【日本軍はマレー人を一人も殺さなかった!】
ラジャー・ダト・ノンチック(マレーシア元上院議員)
じつはこのノンチック議員は、かつてマレーシアの独立に半生をかけた人です。
マレー半島は、かつて150年もの間、イギリスの植民地支配に苦しんでいました。マレー半島だけではありません。当時アジア諸国において、独立国は日本とタイだけであり、他のほとんどは欧米列強の植民地と化していたのです。
当時、欧米列強は、アジアは白人のために資源を供給すべき国々、白人に隷属すべき国々とみなしていました。彼らはアジア諸国から収奪し、搾取を続けていたのです。
しかし1941年、日本は真珠湾攻撃と同時に、マレー半島に進撃。イギリス軍を打ち破りました。日本軍はその後、マレーシア独立のために訓練所を造り、マレー人青少年の教育に力を注ぎました。
訓練生と共に汗を流す日本人の姿は、マレー青年たちに大きな感銘を与えました。
「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」
――そうした機運が彼らの内に育てられたのです。さらに日本政府は、南方特別留学生制度を創設。アジア諸国独立のため、指導者養成を目指しました。
【マレーシアのラジャー・ノンチック上院議員】
「日本軍はマレー人を一人も殺していません」
ノンチックは、その第一期生の一人でした。彼は、同じように独立の熱意に燃えるアジアの青年たちと共に、留学生として日本に派遣されます。
日本人教官たちは留学生たちを、わが子のように厳しく優しく指導し、 「独立を戦いとるためには、連戦連敗してもなお不屈の精神を持つことだ」と励ましてくれたといいます。
日本政府は食糧難の中にも、苦労して留学生の食糧まで集めました。この日本留学の経験は、ノンチックの人生を変えるものとなったのです。
そののち1945年、日本は敗戦を迎えます。ノンチックは、そのとき決意を新たにしました。
「日本はアジアのために戦い疲れて破れた。今度はわれわれマレー人が自分の戦いとして、これを引き継ぐのだ」
ノンチックらは、祖国独立のための戦いを続け、ついに1957年、祖国独立を果たしました。さらに、彼ら日本に来た南方特別留学生たちが中心となり、現在のASEAN(東南アジア諸国連合)が設立されたのです。
ノンチックは、こんな詩を残しています。
「かつて日本人は清らかで美しかった。かつて日本人は親切で心豊かだった。アジアの国の誰にでも、自分のことのように一生懸命尽くしてくれた」。
かつて日本軍は、東南アジアを舞台として戦いました。しかし東南アジア人を相手に戦ったのではなく、東南アジアを東南アジア人の手に取り戻すために、欧米人を相手に戦ったのです。
【マハティール・ビン・モハマド】
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」とアジア外交について述べ、日本政治の問題について助言をしたことは有名である。
【アジア人のアジア人によるアジア】
「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」そのことを教育して、さらに日本政府は、南方特別留学生制度を創設。アジア諸国独立のため、指導者養成を行いました。大東亜戦争は、アジア独立のための戦争であり侵略戦争ではありません。