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http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/sn2014121310_50.jpg 習近平「30万人の同胞が痛ましく虐殺された」 (12月13日の南京大虐殺「国家哀悼日」に「南京大虐殺記念館」で)
>「南京事件」とは、旧日本軍が南京を占領した際、多くの中国人に対して殺害や残虐行為があったとされる事件です。今年から国家級の記念日に格上げされ、習近平国家主席が演説。中国側が主張する「犠牲者30万人」という数字を改めて強調しました。 支那は、今年から、日本軍が南京を攻略した12月13日を「国家哀悼日」に制定し、大々的なイベントとし、初めて国家主席の習近平が参加者1万人を前に演説をし、改めて「日本軍による無辜の南京市民30万人大虐殺」を強調した。 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/sp2014121315_50.jpg http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/bs201412131401_50.jpg >「いかなる人が南京大虐殺の事実を否定しようとしても、歴史が許さない。30万人の殉難者の亡霊が許さない」(中国 習近平国家主席) 1937年当時の南京の人口は約100万人だったが、1937年10月に日本軍が上海を占領すると支那軍が上海から南京に退却したために激減した。 南京市民の大半は、支那軍が入って来た南京から日本軍が占領した上海などへ逃げ出したのだ。 したがって、日本軍が南京攻略戦を始めた1937年12月12日夜までに、南京の人口は20万人以下まで減っていた。 約100万人の南京市民のうち、約80万人の南京市民が日本軍が占領した上海やその他などへ逃げ出して、人口が20万人以下となっていた南京において、どうすれば習近平が国家式典の演説で述べたように30万人を殺害できるのか?! 事実は、1937年12月13日に20万人以下となっていた南京の人口は、日本軍占領後に増え、1か月後には約25万人に増加した。 >「南京市内の小学生全員に今月1日、南京事件について書かれた、新しい教材が配られました」(記者) >「2人の日本兵は銃剣を持ち、李秀英に向かった。彼らは残虐に彼女の足を刺した。しかし、抵抗して倒れなかったので顔を刺した」(小学生) その証言が南京市内の小学校の教材に載っている李秀英という糞婆は、12年前の平成14年にTBS「筑紫哲也NEWS23」に出演したことがある。
>女性音声ナレーション >南京事件当時、18歳だったという彼女は、フィルムに撮影されており、残された文書記録と共に、証言も一致しているという被害者です。 呆れた! 平成14(2002)年9月26日放送TBS「筑紫哲也NEWS23」は、ナレーションを使って「李秀英の証言が一致」などと述べているが、完全な虚偽報道だ! 李秀英の証言は、南京軍事法廷、インタビュー、映画撮影、日本の裁判所など、証言するごとに内容がクルクルと変わった。 李秀英は、襲われた場所についても証言によって異なる2か所述べており、襲ってきた残虐な日本兵の人数についても証言によって異なり2人だったり3人だったりし、それだけでも信用できない証人だが、更に相手の短刀を奪って格闘して37箇所も刺されたのに死なずに生きていたのも不思議な(有りえない)話だ。 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/NewsMedia_255313.jpg 南京の小学校の教材に記述されている李秀英が遭ったような残虐行為が本当に発生していたなら大問題になっていたはずだが、当時そんなことは全く話題になっていなかった。 支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。 また、当時、南京には、日本人の記者やカメラマンなども多数入って取材をしていたが、誰一人としてそのような事件については見たことも聞いたこともなかった。
1937年12月15日 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/Safety_Zone_citizens.jpg 東京日日新聞 佐藤振寿カメラマン「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。日本兵や日本人を恐れていなかった」 (南京占領の2日後 1937.12.15佐藤振寿カメラマン撮影 南京安全区にて) 1937年12月17日 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/books_sapio02227_05.jpg 1937年12月17日 日本軍入城 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/CheersNanking.jpg 支那兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。 日本軍の入城式の日(1937年12月17日)に、食糧やタバコの配給を受け、歓声をもって迎える南京市民。市民がつけている日の丸の腕章は、民間人に化けた支那兵ではないことを証明するために、日本軍が南京市民に配った(毎日版支那事変画報 1938.1.11発行) http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20091213235722061_20141214081542113.jpg 【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」 (右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。 (中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。 (中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。 (左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。 1937年12月19日 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201203020840332c4_20141214082350c28.gif この温情 朝日新聞、上野記者撮影 南京にて松島部隊の兵隊さんに可愛がられている支那人の子供 昭和12(1937)年12月19日撮影 1937年12月20日 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img77dfcda5zikbzj.gif 解 説 文:南京陥落後旬日(じゅんじつ)にして、早くも平和の曙光に恵まれた市中では、皇軍将士と共に玩具をもてあそんでたわむれる支那の子供達… (12月20日、 南京住宅街にて朝日新聞林カメラマン 撮影)(玩具の戦車で子供達と遊ぶ兵隊さん(南京中山路にて))。 掲載:朝日新聞昭和12年12月25日&「支那事変写真全集(中)」 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/imgb9e1d84dzikezj.jpg 解 説 文:惨虐無道な支那兵に脅かされ、空と地に唸る砲弾に怯えていた避難民地区の支那良民は、日本軍入城と共にホッと蘇生の思い。 (昭和12年12月20日、南京住宅街にて朝日新聞林カメラマン撮影)。 掲載:朝日新聞昭和12年12月30日& 「支那事変画報 第十一集(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊)」 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img1d86483bzikdzj.jpg 解 説 文:暴虐無頼な抗日支那軍ながら傷けば、皇軍が敵をも隔てぬ同仁の慈悲に抱かれ、ここ南京外交部跡の野戦病院に我が衛生隊の手厚い看護を受けつつ、明け暮れ悔恨と感謝の涙に咽(むせ)んでいる支那傷病兵。 ( 昭和12年12月20日林特派員撮影)。 掲載: 「支那事変画報 第十一集(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊)」 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/Eiseihei.jpg 疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵 (南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日グラフ 1938.1.19刊) http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201203020846348b2_20141214083724ccb.gif 1937年12月20か23日、南京避難民の治療の様子。 「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より 撮影者、毎日新聞新聞カメラマン 南京避難民の病者治療にあたるわが衛生隊 1937年12月22日 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/imgfcedc764zikdzj.gif 平和立帰る南京:日本兵が難民区内の避難民にお菓子を分配している様子 (昭和12(1937)年12月22日 、難民区内にて朝日新聞カメラマン林特派員撮影) 1937年12月24日以前 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/Nanking19371224.jpg 南京市民に食糧等を配る日本兵たち。 (イギリス系新聞「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」1937.12.24付 南京占領の11日後) 1937年12月27日 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/dec27_01.jpg 解 説 文:敵前上陸以来激戦また猛闘、快速また追撃、夜に日をついでの戦と進撃に、華やかな南京入りをした快速部隊の兵隊さん達、ひなたぼっこをしながら速製の支那語に、手まね、足まねを加えて支那良民や子供と話をする朗(ほが)らかな南京難民区の情景 (昭和12(1937)年12月27日、南京難民区にて朝日新聞影山カメラマン撮影)。 掲載: 「支那事変画報 第十一集(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊)」 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/nanking19380201.jpg 南京の街路で日本兵相手に商売をする中国人 (毎日版支那事変画報1938.2.1刊) http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/NankingCamp2.jpg 南京の捕虜収容所で、手製の楽器を演奏して楽しむ中国兵捕虜たち (毎日版支那事変画報1939.5.20刊) さて、南京の人口については、平成24年2月に河村たかし名古屋市長が「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と発言したことが問題とされた時に、山田宏「日本創新党」党首(当時、現在は「次世代の党」幹事長)が講演で話したことがある。(詳細記事) http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20120227035534a9c.jpg 「日本創新党」党首で大阪市特別顧問の山田宏前東京都杉並区長(平成24年2月当時)
そのとおり! そもそも、日本軍による占領後に南京の人口が増えたのだから、虐殺なんてあった筈がない。 確かに1937年当時、南京には100万人超が住んでいたが、8月から上海で戦争が始まり、10月になって大量の支那軍が南京に逃げ込むと、南京市民の多数は日本軍が占領した上海などに避難して出て行った。 そして、南京で戦闘が始まった1937年12月12日の夜には南京の人口は20万人で、しかも、善良な市民は全員が安全区に避難していた。 まずは、南京の人口推移から。 ▽1937年11月〜12月の南京の人口推移▽ 1937年前半「100万人超」 (支那事変勃発前) 1937/11/23日「50万」 「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」 南京市政府書簡(南京事件P220 笠原十九司) 11/27「30〜40万」 在留外国人に対して「避難勧告」が出された。 「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」 米大使館報告 (アメリカ資料編P90) 12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令 12/6「約20万」 なぜ。金持ちを、約80万という恵まれた市民を逃がしたんだ? (ラーベの日記P96) 12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令 12月10日「約20万」 なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。 (ラーベの日記P107) 12月13日「約20万」 言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。(略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。 (安全委員会公文書T-6) ▽陥落直前の南京の人口に関する資料▽ ―――――――――― 安全委員会公文書【20万人の市民】 スティール【10万人の市民】 アベンド【10万人以上】 ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】 ラーベ【20万人】 リリー・アベック【15万人】 米ライフ紙【15万人の南京市民】 張群思少佐【非戦闘員10万】 劉啓雄少将【20万】 松井大将【12万余】 ―――――――――― 以上の資料を総合してみると、12月13日、南京陥落時点の南京の人口は、【10万人から最高20万人】の間とみて間違いなく、陥落後の生存人口が約25万人(安全委員会公文書)だから人口は増えた。 ■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。 そして、南京で戦闘が始まる前に、多くの市民が南京を脱出したが、そのうちの多くは日本軍が開放した上海に行っていた。 もう一度、南京の人口推移を長い期間で見てみる。 ▽1937年前半(支那事変以前)〜1938年9月の南京の人口推移▽ 1937年前半 「100万人」 ↓ 11月初旬〜11月23日 「50万人」(支那軍が南京に来て減少) ↓ 11月27日 「30〜40万」 ↓ 12月13日 「20万」 ↓ 1938年1月14日 「25万人」(日本軍が南京を占領し支那軍が南京を去ったため南京の人口が増加に転じる) ↓ 1938年9月23日 「40〜50万人」 ▽1938年9月23日「40〜50万人」の資料▽
しばらく南京に戻って来なかった人々のうち、漢口に行っていた25万人は支那の政府関係者が多く、上海に行っていた25万人は一般市民だから、やはり市民は日本軍の居る上海に行っていたのだ。 以上、南京戦前に多くの南京市民が日本軍の居る上海などに脱出し、日本軍の南京占領1ヶ月後には南京の人口が増加に転じていたことを述べた。 そもそも日本軍占領後に南京の人口が増えたのだから、虐殺があった筈がないと分かる。 (参考) 人口問題 http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page012.html なお、平成24年2月に河村たかし名古屋市長が「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と発言したことが問題とされた際の平成24年3月6日、東京では【河村発言」支持・「南京虐殺」の虚構を撃つ緊急国民集会】が開催されたが、この時に出席した国会議員は稲田朋美議員一人だけだった。 今回の衆院選の候補者としては、「次世代の党」の山田宏候補と吉田康一郎候補(当時は東京都議)が出席していた。 http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/DSCN9395.jpg 山田宏「河村市長には『絶対に撤回も謝罪もするな!支那人が来ないことは良いことだ!』と言っている。」 http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/DSCN9402.jpg 吉田康一郎都議(当時、現在は「次世代の党」から東京7区に立候補) ●詳細記事 河村発言支持集会に満席&立ち見・つくる会「南京虐殺」の虚構を撃つ緊急国民集会】 稲田議員「首相が無かったと言えば終わる」 吉田都議「大村愛知県知事の河村市長への撤回要求(圧力)が凄まじい」 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4573.html こうしてみると、慰安婦強制の虚構について国会で盛んに追及してきた「次世代の党」は、南京問題についても最も期待できる! http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/B4F8s_hCYAEkLsE_2014121409210224a.jpg 最高裁判所裁判官の国民審査(平成26年12月) 【結論】 × 鬼丸かおる × 木内道祥 × 山本庸幸 池上政幸 × 山崎敏充 http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/B4sBwXPCEAIuYpT.jpg http://blog-imgs-50.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/B4kD-x9CYAAQmTP.jpg ●詳細記事 山崎敏充も×在特会へ賠償命令1226万円・最高裁判所裁判官国民審査・×鬼丸×木内×山本×山崎 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5666.html 「ふざけるな!習近平!」 この記事は、FC2ブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」のコピーです。
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すばらしい記事ですね。
南京大虐殺の嘘っぱちは聞き捨てなりません。ぶっつぶしたいですね。
今後資料を集め、検証していきたいですね。
2014/12/15(月) 午前 1:17 [ いかづちまる ]
いかづちまるさまおはようございます!
益荒男さま(COFEE様)の記事は本当にいつも素晴らしく、南京事件のウソについてはかなり早い段階から取り組んでおられ、数年前、最初に読んだ時は目からウロコが落ちました。支那に傾倒する反日勢力、反日日本人らは、いまだに支那の言い分に迎合し続け、虚言をならべています。
今後とも、次世代の党をリーダーとして日本人の認識を深めて行かねばなりません。
台湾国内やアジア諸国の中でも南京事件のウソを知る方々はおられ、
蒋介石軍の南京での戦争犯罪を支那が隠ぺいしていることも知られています。アメリカが戦時中日本を悪者にするためのプロパガンダをばら撒いた罪も含め、知らせて行かねばなりませんね。
2014/12/15(月) 午前 9:49