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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、発売です!

書庫Lお城のオキテ

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久しぶりに「城の社会史」のコーナーを更新しましょう。今回は、「お城のオキテ」の19回目になります。まだまだ、面白いネタはたくさん眠っています。

今回の舞台は姫路城です。宝永3年(1706)正月に、城内の諸門への出入りに関する掟が発布されました。一ヶ条一ヶ条がとても面白いんですが、その中でも今回は以下の条文に注目してみました。



【史料】諸門出入り取締り定(『姫路市史』第14巻別編姫路城、p744・745)

一、他所之者御城為見物来候者不可入之、当町宿主令案内は押置町奉行中へ可相渡、惣而あやしき体之者は相改依断可通之事、


一、他所者惣社参詣并諸商売之者ににせ御城為見分来候者不可入之、当町宿主令案内ハ押置町奉行中江可相渡、惣而あやしき体之者相改依断可通之事、


最初の条文は、中之御門ほか3つの門を、2つ目の条文は惣社不明御門対象とした掟の一部です。

ちょっと読んでみますと、ヨソモノが「お城見物」としてやってきても門を通してはいけない、姫路城下の宿主がお城を案内したならば捕まえて奉行へ引き渡しなさい、総じてあやしい者はきちんとチェックしてから通すように、としています。

どうやら当時も「お城を見物したいなあ」という人がいて、勝手に入ってきちゃう人がいたみたいですね。しかも、そういう人を泊めていた宿主さんがわざわざ案内をしちゃう場合もあったっぽいです。

次に、2つ目の条文もちょっと読んでみましょう。内容はほとんど同じなのですが、ヨソモノが姫路城内にある播磨惣社という神社の参詣者、あるいは商売人に扮して「お城見物」しに来たら入れてはいけない、としています。

面白いですね、みんな何とかして城内に入って見物したかったんでしょうか、いろいろと姑息な手段を考えるものですね。城内にある神社の参詣者とか商売人ならば、城内に入りやすかったことがわかります。特に商人は日常的に出入りしていたようですので、パッと見、見分けがつかないこともあったのかもしれませんね。

しかし、なんのために「お城見物」をしようとしたのか。単に興味を持ったからなのか、お城めぐりが趣味だったのか(?)。いろいろな事情がありそうです。

この「お城見物禁止!」という掟は、これも意外に全国各地のお城でみられます。どうやら、お城って昔から結構見学されやすいものだったようです。他の事例も追々ご紹介していこうと思います。


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                        (画像は、本日の江戸城桔梗門)

お城に出された掟の中から、面白い内容のものを選んで紹介する「お城のオキテ」のコーナー、18回目になります。今回は、江戸城が舞台です。


昨日の雪は凄かったですね。東京でも大雪でした。雪の江戸城はそう見れない!ということで、今日仕事ついでに皇居に行ってきました。が…広場や道路には雪が残っているものの、石垣や櫓・門の雪は既にだいぶ溶けていて、雪化粧とまではいきませんでした・・・


そんな江戸城と雪に関わる掟を発見しましたので、ご紹介しましょう。



【史料】御堀際制禁(『徳川禁令考』第三巻、p145)

一、海道并河岸端ニ有之候雪砂、御堀江入候由相聞、不届ニ候、向後雪砂其外何ニ而も御堀江入申間敷候、若相背候ハヽ、急度可被仰付旨、御町奉行所江被仰付候旨、堅相守候様、町中不残可被相触候、以上、



宝永4年(1707)12月に江戸城の堀を対象に出された幕府の掟のようです。「海道」=街道と河岸の端っこにある雪や砂を、江戸城のお堀に入れているとのことを聞いた、不届きものである。今後は雪・砂、その他なんであろうとお堀へ入れてはならない。もしこの掟に背く輩がいれば必ず罰する、とのことを町奉行所に命じられたことを堅く守って、町中残らず通達するように・・・。現代語訳はこんな感じでしょうか。


以前、米沢城でも雪を捨てるな!という掟が出ていたことをみました↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/27929391.html


江戸城でも同様の掟が出ていたことがわかります。旧暦の12月ですから、ちょうど今頃の季節ということで、昨日のような雪が江戸に降り積もっていたのでしょう。で、「雪砂」というのが、雪と砂なのか、雪のみを指しているのか、よくわかりませんが、街道や河岸などに積もっていた雪を雪かきした後、それを堀へ入れていたと。そんなことをするやつは不届きものだ!と怒っています。


雪を堀へ捨てると、一緒に砂や草木、さらにはゴミが混ざって、堀が埋まってしまうのでしょうね。だから辞めろと言っているのだと思います。純粋に雪だけなら別にいい気もするんですが・・・


頑張ってタイムリーな記事を書いてみました(笑)


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                            (画像は、現在の槻門跡)

すっかり更新が滞っております。徐々に再開したいと思います。

さて、今回は「お城のオキテ」のコーナー、舞台は愛媛県伊予の松山城です。

松山城の槻御門に出された掟です(寛文年間=1660年頃のもののようです)。槻門は二の丸の門のようで、城内最大級の門だとか。その槻門の掟に、番兵が食事をする際の注意事項が書いてあります。


【史料】「松山政要記 文」(『松山市史料集』第3巻近世編2、p12)


一、番之者朝晩食代一組之者半分宛代候て、番所人のすき不申様に可仕事、


【読み下し】
一つ、番の者、朝晩食代わり、一組の者半分ずつ代わり候て、番所人のすき申さざる様に仕るべき事、


ということで、槻門を守っている番兵がいるわけですが、彼らも朝食にディナーと、ご飯を食べないとやっていけません。でも、みんながご飯食べに行っちゃったら、城門を守る人がいなくなっちゃいます。

そこで、一組の番兵のうち、半分ずつ交代でご飯を食べることにしたということです。半分が食べて、残り半分は城門番を続けていると。「すき」というのは、「空き」「隙き」ということで、番所に人がいなくなること、人数が少なくなることがないようにしなさいと命じています。

番兵たちの間で、「俺らが見張っておくから、先に飯食ってもいいよ〜」とか言い合っていたんでしょう(笑)こういうのを、松山城の槻門跡の現地に看板でも立てて解説したら、もっとお城見学の面白さを伝えることが出来ると思うんですけどね〜

ただ、どこで食べていたのか、わかりませんね。前回の第16回目の記事に出てきた柳川城の掟だと、弁当にタバコを隠すな!という内容があったので、弁当を持ってきて番所の中で食べていたのかもしれません…でも、番所が空かないように、と書いてあるので、番所ではない場所でディナーしていたのか…どうなのでしょうかね。そんな研究あるんだろうか…


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                           (画像は、柳川城水門)

九州のお城をいくつか見てきました。柳川にも行きました。柳川といえば、掘割を船で遊覧する川下りが有名ですが、立花藩12万石の城下町でもあります。今回は、その柳川城の「城掟」の一部をご紹介しましょう。

いつ出されたものなのかよくわかりませんが、おそらく江戸時代の終わりころのものと思われます。何ヶ条にもわたっていろいろなことが書かれていますが、その中にこんなのがありました。


【史料】城中令条(『柳川市史』史料編検〔川藩法制、p133)


一、於城中囲碁・将棋等取扱間敷事、
  附、弁当ニ吸筒等令持参候儀、堅令停止候事、


城中において、囲碁・将棋などを取り扱ってはならない、ようは囲碁・将棋をして遊んじゃだめということですね。城門などで番をしている最中に、通行人のチェックもロクにしないで囲碁・将棋に熱中していた侍がいたのかな。囲碁や将棋は戦国時代の城跡から出土することもありますね。娯楽の一つということです。暇だったんでしょう(笑)


附則も面白いです。お弁当に、「吸筒」=タバコ!を入れて持参させるようなことは、厳しく禁止すると。お弁当にこっそりタバコを隠して持ってくる人、持ってこさせようとする人がいたんでしょうね。そんな情報を柳川藩側が入手して、バレているよと言わんばかりに条文にしているのがまた面白いです。


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城郭探訪が続いてしまったので、久しぶりに「城の社会史」に行きましょう。

毎日暑いですね。暑い時には、プールに行きたくなりますね。でも、江戸時代にはプールはありません。城内も暑いでしょう。そんな時にどうしていたのか…どうも、お堀で水浴びをしていたようなのです。今回の舞台は、江戸城になります。


【史料】御堀際制禁(『徳川禁令考』第三巻、p143)

一、御堀にて水あひ有之節、往還之者立留り見物不仕様に、町辻番之者相断可申候、勿論町人共立出不致見物候様ニ可申聞事、

<書き下し>
一つ、お堀にて水あびこれある節は、往還の者、立留まり見物仕らざる様に、町辻番の者にあい断り申すべく候、もちろん、町人ども立ち出で、見物致さざる様に、申し聞かすべき事、


この史料は、寛文12年(1672)7月に出された掟です。7月ということは、旧暦ですから、今の7月下旬から9月上旬に当たるそうです。ということは、まさに真夏に出された掟ということになります。


内容も、まさに真夏を感じさせるものです。江戸城のお堀において水浴びをする時は、お堀沿いを行き来する人々が立ち止まって、水浴びしている人たちを見物しないように、町辻番(城下町の治安維持をするお役人)に断ってから水浴びしなさい、としています。


加えて、町人たちが野次馬みたいにぞろぞろと出てきて見物しないように、ちゃんと言い聞かせなさい、ともしています。


江戸城の中心部というよりは、もうちょっと外側、武家屋敷や町人屋敷に隣接しているお堀での話のようです。どうも水浴びをするのは武士のようですね。彼らが暑い中、水浴びをしていたのでしょう。それを、やたらと見ず知らずの通行人や町人に見られるのはよくないと、どうもそういうことを言いたいようです。


例えるなら…お堀で水浴びしているところを、皇居ランナーにジロジロ見られる、そんな感じでしょうか。


一方で、他のお城の掟を見ていると、お堀で水浴び禁止!というのがよく見られます。時と場合によるんでしょうかね。



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