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                            (画像は小田原城銅門)
 
「城と掃除」のコーナー、めでたく10回目を迎えました。今回は、毛利氏一族の吉川氏の居城・岩国城での掃除の様子を見てみましょう。

元和3年(1617)4月26日付で出された、広島県の岩国藩の藩主・吉川広家の長大な掟書があります。そのなかに、「番之事」と題された一節があって、岩国城での在番する際の掟がいくつか記されているのですが、そこに掃除について規定した条文があるんです。


【史料】「吉川広家自筆申渡箇条書」(『大日本古文書 吉川家文書之二』p888)

一、毎日当番之者、小者ニはうき持候而、門外迄掃地可申付之事、


毎日当番の者は、小者に「はうき」=箒(ほうき)を持たせて、城門の外まで「掃地」=掃除するよう命じなさい、としています。「小者」は、身分の低い奉公人、武家の雑役に使われた者、です。当番自体は身分が高い武士が勤めていますが、実際に掃除をするのは、その武士のもとで働いている「小者」であったということでしょう。

で、その掃除する範囲が、城門の内側だけでなくて、外も含まれていることがわかります。門の外側もキレイにするのは、まあ当然と言えば当然でしょうか。箒を持たせて、なんて具体的に書いているところも面白いですね。その光景が目に浮かびます。

この吉川広家の掟書、いろいろとネタの宝庫ですので、そのうちまた使います。


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「城と掃除」のコーナーも、ずいぶん久しぶりです。今回も、江戸城の掃除について見てみましょう。


【史料】塵芥取捨方之事(『徳川禁令考』第三巻、p122)


   明和六丑年十月廿六日
     塵芥取捨方之事
御城内御門々・大番所並枡形番所・勝手之方、悪土・芥等溜置之、御修復等之節ハ取捨候得共、平生溜置候而ハ御家之ため不宜候間、以来御番所ニ而常々心附、芥等溜置不申、折々取捨候様、可被達候、御城内部屋々々・勝手之儀も右同様心附、芥溜不申様可被致旨、是又向々江可被達候、
「安政三辰年、御目付中ヨリ達附記」 御城内御門々御番所構之内、塵芥多相見候ヶ所も有之、右ハ火之元等之ためニも不宜候間、時々心附相嵩さる内取捨候様、組々江御申渡可有之候、以上、(御書付留)



明和6年(1769)10月26日に出された法令だそうです。読んでみますと・・・


御城内の御門、大番所、ならびに枡形の番所、勝手方に、悪土や芥(あくた)を溜め置き、お城の御修復の時は捨てているものの、普段溜め置いていては、御家のためによろしくないので、今後は御番所にていつも注意して、芥などを溜め置かず、その時々に捨てるよう、命じる。御城内の部屋、勝手についても、右に書いた通りに注意して、芥を溜めないようにするべきであるとのことを、これまた諸方面に命じる。


「」の部分は、安政3年(1856)に御目付中から出された付記のようで、御城内の御門・御番所構えの内に、塵や芥がたくさん見える場所がある。これらは火の元にもなるしよろしくないので、時々注意して、ゴミが溜まらないうちに捨てるように、組々へ申し渡しなさい、と書いてあります。


これを読む限り、お城の修復の時などは、さすがにゴミを捨てていたようですが、普段は捨てずに門だとか番所の周辺にゴミを放置して溜めこんでいたようですね。そういう汚いことはよろしくないので、普段からこまめに捨てるようにと命じているわけです。江戸城の出入り口である城門や番所という重要施設の周辺に、ゴミが溜まっていたことになります。


安政3年の付記も面白いですね。ゴミを溜めていると、火の元になると、ようは火事の原因になってしまうと言っています。だから、ゴミが溜まらないうちにちゃんと捨てなさいと。掃除と火事が密接な関係にあることが、ちょっと垣間見えますね。「掃除」することによって、その場をキレイにする、メンテナンスをする、その結果、火事の原因となるようなものを除去する、そういう目的も「掃除」にはあったようですね。戦国時代のお城の「掃除」も、そのような観点から考えられるかもしれません。

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                       画像は、舞台となった江戸城大手門

お城はどのようにお掃除されていたのか…そんなことを調べてみるこのコーナー、今回は、江戸城の掃除です。といっても、おそらく史料は山ほどあると思うので、今回は享保6年(1721)閏7月の「城門掟」のみを取り上げます。


【史料】内曲輪御門御定書(『徳川禁令考』第三巻、115p)

一、御門并御番所柱根土台江土不掛様ニ仕、御門廻り受取之場所ハ不及申、勝手廻り迄常々無油断掃除可被申付事、
 附、水打候節、柱根并土台江水不掛様可被申付事、


<書き下し>
一つ、御門ならびに御番所の柱根・土台へ土かからざる様に仕り、御門めぐり受け取りの場所は申すに及ばず、勝手めぐりまで常々油断なく掃除申し付けらるべき事、
 附けたり、水打ち候節、柱根ならびに土台へ水かからざる様に申し付けらるべき事、


享保6年ですから1721年、江戸時代も中期になりますね。この年は、徳川吉宗が目安箱を設置した年のようです。幕政の問題と江戸城の維持管理の問題が何か関係しているのかもしれませんね。調べてみると面白そうです。

江戸城の「内曲輪」の門=大手門・内桜田門・西丸大手門の3つの門に出されています。全部で16条ある中の15条目が、この掃除に関する掟です(14条目も掃除関連なんですが…)。

なかなか細かい規定です。門や番所の建物の柱の根っこの部分や土台にですね、土がかからないようしろと。しかも門周辺の担当箇所は言うに及ばず、勝手めぐりまで常に油断なく掃除しろ!としています。「勝手めぐり」ってのは、勝手口?台所?

附則として、門の周辺に水打ちをするときは、柱の根っこや土台に水がかからないようにしろとあります。とにかく、土も水もかからないようにしろというのですね。

注記で、延宝7年(1679)にもこの法令が出た、と書いてあります。少なくても、その頃にはこういう掃除掟が制定されていたようです。

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                            (画像は弘前城北門)

まずまず好評?の「城の社会史」、今回は「城と掃除」のコーナーに参りましょう。

戦国時代の鉢形城の掃除を見て、江戸時代の津山城の掃除を見てきました。今回は、現存12天守のうちの1つが残る、青森県の弘前城での掃除の様子を見てみましょう。重要文化財の小ぶりの天守で、桜が素晴らしいことで有名ですね。青森まで新幹線が通れば行きやすくなりますね。私はまだ行ったことないので、来年こそは行きたいです。

弘前城については、「津軽家御定書」という、弘前藩が出した法令を集成した史料がありまして、それを読むと当時の城の様子が実によくわかります。そんな「掟」のなかに、掃除に関する掟があったので、ご紹介しましょう。

【史料】覚(御門廻掃除ニ付)(国立史料館編『史料館叢書3 津軽家御定書』東京大学出版会、1981年)
    
一、御門廻掃除念を入可申事、
一、御門近所に小便いたさせ申間敷事、
一、御門近所江ちり・あくたはき寄置申間敷事、
一、御堀江ちり・あくたはき入申ましき事、
一、橋之上にちり無之様に掃除可申付事、
  寛文八年四月廿七日 
右之通惣御門御番所江一通宛

<書き下し>
一つ、御門めぐり掃除、念を入れ申すべき事、
一つ、御門近所に小便いたさせまじき事、
一つ、御門近所へ塵・芥を掃き寄せ申すまじき事、
一つ、お堀へ塵・芥を掃き入れ申すまじき事、
一つ、橋の上に塵・芥これなきように掃除申し付けるべき事、

宛先は「惣御門御番所」とあるので、弘前城内のすべての城門宛てに出された掟のようですね。

これを現代語訳しますと…

城門の周辺の掃除は念を入れてきちんとしなさい。
城門の周囲で小便をさせてはいけない。
城門の周囲に塵(ちり)や芥(あくた)、ようはゴミですね、を掃き寄せてはいけない。
お堀へゴミを捨ててはいけない。
橋の上にゴミがないように、きちんと掃除しなさい。

となります。掃除について、実に細かく(うるさく?)定めていることがわかりますね。二条目なんかは、小便禁止の掟ですが、城門近くで小便しちゃう人がいたんですねぇ。

三条目は、城門の方にゴミを掃き寄せている人もいたことがわかります。四条目は、お堀へゴミを落として捨てている人もいたことがわかります。今でも皇居の堀でよくゴミが捨てられていますが、江戸時代も同様の事態があったことになりますねぇ。また弘前城の堀は深そうだから、ゴミを捨てられたら面倒くさそうですな。

北国らしく、雪を堀へ捨ててはいけない、なんていう掟も、弘前城の他の掟や米沢城にもありました。

水堀があって、橋がかかっていて城門へと至るんでしょうが、五条目によると、その橋の上の掃除も厳しき命じられていたようですね。

やはり城門は人が出入りする目立つ場所なので、特に掃除が厳しく命じられていたのかもしれませんね。


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                       (画像は、江戸城平川門のお堀)

「城の社会史」、久しぶりに「城と掃除」のコーナーに参りましょう。前回までは、埼玉県にある戦国期の城・鉢形城の掃除の様子を見てきました。今回は、江戸時代のお城の掃除の様子を見てみましょう。

今回の舞台は、岡山県津山市にある津山城です。桜の名所としても有名で、最近櫓が復元されたりして、何かと話題が多いお城の1つといえます。そんな津山城の掃除について、こんな史料が残っていました。

【史料】「国元日記」(『津山城 資料編』津山市教育委員会、2000年、p101)

(前略)
宝暦7年5月9日 晴
一、御堀常浚之場所、事之外埋候付、当春御領分郷中人足を以浚被仰付、其以後者惣町より人足差出させ掃除可被仰付候処、一両 年在中作方不宜難義之趣相聞候付、来春迄浚被指延候、依之当四月分より来春中まて惣町壱丁より人足一人ツゝ毎月指出候様、 先達而町奉行江御用番申渡之、今日より人足指出浚相始、
(後略)

<書き下し>
一つ、お堀常の浚いの場所、事のほか埋まり候について、当春ご領分の郷中の人足をもって浚い仰せつけられ、それ以後は惣町より人足を差し出させ掃除を仰せ付けらるべく候ところ、一両年在中作方よろしからず難義の趣きあい聞き候につき、来春まで浚い指し延ばされ候、これにより当四月分より来春中まで惣町一丁より人足一人ずつ毎月指し出し候様、先だって町奉行へ御用番がこれを申し渡し、今日より人足出し浚いあい始める、


この史料は、どうも津山藩の役人が書いた日記のようで、何年何月何日に何が起きたかを書いているものです。今回のは宝暦7年(1757)の出来事です。

さて、お城を掃除すると聞いて、いろいろ思い浮かべることがあると思いますが、やっぱりあの広いお堀はどうしていたのか、気になっている方も多いかと思います。今回のはまさにそんな疑問に答えてくれるものです。

この史料を読むと、どうも津山城では、定期的にお堀浚(さら)い=土砂やごみを取り除く、ことをやっていたことがわかります。現代でも、皇居のお堀をたま〜に浚って、自転車が出てきたりとか、ニュースになってますよね。あんなように、お堀を掃除していたようなんです。

では、その掃除は誰がやっていたのか。どうも、惣町=たぶん城下町の人たちと、御領分郷中=藩領内の村々がやっていたことがわかります。で、津山藩側の方針としては、取りあえず春(1〜3月)は村々に、それ以後は城下町に命じて堀浚いをやってもらうようにしていました。

ところが、一両年といいますからここ2、3年の間、村々でどうも凶作などの被害が出ていたようで、村側は負担が大きいので来年の春までお堀浚いの人足を出すことは勘弁してほしいと津山藩に訴えました。おそらく、春は村々、夏は城下町、そしてまた秋には村々がやることになっていたのでしょう。今年の春はやったけれども、次回は来年の春まで止めてくださいと訴えたのだと思います。

それを聞いた藩側は、その訴えを受け入れて、4月から来年春までずっと城下町の人々にやってもらうことに決定し、この5月から毎月1丁につき1人ずつ人足を出させて、お堀浚いをさせることになった、というお話です。

こういうのを見ると、やっぱりお城の掃除・メンテナンスというのは、城下町や村人たちが深くかかわっていたんだなぁということがよくわかりますね。熊手みたいなものを使ってお堀を浚っている光景…ゴミもたくさん出てくるのでしょうけど、変なものが見つかったりしていたのでしょうねぇ…。

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