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最近はほぼ毎日、夜の出勤時にホット缶コーヒーを一本飲んでいる。
3分早めに家を出て、駅に着く前にお気に入りの一本を調達して…… とはいかない(笑) 駅のホームの自販機で買うことになるので、おのずと種類は限定されてくる。 通常の加糖ミルクで、人工甘味料不使用で、ショート缶で、駅ホームで売っていて……と絞ってゆくと、
せいぜい「エメラルドマウンテンブレンド」「ワンダモーニングショット」しか残らない。 最近はエメマのほうがアイスに切り替わったので、飲むのはもっぱらモーニングショットとなる。 さてこの「通勤時の一本」。 特に喉が渇いているワケでもなく、寒くて暖をとりたいワケでもなく、
カフェインで醒ましたい眠気があるワケでもなく、体が甘みを欲しているワケでもない。 つまり、完全に習慣化した「無意識・無造作なアクション」として自販機に向かうのだ。 夏になると、体が常に多量の水分を要求するため、渇きを癒しきれない缶コーヒーは敬遠しがちとなり、
糖質を含まずガブ飲みできるペット烏龍茶などにシフトしてしまうので、
この習慣は初夏までの限定となるハズではある。 それにしても月に約20回、「単なる習慣」で120円ずつ消費するのはなんだか勿体ない気もするが。 しかし、缶コーヒーをよく飲む人の大半は、こうした「単なる習慣」ではないだろうか。
○ 何となく手持ち無沙汰
○ 何となく口さみしい ○ 水代わり 「缶コーヒーが飲みたくて飲みたくて仕方がないから飲むんだ」という人はそうそういるまい。
かくいう筆者は、缶コーヒーは大好きではあるものの、一日に2本までしか飲んだことはない。 つまり、水代わりではないし、手持ち無沙汰というワケでもない。 要するに、現在習慣化しているワンダモーニングショットは、単に口さみしいだけなのだ。 しかし。 缶コーヒーにアレコレうるさい筆者が、特別に高得点をつけているワケでもないモーニングショットを、 一日1本とはいえ毎日のようにスイスイ飲んでいる事実をどう捉えるべきか? 高品質で完成度が高く、多くの人が高評価する缶コーヒーを作り出せば、 開発陣としても達成感を得られ、鼻が高いことであろう。 しかし、メーカーとしての算盤勘定、市場原理という視点から見れば、 「毎日でも飲める味」の中庸的製品を「容易に入手できる販路で」展開した者の勝ちである。 筆者はエメマもモーニングショットも、大衆に膾炙したという実績を評価点に加味してはいるものの、
味そのものについて特別に高い点数はつけていない。 しかし、毎日1本飲める。 「たまには違うのを飲みたい」などと、わざわざ家を3分早く出てウロつくこともない。 しかも、毎日飲むからといって、安い店でケース買いするワケでもない。 「ただ何となく口さみしい」程度の理由でここまで無駄金スパイラルを発生させているのは、 常飮系缶コーヒーならではのマジックとでも言えるのではないか。 ペット緑茶やペット紅茶、ペット烏龍茶でも、似たような飲み方をする人はいるだろう。
しかし、缶コーヒーのそれは明らかにニュアンスが違う気がする。 推測するに我々は、缶コーヒーの味そのものと同等以上に、 缶コーヒーを飲んでマッタリする状況そのものを愛しているのではないだろうか。 缶コーヒーを飲んでいるひととき、缶コーヒーを飲んでいる状況、 そして、缶コーヒーを飲んでいる自分が好きなのではないだろうか。 (若干ナルキッソス入ってるが) 以前「缶コーヒーの楽しみは、ペットボトル飲料とは異なる」と書いたことがある。
美麗なデザインの金属缶のプルタブをカシュッと開けて浸る独特の雰囲気。 マッタリした気分になれるのは、缶コーヒーの味や香りだけが理由ではあるまい。 思わす毎日のように手に取ってしまう、常飮系缶コーヒー。 駅ホームに立つと同時に機械的に自販機へ足が向かう。そんな飲み方。 過剰なまでの仰々しさで缶コーヒーを評価しアレコレとブログに書き込む。そんな飲み方。
どちらも等しく缶コーヒーの楽しみ方であり、そこに貴賤は無い。
なにせ、両方とも同一人物がやっているのだから(笑) 最近試飲レビューが疎かになっているのは、上記の通り、 ワンダモーニングショットばかり飲んでいて新規開拓が進まないからだ、 しかし実際には、試飲済みでレビュー待ちの製品が3本、購入して試飲待ちの製品もいくつかある。 ……あまりサボらぬようにせねば。
(文責:紫布) .
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