201256日 全学連新入生歓迎講演集会
 今中哲二氏 講演録 「福島原発事故が教えていること」最終回

質疑応答
 
質問
 現在の放射能漏れや除染作業について、どういう判断をされていますか?
 
今中氏
 今現在、大気中に放射能がどんどん出ているという状態はまずないと思います。去年の3月の段階に比べたら100万分の11000万分の1ということなので、新たに大きな汚染が空から降ってくるという状態ではないと思います。
 新たな放射性物質の放出で一番危険なのは、4号炉です。4号炉は運転していなかったと言いましたけれども、運転してなかったため、原子炉の燃料を取り出して、それを使用済み燃料プールという所に入れていました。使用済み燃料プールには、元から入っているものも含めて、かなり沢山の使用済み燃料があります。この4号炉も水素爆発をしているのですけれども、1号炉、3号炉の水素爆発と違って、3号炉の水素が排気筒を逆流して4号炉に行って爆発しています。そのため、1号炉、3号炉は屋根がやられているのですが、4号炉はむしろ、2階、3階がひどいやられ方をしていて、5階にある使用済み燃料プールの支柱が傷んでいる。新たな地震が来てそれが倒れたり、プールの水が漏れてなくなったりすると、大量の使用済み燃料が干上がって、温度が上がりセシウムが出る。これが一番心配されるストーリーです。
 除染についてですが、除染したからといって放射能がなくなるという訳ではない。除染の意味がある所とない所、いろいろあると思います。意味があるというのは、そこに住むか住まないかぎりぎり位のレベル、1時間あたり0304マイクロシーベルト位のレベルです。家の周りを除染してどれくらいになるかというと、せいぜい半分で、4割までに下がったらそれはかなりいい除染です。0304が半分になるのなら、それはかなり意味があると思います。ただ、飯館村の放射線量が強いところで、5とか10マイクロシーベルトとかが半分になっても、そこに帰りましょうと言えるレベルではないから、そういうところを除染するのは意味がない。今、除染プロジェクトが行なわれて、「除染マネー」が上から降りてきていますから、大きなゼネコンが受注して「除染ビジネス」をやっているということもあると思います。
 
質問
 特に若年層の健康被害について教えてください。
 
今中氏 
去年の3月に枝野さんが言っていた「今すぐに健康に影響はありません」というのは、私もそう思います。しかし、一般の人々にとっての問題は、後々になって現れる晩発的影響だから、日本国政府は事故直後に、晩発的な影響を小さくするための最大限の努力をしなければいけなかった。事故直後から。一番除染が必要だったのは、315日に汚染があったので、316日、この日に散水車でも廻してそこらじゅう全部洗えばだいぶレベルが下がったはずだが、そういうことは全くやられていない。
 原発事故ではいろいろな放射能が出るのですが、福島の場合で問題になる放射能は、放射性のヨウ素とセシウム。今残っているのは放射性のセシウムですが、事故直後に強かったのが放射性のヨウ素。皆さんも空気を吸っていますから、それなりに被曝しています。
 チェルノブイリの周りで一番顕著に現れた影響は、子供たちの甲状腺がんです。放射性のヨウ素は揮発性が高いので空気中を漂って、これを吸い込んだり、食べ物と一緒に体の中に入ると、甲状腺に溜まるのです。人間の体は、その物が放射性であるか放射性でないかは区別しません。どっちも人間の体に取り込まれて甲状腺に溜まる。なぜかといえば、甲状腺ホルモンというのをつくる為にはヨウ素が必要だから。
 放射性のヨウ素が喉のところの甲状腺に溜まることによって、この甲状腺が集中的に被曝を受ける。大人の甲状腺は20グラム位ですが、子供の甲状腺は2グラム位。同じだけの放射能が小さい所に溜まったら集中度が強くなってそれだけ被曝が大きくなります。また、子供の方が放射線に対する感受性が大きい。
 事故からちょうど4年ぐらい経ってからチェルノブイリの周りで子供の甲状腺がんが増えだした。放射能というやつはそれぞれ寿命があります。ヨウ素131の半減期は8日間。8日間で半分になり、次の8日間でまた半分になる。どっちにしても3ヶ月経ったら減る。ですから、チェルノブイリの場合86年の春に被曝し、そのあとは被曝していません、甲状腺がね。その影響が4年ぐらい後になって出てきて、今でも続いている。
 福島の場合もヨウ素が出ました。しかしなぜか日本国政府は、子供たちの甲状腺被曝をほとんど検査していない。驚くほど検査していない。3月の末に対策本部が子供たちの甲状腺被曝がどうなっているか調べたのですが、子供たちの喉に測定器を当ててヨウ素が溜まっていたら針が振れるということで検査をした。やったのはたった1000人ほど。測定器を当てて「1時間当たり02マイクロシーベルトを超える子は全然いませんでした」という報告をしている。しかし当時の飯館村では役場のあたりで56マイクロシーベルト、コンクリートの建物の中でも06マイクロシーベルト位でしたから、そういう中で計っても分からない。周りが高いから。それで「ありませんでした」というのが、日本国の実情です。今からでも遅くないから、子供たちがどれくらい甲状腺に被曝しているのかというのを見積もっておく必要がある。
 
質問 
政府が去年、収束宣言を出していますけれども、本当に事故は収束しているのでしょうか? もし収束していないのであれば、収束するのにどれ位の期間がかかるでしょうか?
 
今中氏 
去年、野田さんが言った収束は、セレモニーです。年内にとにかくセレモニーをしておきたいということで、何の意味もない話だと思います。理屈付けは「冷温停止状態」、即ち100C以下になったからということなんですけれども、冷温停止というのは、壊れてない原子炉を対象にして使われている用語です。100C以上だったら水が沸騰して蒸発してしまうから原発の蓋を開けられないが、100C以下になったということは蓋を開けても沸騰しませんよという状態です。それで冷温停止という。
 福島原発では、今現在でも水を入れています。なぜ入れているかというと、今でも発熱しているからです。放射能そのものが発熱するし、放射線が当たったら発熱して、その熱を取り除かないとだんだん温度が高くなっていく。1100トンぐらいを、それぞれ123号炉に入れているのですが、この水がどこに行っているかというと、原子炉の容器は底抜けになっていて、その下に格納容器があって、これもやられていて漏れている。漏れてタービン建屋の地下に入っていって、そこに水がいっぱい溜まっている。そこから水を汲み上げているのだが、何せ原子炉の中に水を入れているから、強い放射能によって汚染されている。汚染された水を汲み上げて、外にある浄化装置で放射能を浄化してまた入れるという、「賽の河原の石積み」みたいな作業をずっとやっていて、とても収束しているという感じでもないし、原子炉そのものがどうなっているのかも分からない。
 チェルノブイリの「石棺」みたいな形でちゃんと覆いを入れて、中のボロボロになったものを取り出しますという彼らの計画で30年。だけどそんなものまさに「絵に描いたスケジュール」だから、どうなるか分からない。でも、大変な作業がずっと続くことは確かだと思います。(終)

5・6全学連新入生歓迎公園集会での今中哲二さんの講演録はこれで終わります。
野田政府は大飯原発再稼働を宣言し、7月1日にも関西電力は大飯原発3号機を稼働させようとしています。こんなことを許すことはできません。
すべての原発の廃止をかちとり、日帝の核武装を阻止する革命的反戦闘争に全国の闘う学友が起ち上がろう!

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201256日 全学連新入生歓迎講演集会

 今中哲二氏 講演録 「福島原発事故が教えていること」第6回

 

■原子力村の人々

 

 福島の事故は大変な事故で、本当に多くの皆さんが被害を受けている訳ですけれども、その中で非常に面白い現象というのは、この原子力村の人々の実態というのが非常に鮮明に浮き上がってきたということです。私は「トライアングル」と呼んでいるのですけれども、電力会社、霞ヶ関のお役人、そして永田町の政治家がもちつもたれつの利益共同体としてあって、そこにぶら下がっているのが学者、マスコミ。福島の事故で分かったのは、地元自治体もズブズブに入っていて、大飯、高浜あたりの土建屋さんが地元の町議会、市議会などで顔役になっていますから、推進決議をドンドン上げたりというようなことまであります。

 こういう原子炉村の流れがあって、私がずっと眺めているのは、「実は誰が村長さんか」ということですが、今の私の結論は、どうもいないようです。まさか野田首相が村長さんとも思えないし、経団連の会長さんが村長さんとも思えないし、今現在、たぶん村の人たちは「阿吽の呼吸」、日本人得意の「和の精神」でやっているのだろうと思います。ただはっきり言えるのは、昔はいました。日本国の原子力開発の歴史を紐解いたら、この村長さんの代表は、やっぱり中曽根康弘さん。1954年に日本国が最初に原子力研究を始めるに当たって、とにかく国会で予算を投じました。23500万円。ウラン235にひっかけて23500万円です。学者が動かないから、とにかく「金でひっぱたく」というような話がありました。あともう一人が、読売新聞をやっていた正力さん。この2人が交互に村長さんをやりながら引っ張って来た。今は、私にもよく分かりません。

 変な言い方ですけれども、昔の人のほうが悪い分、まだしっかりしていたという印象があります。今の人たちは誰が責任をもっているのかまったく分からない。その分、本当に周りがえらい迷惑をしている。また、日本の原子力村は国際原子力村と連携しながら、たぶん原子力システムを何とか世界中で維持して行こうとしているようです。

 

■とにかく原発はやめにしよう!

 

 昨日、泊原発も停まりました。1年前、2年前だったら、「原発が止まったら停電しちゃってどうするの」といって脅されていたんですけれども、それがもう効かなくなりました。今度は、「夏になったらどうする、どうする」と言っています。私は、とにかく原発はやめましょうと。福島の事故が起きてつくづく実感しました。責任を持てるシステムがありません。我々には。もうこの際、確実にやめるのが一番です。

 最後になりますけれども、我々の生活は結局、「これだけ電気が要るんだ」ではなくて、「電気はこれだけ使えるからそれにあわせて暮らせばいい」ということだと思います。最初に申し上げたように、私は1950年に生まれています。1950年代は確かに日本国中みんな貧乏で、豊かでなかったことは確かですけれども、でもはっきり言って、そんなに悪い時代ではなかったと思います。私は、大量生産、大量消費の高度成長時代を見ていて、もう70年代くらいからもういいんじゃないかと思ってきました。あとはもう「やりすぎの時代」で、惰性で来ている。

これからわれわれがどうすべきか。個人的な意見ですけれども、いかにしてスローダウンして暮らしていける世の中にしていくかということが、たぶん我々の課題なんだろうと思います。この際、何が大事なのかをもう一度改めて考えてみる、「原子力のない時代」をこれからどう生きていくのかを真剣に考えてみる、ということが必要だろうと思います。

 この辺で私の話を終わらせてもらいたいと思います。どうもありがとうございました。

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201256日 全学連新入生歓迎講演集会

 今中哲二氏 講演録 「福島原発事故が教えていること」第5回


■誰が、何が、何のために原子力を進めてきたのか―原発と利権

 

誰が、何のために原子力をやっているのか。私は40年間眺めていますけれども、これがよく分かりません。

 私自身の見解ですけれども、まずはやはり利権ですね。金です。最初にもお話しましたように、私は大学院時代に柏崎原発の用地などに行きましたけれども、新潟の柏崎というのは、例の田中角栄さんが生まれた西山町のすぐ近くです。地元の人は柏崎原発用地については田中角栄さんが裏で動いていたということをみんな知っていました。まさかこんなことが表に出てくるとは思わなかったのですけれども、200712月の「新潟日報」の記事があります。1966年に田中角栄さんが柏崎原発用地の土地を転がしたというお金を、71年に当時の村長さんかなんかが目白の御殿へ持って行きましたという証言をされた。ですから原発を1基作ったら当時で3000億、今だったら5000億と言われますが、その何%が政治利権かというのはいろいろありますけれども、裏でこういう話があったことは、ほんの「氷山の一角」だと思って見ていてください。

 もう1つ、田中角栄さんがすごかったのは、表のお金を作ったことです。表で原子力開発に流れるお金。これは「電源3法」と呼んでいるのですけれども。1974年に「電源開発促進税法」という法律で、原発を進めるために電気代に上乗せして税金を徴収することにした。今現在でもありますけれども、皆さんが100kwhの電気を使ったら、3750銭が税金になっています。昔は電気代の領収書に「電源開発促進税」がいくらと書いてあったと思うんだけど、今は見ても書いてありません。それを「電源開発促進対策特別会計」、略して「電源特会」に組み入れる。今は石油と一緒になって「エネルギー特別会計」というものになっているのですが、これが日本国の原子力予算になります。このお金が一体どこへ流れているかというと、まず地元へのばら撒き、そして高速増殖炉「もんじゅ」―これはほとんど動きませんけれども、これにたぶん1兆円近く入っていると思います。あと、六ヵ所村にある再処理工場、ウラン濃縮工場、そして高レベル廃棄物、こういうところにお金が行っている。これらを全部足したら10兆円近くになります。これが「電源特会」ですが、われわれ一般の人には何の役にも立っていません。

 

■誰が、何が、何のために原子力を進めてきたのか―日本国の核オプション

 

 もう1つ忘れてはならないこと、多分これからもっと表に出てくるだろうことは、日本国の「核オプション」です。

日本で国の政策として、原爆については「非核3原則」―「原爆は造らない、持たない、持ち込ませない」ということを言い出したのは、佐藤栄作さんです。1968年のことで、今でも続いています。そのおかげで佐藤さんは、後でノーベル平和賞をもらったりしたわけですけれども、当時この佐藤さんが首相のときに内閣調査室で何をしていたのかというと、日本の核政策に関する基礎的研究をやっていました。原爆をどうするかということです。当時の学者やらもちろん政治家、いろんな人が集まってこの枠組みでやっていました。結論を言いますと、1968年当時の政治状況―アメリカとソ連との冷戦の狭間、そして中国も核実験をやって核兵器を持ち始める―そういう状況で、日本国が独自に原爆を持つというのは得策ではない。ただし日本国としては、いつでもその気になったら原爆ができるような技術的能力を備えておく。これがこの基礎的研究の結論です。

 私は、これは連綿と続いているんだろうと思います。だれがどう担っているかはよく分かりません。政治家には、分かっている人、分かっていない人、いっぱいいますから。

 核燃料サイクルというのは、普通の原子炉はウランを山から採ってきて精錬して、いわゆる核燃料で使えるように形を整えて、原発で使って、そのあと使用済み燃料が出てきて、それをどうするかということなんですが、日本国の政策は、これを再処理工場へ持っていくというもの。アメリカあたりは、原発で燃やしたらそこでおしまいです。使用済み燃料をそのまま貯蔵する。スウェーデンあたりもそうです。ところが日本がずっとこだわっているのは再処理です。再処理工場でプルトニウムを取り出す。

天然にあるウランのうち、核分裂をしやすいウラン235というのは実は07%だけで、残りの993%は、核分裂しにくいウラン238なんです。ですから、普通の原発で核分裂をさせているのはウラン235の方なんですけれども、燃料の中には同時にウラン238が入っていますから、それを原子炉の中に長いこと置いておきますと、中性子をくわえ込んでプルトニウム239というものになります。それを回収しようというのが再処理工場。そして、そこで出てきたプルトニウムを使って発電をしようというのが高速増殖炉ということになります。ですから、再処理工場と高速増殖炉でプルトニウムを使って発電しようというわけです。

 原爆を造るには2種類の方法があります。ウラン235を使った広島型の原爆。これは非常に効率が悪い。むしろ性能のいい原爆を造ろうと思ったら、このプルトニウム239を使う方法。ですから、再処理工場と高速増殖炉は、一体となって核兵器技術と非常に密接に結びついているというわけです。結局、核燃料サイクルと核オプションというのは、表では誰も言いませんけれども、裏では密接に結びついている。昨日、泊原発が停まって日本の原発が全部停まりました。これから、「日本の原子力技術がなくなる、衰退する、そうしたら結局この技術がなくなってもいいのか」という脅しが出てくることは、まず間違いないだろうというふうに私は思っています。

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201256日 全学連新入生歓迎講演集会
 今中哲二氏 講演録 「福島原発事故が教えていること」第4回
 
 
32829日の現地調査
 
 それで何に一番驚いたかと言うと、データが一切出てこなかったことです。312日、地震の次の日の午前544分に、周り10kmの人に避難しなさいという避難指示が出ている。1号炉が爆発した後は、周辺20kmの人が避難しなさいとなった。もう7万人、8万人の人ですよ。その人たちが避難するという大変な事態が起きているのに、周辺20km圏、30km圏の汚染データがまったく出てこなかった。びっくりしました。
 私がこの時に思い出したのは、その10年前に起きた東海村のJCO事故、臨界事故です。あの時は結局、放射能がちらっと出た。今回の事故と比べたら小さな事故ですけども、その時でもデータがバラバラでよく分からなかった。そのあと政府が何したかというと、「原子力災害特別措置法」というのを作った。こういう原子力事故の時には、オフサイトセンターというところで情報を一元化して、きちっとした情報を出します、ということだったんです。けれども今回、結局彼らが逆に情報管理してしまい、データが全く出てこないという状態がこの時に起きているという気がしました。
 とにかく大変なことが起きていることは確かでしたので、自分らで測りに行きました。328日のことですから、事故からすでに2週間が経っていました。飯館村の真ん中あたりですけれども、1時間当たり30マイクロシーベルトでした。皆さんは全然ピンとこないと思いますけれども、とんでもない線量です。私は原子炉実験所という所で働いていまして、もちろん放射線のなかで作業をします。しかし、20マイクロシーベルトを超えるところは放射線量が高いから、「高放射線量区域」として、実験所の放射線管理部が「みだりに入るな」という標識をしています。ところが、われわれみたいな者でもみだりに入っちゃいかんというのを超える値が、この飯館村という原発から30kmも離れたところに忽然と出ていました。驚いたことに、まだ人が普通に住んでいました。子供も含めて。「こんなのありか」と、本当にびっくりしました。
 大変な汚染があることが分かっても、結局、何の警告も出されなかった。まったく不思議なことが起きました。日本国の原子力防災システム、日本国の原子力リーダーシップ、このようなものが、原子炉と一緒に全部メルトダウンをしていたようだ、というのが私の正直な印象です。
 たとえば有名なSPEEDI(スピーディー)。私は、311日、12日に、事故が始まってマスコミの人からいっぱい電話やら取材を受けました。「とにかく汚染状況が分からないから、SPEEDIがどうなっているか聞いてくれ」とマスコミの人に言いました。我々の業界では、こういう時にSPEEDIがあって、ちゃんと予測して対策をやるというのは、ごく当たり前の常識です。それでSPEEDIがどうなっているんだろうかというのが気になったんですけども、全然データが出てこなかった。私は最初、「これは地震でSPEEDIのシステムが潰れたんだろう」と思っていた。ところがあにはからんや、毎日毎日ちゃんと動いていて、情報は出していたけども、それを理解して使える人がいなかった。
 我々は飯館村で土を採って帰りました。土を取って帰ったら、その中にどういう放射能が入っているか分かります。そしてこの地は、315日に汚染が起きているんです。そうすると、「どういう放射能が入っているから、315日の汚染レベルはどれくらいだったか」ということが分かります。結果は315日時点で200マイクロシーベルト。間違いないと思います。そういうことは、対策本部など、知っている人は知っていました。けれどもそういう事態に対して対応できるシステムが「溶け落ちて」いたんだろうと思います。
 
■福島事故とチェルノブイリ事故
 
 結局私は、福島事故は、チェルノブイリ事故と同じようなことが起きていると言っています。チェルノブイリの今現在の立ち入り禁止区域の面積は3700㎢で、たぶん東京都の18倍くらいの広さです。福島は一応、20km圏は人が住めない。30km40km離れた飯館村でも、「計画的避難区域」ということで避難している。村や町がなくなり地域社会が消滅しました。避難指示に基づいて家に帰れない人が約10万人。たぶん自主的に避難している人は、この数倍と思っていいでしょうから、数10万人という人が福島から避難している。これから戻る、戻らない、除染云々という話がいっぱい出てきますけども、いずれにしろ福島でも、戻れないところというのは必ず出てくると思っています。
 
■はじめからウサンくさかった日本の原子力開発
 
 翻って、日本の原子力開発とは何だったのかということですけど、そもそも原発というものは、相当の危険物だというのは分かっています。そして、われわれは地震の上に住んでいる。日本列島は地震の上に乗っていると言ってもいいと思います。
じゃあ、日本で原発を作ろうかといったときにどういうことになったか。日本国の54基の原発を立てるにあたっては、必ず国の安全審査を受けます。そして最終的には原子力安全委員会が「その原発は安全ですよ」というお墨付きを出すわけです。日本全国、全部そうです。この原子力安全委員会でやっている審査というのは、いろんな指針に照らして「大丈夫です」と言っているわけですけども、その中で最も基本的な指針、「原子炉立地審査指針」というのがあります。その中に何と書いてあるかというと、原則的な立地条件として「大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと」と書いてあります。ですから本来、「日本国には、原発を建てるのに適したところはありません」というのが、私は正解だと思っています。けれども、いっぱい原発ができました。
 「原子炉立地審査指針」の中には、もっとすごいことが書いてあります。一番すごいのは、「技術的見地から起きるとは考えられない事故(以下「仮想事故」)の発生を仮想しても、周辺の公衆に著しい放射能災害を与えないこと」。これを字の通りに読むと、「どんな事が起きても大丈夫な設計をしなさい」ということ。その上で、「日本国の原発が全部これを満たしています」というお墨付きを出している。なんてインチキでしょう。ほんとにインチキなんです。結局どういうことかというと、都合の悪いことは最初から考えない。
 その審査指針の中のもう1つの指針―「安全設計審査指針」というのを読みますと、これは電源喪失に対する考慮なんですけども、ここに何と書いてあるかというと、「長期間にわたる電源喪失は、送電系統の復旧又は非常用ディーゼル発電機の修復が期待できるので、考慮する必要はない」。まさに「考えんでもええ」と書いてあるんです。福島の事故の場合、今になっていろいろなことが言われています。「福島の原発に大きな津波が来て非常電源がやられるかもしれない」と、東京電力の中でも議論があったとか。だけど、「そんなこと考える必要はないと、これに書いてあるじゃないか」ということで、まさに「想像力の貧困」の世界に入ってしまった結果、今回の事故に至ったんだろうと思います。
 同時に、原発で事故が起きたらとんでもないことになるというのは、そもそも原発をやるという時から分かっていた訳です。1960年に、当時の科学技術庁と原子力産業会議というのが一緒に調査研究をやったんです。まだ1960年ですから、本格的に原発は動いていません。初めて日本で原発をやろうかという話があったんで、「じゃあ事故が起きたらどうなるか」をいろいろ試算してみた。表向きは「全然大丈夫です」と言っていたんですが。16kwという小さい原発ですが―これは実は東海村の最初に作った東海1号炉というのをモデルにしているんですけども、その原発で事故が起きた時の損害評価額を見てみますと、もちろん気象条件等にもよりますが、約1兆円。1960年前当時の国家予算は17兆円ですから、「原発がドンといったら国家予算に匹敵する被害が出るぞ」というのがこの時から分かっていた。「こんなリスクの大きいものは、電力会社ではとてもじゃないけどやりきれないだろう」「だけど、何が何でも原子力発電はやる」ということで、ウルトラCとして出てきたのが、「原子力損害賠償法」。どんな法律かというと、原発で事故が起きた場合、電力会社の賠償準備金に上限を付ける。制定当時は50億円、今現在は1200億円。ですから「1200億円まで賠償の準備をしておきなさい。あとは国が国会の議決をもって面倒を見ます」ということで、初めて日本国の原子力開発は動きはじめた訳です。
 ご存知のように福島で事故が起きました。あれは損害賠償が結局5兆円とも、10兆円とも言われ、いくらになるか分かりません。それで「原子力損害賠償支援機構法」というのが去年の8月にできていまして、そこが税金を東電に渡したり、他の電力会社から金を集めて渡したりということで、国が面倒を見る形で賠償が行なわれるわけです。(つづく)

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201256日 全学連新入生歓迎講演集会

 今中哲二氏 講演録 「福島原発事故が教えていること」第3回


■ついに起きた最悪の事態

 

 そしてついに起きた最悪の事態が、1986426日の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故です。最悪の事態というのはどういうことか。原発というのは運転にともなって莫大な放射能が必ず原子炉の炉心に溜まります。それが冷却に失敗するなり、核分裂のコントロールに失敗するなりして、遮るものがなくなり、外に出て行く状態。これを私は最悪の事態と呼んでいます。

 チェルノブイリ原発は、日本の原発とはタイプが明らかに違います。事故の起き方も違います。この場合は、1983年の12月に運転を開始した原子炉だったんですが、2年あまり経って、初めて原子炉を止めて保守・点検をしようとした。最後に全部止めようかということで、制御棒を入れるスイッチを入れたとたんに、逆に出力が上がってドカンといってしまった。いわばブレーキをかけて車を止めようとして、むしろアクセルとなってドカンといった。もちろん原因には、炉心の構造の欠陥とか、制御棒の欠陥とかいろいろありましたし、非常に特殊な運転条件が続いていたという様々な要因が重なりました。

 チェルノブイリ原発は、当時のソ連の最新型で、100kwの原子炉が4つあった。この4つ目が爆発炎上してしまった。日本の原発とはタイプが違うと言いましたけども、この原子炉は、真ん中に黒鉛といって炭を固めたようなものがあるのですが、それを材料に使っていまして、それに火がついて燃え出し、だいたい10日間ぐらい燃えて、大量の放射能の放出が続きました。この時、広い土地が汚染され、大勢の人々が被曝し、避難を余儀なくされました。

 当時、事故処理に駆り出されたのは軍隊、特に、核戦争に備えた陸軍化学部隊の人たちです。彼らは正規軍で、ソ連の徴兵は18歳でしたから、18歳から20歳ぐらいの若者たちが、除染作業に借り出されています。彼らがどのくらい被曝したかはよく分かりません。そのあと、壊れた原子炉を何とかしないといけないというわけで、「石棺」を作るわけですけども、当時ソ連中から労働者が集められて、こういう作業をしたようです。「石棺」が作り始められたのが、5月の終わりぐらいだろうと思います。その「石棺」が大体でき上がった頃、よくよく見たら、爆発したのは4号炉でしたが、隣の3号炉の屋根にも原子炉の破片がいっぱい飛び散っている。それを片付けないといけないのだが、どうもロボットなどは役に立たないということで、人間が片付けた。「バイオロボット」と呼んでいましたけど、彼らは。このときは正規軍ではなく予備役ですから、30代、40代の人たちが、大体2000人から3000人は配置された。

われわれは当時日本にいて、この事故の規模はどのくらいのものか調べようと、西ヨーロッパや北欧やいろんな汚染データを調べていたが、ソ連の中の汚染データというのはまったく出てこなかった。それが出てきたのが、89年の3月のことです。その汚染地図を見て私が一番びっくりしたのは、もちろん原発周辺に汚染が大変強いというのは分かっていましたが、原発から200km300km離れたところにも大変な汚染がある。400kmを超えるところにもある。結局、こういうことがわかるのに3年かかっている。ここに住んでいた人にも実は汚染は知らされてなかった。それで、チェルノブイリの問題が大変な政治的な問題になって、汚染が強い所に住む人はみんな移住させましょうということが、1991年になってようやく決まりました。決まったとたんにソ連自身がなくなってしまうという大変なことが起きまして、被災したウクライナ、ベラルーシ、ロシアは、それぞれ自分のところで法律を作っています。ほとんど基準は一緒なのですが、結局、セシウム137の汚染が1㎡当たり555千ベクレル以上は全員移住しましょうという決定をしています。

結局、汚染地域面積は145000㎢で、日本でいえば本州の約6割。移住対象となった地域の面積は約1万㎢で、福井県の原発が爆発して、福井県と京都府と大阪府が丸ごと人が住めなくなるくらいの大変な汚染が起きていたといえます。事故が起きた直後、86年の4月から5月にかけて、周辺30kmから12万人の人が避難しています。それから3年経って新たに大変な汚染が出てきたので、新たに27万人の人を避難させるということになって、あわせて40万人の人が自分の家に住めなくなった。もちろん自主的に避難している人を入れるともっと多い。いわゆる汚染地域の居住者600万人が被災し、大変な目にあったというのが、チェルノブイリ事故だということです。

私がチェルノブイリにずっと通って一番感じたのは、事故が起こると周りの村や町が丸ごと消えてしまうということ。それが、原発事故の持っているものすごさだろうという気がします。事故が起きたら、まさに社会全体に影響がきます。40万人が移住するということはどういうことか。いろんな仕事がなくなったり、いろんな社会的要因で病気になる人も出るし、いろんなことが起きます。ですから、放射線被曝だけを見ていたら全体が見えないだろうし、また専門家がひとつの物事だけを調べてもなかなか分からない。結局、社会的な側面、精神的な側面など、いろんな形でアプローチしていかないと、事故というものは見えません。

 

■また起きた最悪の事態

 

 去年の3月までは、ここまでの話で良かったんですが、ついに日本でも大事故が起きてしまいました。もちろん我々は、日本がいくつも原発を作っていて、下手をしたら事故が起きる可能性があるぞと思っていましたけども、あのようにいとも簡単に、4つの原発がドン、ドン、ドンといくとは、思いませんでした。当時、1号炉、2号炉、3号炉、4号炉の状況を見ていると、本当に涙が出る思いがしました。

 福島原発で何が起きたのか、おさらいしておきます。去年の3111446分、地震が起きました。福島原発の場合、1号炉から6号炉まで6つありました。地震が起きたときに運転していたのは3つです。それは1号炉、2号炉、3号炉で、あとの46号炉は定期点検のために止まっていました。

 地震によって何が起きたかというと、まず動いていた原発は、地震の振動を感じて制御棒が全部入り、原子炉が全部止まりました。ですから、核分裂の連鎖反応は自動的に停止している。そのあと何が起きたかというと、その地震によって送電線がやられた。もちろん原子炉が全部止まったら、自分で発電ができませんから、必要な電力は外から受ける必要があります。そのための送電線がやられた。第一原発ではだいたい3系統の電源を持っていましたけれども、送電塔自身が倒れたり、変圧器が壊れたりして全部なくなりました。これでわれわれが言うところの外部電源がなくなった。これだけでも大変な事態です。

 けれども、そういうときに備えて非常用電源というのを持っています。ですから、地震がきて原子炉が止まり、電気が止まったから、非常用電源が立ち上がった。これはディーゼル発電機ですけれども、予定通り全部動きました。多分その段階で、オペレーターたちは何とかなると思ったと思います。そのあと来たのが津波。30分〜40分後に津波がやってきた。非常用発電機がどこにあったのかというと、原子炉建屋の横にあるタービン建屋の地下です。1号炉〜4号炉まで、全部の非常用発電機が水をかぶって潰れてしまった。電源が全部なくなる「全電源喪失」という事態が起きたわけです。

「全電源喪失」になると何が起きるかというと、ポンプを回せなくなるわけです。原子炉内の核分裂の連鎖反応は止まっていますけども、原子炉というのは、その間に莫大な量の放射能が溜まっています。放射能が溜まっているということは、そこから放射線を出しているわけですが、放射線というのはもともとエネルギーの一種ですから、そういう原子炉の炉心―燃料やら被覆管やらがだいたい100tから200tあるんですが、その炉心の中を放射線が飛び交っている。最終的にこれは熱になります。ですから、原子炉が止まっても発熱は続いています。これをうまく冷やせないと、どんどん温度が上がっていくことになります。

 ということで、ポンプが止まったら原子炉は冷やせない。そうすると温度・圧力が上がります。そうすると圧力逃がし弁が開く。だんだん水が抜ける。だけどポンプで水が送れない。原子炉の場合、水が抜けたらアウトです。確実に燃料が溶けます。それが始まりました。

 1号炉はその日の夜ぐらいには水が抜けてしまった。その際、たちが悪いのは燃料棒です。燃料棒の鞘はジルコニウムという金属でできています。このジルコニウムという金属は、温度が上がって1000度を超えると、水とよく反応する。金属と水が反応するとどうなるかというと、水はH2Oですから、反応したということは、その酸素(O)がジルコニウムとくっつくんですね。そうすると、水素(H2)が発生する。そうしたらどうなるかというと、原子炉の炉心の最後の壁―格納容器と言いますが、この最後の壁の中の圧力がどんどん上がったんです。その日の夜中位にずっと上がっていって、それがもう格納容器の設計耐圧を越えてしまった。格納容器が壊れたらもうアウトです。放射能の大量放出に繋がるから、そこで「ベント、ベント」と言い出した。ベントというのはガス抜きのことです。中に溜まった放射能入りの空気をとにかく抜いてしまうこと。もちろん放射能も出ます。けれども格納容器全体が壊れるよりはましだろうということで、やられたのがベントなんです。

 私の当時のことを思い出すと、311日、あの地震が起きたことを大阪で知ったわけですけども、どうも福島原発が変だという情報が入り始めたのが、311日の夜中です。12日は土曜日でしたけども、予定を変えて職場に行きました。職場に行っていろいろな情報収集をすると、どうも非常用電源がやられて「全電源喪失」になったと。私がその時に思ったのは、「これはもう炉心が溶けている」「炉心がやられているから、もうスリーマイル島事故に近い状態が起きているな」ということです。このことは、原子力の専門家だったらもうあの段階でみんな分かっていた。分かっていたけども、NHKをつけたら「大丈夫、大丈夫、まだまだ大丈夫」ということをずっと言っていた。そうしてテレビを見ていたら、312日の午後3時ぐらいですか、ドカンと水素爆発を起こした。

 あの時、私が何に注目していたかというと、どこが吹き飛んだかを見ていたわけです。何度もくり返しますけども、格納容器がやられていたら、もうそこでおしまいです。チェルノブイリと同じになります。けれども1号炉の爆発は格納容器ではなくて、格納容器のもっと上の建物の屋根が吹っ飛んだだけで、「まだ格納容器は壊れてないようだ」「ならばまだやりようがある」と思っていたら、3号炉も14日に爆発しました。最後に私が「アウトだ」と思ったのは、315日の朝です。その朝、枝野さんと菅さんが記者会見をして、「2号炉の格納容器がやられてしまった」ということを言って、「ああ、これで福島もチェルノブイリになってしまった」というのを実感したのを覚えています。(つづく)

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