NAZCO☆中川図画工作所

GHQ憲法を破棄しなければ日本人は今の苦しみを漫然と味わい続けます/日本国憲法は法理論上、無効です

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感激と感謝に満ちた瞬間を見つめています。

しかし、これが日本メディアからではなく、海外か

らのツイッタ―で知り得たことに、じわじわと日本

のメディアによる報道の隠ぺいへの怒りが湧いて来

ます。
来日したモディ印首相が、日本と共に英国と戦ったインド独立の英雄
チャンドラ・ボースの同僚であった三角佐一郎氏(99歳)と面会し
た事を、インド政府とインド紙は大きく報道。日本のマスコミがなぜ
大きく報じないのか、偏向だとネットでは批判の的に。日本の左翼メ
ディアは、自らの歪んだ歴史観を国民に押し付ける為、インド首相の
行為も思いも隠蔽し踏みにじる。私はこのモディ首相の姿に胸が詰ま
ります。
---
《モディが日本で99歳のネタジの支援者と会った時》
2014.09.02 IndiaToday

ミーティングは貴重で強烈なものだった - 東京でインド首相はネタジ・スバス・チャンドラ・ボースの99歳の同僚を出迎えようとひざまずいた。
火曜日にリリースされた写真に、三角佐一郎をじっと見つめ、温かく手を握りしめたナレンドラ・モディが写っていた。
「感動的な瞬間!インド首相がネタジの古い日本の仲間、99歳の三角佐一郎に手を差し伸べている」と外務省スポークスマンSyed Akabaruddinがツイートした。
この日早くに、日本の首都での会合で、モディは三角について、今でも鮮明にネタジに関するあらゆることを詳細に覚えている日本人男性がいると語った。
今回の会談はモディにとって、ネタジのかつての仲間との二度目の会談となった。
5月8日、114歳の元インド国民軍INA将校、Nizamuddin大佐は、下院選挙運動中にバラナシの集会でモディとステージを共有した。 モディは退役軍人の足に触れていた。
ネタジ・スバス・チャンドラ・ボースは、第二次世界大戦中に日本による援助を得て英国と戦ったインド国民軍(INA)の創設者だ。
彼はフォルモサ(現台湾)の飛行機事故で死んだと信じられている。 台湾は墜落時、日本の占領下にあった。
遺灰は東京に運ばれ、市内にある蓮光寺に納められている。
《When Modi met Netaji's 99-year-old aide in Japan》
2014.09.02 IndiaToday
The meeting was rare and poignant - an Indian prime minister kneeling down to greet a 99-year-old Japanese associate of Netaji Subhas Chandra Bose, in Tokyo.
In a photos released on Tuesday, Narendra Modi was seen peering into the eyes of Saichiro Misumi and then warmly clasping his hands.
"Poignant moment! PMOIndia reaches out to Netaji's oldest living associate in Japan the 99 year old Saichiro Misumi," said a tweet by Ministry of External Affairs Ministry spokesman Syed Akabaruddin.

Earlier in the day, Modi at a function in the Japan capital, spoke about Misumi, saying there was a man in Japan who still vividly remembered all details about Netaji.
This was Modi's second public tryst with an old comrade of Netaji.
On May 8, during the Lok Sabha election campaign, Colonel Nizamuddin, a 114-year-old former INA officer, shared the stage with Modi at a rally in Varanasi. Modi had touched the war veteran's feet.
Netaji Subhas Chandra Bose was the founder of the Indian National Army (INA) that fought the British with help from the Japanese in India during the Second World War.
He was believed to have been killed in a plane crash in Formosa (now Taiwan). The region was under Japanese occupation at the time of crash. The ashes were taken to Tokyo and are kept at Renkoji Temple in the city.

(関連)

《インド政府広報局公式Twitterアカウント》

《ば韓国いい加減にしろ速報》

つづき、、。

頭の中を整理してほしいのは、当時の朝鮮は「戦場ではない」ということです。当たり前ですが、戦場ではないので非日常的なことは起きませんし、あった場合は警察官が駆けつけます。今となんら変わらないのです。
 しかも、この行政システムの警察の中には朝鮮人が多く、行政のトップの知事も朝鮮人が多数任命されていたというのが実態です。】

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img10092_130308-07kannyo2.jpg


 先ほど、「差別を日本人は無くそう、朝鮮人も同じ権利にしようと努力していた。この努力を日本人は懸命にしていた事実を知ってほしい」という西川さんの声を紹介しましたが、同じことを言われていた元官吏の方が他にもいます。

 1942年から終戦まで朝鮮總督府に勤められていた大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんです。

 この方も生前、「総動員体制から戦時体制に移行していた總督府施政において内鮮人の処遇の差別と見られるようなことのないよう常に気を遣っていた」と証言されていました。
 (拙記事2013/7/27付【慰安婦強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか】参照)

 また、少なくとも日本の朝鮮統治35年間の後半期は非常に穏やかだったことは、韓国人の朴贊雄さん(終戦当時20歳)も自著「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=siroiruka-22&l=as2&o=9&a=4794217757で語っておられます。

 この本の内容については、拙ブログの「外国人から見た日本と日本人」シリーズで数回に分けて紹介しています。興味のある方は過去ログをこちらからめくってみて下さい。朴贊雄さんが登場するのは(20)(21)(30)(35)です。

 また、朱極南さん(終戦当時25歳)も、「日本人と韓国人に分け隔てはなく、“同じ国民”として共に助け合っていたのが実状だった」と語っておられます。
 (拙記事2010/7/27付【日本統治を直視する韓国の静かなる肉声「SAPIO」01.9.26号】参照)

      http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img13368_140714-01title.jpg

桜の花出版といえば、アレン・アイルランド著「THE NEW KOREA―朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき)」http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=siroiruka-22&l=as2&o=9&a=4434181815も発行しています。

 日本が朝鮮をどのように近代化していったかを、第三国の植民地研究の専門家が、具体的な数値(統計)を提示しながら分析している本です。

 こちらも大変な良書です。

 西川清さんは日本の朝鮮統治の後半以降に関わった方ですが、アイルランドはその前半に関わった(記録した)ことになります。

 私は「THE NEW KOREA」の書評でこう書きました。

【これを読めば、そもそも当時の朝鮮半島は、「慰安婦強制連行」など発生する土壌ではなかったことが、はっきり分かります。
 日本人と朝鮮人ができるだけ公平に扱われるよう、こんなにも細心の注意を払っておきながら、一方で朝鮮人女性を慰安婦として無理やり連行して奴隷のように扱うなど、全く考えられないことです。
 そんなことをしたら日本側のそれまでの努力……莫大な費用・時間・人材・労力を投入したことや、差別をなくすよう政策面で気遣ってきたこと等……が、全て水泡に帰してしまいます。】


 今回、西川清さんの証言を拝読し、より強く、そのことを確信することができました。

 上手く言えませんが、「THE NEW KOREA」によって“頭”で理解することができ、本書によって“心”で理解することができた、……といったところでしょうか。


 以下はおまけの動画。
 「ザ・ファクト」が行った西川清さんのインタビューです。
 ここに登場する安倍総理大臣への手紙は、本書にも転載されています。

2013/10/24 に公開
安倍総理に一通の手紙を出した、朝鮮総督府元内務課長の西川清さん(98歳)。
その西川さんに手紙の内容と日本統治下の朝鮮の実態を伺いました。
西川さんの「現地の女性を徴用することはなかった」という証言から、
河野談話で言われている「従軍慰安婦問題」は事実に基づかない捏造であることが分かり­ます。


貴重な証言を伺って頂き、ありがとうございます。
終戦直後からの朝鮮と引揚の状況についても、証言願いたい。

10:00辺りからの「従軍慰安婦」についての質問開始時点で、質問者様の「従軍」慰安婦と言う言葉が有ったかどうかの質問の「従軍」という言葉が、編集で切れてしまっているので、修正お願いします。

「従軍」とは、軍に正式に所属し、軍の一部として見為された人達。
従軍医,従軍看護婦,従軍記者など。まったく軍隊と一緒に行動していた人達。
従軍医(記者も?)が簡易銃を所持していた以外は武装が出来ず、彼等も戦闘に巻き込まれて亡くなった人達が多い。

大日本帝国軍では慰安婦は従軍しなかった。
全くの非武装で非戦闘員で、戦闘時の邪魔になるから。

大日本帝国時代の方々は、「従軍」というのはとても責任ある仕事として尊重されたので、皆、「従軍」とは付かなかったと、誰もが仰って来ましたが、無視し続けて来ている人達が居ますね。当時そのままの歴史を残す事が、時代の検証や反省につながります。

日本人が遣っても居ない慰安婦強制連行や虐殺や拷問など、
不逞鮮人が遣った従軍慰安婦強制連行や虐殺や拷問など、
きちっと、事実検証する必要が有りますね。

元慰安婦の御婆さん達、どうか、偽証なさらず、事実をお話し下さる事を願います。

つづき、、。


 ここまででも十分貴重な証言だと思うのですが、西川さんにとってはほんの「前説」に過ぎません。

【私が朝鮮に行った当初から、日本人と朝鮮人は「内鮮一体」として扱われ、私は朝鮮人の上司の下で働き、時に朝鮮人を部下に使いました。当然のことながら、お互いに民族の違いは意識しておりましたが、それ以外のことは何ら変わりがありません。日本の朝鮮統治というのは、欧米の植民地とは根本的に違います。
 現代の人が今の価値観で空論を弄んでも、それは当時の実態と大きく異なります。戦後の教育なり、思い込みがあって私の話が信じられないという人の為に次の章以降で朝鮮人達との思い出や總督府の行政解説をします。】



 というわけで、ここからが本題だったりするのですが、あまりネタバレになってもダメなので、ごく一部だけ紹介すると……

●役所の中では、基本的に日本語で話していたが、朝鮮人同士は日本語か朝鮮語。自然なことだから、誰かが何か言うこともなかった。「朝鮮語を使うな」なんて言うこともなかった。

道庁内で天皇陛下の御真影が飾ってあるということはなかった。国旗掲揚や国歌斉唱もなかった。皇民化政策について勘違いしている方が多い。日本人も朝鮮人も皇民だった。皇民化とは日本と朝鮮の格差や差別をなくすためのものだったと思う。

●「内鮮一体」ということは過去には差別があったということでもある。それを否定するつもりはない。しかし、差別を日本人は無くそう、朝鮮人も同じ権利にしようと努力していた。この努力を日本人は懸命にしていた事実を知ってほしい。

●徴用は強制だったが内地の日本人と同じ。朝鮮では徴用されても行かなかった人もいた。私の前の担当者は割り当ての人数を集められなかった。私は割り当て人数分を集めた。「こういう徴用をするのでどうか協力してください」と、面長(村長)や関係者にきちんと説明をして、本人にも納得するように説明してもらった。きちんと、日本に行って、日本人と同じ仕事をして、賃金もきちんと貰えると、係官に説明してもらった。

●創氏改名や徴用などは總督府の正式な行政手続きを踏んだもの。創氏改名は強制ではない。強制ならば總督府からの指令があったはず。總督府は「創氏改名は自由である」とはっきり言っていた。道庁の朝鮮人官吏でも創氏改名しない人は沢山いた。半数以上はそうだった。もし命令があったなら、朝鮮人官吏は真っ先に改名しなければならなかったはず。

ここに出てくる「總督」とは第七代の南次郎總督のこと。この記事は2013年3月8日の衆院予算委員会で中山成彬さんも紹介していました

こうした總督府の組織、命令系統を理解した上で言えば、慰安婦連行を行政機関が命令させたということは、絶対ない。不可能なこと。女衒(ぜげん)は朝鮮人がやっていた。どこに娘がいて、どこに売るかとなれば、朝鮮人でなければできない。日本人がいきなり行って、言葉も土地もよく知らぬままではできない。

朝鮮軍司令部も、女性がどこにいるのかなど分からないから、もしも集めようなどということがあったら、徴用のように、道→郡、郡→面(村)へと集めてほしいという依頼があったはずだが、そんなことはなかった。もしそんなことを公的機関がしていたら、絶対に文書で残っているはず。もし、個人が無理にやったら捕まる。道の役所や警察にも朝鮮人がたくさんいるし、知事や私の上司の多くは朝鮮人だった。

●ただ単に禿山の管理とか、鉱山の監督をしていたのなら分からないが、内務課長として一般の行政をしていたから、日本の官吏(朝鮮人官吏も合わせて)が、売春婦を強制的に連れて行ったということは「ない」と、自信をもって言える。

●軍隊もそういうことはしていなかったのが分かる。統制の取れた厳しい組織で、戦場ではない日常の朝鮮で、しかも官吏や警察に多くの朝鮮人がいる中で、勝手に連れて行こうとしても不可能。



 あと、私が思わず笑ってしまった、こんな話も披露されています。

 朝鮮の土地権利について、朝鮮では長く混乱していましたが、總督府は1911年〜18年まで土地調査を行いました。

 誰の土地か明確なものは土地の登記時に持ち主を登録しましたが、明確ではない土地(山)は国有林として保護しました。

 總督府は国有林を「縁故林(えんこりん)」として、競売ではなく、その土地に少しでも縁がある人を調べて払い下げをしました。

 西川さんがその払い下げの事務(国有林を誰に売るかということを決めるための調査)をされていた時のことです。

 ある時、1カ所に2人が払い下げの申請をした土地がありました。
 1人は日本人、1人は朝鮮人でした。

 調査に行こうとすると、朝鮮人の部長が「日本人に有利なように計らうとか無いように、公平に調べてほしい」と。
 西川さんは、もちろん差別をしないで調べてみました。

 すると、日本人だと思っていた人は、創氏改名した朝鮮人でした。

 朝鮮人の部長は、創氏改名してるからダメとか、どっちかを優先しろとは全く言いませんでした。
 なぜならとにかく、總督府が差別するなと言っていたのですから。

 ちなみに、その朝鮮人の部長は創氏改名はしていなかったそうです。

 西川さんはこう振り返っておられます。

【私が朝鮮に渡っていた12年間は朝鮮人と日本人は協力し合っていました。それは、何もかもが同じだったとは言いません。しかし、日本人達は差別をなくそう、不満が出ないようにしよう、と注意を払っていたのです。この縁故林の話も今では誰も知らないのではと思います。】

【日本の統治は悪いことをしていません。搾取というならこの縁故林の話をどう思いますか。私は朝鮮人の部下として働き、差別なく、僅かな縁故でも調査していたのです。もしあるなら、例を挙げて言ってほしいものです。】


 確かに、この「縁故林」の話だけでも、韓国や日本のサヨクが主張している「土地収奪論」は嘘だというのが分かりますよね。

 もちろん韓国にもちゃんと分かってる人が僅かながらいますが。
 たとえば李栄薫教授。
 李栄薫教授が、日本が土地を収奪していないと確信したのは、日本が行った土地調査の大量の文書群という記録が残っていたからです。

 朝鮮總督府の土地調査資料があったから、搾取神話に対して説得力ある反論を提示できたのです。
 (詳細は拙記事2013/6/15付【三輪宗弘先生の「大韓民国の物語」書評で改めて見えた韓国の民族主義と李栄薫教授の苦悩】を)


 西川さんは、他に、終戦時の話や引き揚げ時の話、支那人をどう思うか、今の日本と韓国をどう思うか、などについても語っておられます。

 とにかく西川さんが何度も繰り返し強調しておられるのは、

「併合時代の朝鮮は、今の日本や韓国などの平穏な国と何も変わらない」
「普通の日常がそこにあっただけ」

 ということです。

 そして、こうもおっしゃっています。

頭の中を整理してほしいのは、当時の朝鮮は「戦場ではない」ということです。当たり前ですが、戦場ではないので非日常的なことは起きませんし、あった場合は警察官が駆けつけます。今となんら変わらないのです。
 しかも、この行政システムの警察の中には朝鮮人が多く、行政のトップの知事も朝鮮人が多数任命されていたというのが実態です。】

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img10092_130308-07kannyo2.jpg


 先ほど、「差別を日本人は無くそう、朝鮮人も同じ権利にしようと努力していた。この努力を日本人は懸命にしていた事実を知ってほしい」という西川さんの声を紹介しましたが、同じことを言われていた元官吏の方が他にもいます。

 1942年から終戦まで朝鮮總督府に勤められていた大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんです。

日本人と朝鮮人はとても仲が良かった!

「朝鮮總督府官吏 最後の証言」より


img13670_140908-01title.JPG 940×650 ピクセル←こちら、画像あります

朝鮮總督府官吏 最後の証言 (シリーズ日本人の誇り10)http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=siroiruka-22&l=as2&o=9&a=4434194453

 桜の花出版から8月15日に発行された良書です。

 日韓併合時代の朝鮮の新たな真実をまたひとつ知ることができました!
 そして、なぜだか泣けてきました…。

1933年〜45年の間、朝鮮總督府江原道(こうげんどう)の地方官吏(役人)であった西川清さんに、編集部が2014年3月に合計20時間以上にわたり取材した内容がまとめられています。

 冒頭の画像、右側(裏表紙)は、1934年、官吏仲間と楽しく花見をする西川清さんの写真です。
 右から2人めが西川さんです。
 大和系日本人と朝鮮系日本人が仲良く肩を組んでいます。
 
来年で終戦から丸70年。
 日韓併合時代の朝鮮を知る方で、ご存命の方はまだ多くおられると思います。

 が、それはあくまで民間人として生活をされていた方です。
 朝鮮總督府の中で役人として働いていた方の証言となると、もはやほとんど得ることが難しいのが現状です。

 編集部も、そして西川さんご自身も指摘されているように、日韓併合の実態を行政側から解説できる朝鮮總督府官吏としての証言は、おそらくこれが最後でしょう。

 そういう意味でも、大変貴重な本です。

 西川さんの証言は大変リアルで具体的、しかも生き生きとした語り口なので、私はまるで当時の朝鮮にタイムスリップしたような気分になりました。

 西川さんが提供された写真や書類(当時の辞令など)も、多数掲載されています。
 編集部による資料、コラムもとても充実しています。

 西川さんの写真には、職場の仲間たちと撮影されたものが多くあります。
 日本人と朝鮮人が一緒に仲良く写っているものばかりです。

 シチュエーションは、仕事場、花見、懇親会、野球チームなどさまざま。
 ちなみに野球は、なぜか朝鮮人と日本人の混合チームが一番強かったそうです。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img13671_140908-02hanami.JPG

[本書掲載写真の1枚。春川神社での花見です。頼んだ芸者さんは着物姿の日本人とチマチョゴリを着た朝鮮人女性が混在しています]

【西川清さんの経歴】

 大正4年 (1915)
  和歌山県田辺市生まれ
 昭和8年 (1933)
  18歳 熊野林業学校卒業 朝鮮江原道産業部に奉職する
 昭和11年(1936)
  21歳 第1回朝鮮總督府地方官吏養成所入所
 昭和12年(1937)
  22歳 朝鮮總督府 江原道属に任官する
 昭和13年(1938)
  23歳 臨時召集により歩兵第76連隊に1年間入隊(羅南)
 昭和18年(1943)
  28歳 江原道属寧越郡 内務課長に昇進
 昭和19年(1944)
  29歳 江原道属原州郡 内務課長に昇進
 昭和20年(1945)
  30歳 江原道庁鉱工部鉱工課主任に昇進
 昭和20年(1945)
  30歳 終戦 仙崎引揚援護局に就任
 昭和21年(1946)
  31歳 和歌山県庁に出向
 平成26年(2014)
  現在99歳

※全く関係ありませんが、私のルーツも和歌山県です。私の父は田辺市に隣接する「みなべ町」の出身で、田辺市の高校に通っていました。


 西川さんは和歌山県の林業学校を卒業後、朝鮮に就職が決まりました。
 この仕事は校長先生が探してくれたものだそうです。

 初めて見た朝鮮の街は日本の街と比べてあまり変わらなかったので、特別の感慨はなかったと、西川さんはおっしゃっています。

 郷里の和歌山から釜山、京城(現ソウル)から江原道の春川へ行かれたのですが、日本と特に変わらなかったと。
 町を歩く人が朝鮮語を話していると、「ああ、他国に来たのだなあ」と思われたくらいだったそうです。

 朝鮮で最初にされた仕事は、植林でした。
 当時、釜山や京城など街の周辺の山は「禿山(はげやま)」だったのです。

 官吏養成所ができた時、朝鮮總督府から入所生の募集があり、西川さんはこれを受け、江原道を代表する5人の中に選ばれました。

 5人のうち2人は朝鮮人で、一緒に勉強されていた西川さんは、「朝鮮人はこういう文系のことは本当に頭が良い」と感心されたそうです。

 昭和12年に官吏養成所を卒業された西川さんは、朝鮮總督府の江原道属(正式な官吏)に任命されました。

 当時の日本の若者は皆、20歳で徴兵検査されています。

 西川さんは昭和13年に臨時召集により、1年間入隊されましたが、「内鮮一体」にもかかわらず、朝鮮人が召集されないことを不思議に思われたそうです。

 ちなみに朝鮮人に徴兵制度が適用されたのは昭和19年で、訓練中に終戦を迎えています。
 朝鮮人にも徴兵が行われたことを西川さんが知ったのは、戦後になってからだそうです。


 西川さんは、江原道では金剛山の仕事をされていました。
 内金剛から外金剛に電話線を架設する仕事です。
 金剛山が好きだったので、内心とても嬉しかったそうです。

 また、地元の人々が金剛山の管理、保護をしていけるようにと、財団法人を作る仕事もされました。
 名前は「金剛山愛護団」で、地元の朝鮮人が職員となり、地元の人が金剛山保護をするというものです。
 内金剛・外金剛合わせて団員は朝鮮人100人くらいだったそうです。

 財団法人の初団式には、總督を招くことになりました。
 西川さんが總督を直接見かけたのは、12年間でこの1回きりだったそうです。
 
 この初団式に関しては、とても興味深いお話があります。

 江原道の知事(朝鮮人)が読む式辞を、西川さんが考えることになりました。
 ところが、上司である係長(日本人)が、表現がきついとして、柔らかく文章を変えてしまったのです。
 その上の課長(日本人)も、部長(朝鮮人)も、そのまま判を押してしまいました。

部長は特に西川さんのことを可愛がってくれていたので、直してくれると思ったのに、直してくれず、西川さんは「せっかく考え抜いた肝心な部分が骨抜きにされてしまった。もうだめか」と思われたとのこと。

 ところが、なんと知事(朝鮮人)が、西川さんの文面に筆で「原文生き」としてくれたそうです。
 
 どうしても西川さんが入れたかったその文言とは……、
 ここでは内緒にしときます(^_^;
 どうぞ本書で実際にご確認下さい。

 ちなみに、この時の知事を西川さんは日本人と記憶されていましたが、資料では朝鮮人となっていました。

 「当時は、日本人とか朝鮮人とかそんなことは、どちらでもよくて、あんまり意識していなかったので、記憶に残っていないこともあります」と西川さんは話されています。

その後、寧越郡の内務課長となられた西川さん。

 群守が一番偉いのですが、どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人でした。

 西川さんも朝鮮人の郡守の下で働いていたことになります。


[歴代の江原道知事及び参興官(参与官)。1933〜43年の江原道知事と参与はほとんど朝鮮人だったのが分かります]
イメージ


 日本でも大手の署名・請願サイトである「Change.org」に、宝塚市議会の従軍慰安婦への謝罪要求決議撤回を求めるキャンペーンを立ち上げました。
 このサイトでは、署名数50名ごとに、宝塚市議会と宝塚市役所に直接メッセージが届くシステムとなっています。
 
 前回の記事でご紹介しました通り、日本の自治体で先陣をきって、従軍慰安婦に対する謝罪と賠償を求める決議を行ったのは宝塚市です。
 
 この影響で、日本で42の地方公共団体が、従軍慰安婦への謝罪を求める決議を採択してしまいました。

 宝塚市議会は、こういった行為の責任をとらねばなりません。


 日本国民として、日本の尊厳を傷つける決議を行った宝塚市に対して、議決の撤回を求めることは自然なことと思います。
 多くの方にこの問題を知ってもらうために、SNSなどで御拡散いただければ幸いです

 御協力のほど、よろしくお願い申し上げます。


転載元転載元: 翼の友〜プロフェッショナル パイロットを目指して〜

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