NAZCO☆中川図画工作所

GHQ憲法を破棄しなければ日本人は今の苦しみを漫然と味わい続けます/日本国憲法は法理論上、無効です

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昨日行われた台湾の台北市長選で、与党である国民党の連勝文候補(連戦元副総統の長男)が敗北しました。この選挙戦の最中に、「反日」が表面に出ていたことを、ほとんどの日本人が知らなかったと思います
 
 敗北した連勝文氏の父親である連戦氏は、対立候補(市長に当選した柯文哲氏)を批判する際、日本統治時代の公務員(教員)の家系であることを理由に挙げて激しく批判していたのです。連戦氏は、「柯文哲氏の祖先が、日本統治時代に青山の姓を名乗り、皇民化教育を推進した。柯文哲氏はその3代目だ」として、「青山文哲が市長になることは絶対に許せない」などと訴えていました。
 
  国民党候補敗北という選挙結果は、国民党・馬英九政権の「中国接近政策」への根強い不信感と、苦し紛れに国民党が持ち出してきた「反日」的な批判への反発を台北市民が示したものです
 ちなみに、新市長になる柯文哲氏は台湾大学の医学部教授(外科医)で、すでに選挙戦の前に日本を訪れ、日本との協力強化を政策として語っています。
 
 台湾の首都の市民の多くが「馬政権下進行中の経済の中国依存」にNOろ突きつけ、「反日」カードはもはや意味をなさない・・・と判断したことは、今後の台湾の政治において大きな意味を持つでしょう。

転載元転載元: 菖枯堂のブログ




 武士道精神と人権

『現行占領憲法』には、「第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」「第十三条 すべて国民は、個人として尊重される」とある。

人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになるのは、今日の我が國を見れば明らかである。

教育荒廃・家庭崩壊・凶悪犯罪の増加の根本原因は、「自分さえよければ他人はどうなっても構わない」という観念が蔓延しているところにある。

これは「個の尊重」「人権尊重」を絶対視して、共同体・家族・家庭と個人との共生を軽視してきた結果である。


 我が國は「基本的人権の尊重」という美名のもとに、自己の欲望と他者の欲望とのぶつかり合いの世の中となりつつある。
人々は、快と不快だけで生き、目に見える至近の距離の世界のみで生きるようになる。

「欲望こそ全て」と考える。

そして教育荒廃・家庭崩壊が起こり、悪平等が花開き、凶悪犯罪が増加している。

人権重視・人命尊重が声高に叫ばれ、武道は封建道徳・軍国主義といわれて排除されて続け六十五年以上を経過した今日の日本は、軍国主義時代だったといわれる戦前の日本ではとても考えられないような凶悪なる青少年犯罪が日常茶飯事になっている。

これは武の精神・武士道を否定した戦後日本が如何に間違った道を歩んだかを証明している。

 武士道は、忠誠・名誉・尚武・勇気などを重んずる。

武士の倫理観は、忠孝、廉恥(心が清らかで、名を惜しみ恥を知る心がつよいこと)、義勇、侠(一身を顧みずに弱い者を助けること)、自己の責務を果たすこと、といわれている。

 今日の日本に一番欠けているのが、このような武士道精神である。

わが国はグローバルスタンダードなどと言っていたずらに外国の真似をして外国と同じになるのではなく、日本人としての倫理観に磨きをかけるべきである。


特に政治家と官僚と財界人と教育者とマスコミ人にそれが求められる。
武の精神をなくした政治家はしっかりとした判断を下せなくなっている。

確固とした人生観・見識・倫理観を持たない悪しき民主主義即ち『自分さえ良ければ他人はどうでもいい』『皆がやっているからそれでいいという』という精神・習慣を改めなければならない。
わが国の伝統的倫理精神たる
武士道を今に生かさなければならない。

11/28
最新の台湾の情報を日本語と台湾語で伝えてくれる台湾チャンネル
 
 支那共産党は日本と台湾が仲良くなるのが困るらしい。そして、台湾で制作された映画【KANO】にまで干渉 「台湾メディア:自由時報」台湾のアカデミー賞である金馬賞(台湾映画および世界中の中国語映画を対象にしている)しかし台湾で大人気だった「KANO」は、ノミネートされながら、支那に対し配慮したのか、封殺されたのか、と報じた。

上映時間の9割は日本語。日本人には字幕無しでも解るようにできている。
私達日本人は、
支那が嫌う日台のますますの友情の交流を深め、
【KANO】の日本上映を大成功させましょう!!!!!
     
   (・(エ)・)ノ ほえほえくま〜


2014/11/27 に公開
【日台交流頻道】第58集、讓中國不高興的「KANO」・深化中的台日觀光交流

本節目使用日語和台灣的語言, 傳播日本與台灣之間的交流情報。

本集内容:

①介紹闡述日台歷史的新書「台灣與日本人」。

②介紹電影「KANO」因為內­容“親日”而引起中國的不滿,打壓金馬獎的消息。

③透過畫面介紹,日台觀光交流熱絡的­觀光局訪日舉辦之宣傳活動。 

④本節目對將台灣納入中國領土的地圖書籍出版大宗昭文社寄出公開質疑書。

主播:永山英樹・謝惠芝

日本と台湾の交流情報を、日本語と台湾の言語で同時にお送りする情報番組。

今回は

①日台の歴史的な絆を図説する新刊『台湾と日本人』の紹介、

②戦前甲子園で活躍し­た台湾代表嘉義農林チームの活躍を描いた台湾のヒット映画「KANO」が、“親日”と­の理由で中国から警戒されているというニュース、

③日台の観光交流が盛んになる中、台­湾政府が都内で開催した観光セミナーのVTR紹介、そして

④台湾を中国領土とする地図­大手の昭文社に対し、この番組が公開質問状を送付したとの報告です。

キャスター:永山英樹・謝恵芝

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千­人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、­全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html

◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp

『KANO』のあらすじ・作品解説                             

 日本統治下の台湾、地元の嘉義農林高校(嘉農=KANO)の野球部に、日本の松山商業の鬼コーチがやってきた!無名の弱小チームが台湾代表として甲子園優勝を目指す奮闘を描いた熱血青春群像劇。日本人、台湾人、先住民がそれぞれの長所を生かし、決勝戦まで勝ち進んだ快進撃は、台湾野球振興の原点となった実話。一昨年の観客賞受賞作『セデック・バレ』の監督&俳優コンビが、製作総指揮&監督としてタッグを組み、永瀬正敏ら豪華俳優陣を迎えて描き上げた注目作が、海外初上映としてオープニングを飾る! 
第9回大阪アジアン映画祭より。

コメントらんから



Kimiaki Ooyama

5 か月前
 

私は台湾生まれの日本人。戦争中は嘉義の近くの斗六の山に疎開していました。無事に日本に帰れたのは台湾の皆さんのお蔭です。だから、嘉義農林の野球の話は昔から知っています。戦後、読売巨人軍にも呉という選手がいました。彼も嘉義の出身かな。日本で映画が公開されるのを楽しみに待っています。

呉 昌征(ご しょうせい、1916年6月28日 - 1987年6月7日)は、台湾台南州台南市出身のプロ野球選手外野手)。左投げ左打ち。
プロ入りから1942年までは本名の呉 波(ご は)。その後日本に帰化し、石井 昌征(いしい まさゆき)に改名。登録名呉 昌征とした。
国籍 出身地 生年月日 没年月日 身長
体重 選手情報 投球・打席 ポジション プロ入り 初出場 最終出場 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
野球殿堂(日本)
選出年 選出方法
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9e/Flag_of_Japan.svg/25px-Flag_of_Japan.svg.png 日本
台南州台南市(現:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/72/Flag_of_the_Republic_of_China.svg/25px-Flag_of_the_Republic_of_China.svg.png 中華民国
1916年6月28日
1987年6月7日(満70歳没)
167[1] cm
64[1] kg
左投左打
外野手投手
1937年
1937年
1957年
1995年
特別表彰
嘉義農林学校時代には近藤兵太郎監督の下、春の甲子園に1回、夏の甲子園に3回出場し、裸足のプレーで知られた。嘉義農林時代は、外野手に加えて投手を兼任していた。しかし、投手としては芳しい成績を残せず、野手に専念するようになった。
1937年東京巨人軍に入団し俊足・強肩の外野手として活躍。「人間機関車」と呼ばれた。1942年1943年には2年連続首位打者を獲得する。当時は品質の粗悪な飛ばないボールを使っていたため、首位打者ではあるものの打率はそれぞれ.286、.300と低かった(1942年の打率.286での首位打者は史上最低記録)。
1943年シーズン終了後、台湾に帰郷する為、巨人を退団。台湾へ向かう準備で訪れた大阪で、同地の企業・神島化学に勤務することとなった。神島化学の社長・宮内清が阪神球団社長の富樫興一に呉を紹介したことで、阪神軍に移籍することとなった。この移籍については、金銭トレードとも書かれることがある。
1944年シーズンより、阪神軍でプレー。同年は、20試合の出場で19盗塁を記録し、巨人軍の呉新亨と並んで盗塁王となった。
1946年は投手が少ないチーム事情から、「外野から正確なバックホームができるのだから、投手もできるだろう」という理由で投手としても登板するようになる。同年4月28日に行われた開幕第2戦目の対阪急戦(西宮)で初先発。9回1失点でプロ初勝利を完投で挙げる。これ以降、先発ローテーションに定着。同年6月16日に異例の投手兼任で、戦後初のノーヒットノーランを達成した。この試合では四死球を5個与えているが、投球数は122球で試合時間は約1時間半の快投だった[1]。さらに同年はチームトップの14勝(6敗)、リーグ9位の防御率3.02を挙げた。更に、登板のない日は打者としても1番・センターとしても打率の方でも.291(リーグ14位)を記録し、文字通り投打で大活躍した。
1946年以外は投手として出場することはほとんど無く、主に1番・センターとして阪神球団の主力として活躍した。
1949年末の2リーグ分裂騒動パ・リーグ毎日オリオンズに移籍。1957年に現役引退した。呉は実働20年で現役引退したが、実働20年を記録した選手は、呉が史上初だった。
1987年6月7日、死去。満70歳没。1995年、野球殿堂入り。
巨人・阪神という人気チームで、主力選手として活躍した稀有な存在であった。巨人対阪神のOB戦では、「君はこっちだ」と川上哲治青田昇藤村富美男梶岡忠義ら両軍から、からかわれていた。
「昌征」という名前は、呉の恩人の息子につけられた名前を「自分にも(その名を)分けてつけさせて下さい」といって変更したものである。
太平洋戦争末期の1945年、日本プロ野球は戦争の影響からシーズンは中断となった。この戦争の影響で阪神甲子園球場のグラウンドが芋畑になった際、呉はそこで現場監督(耕作指導員)をしていた。呉は学生時代に嘉義農林学校で学んでいたこともあって、その経験を生かし土壌改良にも取り組んでいた。



2015年1月24日、映画「KANO」が『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』の邦題で日本公開されます


詳しくは公式ホームページをご覧ください。
          公式HP




日本特有の祭祀(さいし)。主に神社をもとに、古

来から絶え間なく続く日本の大切ないとなみですよ

ね。祭祀とは、世界全体から見た時に、現代におい

てどのような意義があるのか、我が国の伝統精神は

、生活の中の様々なものに行いに姿を現し、今では

世界からどれもが高く評価されています。祭祀の持

つ意義を確かめたいところ、四宮先生のお話を読ん

でみました。



祭祀の現代的意義

宗教には、救済宗教と祭祀宗教の二つがあるとい
はれる。そしてキリスト教が救済宗教で、神道は祭

祀宗教であるとされる。しかし、祭祀は自己の罪穢

れを祓ひ清め神と合一となる行事である。救済宗教

の役目も持ってゐる。
「祭祀」および「直會」は、神と人との合一感を自覚する行事であ
ると共に、それに参加する人々同士の一體感も實感する行事である
。お互ひに神と一體となりお互ひが一體となる「まつりの精神」が
世界に広まれば世界は平和になる。魂的信仰的一體感が、世界人類
の交流と共存の基盤となる。まつりが世界で行なはれるやうになれ
ば世界は平和になる。「祭祀」の世界化が大切である。 


倉前盛通氏は、以下のように述べている。
「世界の乾極の代表がユダヤ人であり、湿極の代表が日本人である。

しかも民族固有の神を今日に至るまで戴いてゐる民族はユダヤ人と日

本人だけである。世界の乾極のアラビアにおいて最も厳しい一神教が

成立し、湿極において最も寛容な多神教が成立した。一神教はバイブ

ルやコーランそして神學教學を持ち、神道はバイブルに相当するもの

や神學教學を持たない。一神教を敵に回してはならない。むしろ、乾

極と湿極に生まれた対象的な性格を持つもの同士が長短相補う道を探

るべきであろう」


「二十一世紀以後の世界は情報科學の進歩に見られる通り多様性の社

會であり、それは一神教の世界ではなく多神教の世界である。日本的

自然妻子、つまり八百萬の神々という言葉に表現されるように典型的

な多神教風土と日本的寛容さと、バイブルのない宗教、教団組織のな

い宗教、そのようなものが今後の世界に最も大きな精神的影響を与え

るようになるであろう」


「今まではユダヤ教的な一神教的精神風土が世界に、大きな影響を与

えてきたが、二十一世紀以後の世界をリードするものは、日本に代表

される寛容な多神教的精神風土である」

(以上『新・悪の論理』より)


今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる
。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文
化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の
祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』
を大切に護って来た。

 それは鎮守の森には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来

たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精

靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神

の靈が宿ってゐると信じて来た。 

わが國の傳統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自

然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。祭

祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原

理となると確信する。日本傳統精神の価値は今日まことに大切なもの

となってゐる。



わが國の傳統精神は、一人の教祖が説いた教義・教条ではない。教条

的で固定的な教義を絶対的なものと信じ、これを信じ込ませるといふ

のではない。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の

命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然

で自由で大らかな精神なのである。自然は人間と対立するものではな

いといふ信仰即ち自然を神とおろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破

壊を防ぐ。祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理






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