縄文の風

日本は子供の楽園だった
大和高原 歴史ウオーク  
奈良新聞連載「大和高原の未来を探る」                  A5版150頁、カラ写真30枚、白黒写真・図74枚。
大和高原文化の会 平成26年4月末発行 1000円
 
奈良盆地が「国中 ( くんなか )」と呼ばれたのに対して、大和高原は「東山中 ( ひがしさんちゅう )」と言われ古代に闘鶏国、板蝿杣などとして歴史文献に登場します。
一方、大川遺跡が関西初めての縄文遺跡発掘。以後、13000年前からの草創期そして早期と発見されました。
奈良新聞に植村勝彌氏が平成18年から55回連載された記事を基に、今回多数の写真を加えて発行致しました。
魅力一杯の大和高原の案内書として最もふさわしく、片手に携えて自然あふれる四季と共に探索頂ければ幸いです。以下に主な内容を順不同で紹介します。
 
古道    斎王群行の路 初瀬街道 都祁山道 春日社御運上の路 福住路 氷室から氷の道 大慈仙から大柳生へ 大柳生から阪原 柳生から邑地へ 
史跡    鍋倉渓 桐山和田遺跡 化粧壺 都祁堀越頓宮 山辺御井 磐座 三陵墓古墳 大西の塚ノ本遺跡 日笠フンダ遺跡 毛原廃寺 福岡氏居城 三ヶ谷城 光仁天皇陵 春日宮天皇陵 太安万侶の墓 
神社・仏閣 蔵輪寺 神野寺 竹渓山寺 笠寺 笠山荒神 福住氷室神社 誓多林寺 八阪神社 円成寺 立磐神社 芳徳禅寺 天神社 峰寺六所神社 上深川八柱神社 割石神社 瀧蔵神社
仏像    応現寺本尊不空羂索観音菩薩像 永照寺本尊十一面観音立像 神野寺銅造菩薩半跏像 快慶作の西方寺阿弥陀如来立像 来迎寺善導大師像 来迎寺十一面観音菩薩立像 竹林寺本尊薬師如来立像 金龍寺聖観音菩薩像 疱瘡地蔵石仏・徳政碑文 カツレの地蔵石仏 大仏様の顏デザイン 芸術家武将山田道安 五輪塔 宝篋印塔 磨崖仏
大和高原内の延喜式内社 都祁水分神社 夜支布山口神社 神波多神社 都祁山口神社 天之石立神社 鳴雷神社 天之石吸神社 宅布施神社         
信仰の山・嵩山 神野山 都介野岳 真平山 笠山 滝倉山 国見山 一体山 春日山 檀の山 野々神岳 
笠置山 キリシタン弾圧 
伝統行事・祭り 与力制度 オコナイ 虫の祈祷 雨乞い 風の祈祷 一万度ワーイ 三荷の砂もち 勧請縄 題目立 豊田楽 太鼓踊り 神倉立て・鍵引き・ほうでん 
大和高原民俗資料館展示品写真 復元農家 製造道具(凍豆腐、養蚕、茶、藤箕、農、山仕事)
 
    会員外の皆さんには、印刷実費の1000円と送料100円で、お送り致します。
      申込先 〶630−2343 奈良市山辺郡山添村春日613                    浦久保昌宣
          電話 0743−85−0503
      振込先  南都銀行名阪針支店 普通口座 0198914
               大和高原文化の会 会長 植村勝彌

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第九回
全国健康むら
    21ネットin大阪


いのちを育む一食と農と健康と



日時:平成26年4月19日(土)

午前10時〜午後5時(会場9時45分)


会場:朝日生命ホール8階

地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅J1

2番出口

会場:朝日生命ホール


第一部午前10時〜12時20分

講演1

「病気にならない免疫生活パートII」

                     安保徹医博


講演2

「故郷福島県飯舘村より三重県の新天地へ

 〜自然と人との共生を求めて人生再出発」

                     村上真平氏


第二部午後1時10分〜5時

パネルディスカッション

「日本の未来に向けて一

         食と農と健康への提言」

パネラー:

安保徹、昇幹夫、佐藤喜作、村上真平
                   
                    進行:槌田劭

(紙面都合上:

敬称は割愛させていただきました。)



特別講演


「糖質制限食とテーラーメードダイエット」

〜個人の症状や嗜好に合わせた食事療法

    江部康二医博(高尾病院理事長)



第三部午後5時30分〜7時30分

講師各先生や

顧問先生方を囲んで懇親交流会


-参加費前売券2,000円/当日券2,500円

第三部の参加費は別途2,500円

(先着順受付)

申し込み郵便振替口座00930-5-102781

口座名全国健康むら21ネット

: 前売〆切4月16 日必着分


|お振込確認後、前売券を送付します。|



画像をクリックするとPDFで表示されます。


http://www.kenkoumura21.com/image/2014-9_1.jpg






























お問合せ

小林美喜子/

〒573-0047大阪府枚方市山之上2-6-12

TEL&FAX 072-841-0207(携帯090-2280-5688)


山田修/

〒581-0869大阪府八尾市桜ケ丘2-76

(山田健康センター内)

TEL 072-997 -6177 FAX 072-940-6108

全国健康むら21ネット

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東経135度から始まる愛の世界・関西大会感想
 
にんげんクラブの合い言葉は愛 奈良支部小山公久
その瞬間に立ち会えれて感謝感激です。
船井勝仁さんが、愛を感じた事が少なかった。父親としての船井幸雄氏は仕事に命かけてて子育ては母親まかせ。愛された想い出は?私も良く似た人生。軍隊から帰ってきた父親から生まれた団塊の世代です。親達は働く事に精一杯でした。私は、社会変革の活動に頑張ってて、我が子は0歳から保育園まかせ。どう、育って行ってるのか、無関心でした。    今そのつけで孫に心を寄せています。本当に愛した事があるのか?
この事に正面から向き合う事が、新しい時代みろくの世創りの第1歩と勝仁さんが話されます点は、私の課題そのものです。1人では、前に進む勇気は出ないのですが、皆さんに助けていただければ、なんとか愛そのものになれるでしょう。ヒトの本質は光そのもの、愛のかたまり、神の分霊と勉強してきたのですが、実感できませんでした。、
天明先生が描かれました、日、月、子ども(人類)を抱いた地球の3貴神図の前で岡本三典先生が力強いお声で奏上されます、ひふみ祝詞。その最後は次の御神歌がうたわれてました。
「御まえに歌たてまつる弥栄み歌を。国原は大波うちて、みふみを拝す。さあれ吾の生命尊し吾を拝みぬ。」3・11にその意味を思い知らされました。預言の的確さ。人智を超えています。
 高校時代に賢治に出会って、日本は農で行かなくちゃと吉岡金市博士に教えを乞いました。今回、講師の皆さん、農を実践していく事の重要性を話されました。肉体を授かってる私達は、生命を食べて生きている、その生命(食物)をお金で手にいれてる矛盾にいつ、気がつくのかを伝えていきたいです。

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★☆ シャンティメール 1月22日 ☆★

1月21日サンケイ新聞に掲載されたオバマ大統領の
米誌のインタビュー記事(1月19日付):

「私も子供の頃にマリフアナを吸った事がある。

 悪い習慣だと云う点では長年吸っていた
 たばこと大差はない。

 酒よりも危険が大きいとは思わない」

などと大胆なことを語った。

米コロラド州やパラグアイでも解禁となり、
アメリカもそろそろ解禁する、との予告なのか?


私も昨年10月に参加した大麻の第一人者・
中山康直さんの講演会は大入り満員だった。

その時聞いた話のひとつ

安倍総理夫人が中山さんを訪問し、
2時間も大麻の事を聞かれたそうな。

11月にはネパールの大臣に呼ばれて自生する
大麻の有効利用の指導に行って来られた。

その流れかどうか分からないが、

昨年12月には厚生労働省にも中山さんは呼ばれ
大麻の講義をされたそうですが、

詳しくはサラ・シャンティでの講演で。

「原子力に代わる大麻力発電にシフト」
と細川さんも知事選で訴えて欲しい。

車のフレーム以外は大麻プラスティックでの
製造技術が1940年にはフォードが開発している。


縄文創世期以来、繊維、食用・薬用として
来た大麻文化を復活させないでどうするの。

『悪法! ! 「大麻取締法」の真実 』(ビジネス社)
の著者でもある、船井幸雄さんが20日朝、逝去された。

『金の卵 大麻産業』を意識的につぶしている
実情を知ろう。上手に運用すれば日本だけで
10〜30兆円の経済効果が上がると書かれている。

日本の精神文化を破壊する大麻取締法という悪法 (船井幸雄)
http://kurasu.biz/index.php?hem_01

船井先生は2年前から月刊ザ・フナイで船瀬俊介氏や
赤星栄志氏、武田邦彦氏の大麻特集を組んできた。

日本大麻文化復活を推進する第一人者
中山康直さんも支援され、2012年8月号
から連載が始まった。

現在連載は18回続いており、これから大麻に
取り組む若者にとっての必読書となる。

鳥取県智頭町では昨年、上野さん兄弟が栽培許可を
取得して、その地の麻文化再生に取り組み始め、

60年ぶりに大麻栽培を復活させた上野俊彦さん(34)が
西日本各地で大麻の繊維を加工する際に古くから
行われてきた伝統技法「桶蒸(おけむし)法」の
公開実験を行った。
http://www.taimasou.jp/index.php?QBlog-20130930-1&mode=archives&date=201309

宮崎県の弊立神社と高千穂の近くに住んでいる
佐藤暢晃さん、律子さん夫婦も地域の長老たちと
大麻栽培を復活させたいと動き始めた。

2002年から始まったヘンプカーでの全国行脚を
行って、各地の麻産業の復活をオーガナイズして
きた中山さんの活動が伊勢のご遷宮の2013年から
一気に開花したようだ。

中山さんの仲間の宇宙連合が活発になってきたこと。

この間の実り多いお話や世界の動向を一人でも
多くの人に聞いていただきたいと思います。


★2月2日(日)中山康直氏講演会

世界を麻結う 感動感謝を今ここに!
いま知ってほしい大下伸悦の世界  

開場13:00
 1部: 13:20〜13:50 大下伸悦 講演
 2部: 14:00〜16:00 中山康直 講演
 5時頃まで質疑応答

 参加費 3,000円 (当日3,500円) 
 5時半から近くのお店で懇親会も予約ください。

 参加費 \2000 + 飲み物 も要予約


 中山 康直 プロフィール
 縄文エネルギー研究所所長 民族精神学博士

1964年 静岡県の浜岡原発の近くで生まれ、
幼少の頃より大和精神文化の影響を受け継いで育つ。

中山さんは13歳の時に池で溺れ、15分間意識を失い、
その間に超高度に進化した惑星に転生したそうな。

その時の記憶にカンパラーという生命の樹である
神聖植物で核で汚染された星でのシャーマニックな
神事をしていたそうな。

1996年 戦後、民間では始めて「大麻取扱者免許」を取得し、
環境、伝統文化、歴史民族についての麻の研究をベースに、
「縄文エネルギー研究所」を設立、麻産業のコンサルタント
やヘンプ製品の開発業務を行う。

「地球維新(明窓出版)」「2012年の銀河パーティ(徳間書店)」などがある。
【いやさか(弥栄)の会】http://www.yaei-sakura.net/
【中山弥栄塾】http://www.ooasa.jp/school/
 
 大下伸悦先生の最新情報と中山さんのトークセッション
にもご期待ください。

グリーンオーナー倶楽部 http://gop55.com/
いま知って欲しい事 http://shinetsu-oshita.seesaa.net/
_________________________

 
お問い合わせ/お申し込み
サラ・シャンティ事務局(シャンティすぽっと)
電話/FAX : 078-802-5120
メール : sala_santi@rondo.ocn.ne.jp
Homepage: http://www.npo.co.jp/santi

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小名木善行著「ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!」近日発刊!!


義に生きる 山田方谷

http://blog-imgs-27-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/banner2.gif←はじめにクリックをお願いします。

山田方谷
http://blog-imgs-43-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/2011010917114703f.jpg


岡山の山田方谷(やまだほうこく)のことを書いてみようと思います。

幕末の頃の備中松山藩の人で、十万両の借金にあえぐ藩財政を、わずか八年で逆に十万両の蓄財にかえてしまったという江戸時代の逸材です。


友に求めて 足らざれば 天下に求む
天下に求めて足らざれば 古人に求めよ

この言葉を遺したのが、岡山の偉人、山田方谷(やまだほうこく)です。
以前、平沼赳夫先生が、国会でこの山田方谷のお話をされたことから、一躍有名になりました。

山田方谷は幕末の頃の備中松山藩の人で、十万両の借金にあえぐ藩財政を、わずか八年で逆に十万両の蓄財にかえてしまったという江戸時代の逸材です。
後に英雄となる河井継之助は、若いころ、はるばる備中まで山田方谷を訪ね、土下座してまで、山田方谷を師と仰いでだといいます。

それだけすごい人だったから、明治維新後は、岩倉具視や大久保利通らが、山田方谷に、新政府への入閣を願っています。
けれど方谷は「二君にまみえず。二度と仕官つもりはない」と、これを頑として断り、弟子の育成に生涯を捧げました。

けれど、実は、高杉晋作の奇兵隊ですら、山田方谷の真似であったといわれています。
それだけの先見の明を持ち、さらに武人としても、戊辰戦争で岡山県の山の中の小藩ながら、家康公以来の板倉家が率いる最強の旧幕府軍(ほんとうに強かったのです)として、殿様を先頭に函館五稜郭の戦いまで、つまり最後の最後まで戦いました。

ちなみに薩長ですら、お殿様は最前線では戦っていません。
それを最後まで最前線で闘い続けたのが備中松山藩主の板倉勝清で、その傍には、常に山田方谷がいました。

備中松山藩というのは、いまの岡山県高梁市にあった藩です。山陽自動車道は岡山から岡山自動車道にわかれますが、その岡山道の、山陽道、中国道の真ん中くらいのところにあるのが高梁市です。
そこが、もとの備中松山藩です。

藩主の板倉家は、徳川家康の代からの古い名門家です。
小藩ながら、京都所司代や、幕府の老中職さえも勤める家柄で、その板倉家が、備中松山藩を知行地としたのは、将軍吉宗の時代の延享元(1744)年のことです。

実は板倉家は、高梁にきてびっくりしています。
なぜかというと、表向き石高は五万石なのに、実際には、山ばかりで平野部がほとんどなく、実収入はわずか二万石しかなかったのです。

これじゃあ話が違うと、泣き言を言えないのが、武士の辛いところで、実収入がどうあれ、5万石とされていれば、5万石相当の役務を消化しなければならないし、それだけの家臣も揃え、その俸禄をちゃんと払わなければなりません。

しかも板倉家は名門なだけに、お殿様は必然的に幕府の要職に就きます。
いまと違って、要職に就くというのは、高額の給料がもらえて豊かな生活になるのではなく、出費がいやおうなく増え、かえって生活は苦しくなる。
ですから昔は、「偉い人」というのは、「偉い」のではなくて、ほんとうは「えらい(=しんどい)人」という意味の言葉でした。

実はこうした傾向は、戦前までの日本ではむしろあたりまえのことであったといえます。
要職と富が「=」になったのは、むしろ明治以降のことです。
江戸時代は、身分の上では一番上位の武家が、お金の面では一番貧乏です。

そんなわけで藩の財政は、万年大赤字です。
もはや返すあてなどまったくない借金を、ただ毎年重ねるだけで、どうにも首が回らない。
このころの備中松山藩の財政状態を示す記録があります。
当時の藩の年間収入が7万5千両。負債が10万両。1両というのは、だいたいいまの6万円に相当しますから、板倉家の年収は45億円で、有利子負債が60億円という状況です。

そんな備中松山藩に山田方谷が生まれたのは、文化2(1805)年2月21日のことでした。
場所は、西方村(現在の岡山県高梁市中井町西方)です。

文化二年といえば、まさに江戸文化が花開いた、江戸時代の中の江戸時代だった時代です。
将軍家斉の治政で貨幣経済が世の中の中心になり、農本主義を基礎にする武家や農民は、たいへんな困窮へと向かった時期にあたります。

方谷が生まれた山田家は、もともと清和源氏の流れを汲む武家の名門なのですが、そんなご時世から、方谷が生まれるころには、農業と、菜種油の製造販売を家業とする武家兼農商家として、ようやく生計をたてていました。
つまり山田家は、武家ではあるけれど浪人中で、農家の小作(水飲み百姓)と商人を兼務して、やっと生計を立てていました。

江戸時代というと、なにやら武家がいい生活して、百姓、町人は、収奪されて苦しい生活を強いられていた、などという印象操作が戦後の日本では流行っていますけれど、そんなものははっきりいって大嘘です。
とりわけ農家は、武家に厳しく年貢を取り立てられ、生活に困った農家は繰り返し一揆や打ち壊しばかりしていたかのような印象操作が行われているけれど、現実の問題として、ご親戚に農家があるお宅なら、その家のお爺ちゃん、お婆ちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、ひもじいからといって、よその家を襲うような人たちかをちょっと考えてみれば、そんなことが大嘘だということくらい、誰でもわかります。

方谷の育った山田家もそうですが、農業をしていたといっても、それは自分の家の農地で農業をしていたわけではなくて、農家から土地を借りて農業をしています。
同じ農家でも、年貢を納めるのは、いわゆる広大な農地を持つ、大地主さんで、その大地主さんのところで、たくさんの小作農が、土地を借りて農業をしているわけです。
武家の生まれであっても、生活がたいへんなら、あたりまえのように、地主さんから土地を借りて、そこで農業をしていました。
それが江戸時代の、ごく普通のあり方です。

そんな家庭に育った方谷ですが、幼いころから、とにかく頭が良い。
寺子屋では超がつく優等生で、私塾に進学しても、そこでもとびきりの優等生です。
あまりに優秀だったため、二十歳のときには藩主板倉氏の格別のお計らいで、なんと士分に取り立てられたのみならず、藩校の筆頭教授に任命されています。

こういうところが、江戸社会のおもしろいところで、ガチガチの身分制がひかれているようでいながら、こうした大抜擢が、頻繁に行われているし、また、二十歳くらいの年齢で、どんどん責任ある役職にも就かせているわけです。
そういう意味では、年功序列の厳しい現代日本の方が、よっぽど身分固定に近いといえるかもしれません。

ちなみに、日本における身分制は、もちろん世襲制ではあるけれど、インドのカースト制のような画一的な身分差別を基礎に置くものでは、ぜんぜんありません。
身分制度は、あくまで秩序のための制度であって、会社でいえば、係長や課長といった役職と同じです。
ただそれが世襲となっているというだけで、あくまでも農家も武家も人として対等。
身分制度は、あくまで、社会秩序の維持のためのものという理解です。
なぜなら、武士は貴族とは異なり、もともとは新田の開墾百姓からスタートしています。
そういう意味では、武家も農家も、その起点は、同じところにあるのです。

藩校の教授をしていた山田方谷は、29歳のとき、貯めたお金で江戸に遊学しました。
江戸では、佐藤一斎の塾に入りました。
佐藤一斎という人は、のちに江戸の昌平坂学問所(いまの東京大学)の総長に任命される人で、当代随一の大教授だった人です。

弟子にはあの天才・佐久間象山や、絵画で有名な渡辺崋山、幕末に大活躍する横井小楠などがいます。
なかでも山田方谷は、毎日のように佐久間象山と激論を交わし、ことごとく象山を論破してしまっていたそうです。
それで、コイツはすごい奴だということになって、山田方谷はここでも名を上げています。

時がたって、嘉永2(1849)年、方谷が44歳のとき、藩主が交代して、彼は新藩主の板倉勝清から、藩の元締役(もとじめやく)への就任を要請されます。
藩の元締めというのは、藩政の一切を仕切る者ということです。
立場的には、実質藩主に相当する強権を持つ。
その強権をもって、破綻寸前の備中松山藩を救ってくれと依頼されたのです。

すごいじゃないですか!
見事、栄達!!などと考えるのは、現代人の考え方です。
これはたいへんなお役目で、逆に「その強権をもって破綻寸前の備中松山藩を救えなかった」ときには、切腹を仰せつかることになる。
喜んでいられるようなポジションではないのです。

元締めに就任した方谷は、まず書を著しました。
それが「理財論」です。
その本の中で方谷は、「義を明らかにして利を計らず」という漢の董仲舒(とうちゅうじょ)の言葉をひいて、藩政の財政改革の基本的方向を示しました。

そしてまずは、負債の整理に取り組みました。
方谷は、就任後すぐに大阪の御用商人のもとに赴き、有利子負債の利息の全額免除と、元本について五十年間の借金返済棚上げを要請したのです。
これには、大名相手の貸金をしている両替商たちが、びっくりします。
いままでの人は、ただ頭を下げてカネを貸してくれの一点張りだったのに、山田方谷は「カネを貸してくれ」ではなくて、「借りた金を払わない」と言ってきたのです。
その代わりに方谷は、単に債務を免除しろというだけではなくて、具体的な藩の財政の再建計画を提示しました。

財政再建というと、いまの政府や企業の多くがそうなのだけれど、まず語られるのは、経費の削減です。
人員を削減し、歳費をカットし、予算も縮小し、公共事業を減らす。
そういう一時的な経費削減によって、利益が出たといって喜びます。
けれどこの方式は、すぐに破綻します。

簡単な例を申し上げます。
利益を出すために、人件費を100%カットして、全社員をクビにします。
するとその年の決算は、人件費がなくなった分、巨額の利益を計上できます。
けれど、その翌年には売上がゼロになり、倒産します。
あたりまえの単純な理屈です。

人件費をゼロにしなくとも、カットとするだけで、社員のモチベーションは下がり、売上はさらに低迷します。するともっと経費を抑えなければならないという情況に追い込まれ、会社はどんどん萎縮していきます。
そして最後には、それが会社なら倒産してしまうし、国家や行政なら、財政が破たんします。

すこし考えたら、誰にでもわかることです。
絵にかいたようなバカな動きなのだけれど、現実にはこれこそが財政再建の道だと、大真面目に語る人が多いことには、ほんとうに驚かされます。
けれどこれには理由があります。

本社にいて、人員カットを言い出す本社スタッフは、自分のクビは切られないと思っているのです。
本社のエリートスタッフが、年収1000万もらっているとして、会社の売上が2割減ったなら、じゃあ、本社スタッフも、責任をとって給料を800万に落すかというと、そうはならない。
彼らは、自分の給料を翌年1100万にするために、現場の年収300万の社員二人のクビを刎ね、自分の給料だけはアップしようとするのです。
こういう馬鹿者たちが本社のエリートスタッフを気取るようになると、その会社はたいてい潰れます。

ところが山田方谷は、莫大な藩の借金を返すのに、ただ経費削減を述べたわけではありませんでした。彼は言うのです。
「政(まつりごと)で大切なことは、民を慈しみ、育てることです。それこそが大きな力である。厳しい節約や倹約だけでは、民は萎縮してしまう。」

では、どうするかというと、彼はタバコや茶、こうぞ、そうめん、菓子、高級和紙といった備中の特産品に、どれも「備中」の名を冠して、江戸で大々的にこれを販売するというのです。
しかも「備中」をブランド化するという。
これは、いまでいったら「宮崎県産」みたいなものです。

西国の藩は、藩の製品は、大阪に卸し、大坂商人に、販売を委ねていました。
ところが方谷は、これを船で直接江戸に持っていき、江戸で、大々的に売ると言うのです。
しかも売る場所は、江戸の藩屋敷だという。
問屋や流通を経由しない分、中間マージンがありませんから、その分、安く売ることができ、利幅も大きい。
商品はめずらしいものばかり。
しかも、おいしい。
その場で、食べることもできる。
なかでも備中そーめんは、後日、たいへんな大ヒット商品に育っています。
直販ですから、藩はまる儲けです。

さらに方谷は、これをさらに効率的に推進するため、藩内の体制組織を、従来の身分制にとらわれない、能力主義による会社的機構にするといいます。
この時代、そもそも大名が正直に実態の石高を商人に語ること自体が、まずなかった時代です。
その時代に、正直に藩の財政の実態を明かしたのみならず、藩の産業振興策を、しかも大阪商人たちに、あなたがたを通さずに、直売しますよ、と言い出したわけです。

こうなると、大坂商人たちは、自分たちの利権を失うわけです。
しかも借金の利息は負けろ、元本は50年払わない。
よくもまあ、そんな大胆なことを言ってのけたものです。

けれど、商いに厳しい目を持つ大阪商人たちは冷静でした。
欲をかいて備中の物産の仲買をするよりも、すでに10万両(60億円)にのぼっている貸金をしっかりと取り立てた方がいいと計算したのです。
そして、方谷の財政再建計画書をみて、完全に彼に賭けようと決めました。
大阪商人たちは、方谷の申し出通り、備中松山藩に対する支払いの50年の棚上げと、利払いの全額免除を承認したのです。

さらに方谷は、産業の育成を図りました。
何をしたかというと、備中で採れる砂鉄を使って、当時の日本人口の8割を占める農家を相手に、特殊なクワを開発して販売したのです。
これが「備中鍬(びっちゅうくわ)」です。

備中鍬というのは、三本の大きなつめを持ったフォークのような鍬(クワ)です。
それまでの鍬は、先端部分が平板です。いってみればスコップが曲がっただけの形をしています。
土を耕そうとすれば、その面積全部の重量が手や足腰にかかりますから、たいへんな負担になる。
しかも木製のクワが当時はまだまだ主流で、これはすぐに壊れてしまうという難点があったのです。
それを鉄製で、しかも爪タイプにすることで、土を掘り返すのに適した便利な形に改良したのです。
自らも農業を営む方谷ならではの発想です。

備中鍬は、なんと全国で売れに売れました。
備中鍬は、全国的な大ヒット商品となったのです。
おかげで50年棚上げしてもらった借金は、ほんの数年で、なんと元利金とも、全額完済してしまいました。
さらに8年後には、藩の財政は、完全無借金経営となり、なんと逆に10万両の蓄財まで実現してしまったのです。

そして経済的には備中松山藩は、表向き5万石の石高ながら、実質は20万石の力を持つとまで言われるようになりました。
ここまでくると、もうすごいとしか言いようがありません。
まさに成功を絵に描いたような躍進ぶりです。

ここに大切なことがあります。山田方谷がこれを実現した背景には、方谷の、「まず“義”があって、そのうえで”利”をはかる」という、明確な考え方があったということです。
小手先の技術で儲けようとしたのではないのです。
「義」というのは、己を犠牲にするという精神です。
藩だの武家だのという見栄を捨て、藩民のために、江戸藩邸を小売りのための商業施設化し、また、武家の名誉を捨ててまで、商家にも頭を下げる。
そして藩の武士たちも、虚栄を貼るのではなく、武士自らが進んで藩民のために働く。
その結果「利」が生まれる、ということです。

「利」を先にすれば、かえって「利」は遠のく。
もうすこし具体的に言うなら、日本をバカにし、命をかけて戦った先人たちを誹謗中傷するようなバカ者たちが、目先の「利」だけで政治をすれば、あっという間に日本から「利」がなくなり、日本は超のつくド貧乏国になる。
そういうことを、まず藩民に対して、明確にしたのです。

あれほど世界に誇る高い技術力をもち、世界第二位の経済大国だった日本が、この二十年、世界のGDPが二倍に成長する中で、日本だけが完全に横ばいです。
世界が二倍に成長して、日本が横ばいということは、日本経済は、この二十年で二分の一に縮小したということです。
まずは人々が安心して働け、それこそ終身雇用が実現できるような社会体制を築き上げる。
そのために、政府の規制を強化し、財政を出動させて景気に弾みをつける。

会社の利益のために、社員をリストラし、雇用を縮小したら、庶民の生活は不安定になり、個人消費は停滞し、企業はモノが売れなくなり、利益が上がらなくなり、金融機関は貸しはがしするから、会社はつぶれ、国民の生活は、みるみる壊れていってしまいます。
「利」が先で、「義」を後にするから、そうなるのです。

方谷のしたことは、それらとはまったく逆で、先に「義」優先したからこそ、巨額の「利」が生まれたのです。
簡単な話、「この国を守る」と、国が明確に決断しただけで、この国のあらゆる産業が活性化し、工業は息を吹き返し、企業秘密は厳守され、食糧自給もあがり、景気も良くなり、生産物の品質もあがり、教育レベルも向上します。
まずは「義」をたてることが、先なのです。

時代は、音をたてて変化していきます。
幕末、世の中が混沌としてくると、方谷は、藩内に農民で組織する戦闘部隊である「里正隊」をつくりました。
「里正隊」の装備は、英国式で、銃も最新式です。
方谷は、西洋の力を認め、藩政改革に積極的に組み入れたのです。
教練も、西洋式にしました。

農民兵を用いて、西洋式装備と教練を施し、新たな軍事力とする。
後年、この方谷の「里正隊」を、高杉晋作が「奇兵隊」つくりのモデルにしています。
また、山田方谷とともに佐藤一斎塾で学んだ、幕府の直参旗本の江川英龍(えがわひでたつ)も、同様に幕府内に農民兵による陸軍の創設を図っています。

こうしてさまざまな藩政改革をし、藩の立て直しをはかった、まさに天才といえる山田方谷ですが、本人は、けっして順風満帆というわけではありません。
浪人していた半農出身者でありながら、殿のおぼえめでたいことをいいことに、藩政を壟断し、武士を苦しめていると、藩内ですさまじい誹謗中傷に遭っています。

実際、方谷は、農民からの取立てを減らし、商人からの税を増やして(当然です。商人たちは藩の事業用の商品資材を運んで大儲けした)います。一方で、藩の冗費の削減のために、藩士たちの俸禄(給料)を減らしています。
城内でも、ご婦人たちにとことん節約を命じている。

これが一部の藩士たちの反感をかい、目先の欲に取りつかれた一部の御用商人たちが、アンチ方谷派の武士たちのスポンサーとなって、方谷を非難したのです。
当時の川柳や狂歌が残っています。

 やま山車(だし)(山田氏)が
     何のお役に立つものか
 勝手に孔子孟子を引き入れて
   なおこのうえに
     カラ(唐)にするのか

さらに武士たちを怒らせたのが、彼ら上級武士に、藩の辺境の地での開墾にあたらせたことです。
なんで武士が百姓などするか!と、見栄を張る武士たちからは、文句が出る。
加えて「里正隊」です。
西洋の実力を知った方谷からしてみれば、いつまでも「刀による戦い」ではないだろう、となるのだけれど、刀に固執する武士たちには通じない。
方谷は、武門の血を穢している、となる。

こうなると、方谷が、藩の物資を江戸藩邸で販売していることさえも、憎悪の対象になります。
挙句の果てが、賄賂疑惑をねつ造され、あらぬうわさまでたてられたのです。
このことはウワサだけにとどまらず、ついには藩内の過激派武士たちによって、方谷は命さえ狙われるようになっています。

実際にはどうかというと、方谷は、賄賂などまったくもらっていないし、むしろ藩から大加増の内示をいただくけれど、これも辞退しています。
もっとも辞退したはいいけれど、彼は藩内を、毎日あっちこっち移動しています。
人が動けば、それなりにカネがかかる。
おかげで家計は火の車です。

ついには方谷は、奥さんにまで逃げられています。
そしてこれがまたいけないことには、普段の方谷の服装は、全部奥さんが面倒見ていたのに、離婚後は、誰も方谷の服装をみてくれない。
方谷自身は、日ごろからほとんど服装に無頓着な人なので、真っ黒に日焼けして街道を歩く姿は、どこからみても、浮浪者の無宿人くらいにしか見えないし、威厳のカケラもない。

加えて方谷は、どういうわけか大量に水を飲む男で、いつも馬鹿でかいひょうたんを持ち歩いています。
垢と埃にまみれたヨレヨレの粗末な着物で、バカでかいひょうたんを持って、街道をあっちこっちしているわけです。
要するに、見た目、ぜんぜん立派そうではない。
どっから見ても、薄汚い浪人者でしかない。

名門板倉家の上級武士たちが、なんであんな土方の親父みたいなのの言うことを聞かなければならないんだ、という気になったとしても、何の不思議もありません。

けれど方谷は、話すと、めちゃめちゃ明るく、さわやかな男でした。
そしてこの男が、徳川第十五代将軍、徳川慶喜の「大政奉還の起草文」を書いているのです。

そして、越後長岡の河井継之助は、戊辰戦争で負傷して亡くなるとき、「備中松山に行くことがあれば方谷先生に伝えてくれ、俺は生涯、先生の教えを守ったと」と語って絶命しています。

河井継之助は、死後、明治になってから、慰霊碑を建造することになったのですが、このとき日ごろ継之助が敬愛していた山田方谷に、碑文を書いてくれと依頼が来ています。
けれど、方谷は、手紙で断っています。そのときの文面です。

 碑文を
  書くもはずかし
   死におくれ

実際には、備中松山藩は、方谷によって、軍事、教育の改革が行われ、藩内には塾十三、寺子屋六十二という、圧倒的な教育体制がひかれました。
さらにこれらの学校で優秀な成績を修めた者は、百姓、町人の区別なく、どしどし役人に抜擢しています。
さらに豊富な藩の財政をバックにした「里正隊」は、身分の別なく完全能力性によって洋式軍隊教練を受けています。
戊辰戦争では旧幕府側軍団として、藩主板倉勝清を先頭に立てて、ついには箱館まで転戦しました。
備中高梁藩は、最強の洋式軍団となったのです。

明治2(1869)年、五稜郭の函館戦争で大暴れした後、備中松山藩は官軍に降伏します。
藩主板倉勝清は、禁錮刑となり、石高も二万石に減封されました。
そして明治4年、廃藩置県によって備中松山藩は、高梁県となり、以後、深津県、小田県を経由して、岡山県に編入され、現在にいたっています。

河井継之助碑文依頼への方谷の返事は、最後まで男を貫き死んでいった愛弟子に対し、戊辰戦争後もこうして生き残っている我とわが身を恥じた方谷の心を表しています。どこまでも謙虚なのです。

方谷は、明治になってから私塾を開き、多くの人材を育てました。
そして明治10年6月、73歳でこの世を去っています。

方谷の言葉です。

 驚天動地の功業モ
 至誠側但国家ノ為ニスル公念ヨリ出デズバ
 己ノ私ヲ為久二過ギズ

(どんなすばらしい功績も、国家のための至誠と公を大事にする心から発したものでなければ、それはただの私欲にすぎない)

戦後生まれの私たちは、仕事をするのも教育を受けるのもすべては「自分のため」と教えられるようになりました。
けれど山田方谷の生涯は、公のために生きることの凄味を私たちに教えてくれているような気がします。

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にんげんクラブ関西大会

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『交流会』を開催します!!

関西大会、たくさんの方に、お申込みいただいております。
ありがとうございます。
  
      お申込みはこちらから

関西大会でも、交流会をしたいという声にお答えして、
交流会開催が決定いたしました。
講演会で、たくさんお話しを聞いた後に、
その場を共有した人たちと、
心置きなく、思いを語れる場って、
とっても大切ですよね。

すてきなひとときをお過ごしいただけるように、
たくさんの方に参加していただきたいと願っています。

 
 
関西大会 交流会
 時間:18:30〜20:30(予定)
 参加費:3500円
 場所:会場近辺の居酒屋
 60名限定!
交流会も合わせてご検討ください。
お待ちしております。

愛を体験することができたエピソード

勝仁会長が、毎月、船井幸雄ドットコムに書いているブログがあります。
10/1更新のブログの中で、
関西大会の、内容のことが書かれています。
ご紹介します。
とってもステキなエピソードがくりひろげられそうですよ!
 
ここからが今回の本題なのですが、直接聞いたわけではありませんが、
あるとても直感力に優れた先生が
「もう、クリーニングを課題にしているステージは終わった。
次に何をするかを考える時がやってきたようです」とおっしゃっています。
まさにその通りだと私も感じています。
 それが「愛」だと直感した私は、愛について理解したいと思ってインドに行きました。
 愛がすべてをつくり上げている元になっているという理屈は理解できるのですが、
私自身が愛を実感したことがありません。
もっと正直に言うと女性に対して純粋に恋焦がれるという経験をしたことがないのです。
恋愛小説にあるような純粋な愛を実感することができていないのです。
なぜそう思うかと問われると直感としか言いようがありませんが、
クリーニングがある程度進んだ次の段階の課題は
この愛の感覚が分かることだと思っています。
 そして、このコラムで報告した通り、インドでの瞑想等を通じて、
自分のよこしまな異性への思いなどをストレートに見ることによって、
感情のクリーニングが進みました。
その後、にんげんクラブ兵庫支部代表の山内尚子さんや株式会社にんげんクラブの
兒玉裕子さんとの文通などを通じて、鈍感な私もようやく愛の本質的な感覚を
体験することができました。
 詳細は山内さんと本の出版を考えていますので、そちらに譲りますが、
簡単に言うと、山内さんの10年前にお亡くなりになったご主人とのバーチャルセックスの
話をお聞きした時、肉体のないご主人の背中をトントンと叩いているという話を聞いて、
その本質的な愛が実感できたのです。
 それを感覚として感じられたことで、すべてが愛でできているということが
ストンと理解できました。
また、兒玉さんからは兒玉さんの祖父母が実践していた理想的な夫婦像を通じて、
兒玉さんがご主人と築きあげようとしている夫婦のあり方を聞いて、ナチュラルな
女性視点での愛の形についての理解が深まったのです。
 
 山内さんとは11月30日に東経135度の兵庫県明石市にある子午線ホールで
開催するにんげんクラブ関西大会で、この愛を体験することができたエピソードを
語ってもらおうと思っています。

 
書いたものでは伝わらない、本質的な話を引き出したいと思っていますので、
読者の皆様も山内さんの純粋な愛を実感するために、ぜひご参加下さい。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

関西の盛り上がり、伝わってきました!

にんげんクラブのメールマガジン、10/3号、
ごらんいただいた方もいらっしゃると思いますが、
メルマガのお申込みはこちらから
関西の方で、大会に向けて、
さらに新たな、大きな動きがあるようです!
☆☆☆ 前売でお申込いただいた方には もれなく 
        こだまゆうこのにんげんクラブBOOKS1冊 プレゼント!!! ☆☆☆
 
続々とお申込みいただいております!!

関西からの
メッセージをご紹介いたします。

 
こんにちは♪
兵庫県支部代表の山内尚子です。
ご案内にもありますとおり、関西は11月30日(土)の
関西大会に向けて徐々に盛り上がってきています。
県外のイベントのご案内もありますが
その盛り上がりもお伝えしていきますので、ぜひご参加くださいね。
☆大野一道先生による「内観共振法」セミナー☆
座ってできる簡単な発声と体操によって、
自然と調和した「真実の自分」を取り戻し、「本来の自分の声」に出会う内観共振法。
大切なのはノウハウではなく、宇宙と調和するということの本質を理解し、
実践することです。これまでプロへの個人レッスンが中心だった
大野先生のご講演とワークをいただける、貴重な機会となります。
ぜひ多くの皆さんとご一緒したくご案内いたします♪
☆大阪☆10月13日(日)
 阿倍野市民学習センター 特別会議室
  大阪市阿倍野区阿倍野筋3-10-1-300
             あべのベルタ3階
  地下鉄谷町線阿倍野駅7号出口より直結
  JR天王寺駅より徒歩8分
☆東京☆10月26日(土)
 船井セミナールーム
  千代田区麹町6−2−1 麹町サイトビル6階
  JR四谷駅から徒歩5分 1Fのポプラが目印
両会場ともに
♪時間  13:30〜16:30(開場13:00)
♪参加費 会員 3,000円 一般3,500円
 11月30日(土)にんげんクラブ関西大会に向けての
                 スタッフミーティング寄合を行います
10月13日、大阪会場の日には11:00から、
上記会場にて船井勝仁さんもお迎えし、にんげんクラブ関西大会
ボランティアスタッフミーティングを開催予定です。
ただ参加するだけではなく、もっと濃い時間となると思います。
関西大会にご参加予定で、やってみたいなと感じられた皆さん、
ぜひお気軽にご参加くださいましたら幸いです。
(なお、ボランティアスタッフさんには全講演にご参加いただきつつ
 楽しみながらできる範囲でお手伝いをいただきますので
 参加費が必要となりますこと、
 また、大勢お申し出いただいた場合、「盛り上げる」ということで
 ご参加ということもありますので、その旨ご了承くださいね)
それから、スタッフ希望だけど、この日のご参加が難しいという場合には
兵庫県支部代表の山内までメールにてご連絡くださいませ。

☆にんげんクラブ関西大会のお申込みが始まっています☆

関西大会は新しい文明の中心となると言われる
東経135度上に位置する明石子午線ホールでの開催です。
定員300名ほどの小さい会場なのですが
今年はオープンワールドがなかったので会えなかった
全国の会員の皆さまとぜひお会いしたいなと思っていて
 その交流の「寄合」スペースをホール外につくりたいと思っています。
とはいえ、募集スタートと同時に、かなりのお申込みが入っているようなので
ご参加お考えの方におかれましては
ぜひぜひ、お早目のお申込みを、よろしくお願いいたします♪
◆お問合せ・お申込み◇新日本文芸協会きれい・ねっと山内まで◆
下記いずれかへ参加イベント・お名前・参加人数・ご連絡先をお知らせください。
(にんげんクラブ会員の方は必ずお知らせくださいね)
Mail : kileinet@gmail.com TEL : 079-285-2215 FAX : 079-222-3866

日時:2013年11月30日(土)
     9:30 開場
    10:00 開会挨拶 船井勝仁
    10:40 「船井幸雄」を語る(座談会)
            川田薫/近藤洋一/船井勝仁
    13:00 「大還暦を迎える為」のシンポジウム
            川田薫/近藤洋一/船井勝仁
    14:25 宇宙のリズムに沿った生き方
            はせくらみゆき
    16:00 これからの地球とクリーニング
            川田薫
    17:00 「時空を越えて」祈りの朗読とワーク
            山内尚子/はせくらみゆき 
    17:30 閉会挨拶 船井勝仁
  
場所:明石子午線ホール(アスピア明石 北館9階)
      兵庫県明石市東仲ノ町6-1

会費 【前売】 会員4000円  一般4500円
    【当日】 会員5000円  一般5500円

☆☆☆ 前売でお申込いただいた方には もれなく 
        こだまゆうこのにんげんクラブBOOKS1冊 プレゼント!!! ☆☆☆
お申込、お待ちしております。

東経135度からはじまる新しい世界!

2013年、にんげんクラブの関西大会のお知らせです。
☆☆☆ 前売でお申込いただいた方には もれなく 
        こだまゆうこのにんげんクラブBOOKS1冊 プレゼント!!! ☆☆☆
 
次世代につなぐ
次の生き方を探してみませんか。
東経135度からはじまる 新しい世界!!

1886年(明治19年)7月12日に明治政府が発布した
勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」を以て、
東経135度線は日本の標準時を計算によって決定する際の
基準となる子午線に指定されました。

日のいずる国、日本の、基準となる場所
世界の基準とも言える場所

それが、明石です。

この場所で、これからの新しい世界を考える大会です。
ぜひ、ご参加ください!!

日時:2013年11月30日(土)
     9:30 開場
    10:00 開会挨拶 船井勝仁
    10:40 「船井幸雄」を語る(座談会)
            川田薫/近藤洋一/船井勝仁
    13:00 「大還暦を迎える為」のシンポジウム
            川田薫/近藤洋一/船井勝仁
    14:25 宇宙のリズムに沿った生き方
            はせくらみゆき
    16:00 これからの地球とクリーニング
            川田薫
    17:00 「時空を越えて」祈りの朗読とワーク
            山内尚子/はせくらみゆき 
    17:30 閉会挨拶 船井勝仁
  
場所:明石子午線ホール(アスピア明石 北館9階)
      兵庫県明石市東仲ノ町6-1

会費 【前売】 会員4000円  一般4500円
    【当日】 会員5000円  一般5500円

☆☆☆ 前売でお申込いただいた方には もれなく 
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お申込、お待ちしております。

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第26回関西大会

日本綜合医学会 第26回 関西大会

テーマ  「日本再生」 ー小食が世界を救うー
       −食・教育・健康対策の実際−
      

日時
2013年12月1日(日) 10:00〜16:05 (開場9:45)
場所
大阪朝日生命ホール
内容
特別講演、研究発表、大討論会
入場料
2,500円(前売券) 3,000円(当日)
【特別講演】
渡辺 昌 先生
「医・農・食 連携のこれから」
(日本綜合医学会会長 医学博士)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
船瀬 俊介 先生
「長生きしたければ食べてはいけない」
(ジャーナリスト)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【会員発表】
上條 貴子 先生
「穀物大作戦を開始しましょう!」
(食養指導士)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【大討論会】   「日本再生への道」 −健康社会の実現を目指して―
パネラー船瀬 俊介 先生
昇 幹夫 先生
福原宏一 先生
森 美智代 先生


お問合せ先:NPO法人日本綜合医学会関西部会事務局 
        電話 06-6846-2256 FAX 06-6846-2296
        Email jyunkan@eos.ocn.ne.jp

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日月神示輪読会

皆で健康になる         
こころの法則を      
学ぶ会
大自然の法則は、共存 調和 絶対愛 循環と進化 
因果、それぞれの法則によるものです。
中川昌蔵さんが導かれ、提唱し、万人に開かれた
《大自然の法則》を一緒に愉しく学んで参りましょう!
 
当日は日月神示講師として、にんげんクラブ奈良支部代表
の小山公久氏が来場!!
☆企画第一回目は、日月神示から読み解く魂の在り方、人とし
てどのように生きるべきかを考えます。
第一回、こころの法則を学ぶ会
日時 2013928日(土)13時〜17
場所 大阪市中央区民センター和室
 地下鉄堺筋線・中央線「堺筋本町」③号出口より徒歩5分
 当日は、中川先生が提唱した「大自然の法則」の
 資料をもとに考えたり、声に出して読むのがよいとされる
 日月神示を輪読したりしようと思います。
 気付いたことや、日頃の悩みなども共有・潔斎したい
 と思っています。ハーブティとお菓子付きです。    
 参加費は御一人400円です。
 
プロフィール:濱田 幸代(はまだ さちよ)
1964年生まれ。主婦、パート勤務。大阪市在住。
夫と長女の三人家族。長女は特別支援学校に通う中度の知的障碍者。
《日月神示輪読会》を共同で主催。(2013.3〜)
故、中川昌蔵氏の著書、《守護霊との対話》と出会い、本会を創設する。
 
連絡先 お申込み及びお問い合わせはメール、FAX、携帯で。
メール:zi93kw@bma.biglobe.ne.jp
携帯 :090-4499-1163
FAX   06-6886-1067

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出版記念映画・講演会 [お知らせ]

出版記念映画講演会
今秋、サンマーク出版から森美智代著の新刊が出ることになりました。それを記念して、講演会とドキュメンタリー映画の上映会を行います。出演作品の映画は、関西では初上映になる映画『「食べること」から見えてくるもの』(鈴木七沖監督)です。※鈴木七沖監督はこの秋、「第4回ニューヨークシティー・インディペンデント映画祭」に自身が監督をされた村上和雄ドキュメント「switch」(英語版)でノミネートされ、初めてアメリカでの上映に挑みます。
●日時 2013年11月17日(日) 18:30分開場 19:00開演 21:00終演予定
19:00〜20:00 映画『「食べること」から見えてくるもの』鈴木七沖監督 森美智代出演 上映
20:10〜21:00 お話 森美智代      
●場所 大阪府八尾市「プリズムホール」地下2階(小ホール)300名、車いす席4席あり。
     〒581-0803大阪府八尾市光町2-40
℡072-924-5111(月曜休館日)

近鉄線(大阪難波)方面からは〜
近鉄奈良線 大阪難波(なんば)駅から3駅の鶴橋駅で近鉄奈良線と同じホーム(反対側)の近鉄大阪線に乗り換え。準急2駅、普通7駅の「近鉄八尾」駅下車。
中央北出口を出て右へ200m 徒歩5分。
※所要時間 大阪難波(なんば)より 準急利用で約25分
JR「大阪」駅より環状線外回り(京橋・鶴橋方面)で「鶴橋」駅下車。近鉄大阪線「鶴橋」駅準急2駅、普通7駅の「近鉄八尾」駅下車。中央北出口を出て右へ200m 徒歩5分。
※所要時間 JR大阪より40分程度
プリズムホール地下駐車場(約40台 身障者用スペース2台 駐車可能)
お願い: 駐車場は主に催事を行なう主催者に優先的に貸出しを行なっております。一般のお客様は台数に限りがありますので公共の交通機関をご利用ください。

利用料金: 1時間 100円 利用可能時間: 9:00〜22:00

※満車の場合は近隣の駐車場をご利用ください。(料金等は各駐車場にご確認ください。)
●参加費 前売2000円 当日2500円
●お申込・お問い合せ 森鍼灸院(℡072−992―5055)


映画『「食べること』からみえてくるもの』出演者プロフィール

永山久夫(ながやま・ひさお)さん
【プロフィール】
1932年、福島県生まれ。古代から明治時代まで日本の各時代の食事復元研究に長年携わる。食文化史研究の第一人者。長年行ってきた長寿村の食生活の調査結果を基に、古代食や長寿食・情報化時代の頭脳食などをテーマに講演。NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」「武田信玄」「春日局」では、それぞれの主人公の食膳を再現。現在、「綜合長寿研究所」所長。
公式サイト「永山久夫の長寿王国」http://100sai.jp/home.html

サトケン(佐藤研一)さん
【プロフィール】
1971年、奈良県生まれ。株式会社焚火 代表取締役/トータルライフコーディネーター、国境なき料理団 理事/ミラクルコーディネーター。広告業界から一転、岡山の自然食の宿「わら」のオーナー船越康弘氏に師事し、先人の知恵や食養、東洋哲学などを学ぶ。現在はその経験をベースにして「本来の自分に還る」をコンセプトに、人生相談・出張料理・断食アドバイス・講演・企業研修・イベント・各種プロデュース活動中。「食・健・美」の各業界講師とコラボレーション実績も多数。
公式サイト http://ta-ki-bi.jp/

秋田稲美(あきた・いねみ)さん
【プロフィール】
1967年、愛知県生まれ。急がず、比べず、競わずを大切に、幸せを感じるココロとカラダをサポートしている。一般財団法人ラン・フォー・ピース協会代表理事、一般社団法人ドリームマップ普及協会 代表理事。夢をかなえる目標達成ツール、『ドリームマップ』。チャリティラン&ウォークの仕組み『Run for Peace〜世界を結ぶ私の一歩〜』を考案。ソーシャルビジネスの重要性に着目し、社会的課題への解決をボランティアの力のみに依存することなく、ビジネスとして成り立つ「仕組み作り」「働き方」を模索している。著書として、「自分をひらく朝の儀式」「自分をゆるめる夜の儀式」(かんき出版)「そろそろ走ろっ!」(ダイヤモンド社)など多数。
公式サイト:http://www.runrun.co.jp/

森美智代(もり・みちよ)さん
【プロフィール】
1962年、東京都生まれ。短大卒業後、養護教諭として大阪府で勤務中に難病の小脳脊髄変性症を発病。以来、西式甲田療法を実践し、5年かけて見事に難病を克服。その後、鍼灸学校に入り、鍼灸師の免許を取得。現在、大阪府八尾市の甲田医院の近所に「森鍼灸院」を開業。甲田光雄医師の著書で度々紹介されている「仙人2号のMさん」として知られる。1日青汁1杯だけの生活を、すでに17年以上も続けている。著書に『食べることやめました』『「ありがとうを言う」と超健康になる』町田宗鳳先生と共著(以上マキノ出版刊)。映画『不食の時代』(白鳥哲監督)に出演し話題となる。

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中山康直さん講演会

神縁感謝申し上げます。

 第95回「感動塾」のご案内を致します。

今回は、麻について精通され、麻の有用性を全国、縦横無尽に
説いて回っておられる、

中山康直さん(縄文エネルギー研究所所長)にお願いしました。

どんな「球」があなたの「ミット」に投げ込まれるか、
あなたはどう「返球」するか、「ペイフォワード」するか。

日時 2013年10月15日(火)18:00開場 18:30開演

会場 大阪市中央公会堂 大会議室
    大阪市北区中之島1−1−27
   (地下鉄御堂筋線・京阪本線「淀屋橋」下車①番出口より徒歩5分)
   (京阪中之島線「なにわ橋」下車①番出口より徒歩1分)
 
演題 麻結う感動感謝を今ここに!

    日本は古来より朝日が昇る国と言われています。掛詞として麻霊
  (あさひ)の上る国という霊妙な波動で天(あ)人(す)地(わ)の
   結びが行われてきている国でもあります。麻は天地を結び、神と人、
   人と人を結び、心と体を結ぶ力を持っています。
    古神道では麻を依代(よりしろ)として祀り、岩戸開きのとき神
   々が手にしていたものは麻の枝でした。現在の神道においてもお祓
   いの大幣(おおぬさ)、注連縄、鈴縄、神事の大相撲の横綱の綱も
   麻で作られています。
    また、衣・食・住・医療においても、麻の繊維・葉・実が健康生
   活を支える働きをし、さらに、麻は有機農業に適した作物で、農薬・
   化学肥料・大量の水を必要とせず、放射能を除去する働きもありま
   す。また、クリーンエネルギーとして、未来に光を当てる植物でも
   あります。麻の実油をエネルギーとするヘンプカーを運転し、日本
   各地を回り、ヘンプカープロジェクトをされているのが、今回の講
   師の中山康直さんです。
    朝夕に感謝と同時に、麻結う(あさゆう=麻で結び結ばれるはか
   らい)に感謝・感動する時空間を皆様と共有し創造したいと存じま
   す。

会費 2000円(学生1000円) (2次会プラス3000円)

募集 80名

申込 「感動塾」代表 重藤悦男 090−3975−2602(携帯)
                etsuetsu@m4.kcn.ne.jp  (メール)
                

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