◎「微糖」という言葉筆者の記憶する限り、一番最初に「微糖」なる耳慣れない言葉が登場するのは、平成7年発売のポッカ「微糖ミルク(BM)」であったと思う。
人工甘味料も香料も使用せず、100g当たり23kcalという微糖製品であり、その味はあまり感動できる物ではなかったものの、「低糖」という言葉を用いずに「微糖」という新たな造語をもってきたことは、筆者にとっても「缶コーヒーの砂糖減量・本格化の流れを予感させる画期的製品」として好意的に受け止め得るものであった。 この製品の微糖とは、単に砂糖を減らした、甘さ控えめというニュアンスを持った言葉であった。 しかし、しかしである。
平成11年にスクラロースが、平成12年にアセスルファムカリウムが使用認可を受けると、サントリーがさっそく機能性飲料「DAKARA」にスクラロースを使用。
このDAKARAがヒットしたことを受けて、他の飲料にも人工甘味料が使われ始めることになる。 1990年代から続いていたダイエットブームも追い風となり、人工甘味料を少量加えて砂糖を減らし、低カロリーを売りにした飲料製品が続々登場してゆく。 缶コーヒー業界は、これを挽回のチャンスと考えるようになった。
“「缶コーヒーは砂糖を大量使用した飲み物」というイメージを、人工甘味料使用で払拭できるのではないか”
缶入りで長期保存、さらには冬季加温販売もする缶コーヒーに使用するには、長期保存や加温しても変質しない安定した化学特性が必要だが、これらの人工甘味料はそれを満たしているのだ。
ここまではよかった。
ラインナップの一部に人工甘味料使用の低カロリー製品を加えるだけならば、特に問題は無かったハズだ。 しかし彼らは、これに「微糖」という言葉を用いて消費者を欺瞞するという、缶コーヒー史上最悪の手段に出た。
ポッカ微糖ミルクは「砂糖を減らして甘さ控えめ」だったのに、以降の各社の微糖は「砂糖を減らした分の甘みを人工甘味料で補填」であり、要するに甘さ控えめではない。 「甘くないのを飲みたいから微糖って書いてあるのを飲んだのに、結構甘いし変な味がするじゃないか!」と騙された人は数多いし、これがキッカケで缶コーヒーを飲むのをやめてしまった人も実際に存在する。 現在、微糖という言葉は完全に人工甘味料使用前提の言葉となってしまった。
しかもこの言葉の使用法は「液量100gあたり糖類使用量2.5g以下」であれば無制限に使用可能であると法で定められており、そこには人工甘味料使用の有無を大きく目立つように表示する義務は一切存在しない。 ◎缶コーヒーの飲まれ方当機構のように缶コーヒーの味にとことんこだわると、人工甘味料入り缶コーヒーは文字通り天敵である。
「じっくりと味わいながら過ごす缶コーヒータイム」をイメージしており、人工甘味料の珍奇な甘みと後味は邪魔以外の何物でもない。 しかし市場に目をやると、現実として微糖製品は「メタボ対策」の旗標のもと順調な売り上げを記録している。 「なんだなんだ? 最近の消費者はこんなマズい甘味料の味もわからないぐらい鈍いのか?」と、長いこと考えてきた。 しかし最近は、考え方が変わってきた。
普通の消費者は、缶コーヒーを飲むのにそこまで味わったり堪能したりしないのではないか。
ごく短い休憩時間に、タバコをふかしながらキュッと一本空けてしまうような飲み方であれば、甘味料も後味もへったくれもない。
こういう人達は要するに「コーヒーの味がすれば何でもいいや」というスタンスなのではないか。 缶コーヒーを味わうということよりも、コーヒーっぽいものをグイッと飲み干す、そちらのほうが重要なのであろう。 そして、そういう飲み方を否定する権利は、我々には無いのだ。
実は、筆者は酒の味にも並々ならぬこだわりがあり、マズいベシャベシャな味の安酒を喜んで呑む人達を長年軽蔑してきた。
しかし、ある時に考え方が変わったのだ。 「酒の味には貴賤があるが、人々の求める酔い方には貴賤は無いのではないか」と。 例えば、仕事の後に強い酒をグイッと呷って、ストレスを解消して良い気分になるという楽しみ方。 「高い酒は、かえって何だか味がよくわからねぇ」という人はとても多い。 酒の酔いの楽しみ方は人それぞれであり、人生そのものだ。 安酒を呑んでイヤなことをパーッと忘れる、これだって立派な「酒人生」だと思う。 缶コーヒーも同じことだ。
筆者のようなしみったれた缶コーヒーインテリ気取りが、缶コーヒーを開缶し、開口部からの香りを嗅いだり、チビチビとテイスティングしつつ「口当たりが……」「コクが、ミルク感が……」などと薀蓄を垂れるのは、完全にマイノリティの行為であると自覚すべきだ。 「缶コーヒーはよく飲むけど、味わって飲んだことなんて無いよ」というユーザーは絶対に多いと思うし、そんな飲み方を責める権利は無い。 大して旨くもない缶コーヒーを、グイッと一気飲みして気分転換し、残りの仕事を片付けに机に戻る…… こんなでも、缶コーヒーは充分な存在意義を示しているのだ。 缶コーヒーの味の貴賤は確実に存在する。これは缶コーヒーマニアとして絶対に譲れないし、「すっきりした甘さと後味」などと大嘘をついて激マズ微糖・ゼロ缶コーヒーを垂れ流すメーカーには義憤を禁じ得ない。
そんな物の売り上げに貢献する味音痴なユーザーの存在に腹が立つのも事実だ。 しかし、彼らの「缶コーヒーの飲み方」そのものには、やはり文句をつけてはいけないのだ。 むしろ、普段からこんなに必死になって味の解析をしている我々のほうがよっぽど変わり者なのである。 また現実問題として、糖尿病持ちなどの理由で糖質を摂取できない人がおり、こちらはメタボ予防やダイエット志向の人達よりも深刻である。
「多少マズくてもいいから、甘みのある缶コーヒーが飲みたい」と欲すれば、糖類ゼロ製品の存在は彼らにとってまさに救いの神である。 彼らの気持ちは尊重せねばなるまい。 もっとも、各メーカーが展開している「ゼロ合戦」はそんなヒューマニズムではなく、単なる低次元な数値争いに過ぎないのだが。
◎JAS法で定めてほしい表示項目上で述べた通り、現在「微糖」という言葉は人工甘味料の有無に関係なく表示できる。
また、人工甘味料使用は原材料名欄に書いてあれば問題無し、という状況であり、缶の正面などの目立つ場所への表示義務も存在しない。 当機構としては、この部分をJAS法あるいは健康増進法で表示義務化してほしいと考えている。
◇人工甘味料使用製品は必ず、缶の正面に「人工甘味料使用」を明記すること
(自販機購入のように、商品を手に取らなくても事前にわかるように) ◇人工甘味料使用の場合、その種類と使用量を成分表に明記すること
本音を言えば、人工甘味料使用製品に「すっきりした甘さ」とか「キレのある後味」と表記するのを禁止してほしいと思っているのだが、これは法令で規制することは不可能であろう。
2記事にわたる長文におつき合い頂き、感謝したい。
人工甘味料については、まだまだ書き足りないこともある。
例えば、微糖が売りの製品以外にも人工甘味料がガンガン使われ始めている事実など。
それは後日別稿で。
今年もいよいよ大詰めである。
今年は完成度の高い缶コーヒーが多数登場した、当たり年であったと思う。
来年も極端な微糖・ゼロ路線と一線を画した本格派が多数リリースされることを願い、本稿の結びとしたい。
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2010年12月30日
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◎日本の砂糖事情 〜戦後混乱期まで〜現在のような白い砂糖が出回る前、料理や菓子に本格的な甘みをつけるほとんど唯一の手段、それが黒砂糖であった。
サトウキビの汁を乾燥させただけの黒砂糖は、サトウキビ特有の香りや蜜分、不純物を大量に含んでいるが、精製技術の無かった時代においてはこれでも大変なごちそうであった。 黒砂糖は、精製を繰り返すことによって蜜分や不純物を除去して、ショ糖の純度を上げることができる。 こうして出来上がった最高純度のショ糖、すなわちグラニュー糖は、雑味のほとんどない「純粋な甘み」が得られ、コーヒーや紅茶の味・香りを邪魔しないため重宝される。 しかし、第二次世界大戦が始まり戦局が悪化するにつれ、日本では砂糖は当然のことながら贅沢品として入手も使用も困難となる。戦後にかけて、砂糖どころか明日食う物にも困り果てる食糧難の時代となった。
子供達の摂取カロリーは著しく低く、成長期においては特につらい時代であった。 子供達は、滅多に食べられない甘い菓子を喜んで食べ、親達は「子供にもっと甘くて美味しい物をたくさん食べさせてあげたい」と願い、子供達も「将来は絶対にお金持ちになって、お菓子を腹いっぱい食べてやる!」とささやかな野望に燃えたりもしたのである。 ◎GHQ占領下におけるアメリカ食文化の浸透「ギブ・ミー・チョコレート」が本当の話かどうかはよく知らないのだが、戦後しばらくの日本への西洋文化流入は、「欧米化」ではなく「米化」であった。
日本を直接占領・統治したアメリカGHQは、腕時計やアクセサリーをあしらった小綺麗な恰好、戦勝国ならではの余裕ある表情で日本各地をを闊歩し、当時の日本人からすると羨ましくて仕方ないところであった。 そして、戦後の日本の食文化においてもアメリカは重要な役割を果たした。
ただでさえヨーロッパに比較してジャンクな飲食物の非常に多いアメリカは、戦後の日本にコーラ、サイダー、ハンバーガー、ホットドッグ、フライドポテトといった高カロリーで刺激的な飲食物を持ち込み、日本人にも広めていった。 「肥満」は当時からアメリカ社会で問題になりつつあったが、戦後の食糧難で痩せギスばかりであった日本人にとって、アメリカ伝来のジャンクフードは、不足がちだったカロリーやたんぱく質を補う効果があった。 戦後間もなくから想像もつかぬほど食糧事情が回復した頃、日本の飲料業界はどうなっていたか。
スーパーで買える既製飲料は全て激甘という状況となっていた。
缶入りの緑茶・無糖紅茶・ブラックコーヒーが市民権を得るのは昭和60年代に入ってからである。 コカコーラ、ペプシ、ファンタ、Hi-C、スプライト、三ツ矢サイダー、キリンレモン、プラッシー、スコール、バャリース、セブンアップ、そしてこれまた激甘だったのが缶コーヒー。 当時は業界にも消費者にも「既製飲料ももう少し甘さを抑えたほうがいい」という認識はほぼ皆無で、こと業界側は「甘さを抑えることで売れなくなったら困る」という危惧もあった。 ミネラルウォーターはガラス瓶入りで古くから市販されていたものの、あくまでウィスキー水割り専用の高級な真水という位置づけであり、今のエビアンのようにそのまま飲む代物ではなかった。 当時の感覚を思い起こしてみると、「砂糖をケチった飲み物で金を取ろうなんて、図々しいにもほどがある」といった感じで、とにかく市販飲料には「値段に見合った濃度感」を求めていた。
つまり、緑茶のように自宅で少量の葉から数回抽出できるような物を、金を出して買うという発想は全く無かったのだ。 この「濃度感」をたやすく表現できるのは、安価で大量に使用できる砂糖であった 筆者が小学生の頃は、都市伝説的に「ペプシを飲むと骨が溶けるぞ」などと噂されていた。
「コーラ」でなく「ペプシ」と限定的なところが、案外ライバルのコカ・コーラ社の流した風説であったのかもしれないが(笑)、甘い炭酸飲料の飲み過ぎは体に良くないらしい、という程度の知識はあったものだ。 しかし子供達は意にも介さず飲み続けていたと思う。 (筆者は子供の頃から麦茶・牛乳派であり、家には甘い飲み物は常備されていなかったが) ◎人工甘味料開発戦中から戦後にかけて、欧米でいくつかの人工甘味料が開発された。当時は「合成甘味料」と呼んでいた。
砂糖以外の甘味料を安価に合成することの意義は「農産物の一種である砂糖よりも、工業的・化学的に安定供給可能」な点である。
サトウキビやテンサイの産地における天候不順は、砂糖の相場を著しく左右するからである。 現在と違って、当時はまだカロリーオフ目的の開発でなかったという点が特筆されるべきであろう。 しかし、ズルチン・サッカリン・ぺリラシュガー・チクロといった合成甘味料は、発癌性や催奇性が指摘され、実際の健康被害や致死まで発生したものもあり、多くは日本において使用禁止となっていった。
還元麦芽糖水飴とサッカリンナトリウムを主成分としたダイエット甘味料「シュガーカット」が発売されたのは昭和48年だが、これはあくまで家庭用甘味料であり、市販食品への応用は実現しなかった。 現在の主流であるアセスルファムカリウム・スクラロース・L-フェニルアラニン化合物といった人工甘味料が食品添加物として認可され浸透するのは、20世紀終盤になってからのことである。
◎脱・砂糖の動きの始まり日本では昭和50年代まで、砂糖の過剰使用が忌避されるようになった理由の大半は「肥満の原因」ではなく「虫歯の原因」という視点であった。
「砂糖の入ったものを食べ過ぎると虫歯になる」といった程度のことは古くから知られていたが、実際に虫歯の原因となるミュータンス菌の存在と虫歯発生進行のメカニズムが解明されたのはなんと1924年のことであり、割と最近のことなのである。
「ただでさえ砂糖がたっぷり入ったものを、歯で長時間直接噛み続ける」というチューインガムに対する、全国の親達の印象はどんどん悪化した。アメリカからアダムスの「トライデント・シュガーレスガム」が日本に登場した時も「虫歯の原因にならない」ことがCMでも強調されていた。
現在、日本でもガムの売り上げ主流を占めるのは、虫歯の原因とならない人工甘味料を使用したシュガーレス製品であり、特にキシリトールが配合され再石灰化効果を期待できるという触れ込みで人気が高い。 しかし、ガム以外の菓子や飲料では、ノンシュガーの物はあっても「虫歯の原因とならない」と強調している製品は皆無であり、興味深い部分である。 ◎果糖は砂糖より害が少ない?世の母親の中には、「コーラは砂糖がたくさん入ってて体に悪いから」といって、子供にミカンやリンゴの100%ジュースを与える人が結構いる。
確かに、果汁はカリウムやビタミンを効果的に摂取できる分、コーラよりは体に良いかもしれない。 しかし実際には、コカコーラとオレンジ果汁100%ジュースのカロリーはほぼ同値(100g当たり48〜50kcal)であり、コーラのようにガバガバ飲めば体に良くないのは同じことである。 また、「果糖やブドウ糖や蜂蜜は、砂糖よりも害が少ない」などと本気で信じている人が意外なほど多いのが現状だが、グラニュー糖と果糖のカロリーの違いはごくわずかであり、どれも肥満や虫歯の原因となるのは同じだ。 ◎缶コーヒーの砂糖が目の敵にされる理由250g缶コーヒーが主流だった時代、あるテレビ番組で「缶コーヒー1本には砂糖が10g以上も含まれている!」と、実際に10gの砂糖を小皿に乗せて紹介された。
これは、視聴者にとって相当な衝撃であったようだ。
レギュラーコーヒーやインスタントコーヒーを自宅で飲む時に自分で入れる砂糖の量と比較してしまえば、確かに驚異的な量と捉えられても致し方ないところである。 前述の通り、当時の甘い市販飲料の大半はそのぐらいの糖質を含んでおり、缶コーヒーだけが非難される筋合いの話ではないのだが、「缶コーヒーは砂糖が大量に入っていて体に悪い!」と盛んに喧伝されてしまったことは、現在においても缶コーヒー業界に影を落としている。
◎缶コーヒー本格化 〜砂糖減・品質向上へ〜昭和44年の缶入り「UCCコーヒー」発売以来、ポッカやダイドー、コカ・コーラなど各社が缶コーヒー業界に参入してきたが、それらの商品はどれも砂糖をたくさん使用した、甘みのかなり強いものであった。
前述のように「市販飲料は甘くしないと受け入れられない」という当時の風潮もあったのだが、缶コーヒーにおいてはもっと別の事情があった。 * 香りや味を缶に封じ込める技術が確立されておらず、砂糖の甘さが無ければ飲むに堪えない代物であった
* 「いつでもどこでもコーヒーが飲める」という点が重要なのであり、味は二の次だった
昭和50年代終盤になると、まずポッカが缶コーヒー本格化の意識を持ち始める。
「どうせ缶コーヒーだし、多少まずくてもしょうがない」と思われ続けるのが癪だったのであろうか。 ポッカは、初めて脱酸素製法を用いた「ミスターコーヒー」において、「甘いだけのコーヒーは卒業した」というフレーズをCMに使用(CM出演は俳優の時任三郎氏)。 今思い出してもこのミスターコーヒーは結構甘い製品だったが、缶コーヒーも本格感を上げるべきだという考えをポッカが持っていたことは重要である。 昭和62年には、極めて多彩なラインナップで缶コーヒー業界に新風を吹き込んだキリン「Jive」シリーズが登場。
ヨーロピアンテイストやカフェオレ、クリアテイストなどの斬新な製品群、「粗挽きネルドリップ製法」「アイス専用」「ホット専用」という初の試みはセンセーショナルなもので、他社も慌ててラインナップを増加させてゆくとともに、「缶コーヒーはもう甘いだけでは売れない時代」という実感を強くしていった。 コーヒー豆を従前商品よりも贅沢に使い、焙煎や抽出を工夫し、香りを封じ込める充填法が確立され、ブラック缶コーヒーも徐々に市民権を得てゆくに至り、「甘さ控えめ」を売りにした商品も徐々に登場してくる。
(ネスカフェのサンタマルタやモンテアルバンは「甘さひかえめ」と書いてありながらトンでもない甘さで辟易させられたものだが) 字数制限により、続きは次回は後編で。
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