太夫丸猿掛城略図 猿掛城山麓及登城口及び、山上主郭には簡単な猿掛城の略図があります。
現状との食い違いもありますが、城址を巡る際には参考になりそうです。 太夫丸
寺丸を出て、山上主要部に向かいます。
すると削平面が荒い曲輪に入りました。ここは太夫丸と呼ばれます。 天文2年(1533年)守護細川氏に攻められ勢力を減退した庄氏でしたが、
やがて勢力を盛り返し、当主・庄為資は守護所である備中松山城に入ります。猿掛城には一族の庄実近を城代として置きますが、天文22年(1553)年、毛利の援軍を受けた三村氏と戦います。戦いは調停で講和となりますが、 翌23年に三村家親の長男、三村元佑が庄為資の養子となり猿掛城に入城しました。城代の実近はこの曲輪に退去しここを太夫丸と称したと伝わります。
太夫丸に残る石積み跡
不自然な地表面の太夫丸は後世、炭焼き窯などが作られ現状を逸しています。寺丸と同じく、出曲輪的な存在として用いられたと考えられます。
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