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3.11大震災から1年経過して
早いもので、この日曜日であの震災から1年が経過 してしまいます。 震災は大自然の猛威を私たちに知らしめましたが、 日本人として私たちは、反省しなければならない ことが山のようにありました。 何がどうできなかったのか。 そして、だれがどう行動したのか。 出来た人と何もできなかった人々。 その違いも含めて考える必要があります。 さて、この問題は現在進行形です。 ついては、これからたびたびブログで掲載して行き たいと考えます。 さて、第一回として、ある人の言葉を送ります。 新聞紙上に掲載された言葉です。 私たちは、このような人がいたことを忘れてはなら ないと思います。 同時に、最も必要とされる政治家や官僚の多数に、 その認識がなかったことが悔やまれます。 それは、今も遅延する復興という課題に端的にあら われています。 では、ご紹介します。 ======================= 「迷う暇があったらまずやって、後で報告するよう に指示しました。 平時だと法的にどうだとか検討して数日がかかっあ りする。 それでは、生きるか死ぬかの場面で間に合いません。 人命救助で建物を撤去しないといけない時には、 事後了承という形でやりました。 ・・・ 「一生懸命考え、正しいと思ったことをやろう。 そのよしあしは、後世の判断を甘んじて受けよう」 いかがですか。
感動しませんか。
この人たちがいたから、出来たことが多数あった。 そして、ある場所にこの人たちがいなかったから 出来ない重要なことが多数あった。 いまも・・・。 実は、いまも緊急事態が継続しています。
「火事場のくそ力」といいますか、それが必要な 時期であること明白です。 しかし、政治の政界や行政の世界では、上に行く 程に、この精神が萎えています。 残念ながら、緊急事態に対処することを学んできた 人々が日本の中枢では少数派です。 ほぼ多数の方が、「官僚型」の「先例重視主義」で あります。 これが、大問題です。 進まない復興は、「お金」の問題ではありません。 グランドデザイナーがいない。 同時に率先垂範し、後世の判断に甘んじようとす る気概ある人が少ない。 今の日本では、 「何もしないこと」 「慣例を行うこと」 が重視されます。 言葉を換えれば「ミス」を犯さない人。 何もしなければ「ミス」は発生しません。 これが「平時」です。 しかし、平時も緊急時も区別が付かなくなります。 だからこそ、「重視」とは概念の世界ではなく、 現実の問題として考えることが不可欠です。 「人命優先・復興優先より法律遵守」 「責任を負う気概がある人物は”背広組”には、 いなかった。」 危機管理とは、お題目ではありません。 欧米では、この危機管理は何倍も進んでいます。 私が知る限りでも。 日本は、危機管理の点では幼稚園以下でしょうか 。 幼稚園園児の申し訳ありませんが。 例えば、企業でも同様です。
この大震災でようやく動き出しましたが。 まず、コスト優先主義。
本来は、危機管理にかけるコストを計上して、 コストを優先するはずなのだが。 削れるところは全て削る。 そして、一番削ってはならない危機管理費用を削り 後悔だけが残る。 責任は誰も取りません。 世界の常識があります。(軍事では特に) 重要施設の二重化は当たり前の世界です。 しかし、東北の企業でこれが出来た企業は皆無。 情報産業の世界でも、システムの二重化は当然で す。 情報産業だけではない。 製造業とて、同じはずです。 ホット(常時二重体制)かクールかは別ですが、 必要不可欠なものは二重化し、設置場所を複数に 分ける。 こんなことは、「あたり前です」 それができていなかった。 理由は、コスト!? 実は違います。 人々の考え方です。 この国では「ムダ」は悪となります。 ムダと「必要」の溝は意思決定者の意識にありま す。 残念ですが、大企業の意思決定者で情報機器にあか るい人が少ない。 これは、同時に、論理的思考が出来ないことでも あります。 情緒型です。 「大震災」、起らないよ。 発生したら、そのときだ。 皆で玉砕しかない。 とでも言うのでしょうか。 このような責任者は「ノー」でしょうね。 内閣総理大臣から社長まで、 従来型の意思決定者はこのタイプでしょうか。 企業の責任者は従業員が選べない。 しかし、内閣総理大臣は間接的に選挙で選べます。 ぜひ、選挙で投票することが必要でしょうね。 このタイプには「さようなら」したいですね。 私は、常々思います。 最悪の危機管理を学ぶものは、胆力があります。 逃げません。 現場の担当者から指揮官まで同様です。 多くの公務員の方も同じでしょうか。 私企業の社員の方も同じでしょうか。 いま、求められる責任者の「像」が少しずつ変わり はじめます。 北朝鮮のミサイルや中国のミサイルが標準を向ける 日本に住む私たち。 日常の如く領土を侵害される日本 北方領土も尖閣も竹島も占領、声を大にする人々に 屈しています。 ましてや、領土から拉致された国民を救い出せない そんな日本を肝に銘じておくべきです。 今は臥薪嘗胆です。 力を付けるしかありません。 それは、法令整備と教育からはじめるべきです。 またぞろ日本近海の離島問題で、尖閣を除外しまし た。 情けない話です。 忘れてはならない。 日本の周囲には、4つの問題があることを。 白虎のロシア 朱雀の自然災害 青竜の米国 玄武の中国 危機意識を大きく持つべきでしょう。 もう沢山です。 平和主義とう仮面の下の放置主義、無責任主義 平和を勝ち取ったことがない国民らしい姿です。 本来の平和とは自らが勝ち取ることで手にします。 それゆえに平和の根っこの部分が理解できている。 大震災も原発暴走もこの平和主義が作り出した体制 では機能しませんでした。 問題は危機管理能力の欠如です。 そして、今も現在進行形です。 民主党も自民党も同様です。 「戦犯」でしょうか。 問題は、震災や原発だけではありません。 北朝鮮や中国の領土を犯す行為も 細菌テロや医療問題も同様です。 問題は山積みです。 いま、日本で何かあれば、多くの人々が犠牲になり ます。 これは発生が自然災害でも実はその多くが人災と 言えましょう。 危機管理不足という「人災」です。 もう一度、震災から1年が経過したところで、この 危機管理の重要性を考えましょう。 まず、第一歩は「あなたの家庭」と「あなたの街」 からです。 平成24年3月9日 川越芋太郎 |
自然と災害
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<大>今週の姉妹ブログ掲載記事と緊急提言記事
お読みください。
遅々として進まない瓦礫処理
計画10年、実行10年、反省10年か? いまだから、こうしたい! 狙われる日本、大変動が近い金融指数</リンク>
ギリシャと騒ぐ陰で、なにやら動きが? 立て続けに起る不安材料はなぜ? 二部に分けて掲載します。 なお、一気に読みたい方は、まぐまぐ
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かなりまじめな話だが・・・
かなりまじめな話を紹介します。 「え〜」という声が聞こえてきま すね。 ニュートリノが光の速度より速く 飛んでいることを観測できたと あります。 これは凄い事なんです。 新聞の一面であるのも当然です。 あなたは、この観測結果を大変 なことと認識できますか? では、簡単におさらい。 昔々、アインシュタインという おじさんがいました。 彼が唱えたのが、相対性理論。 そのなかで、特殊相対性理論と いう理論があります。 難しいことははしおりまして、 説明すると、 ”質量を持つ物は光の速さを超え られない。” 光に近づくと、物体の質量がどん どん増えて無限大に迫り、加速 できなくなる。 故に、光の速度が限界であると する。 しかし、観測技術と精密性が向上 し、ついに、加速器を利用した観 測で、ミュー型ニュートリノが 光よりも早いことを観測した。 これは、質量があるニュートリノ では理論上考えられないこと。 各界の反応は大騒ぎ。 それもそのはず、いままでの物理 の基本がひっくり返る可能性が ある訳です。 宇宙戦艦大和のワープもあながち 夢ではないのかも。 そんな夢想を思い出す。 光と時間の概念に変更の余地があ るということでしょうか。 相対性理論をさらに、越えると、 (ありえないといわれたが) 時間の進み方が逆となり、時間を 遡ってしまう。 さてさて、21世紀、新たな物理学 の扉が開くのかも知れない。 ここで、芋太郎語録
「宇宙の全ては、なぞである。」 突き詰めても、次の謎の扉が開く。 これは、夢やロマンも掻き立てま すね。 最近のエネルギー問題にも応用で きる話です。 政府の補助金で滑り出した新エネ ルギーですが、各国政府の赤字 体質から限界が見えてきています 。 原発に「否」が出た以上、従来
エネルギー(火力・水力)にも温 暖化を考えれば戻れない。 そこで、エネルギーのパラダイム シフトが求められます。 これを成し遂げた国や人が全てを リードする。 これからの時代を制するのは「 知恵と技術」であるようです。 米国の先願主義への移行もこのあ たりに鍵が隠されえいるのかも。 自信の表れか? 平成23年9月24日 川越芋太郎 |
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議論ふっかけます、大震災対策!
過激な題名であるが、次の2つの題材
で、議論したい。 1、議論しましょう義援金! 2、議論しましょう増税策! では、川越芋太郎の意見を述べます。 1、義援金に関する意見書 義援金に関するいやな意見を耳にしま
した。 「平等に配布しろ」と声高に叫ぶ 「平等にならないから個人配布 はやめて欲しい」という行政の声 ともに、我が耳を疑う。 「お前ら、何考えているのか!」 まずは、順番建てて説明したい。 義援金て何? この定義が曖昧だから、上記のような
議論となってしまう。 上記の議論を突き詰めれば、平等配布 になる。 官僚の言う、平等とは、長時間をかけ 額と方法と対象者を議論して、配布す ることとなる。 その間に、必要とする人々の苦労や不 自由などお構いない。 義援金とは、本来、「互助」の精神で あると考える。 ともに、苦労と悲しみを分かち、共に 立ち上がろう。 人々の誠意の発露とも言える。 自分という軸で考えてみよう。 自分の周囲に被災者がおられる。 何か手を差し伸べたい。 それは、言葉である場合もあれば 炊き出しや物資の援助である場合も ある。 音楽や笑いをもたらすことであるのも 自由ではある。 発露は、「あの人々を、あの人を助け たい!」ではないか。 世界中が義援金を募り、その額は優に 1400億円とも言われる。 しかし、現実は1ヶ月経過してようやく 議論が交わされた。 一番必要なときに、「お金」なる援助 は人々の手に渡らなかった。 そもそも、互助の精神やら誠意である ならば、経済的なお金が大きな顔を することはないのである。 しかし、人は生きるために、明日への 希望のために、経済活動の「お金」 が必要な場合もあだろう。 話がそれた。 義援金に戻ろう。 本日の新聞掲載記事に上記平等論が 掲載されていた。 あなたはそれをどう考えますか? 「当然と考えますか」 私は、「ノー」です。 義援金が互助の精神と人々の誠意なら 平等に配布すること自体が困難である。 そもそも、今回の被災事態が平等で ないのだから。 被災の程度も各人各様である。 被災の場所も同様。 被災から受ける傷も各人各様である。 平等に評価すること自体が困難である。 それよりも、迅速にかつ未来への希望 につながるよな配布が必要である。 私は残念ながら100億円の金は持ち合わ せていない。 私が主なら震災孤児を全員引き取り、 学業を学ばせるシクミを作る。 世の中の論理でいうところの、平等の 原理はない。 考え方としては、私が(仮定)が 手を差し伸べるのは「私の周囲」に 限定される。周囲とは、距離や思い や力の範囲という意味だ。 お金も炊き出しと同じだ。 石巻地区で炊き出ししたから、他の 地区の人が不平等だと主張したか。 なのに、お金になったら、平等を主張 し、それが正しいと考えられるのは 何故か? お金は小口分離できるから? サービスはできないから? 違う、お金は使い道が多様だからだ。 ここに、人々の正念が見えてしまう。 また、国を通すことで、義援金をもら う権利が生まれたと考えてしまう。 これが怖い。 義援金を拠出した人々への感謝が薄れ てしまう。 国の税金還付ぐらいにしか理解されな いだろう。 人は、どのようなときに幸福や楽しさ 達成感を味わうのか。 それは自分の生活の質的向上がなされ たと判断したときである。 非常に東洋的な回答であるが。 他人との相対比較の中から生活の質を 判断する。 ここに平等という勘違い要素が入り込 む余地がある。 しかし、平等を個人レベルで主張して いる程度ならいいのだが、国家にそれ を要求すると違う世界が生まれる。 そう、私達も知っている過去の共産 国家である。 そして、国家が平等に関与したとき、 真逆の時代が訪れたことを記憶してい るはずだ。 義援金は人々の再出発にこそ、利用 したい。平等配布など必要不可能だ。 1400億円全てを平等配布する愚作だけ は避けて欲しい。 未来への布石となる事項に重点配布 することが不可欠である。 それが、義援金を拠出した人々の真 の気持ちに近いのではないか。 この惨事を共有化し、立ち上がって 欲しいという心。 |
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人は生きること自体に意味がある!
東日本大震災を経験した日本、
いま、私達は当たり前の事実に 気が付いている。 人は生きること自体に大いなる 意味がある。 どんない、辛くとも、 悲しくても、 希望が見えないようでも、 地にはいつくばってでも、 生き抜くこと。 それ自体が美しい。 これは綺麗ごとの文章ではない。 人の人生は多種多様。 その多様性こそを讃えるべきでは ないだろうか。 従来の価値観では善悪二元論が 猛威を揮い、現代思考を形作り、 渇いた世界を築いていまいか。 自らとの相違を受け入れ、 ふがいなくても、 生きる努力を続ける人々を 応援する気持ち、 これが多様性を受け入れる 土壌ではなかろうか。 なぜ、こんな境地を吐露するかと 言われれば、震災の影響が強い。 暴力的で不条理な出来事は不意に 人生に降りかかる。 しかし、人生はそこで終了しない。 震災も戦争も 社会からの糾弾も 肉親・近隣者からの愛想尽かしも、 集団内のいじめも、 みな不意に襲う不条理な出来事と 変わらない。 しかし、人は、不条理な出来事で 終わるものではない。 生きることを宿命付けられたのなら、 精一杯生きるしかない。 地を這いずり回っても、 後ろ指をさされても、 腹をすかせても、 弱く情けなくても、 それもでなお生きてゆく。 人生すべからく、生きることが満点 である。 生を全うすることが素晴らしい。 震災で世界中から日本の人々の心根
を賞賛された。 連帯感・秩序・節度などの言葉で 表現される一連の行動。 それは、人々が持つ社会への価値観 の勝利であろうか。 我々の価値観は何か。 それは、多様性を受け入れること。 二元論ではない世界。 自然のような多様性。 白黒世界の欧米文化から想像すら 超え日本文化のなせる技。 大自然は光と色に溢れている。 なぜに、哲学や宗教の世界になると 二元論となるのか。 善と悪しかないなど、 日本人には理解しがたいだろう。 多様性は、相手を受け入れる。 何の理屈もなく、受け入れる。 何に価値があるのか そういう議論を展開する欧米流 しかし、 あえて言おう。 存在に価値があるのだと。 存在を認めることに価値がある のだと。 虫けらのような存在にも 価値を見出そう。 我が人生もまた、社会の中で 小さな小さな虫けらなのだから。 掛替えのない虫けらだ。 愛さずにはいられない。 生きること、それ自体が美しい。 平成23年4月17日 川越芋太郎 <追伸> マイケル・サンデル教授の番組を 昨日見たが、印象を後日ブログ掲載 したい。 ここでも、リバタリアンとコミュニ タリアンの対立軸が見られた。 私は、この議論に組しない。 サンデル教授、ありがとう。
震災復興への日本人へのエール として多くの人々が希望を持った。 日本を評価してくれる海外の人々 の存在を教えてくれて。 紹介図書 ふたつの嘘 著者:和田英
みすず書房 生きることを考えさせる一冊です。
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