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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、重版決定です!

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                           (画像は、逆井城の釣鐘池)

「城と伝説」のコーナー、挙げればキリがないほどありますが、前回に引き続き、お城の井戸や池にまつわる伝説をいくつかご紹介しましょう。

井戸や池、あるいは滝などには、なぜか伝説が付き物ですね。その多くは、落城の際に入水したとか、悲劇に見舞われて落とされたとか、そういう悲しい伝説ばかりです。

逆井城(茨城県坂東市)

「さかさい」と読みます。逆井城の主郭の堀底には「釣鐘池」と呼ばれる大きな池、井戸があります。戦国時代、逆井城は逆井常繁の居城でしたが、ある時、小田原の北条氏の軍勢に攻撃されます。奮戦むなしく落城してしまうのですが、その際に、城主逆井常繁の妻(娘とも)の智御前(智姫とも)が、城内にあった釣鐘を被って池に入水してしまいました。

その後、多くの人がその釣鐘を求めて掘ったのですが、結局見つからなかった…という話です。このことから、釣鐘池と呼ばれるようになったようです。


石神井城(東京都練馬区)

「しゃくじい」と読みます。都立石神井公園内には、戦国時代の石神井城跡が残っていることをご存知でしょうか?三宝寺池という大きな池がある広い公園ですが、この池にも有名な伝説が残っています。

時は戦国時代の前半、江戸城を築城したことで有名な太田道灌が、石神井城主の豊島泰経を攻撃しました。これまた奮戦むなしく、泰経は三宝寺池に飛び込んで絶命、残された娘の照姫も、後を追って池に入水したといわれています。

今も、公園内には、泰経の墓とされる殿塚、照姫の墓とされる姫塚が残っています。この伝説は本当に有名で、今でもこの伝説にちなんで、毎年「照姫まつり」が開催されているんですよ。

で、面白いのが、どうもこの伝説、案外新しくできたっぽいんです。近代になってからではないか、という説があります。伝説がどうやって作られていくのか、その過程も興味深いですね。

他にもた〜くさんありますが、とりあえず今回はこのへんで…

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                     (画像は川越城の「霧吹きの井戸」)

「城と伝説」のコーナー、今回は、これもよくある伝説ですが、井戸にまつわる伝説です。

井戸というものは、昔から何か特別なものだったようで、何かと伝説が付きものですよね。特に、城にある井戸には実に様々な伝説があります。今回、その中でも特に有名な「霧吹き井戸」伝説を見てみましょう。

伝説の内容はというと、その名の通り、としかいいようがないのですが、城が敵から攻撃された時に、井戸から霧が発生して立ちこめ、周囲が見えなくなるので敵は退散してしまった、というようなものがほとんどです。皆さんもどこかで聞いたことがあるでしょう。

この伝説についての研究がどれくらいあるのか、よく知りませんが、私が実際に行って見た井戸を挙げてみましょう。

川越城(埼玉県川越市)
川越城は、本丸御殿が現存している城として有名ですが、その御殿の隣にある市立博物館の敷地内に「霧吹きの井戸」が残っています(画像参照)。

この井戸は、普段は蓋をしていますが、万一敵が攻めて来て一大事という場合に蓋を取ると、中からもうもうと霧がたちこめて、すっかり城のまわりを包んでしまうため、城は霧に隠れてしまって、敵からは見えなくなったといいます。

この伝説から、川越城は別名・霧隠城ともいわれているそうです。「川越七不思議」を参考↓↓
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/minwa-7f.html#arai54


掛川城(静岡県掛川市)
木造復元の天守として有名な掛川城。その天守のすぐ近くに、やはり「霧吹きの井戸」があります。

ここの伝説もほとんど同じ内容で、今川義元の息子である今川氏真が掛川城に籠城して、徳川家康と戦っていた時、この井戸から霧が立ち込めて城をすっぽりと覆い隠し、城は難を避ける事が出来た、といいます。別名・雲霧城というそうな。

掛川城の場合は、家康vs氏真という実際にあった戦いを舞台にした伝説であるところが興味深いですね。


岩村城(岐阜県恵那市岩村町)
このブログでもご紹介した、岐阜県にある日本三大山城の一つ、あの岩村城です↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/24782860.html

山頂近くの八幡曲輪内に「霧ヶ井」があります。ここの伝説はちょっと違ったものになってます。敵が攻めて来た時に、城兵が秘蔵の蛇骨(だこつ。蛇の骨)をこの井戸に投げ入れたところ、たちまち霧が立ち込め全山を覆い、攻めあぐねた敵兵に向かって城兵が攻撃し、勝利を得た、というものです。モノを投げ入れる、という行為があるのが面白いところ。実際、岩村城付近は霧が多いようで、やはり別名・霧ヶ城というそうです。


他にも有名・無名問わず、全国のお城に似たような伝説がたくさんあります。これも前回まで見てきた「白米城伝説」↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/23370172.html

と同様、全国に広がっている伝説なのですね。

問題は、白米城伝説と同じく、元ネタは何なのか、ですね。ちょっと調べてみたいと思います…。

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                           (画像は適当です)

「城と伝説」のコーナー、今回は、今まで見て来た「白米城伝説」というのが、何故日本各地に存在しているのか、民俗学の柳田国男の意見をご紹介しましょう。]

と言っても、詳しくやると長く難しい話になるので、一言で言うと、江戸時代に存在していた「歩き神子」とか「口寄せ」と言われる、まぁ霊媒者というんでしょうか、彼らがこの伝説の媒介者なのではないか、と柳田は考えています。というのも、彼らは各地を遍歴していて、訪れたその土地土地で何か不思議な出来事や恐ろしい出来事が起きた時、そこに居付いている怨霊を呼び寄せて、自らその怨霊の話を人々に聞かせる、ということをやっていました。ようは恐山の「イタコ」のような人たちです。

今の我々の感覚だと「なんじゃそりゃ」というふうに思いますが、昔は何か変わったこと、恐ろしいことがあった時には、彼らのような人を呼んで、霊の言葉を聞いて、何とか不安を解消しよう、問題を解決しよう、ということが行われていたようです。特に城跡や古戦場なんていうのは、戦争の場所としてイメージされ、今でも心霊スポットになっているくらいですから、いかにも…な場所な訳です。

そこに、そういう悲劇的な白米城伝説が霊を通して実しやかに語られ、それが現実に各地に残る城跡と結び付けられて、しかも焼き米が出土する城も多いことなどからますます人々の間で「信憑性」が高まっていって、伝説として、さらにはその土地の「歴史」として定着していった、こんなふうに、柳田国男は考えているようです。

じゃあ、一体この伝説の元ネタは何なのか?柳田は、おそらく彼らのような人々が属している組織の中心は京都にあって、そこでは一種の師弟関係のようなものがあって、そういう場でいろんな知識がある人間がいて、そこから生まれた話なのではないか…と推測しています。

が、最近では、中国に古くから伝わる「兵糧塚伝説」、さらには朝鮮の「洗馬台伝説」という、白米城伝説にそっくりの伝説があって、それが日本に伝わって、いつのころからか広まったのではないか、なんて説もあるようです。おそらくこちらの説が正しいのでしょう…↓↓
http://www.nihonkaigaku.org/04f/i041001/t2.html

日本各地に、全く同じ伝説が分布している、ということを考えるならば、何かしらの遍歴する人々がいて、彼らが伝えていった、と考えるのは、確かに無難でしょうね。中国や朝鮮の伝説が起源という最近の説も面白いですね。さすがの柳田国男も、海外の伝説との関係までは考えていなかったのでしょうか…。やはり日本史も民俗学も、これからは東アジアという範囲の中で考える必要がありそうですね〜。

白米城伝説以外にも、全国のお城・城跡には、様々な伝説が残っています。次回からは、さらにいろんな伝説を見てみます。

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参考文献
柳田国男「木石思語」(『定本 柳田国男』第五巻、筑摩書房、昭和37年)

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                    (写真は、白米城伝説がある埼玉県の松山城)

「城と伝説」のコーナー、今回は、前回見た、城郭関係で一番有名な伝説である、白米城伝説を、もうちょっと見てみようと思います。

おさらいですが、白米城伝説とは、籠城中、敵に水があることを見せつけるために、白米を馬の背中に流して敵を欺いた、という伝説です。で、前回も2例見てみましたけど、この白米城伝説、実はいろいろなパターンがあるんです。もうちょっと事例を見てみましょう…

前回は上手くいったケースだったので、今回は「水じゃないことがバレて、結局落城したケース」を見てみましょう…

<長野県北安曇郡中土村平倉の古城址の場合>
城主の飯盛十郎という武士が、武田信玄に攻められたとき、白米で馬を洗って敵を欺こうとしたものの、城内の飼い犬が水を飲みに山を下りて来たので、バレて落城…。この集落では、このせいで、今も犬を飼わないという…

<宮城県登米郡米谷町の森台城の場合>
城主の千葉某が、籠城に際し、米でもって馬の脚を洗っていたところ、運悪く小鳥が来て食べてしまったためにバレて、落城…

<高知県幡多郡鹽塚城の場合>
籠城の時、地元の老女が用水の在りかを敵に知らせたために、水の手を切られた城兵は、櫓の上に登って白米を使って水を使う真似をしたが、結局落城…

いずれのパターンもよく知られたものなんですが、改めて見てみると面白い…。まだまだマイナーチェンジされた事例が、山ほどあります。結局バレて落城ってのは、なかなかアホですね〜。

のどが渇いた犬のせいでバレたとか、鳥が来ちゃったからバレたとか…。告げ口の場合は、だいたいが老女か娘で、男はあんまり出てこないようなんです。これも興味深いところです。やはり、当時の人々の女性に対する認識というものがあらわれているのでしょうか…

次回は、ではこうした白米城伝説というのは、なんで全国にあるのか、柳田国男の考えをご紹介しましょう。

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参考文献
柳田国男「木石思語」(『定本 柳田国男』第五巻、筑摩書房、昭和37年)


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「城の社会史」、久しぶりに「城と伝説」のコーナーです。ネタがありすぎてかえって困っているような感じなんですが、いろいろと落ち着いてきたこともあり、これからはどんどん更新していきたいと思います!

さて、城にまつわる伝説と聞いて、まず思い浮かぶのが「白米城伝説」と呼ばれている伝説です。全国各地の城跡に残っている伝説で、聞いたことある方も多いと思います。一番メジャーな伝説ですね。

知らない方もいらっしゃるでしょうから、早速実例をということで、白米城伝説を研究した民俗学者の柳田国男の論文「木思石語五 白米城の伝説」から引用してみましょう…。

<埼玉県吉見町・松山城の場合>
昔、籠城の折りに、水の手を切られ、白米をもって馬の裾を洗って敵を欺いた。その証拠か、土中から焼米の出るところがあるという。

<長野県上田市・米山城の場合>
天文年中に、村上義清が武田勢に攻められて水の手を断たれた時に、馬の背中から兵糧の米を浴びせて、遠見には水が幾らでもあるように見せかけ、敵を油断させておいて、その間に越後へ落ちて行ったと伝えている。今も焼き米が出るという。

と、こんな感じで、事例は山ほどあります。おおむね内容は共通していて、敵に攻められた籠城側が、水の手を切られて水に困った時、水がまだまだあるんだぞ!と言わんばかりに、白米を馬にかけて水のように見せた、というのがお決まりのパターンになっています。

で、細かい部分を見て行くと、結構違う部分も出てくるんですね。私も、改めていくつかの白米城伝説を読んだのですが、例えばほとんどは結局水じゃないことがバレて落城という、悲劇的なパターンが多いんですが、バレずに敵を撃退した!というハッピーエンドな場合もあるんですね〜。

次回以後も、もうちょっとこの伝説を追ってみたいと思います。

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参考文献
柳田国男「木石思語」(『定本 柳田国男』第五巻、筑摩書房、昭和37年)


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