蠅泙垢韻匹諭

で、現実の「村の城」というのはどんなものだったのかというと、〇海埋討襦↓村近くに城郭を造る、B室体を城砦化する、の亮腓両襪愼┐温む、の4パターンにだいたい分けられるでしょうか…。だいたいですよ、だいたい。

まずは、「村の城」の様々な形態を見てみましょう!

 峪海埋討襦

戦国時代に限らず、中世の村では、戦争の時、村同士の争いの時、あるいは領主に反抗する際に、「山篭り」「山林に交わる」「小屋上がり」と称して山に避難することが多々ありました。基本的には要害堅固な山に籠って、小屋を立てて避難した、というのが実態だったようです。

宣教師、ロドリゲスの証言によると、民衆は戦争になると「山中の森林や頂上、または叢林に住み、それらの家屋はいずれも通常、茅や乾草でできていた」としてます。イメージとしては、そんな感じでいいと思います。お城というか、仮設の避難所のようなものですね。

村近くに城郭を造る

播磨国矢野荘では「城郭を構え候て、地下の名主、夜、昼と用心仕候」とあって、戦争から身を守るために、名主ら村人たちが独自にお城を構えて戦争に備えていたことがわかります。

「城と竹木2」で取り上げた、「さかい、みやざきの竹木きらせましく候、きり候へハ、むらようかいなをゝゝてあさに見なすものニ候」の「むらようかい」=村要害、というのも、まさにそういうものとして見てもいいのではないでしょうか。ただ、これはどうも上杉謙信の戦争と連動しているようなので、単に避難しているというよりも、大名の戦争に参加している様子を表しているように思えます。

B室体を城砦化する

下総国では、「郷中開候と号し、門道なと堀切候」(原文書 『千葉県史料中世編諸家文書補遺』)というように、村人達が村自体を城砦化して、領主の命令に抵抗していた事例があります。この事例は、中世の惣村などでよく見られます。

寺内町や、自治都市の囲郭なども、広い意味ではこれに入るでしょうか。この場合は、町自体が城郭となって、住民を守るようになっている訳ですね。

こんな感じで、「村の城」というけれど、いろんなレベルの様々な形をした「村の城」があることには、注意をしなければなりません。でも、とにもかくにも村人達が自分で自分の身を守ろうとしていたこと、これは共通した事実のようです。

次回は、の亮腓両襪愼┐温む、について、詳しく見てみたいと思います。


●村の城について、詳しく知りたい方は↓↓
『【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』
『戦国の村を行く (朝日選書)』
『土一揆と城の戦国を行く (朝日選書)』
『戦う村の民俗を行く (朝日選書)』
『飢餓と戦争の戦国を行く (朝日選書)』
『城と隠物の戦国誌 (朝日選書)』
『百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)』

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「城の社会史」シリーズ、次は「村の城」についてです。「城と竹木」はまだまだ続きますが(やろうと思えば数十回できるんで…)、あまりこればっかりやってても飽きちゃうと思うんで、他のも同時並行的に進めていこうと思ってます。

さて、皆さんは「お城」は誰のものとイメージしますか?信長秀吉家康のような戦国武将とか、江戸時代のお殿様とか、あるいはバカ殿様とか(笑)、つまりは「権力者」のもの、というイメージがあると思います。我々下々のものは勝手に出入りできない、直接関係の無い禁断の場所、聖域のようなもの…そんな方が多いのではないでしょうか?

かくいう私も、高校生の頃までは普通にそう思ってました。ところがその後、こうした私の「城郭観」を、見事に180度ひっくり返す議論に出会いました。それが、著名な戦国史研究者である藤木久志氏の「村の城」論というものです。

日本全国には3万ともいわれるほど無数の城跡があります。従来の城郭研究では、そうした地域の名も無い小さなお城を、戦国大名●●氏の家臣の城、などというように権力の末端に位置するものと考えて歴史的に位置付ける傾向がありました。

ところが、そういう無名のお城というのは、実は大名などとは関係なく、周辺の村人たちが戦争など生命の危機に陥ったときに逃げ込むために自前で造ったお城だったのだ、という説が出たのです!当然、何の根拠もなく出たものでなく、当時の史料を駆使してそういう事例があることが明らかにされたのです!

もちろん、全部が全部「村の城」だったとは言えませんし、いろいろ批判や議論があるところです。でも、そういう風に考えられるお城は、実はたくさんあることに気づいて、当時私は愕然としました。

さらに、領主が住む拠点城郭にも、非常時に民衆が逃げ込んでいたことも明らかにされました。領主のお城は領主のためだけにあるのではなく、村人・民衆のためにも存在するのだと…

私は、これによって強烈なインパクトを受けました。お城=権力者のもの、という「常識」が見事に崩れて、ついさっきまで戦国大名の家臣のそのまた家臣の城、とかいうふうに思い込んでいたお城が、全く違うものに見えてきたのですから…

私の城郭研究、いや歴史研究にも多大な影響を与えた「村の城」。その実態はどのようなものだったのか…「村の城」をめぐる議論を紹介しつつ、考えていこうと思います。


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●村の城については↓↓
『【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』
『戦国の村を行く (朝日選書)』
『土一揆と城の戦国を行く (朝日選書)』
『戦う村の民俗を行く (朝日選書)』
『飢餓と戦争の戦国を行く (朝日選書)』
『城と隠物の戦国誌 (朝日選書)』
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