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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、発売中です!

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「城と兵糧」のコーナー、ようやく10回目になりました。今回は、兵糧と直接関係あるのか微妙な史料ですが、こんな史料があるということをご紹介しましょう。


舞台は、下総国関宿城です。現在の千葉県野田市ですね。利根川と江戸川に挟まれた場所になって、関東有数の流通の要衝として、繰り返し戦場になったお城ですね。江戸時代も関宿藩が置かれ、お城は明治時代まで使われていました。


そんな関宿城ですが、天正2年(1574)に北条氏の城になります。その後、いろいろと整備が続けられたようですが、こんなこともされていたようなのです・・・



【史料】北条氏政朱印状写(『戦国遺文後北条氏編』2804号、楓軒文書纂五十三)
関宿酒井曲輪を始として、堀端に作致事、三間除之可致之、堀端三間之内ニ不可致、此分可申付候、仍如件、
  乙酉 五月朔日(朱印)
       太田下野守殿
       恒岡越後守殿



「乙酉」=天正13年(1575)5月1日付けのもので、ハンコの文字から北条氏政が出したことが判明します。これによると、関宿城の酒井曲輪という曲輪を始めとして、堀端に「作」を致すことについて、なにやら命じていることがわかります。堀端から三間より外側=曲輪の内側でしなさい、堀端から三間より内側=堀際の方ではしないように、と言ってます。三間なので、おおよそ5.5mくらいでしょうかね。


さて、問題は、この「作」とは何か、です。これまでの研究では、2つの見解があります。1つは、「作」=「柵」と考えて、堀沿いに柵を造る際の注意事項と解釈するものがあります。ただ、「作」を「致」すという表現から考えると、ちょっと違和感があるような・・・


もう一つ、「作」=「耕作」として、堀沿いで耕作する際の注意事項と解釈しているものもあります。たしかに、「作」という言葉は耕作の意味でよく使われるので、「致」すという言い方からしても、私はこっちの意味が正しいのではないかと思っています。どうでしょう。


となると、関宿城内に田畑を開こうとしていた、ということになります。おそらく、あまりに堀際で耕作してしまうと、塀や柵もあるでしょうし、敵が来た時に守備兵を堀際に配置するのが困難になってしまうのでしょう。逆に曲輪の内側なら耕作してもよいと。


耕作するということは、そこで農作物を作るということなので、城内で自給自足的なことをしていたのではないか、という話にもなります。つまり、城内で兵糧となる食料を作っていたと。別にありえなくはないですよね。城の曲輪の使われ方として、こういう問題もあるのではないかと。


短い史料ですが、結構いろいろなことが考えられる史料です。

*解釈が逆になっていたようですので、訂正しました・・・堀から三間離して耕作しなさい、ということなので、堀に近い部分で耕作してはダメだよという意味でしょう。


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「城と兵糧」では、好きな食べ物・お店を紹介していきます。今回の画像は、小田原にある「RYO」さんの「まかない丼」(980円)です。HPはこちら↓↓
http://www.d-ryo.co.jp/
小田原城が好きで、昔から何度となく訪れていますが、いつの時だったか、たまたま入ったお店がここでした。幸田口門跡がある、お堀端通り商店街にあります。この「まかない丼」はランチ限定30食。たしか元漁師さんが経営しているらしく、いろんな種類の海の幸がこれでもかと入っていてボリューム満点、超ウマイです。これを食べて以来、小田原に行ったらココでコレを食べるようになりました。ランチは行列になることもあり、いつも店内満席ですので、早めに行くのがおススメです。アナゴ天丼とか、他のも美味いんですよ。
ちなみに、来月2月16日(土)に、小田原城御用米曲輪の発掘調査見学会があり、行く予定です。もちろん、現場見学しに行くのが目的ですが、実はこれを食べに行くことが裏の(真の?)目的です…


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「城と兵糧」のコーナー、今回は、数年前有名になったお話です。

新潟県妙高市というところに、鮫ヶ尾城という戦国時代のお城がありました。堀江氏が城主だったようですが、上杉謙信の本拠・春日山城からも程近く、上杉氏の防衛拠点の一つになっていたようです。

このお城から、2006年に、なんと「おにぎり」が出土したこと、ご存知でしょうか?「天地人」関係で有名になったので、ご存じの方も多いと思いますが、まあ珍しいので、ご紹介しましょう。

城跡から、焼け焦げたお米が出土する、というお話はよく聞きます。東京都の八王子城なんかは、昔はしょっちゅう焼け焦げた炭化米が出土していたそうですが、あくまでお米のままで、調理された姿ではなかったんですね。

それが、この鮫ヶ尾城からは、まさしく「おにぎり」の形をした炭化米が出土したのです。これをいろいろと科学的に分析した結果、正真正銘、焼けたおにぎりだったことが判明した、というのです。

これによって、籠城の時に、実際にお米を炊いて、「おにぎり」にして食べていた、ということが具体的にわかったといえるでしょう。まあ当たり前といえば当たり前なんでしょうが、こういう物的証拠が出てくるというのが面白いです。

さて、私もこの話はあまり詳しくないのですが、「おにぎり」に中身はあったのか…単なる塩むずび?それともシャケでも入っていたのか(笑)ちょっと気になりました。

新聞記事でまだ残っているのがありました↓↓
http://www.j-times.jp/news.php?seq=1478


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 「城と兵糧」では、好きな食べ物・お店を紹介していきます。今回の画像は、東京・赤坂にある「赤坂 丈太郎」さんです。まだ新しいお店ですが、今最も注目されているお店の一つと言っても過言ではないでしょう。
 和食のお店ですが、良い意味で和にとどまらず、洋・中も取り入れたオリジナルな和食となっています。それがまた上品で抜群に美味しいのです。和食のイメージが変わること間違いなしだと思います。ただ美味しいだけでなく、品がある、というのが、本当に良い料理の特徴ですね。
 もちろん、赤坂という場所柄もあり、夜のお食事はそれなりにしますが、実は最近ランチを始めてくれました。1200円で限定15食、メニューは日替わりで、その日の仕入れ状況によって決めるのだとか。これが超お得なランチで、ボリュームもたっぷり。リピーターも増えているんだとか。ランチは予約制になっているので、事前にお電話を。HPはこちら↓↓
http://www.akasaka-jotaro.com/

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戦国時代のお城、江戸時代のお城では、どのような食べ物があったのか、そんなことを調べてみるこのコーナー、今回は江戸時代の話をしましょう。

舞台は、石見国津和野城です。島根県ですね、城下町の町並みで人気の観光地となっています。藩主は、大坂冬の陣で家康の娘、千姫を救ったことで有名な、坂崎氏でした。

元和3年(1617)、坂崎家は、その千姫にかかわる騒動で「お家取り潰し」となってしまいました。そこで、次に津和野藩主となったのが、亀井氏でした。国民新党の亀井さんは、この亀井氏の流れをくむそうです。

それはいいとして、以前ご紹介した、白峰旬氏の本『江戸大名のお引っ越し (新人物ブックス)』
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http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/27457961.html
で取り上げられているような感じで、津和野城の引き渡し作業が行われました。その時に書かれた史料のなかに、津和野城に備蓄してあった兵糧を書き立てた目録(国立歴史民俗博物館所蔵・石見亀井家文書)があるんです。

長いので史料の原文は載せませんが、タイトルは「御城米算用之覚」とあります。つまり、津和野城の「城米」について書いたものなわけです。参考文献によりながら、内容を見てみましょう。いろいろと計算・換算し直したりしていますが、

米  48石6斗9升6合
大豆 128石7斗2升8合
籾  208石4斗2升9合
小豆 6石6斗7升
粟  1石8斗
そば 5斗
塩  15石
干飯 22石2斗2升7合

であることがわかります。小豆やお蕎麦もあるんですね〜。

ここで面白いのが、「城米」というのは、お米だけではなくて、大豆から干飯も含んだ言葉だったことですね。「城米」と出てくるからといって、お米のみと考えてはいけないようです。

戦国時代の史料にも「城米」という言葉はよく登場しますが、あれもお米だけに限定されない、様々な食糧を含めた意味の言葉なのかもしれませんね。

あと、大豆とかいろいろありますが、計算する時に、全部お米に換算してから計算していることです。いろいろと品目はあるものの、やはり基本はお米であって、それを中心に計算することで全体を把握する、ということのようです。

*参考文献
『企画展示 武士とは何か』(国立歴史民俗博物館、2010年)のp105



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「城と兵糧」では、好きな食べ物・お店を紹介していきます。今回の画像は、東京・末広町にある「鳥つね自然洞」さんの「特上親子丼」です。

テレビにもよく出る有名店です。マスコミにしょっちゅう出ているようなお店は、結構がっかりするお店も多いのですが、ここは文句なく美味いですね。特に私のような「卵星人」にはたまりません…。

親子丼は大好きで、それなりにいろんなものを食べましたが、やっぱりここが1番です。肉と卵自体が全然違うので、当然といえば当然なのですが。ボリューム満点、半熟というより半生な卵がたっぷりかかるので、卵かけごはんのようと言う人もいます。特上は高いですが、普通や「上」「タタキ」どれも美味。高いのでそんなにしょっちゅうは食べれませんが、たまにむしょ〜に食べたくなる逸品です!
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城と兵糧のコーナー、前回の続きです。前回は、城跡などの中世遺跡によく見られる、謎の「地下式坑」を取り上げました。その名の通り、ようは地下に掘った穴、地下室なわけですが、何に使われたのか、よくわかっていないのです。現在では、埋葬施設説・避難所説・貯蔵庫説の3つに分かれますが、特に有力なのが、貯蔵庫説で、どうも食料を貯蔵していたようだ、というお話をしました。

前回は穀物類の話を中心にしましたが、実は他にも貯蔵していた可能性があるようです。ようは根菜類や野菜などですが、なかでも可能性が高いとされるのがイモ類なんですね。

たとえば、里芋。参考文献によると、中世の畑では主に麦と大豆とサトイモを栽培していたとされているようです。しかも、関東では江戸時代以降、「芋室」や「芋穴」と呼ばれるサツマイモを貯蔵する穴がたくさん作られていることが知られているとか。もちろん、サツマイモは中世にはないのですが、里芋を地下に貯蔵するというのも一般的な貯蔵方法だそうで、そのために地下室が造られた可能性は十分ある、ということです。

 もう1つは、何かを発酵させるために地下室が造られたのではないか、という説もあります。具体的には、お酒や味噌、醤油、お酢などが挙げられています。ようは「麹室」ってやつですかね。江戸時代には麹室がたくさん造られていて、実は江戸の街中の至るところに昔はあったといいます。この前も、テレビで、神田明神近くにある江戸時代から続く天野屋という和菓子屋の地下に、やはりお酒を造るための地下室があって、そこで今でも甘酒が造られていて、お店で飲める、というのを見ました。

このように、いろいろと考えられるのですが、どれも決定的な証拠を提示するのは非常に難しく、しかもどれか一つが正しいというよりもいろんな用途に使われていた、というのが本当のところだと思われるので、なかなか一言で言えない面もあるようです。

いずれにせよ、この謎の地下室の存在は、城と兵糧との関係を考えるうえで、重要な遺構でしょう。

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「城と兵糧」では、好きな食べ物・お店を紹介していきます。今回は、前回に引き続き渋谷ですが…アユンテラスというインドネシア料理店です。
http://www.ayungteras.com/

とにかく上品で美味い!ナシゴレンが有名で、知人に連れられて初めて食べた時に感動して以来、通ってます。チャーハンにはウルサイ私ですが、このナシゴレンの美味さには参りました。スマトラ風カレーも絶品。牛肉のスパイス煮パダン風、これもメチャクチャ美味い。野菜炒めとかも思わず唸ってしまうほど。平日ならランチで1000円前後で食べれます。最強ランチの1つですね。

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参考文献

東国中世考古学研究会編『中世の地下室』(高志書院、2009年)


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「城と兵糧」のコーナー、今回は、最近中世考古学の世界で大きな問題となっている、謎の遺構「地下式坑」(ちかしきこう)を、下の「参考文献」の本からご紹介します。

その名の通り、地下に掘った穴のことで、城跡はもちろん、他の中世遺跡からもよく出土する遺構らしいです。特に関東地方、さらに特に千葉県では検出事例が多いようです。基本的には中世に特有の遺構のようで、近世の麹室などに使う地下室とはまたちょっと違う性格を持つそうです。

で、一体この穴は何のために掘った穴なのか?というのがわからない、ということで、考古学の世界で大きな論争になっているのです。

様々な説がありますが、大きく分けて3つあります。1つは、葬送施設説。ようはお墓として掘ったのではないか、という説ですね。2つ目は、避難所説。近世でも防災施設として地下室が使われていたこともあるそうで、これは面白いんですけど、立証は難しそう。もう1つが、貯蔵庫説。何かしら物資を貯蔵するために掘ったのではないか、という説です。

で、最後の貯蔵庫説、これが重要になってきます。というのも、城跡の場合、兵糧を貯蔵していたのではないか、という説が考えられるからです。ここに「城と兵糧」のコーナーで取り上げる理由がある訳です。

どうも実際に地下式坑から検出された土の成分などを分析すると、兵糧として貯蔵されていたと思われる事例が割とあるんです。発掘では穀類がよく検出されています。

例えば、千葉県松戸市にある戦国期の城郭・根木内城の地下式坑では、イネ・オオムギ・コムギ・キビ・ヒエ・アワ・ゴマの炭化種子が検出されています。同じく松戸市の小金城でも、稲穂とイネが検出されているそうです。

こうした地下式坑は、城跡や他の中世遺跡に限らず、屋敷地の近くにあることが多いそうなので、屋敷の居住者の日常の食料が保存されていた可能性や、食料そのものではなく種子を保存しておいた可能性、単に外から混入した可能性など、様々な可能性が提示されています。

他にもいろいろ考えられています。それは次回…

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「城と兵糧」では好きな食べ物・お店を紹介しています。今回は、渋谷にある老舗カレー店「ムルギー」です。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13001732/

創業は昭和25年。ムルギーとは、ヒンドゥー語で「ひな鳥」を意味していて、カレーにそのひな鳥が使用されています。看板には「インド料理」と書いてありますが、創業者がビルマ(ミャンマー)で覚えたカレーを提供しているので、厳密には「ビルマ料理」「ビルマカレー」になるのかな…。しかも、写真のように、ご飯をエベレストに見立てて盛っているんです!

とにかく、個性あふれるカレーです。コクが深く、ピリ辛な感じ。独特のスパイスに病みつきになります。私はカレーが大好きでいろいろ食べてきましたが、たまに無性に食べたくなる、外せないカレーになっております。

が、昼間の短い時間しかやっておりません(笑)そこがまたいいですね〜。

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参考文献

東国中世考古学研究会編『中世の地下室』(高志書院、2009年)



*地下式坑については、この本でも取り上げられています。
藤木久志『城と隠物の戦国誌』(朝日選書)

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