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国際金融業者とチャーチルの下に、ルーズベルトはドイツの攻撃によるイギリスとソビエトの窮地を救うため、日本を真珠湾に誘導!アメリカ参戦正当性ねらう。
ヒルダー:言葉を換えれば、セオボールド提督は、真珠湾敗戦の責任をルーズベルト大統領とその政府に帰し、キンメル提督とショート将軍を計画的デッチ上げの犠牲にされたと述べているのですか。
ドール:その通りです。責任ある歴史家の幾人かは同じように言っています。高位の国際金融業者とチャーチルの圧力の下に、ルーズベルト大統領はドイツの攻撃によるイギリスとソビエトロシアの敗北を救うために、最後手段としてパールハーバーで最初の弾を撃たせるように日本を操作することによって、いかなるコストを払ってもアメリカを戦争に引きずり込もうとしたのです。
モーゲンソーが対日経済制裁
ヒルダー:あなたが私に大胆に、あなたの元の岳父がパールハーバーの惨劇の主要な仕掛人であったという真実を語ったについては、勇気はもちろんのこと、深い義務感が必要だろうと思います。どうしてあなたは、パールハーバーの秘密を発表し、事件の30年後になってそれを一般に広く知らせることが重要だとお考えになったのですか。
ドール:ヒルダーさん。その質問をして下さる思いやりに感謝します。私がそうしたのは、ただ日本とアメリカ両国の人たちの最高の利益は、いかなる個人あるいは少数者のグループの利益の上位にあらねばならない―私は「ねばならない」と繰り返しますが―と強く確信しているからに他なりません。その点において、ルーズベルト大統領―国際金融勢力の「代理人」―がアメリカ人をいかに操縦して第二次世界大戦に入らせたかについての真相は、最大の重要性を持っております。両国の普通の人たちが、この戦争とその原因の恐るべき教訓を理解することが、最も重要なことです。こういうことを知ることは今日の我々すべてを目覚めさせる大きな助けとなるでしょう。ハリー・エルマー・バーンズ博士は次のように書いています。
「我々の時代の巨大な犯罪は、イギリスの戦争陰謀とその開始であり、アメリカがそれを助けて戦争を起こしたことである」と。
近視眼的無条件降伏、ヤルタにおけるスターリンに対する計画的売り尽くし、ドイツと日本の完全な武装解除、ポーランドとバルチック、バルカン諸国への裏切りは、彼らの背後にいる者の意向通りに、世界の1/3を共産主義の圧制の下に送ることに成功しただけでなく、残りの世界をソビエトとの永久の冷戦と、第三次世界大戦での広範囲の核破壊という恐喝に曝したのです。
その結果、ヨーロッパにおけるドイツ、アジアにおける日本という防波堤を失った米国納税者は、世界歴史でのどの国よりも多い費用を年々支払う羽目になっているのです。我が国は過去において、そして現在も尚、朝鮮において、ベトナムにおいて、次から次へと血腥い戦争に駆り立てられているし、ドイツと日本を含めて、軍事基地を全世界に設けて軍隊を駐留させねばならなくなっているのです。
ヒルダー:このような悲劇的な結果を見ると、なぜルーズベルト大統領とチャーチル首相はドイツに対する戦争に世界を投げ込ませ、ドイツと日本の双方が完全に破壊され武装解除されるまで、平和交渉をしなかったのでしょうか。
ドール:早期の平和交渉を拒否したことは道徳的犯罪であり、国際金融閥の強欲を満足させるのに政治的に役立ったのです。彼らの幾人かはイルミナティの子孫でしょう。和平を拒否したことは、連合国の戦争動機が、ナチスドイツに対する気高い十字軍ではなくて、実際には歓迎されない産業的ライバルを破壊するための術策に満ちた、利己的な、暴力ゲームであったことを示唆しているのです。早くも1936年1月、チャーチルは、後にアメリカ第一委員会の会長になった、シカゴ出身のロバート・E・ウッド将軍に、
「ドイツはあまりに強くなりつつある。我々(英米)はドイツを破壊させなければならぬ」
と述べています。
私は再びハリー・エルマ・バーンズが次のように言っていることを引用したい。
「これはチャーチルの偉大な親友で、彼の合衆国での主要な非公式連絡役であるバーナード・バルークの感情とも一致する」
バルークはジョージ・C・マーシャル将軍に、「我々はヒトラーを殴りつけてやるんだ、逃しやせんぞ」と言った。バルークが「我々」と言ったとき、彼は誰を指していたのか。ーヨーロッパの強大な国際金融業者ロスチャイルド財閥か、あるいはアメリカのクーン・レブ商会、ロックフェラー家、ラザード・フレール商会、ゴールドマン・サックスか。
第一次大戦前、バルークは100万ドルの資産を持っていたが、それが終わったときには2億ドルになっていた。第二次大戦では、彼は確実にチャーチル、ルーズベルトと語らってアメリカを参戦させた。後に、彼はワシントン政界に影響力を行使して、キリスト教ドイツの完全な武装解除と解体のためのヘンリー・モーゲンソーの計画を現実化するように働きかけているのです。
ヒルダー:その計画は実施されましたか。
ドール:モーゲンソー財務長官自身は1945年にゴーストライターに書かせた『ドイツは我々の厄介者』という本の中で、「ポツダム宣言では、…連合国の主要三国はその政策の目的を実行しようとした」と自慢しています。ウィリアム・ヘンリー・チェンバレンは彼の権威ある『アメリカの第二の十字軍』の中で、次のように言っています。
「ドイツ占領軍政府の、極端に厳しい参謀本部文書1067番は、モーゲンソープランの最初のテキストから、ほとんどそのまま採られていた」
ヒルダー:ヘンリー・モーゲンソー財務長官はルーズベルト大統領の日本政策にも注意していましたか。
ドール:その通りです。事実、日本を経済的に縛り上げる政策を提案したのは、モーゲンソーでした。彼はルーズベルト大統領をしてアメリカを戦争に入らせるのに、あらゆる可能な方法を使う勢力の前線の好位置にいたのです。しかし1941年11月26日の日本に対する10ヶ条の最後通告の草案を書き、それをハル国務長官に提出したのは、後になって共産党のエージェントと判明した、賢いが怪しげな彼の補佐官、ハリー・デクスター・ホワイトだったのです。バーンズ博士は次のように書いています。
「ルーズベルトは共産主義の同調者(複数)と本当の共産党員に取り巻かれていた。その一人はホワイトハウスの正式官吏で、ルーズベルトとハル長官に強力な影響を与えていた。日本の真珠湾攻撃を招いた1941年11月26日の最後通告は、共産党員そのものではなかったとしても、確かにそのエージェントであったハリー・デクスター・ホワイトからハル長官に手渡されたメモランダムに、その大部分を直接に依っていた」
国際金融業者の家系であるヘンリー・モーゲンソー・ジュニアと、共産主義者の最高位のエージェント、ハリー・デクスター・ホワイトは、最終的にパールハーバー攻撃を計画し、翹望していたのです。両人とも同じように、第二次大戦から広大な恩恵を得た金融財閥の長期の目的を代弁していました。とくにヘンリーの兵歴は、まったくそれがないということで際立っています。
国際共産主義への不当な肩入れ
ヒルダー:この点を詳しく話して頂けませんか。
ドール:よろしいとも。国際共産主義―ソ連を意味するのですが―が利益を得たことは全く明白です。アメリカは戦死、負傷、そして破壊を蒙り、イギリスはその帝国を失いました。ところがボルシェビキはドイツの半分と、ヨーロッパ、アジアの半分を手に入れたのです。その上に戦争の結果出てきたものは、イスラエル国家でした。勝利者への適当な賠償の代わりに、莫大な西ドイツの賠償はイスラエルの援助に割り当てられ、後には注ぎ込まれたのです。1964年にはこれは数十億ドルにもなりました。このようにして、シオニズムと共産主義は大いに利益を得たのです。第二次世界大戦の莫大な戦利品と賠償金は政治的に強力なヨーロッパの国際金融財閥に分配されました。しかもそれにも関わらず、日本とドイツは世界の産業の頂点に上って来たのです。
ヒルダー:シオニストの利益は明白ですが、どうして銀行家が国際共産主義に金を貸したのですか。
ドール:有能な作家ゲイリー・アレンは、ヨーロッパのロスチャイルド銀行財閥の一つのアメリカ支部を引き合いに出します。彼は次のように言います。
「その中で最も重要なグループはクーン・レーブ商会で、その社長<ヤコブ・シフ>は1917年のロシア革命に2000万ドルを投じた。1932年3月3日に国務省に宛てられた報告書の中で、クーン・レーブ商会はソ連の第一次5ヵ年計画を策定し、ファイナンスしている」
重要なことは、この国際銀行組織のメンバーの一人、ポール・ウォーバーグが、連邦準備銀行が1913年に設立された時、その委員長に選ばれたことです。連邦準備銀行は私的に所有され、コントロールされていたのです。
ヒルダー:私は丁度1971年3月26日付ロサンゼルス・ヘラルド・エキザミナーの「秘密報告」と題する記事を見ました。ジョン・チェンバレンはそのコラムで、他の一人のCFRのメンバー、故トム・デューイ―元ニューヨーク州知事、共和党から大統領候補として出た―はパールハーバーの真相を知っていた、と書いています。この記事でチェンバレンはデューイ知事に個人的にインタビューしたと述べています。
「1944年になってデューイは、『パールハーバーのしばらく前、最高機密の日本の暗号が破られ、次の日に太平洋の何処かで攻撃が始
まることを、ホワイトハウスは15時間以上前に知っていたことが分かった』と言っていた。正確な位置は指摘できなかったにしろ、太平洋のあらゆる我々の基地は警報さるべきであったのです」
もしデューイがルーズベルト大統領の行動をアメリカ大衆の目から隠したとするならば、両人ともCFRのメンバーであり、従って国際銀行カルテルのコントロール下にあれば、政党関係は大した意味を持たないとするあなたの告発に、一層の証明を与えるものですね。
ドール:その通りです。国際戦争陰謀者の政党関係は意味がありません。彼らが巨大な影響力を持つ地位にいることが許されている限り、世界の災厄という結果は同じです。汎世界銀行カルテルは、どちら側が勝ったにせよ、戦争から利益を得るという独特の地位にあるのですから。
ヒルダー:第二次世界大戦が起こったとき、大西洋憲章で理想主義的な平和宣言を発しながら、ドイツと日本の心臓に狙いを定めたヤルタ、ポツダムでの無条件降伏であの戦争が終わった理由がそれなのですか。
ドール:そのように見えますね。第一次大戦が終わったとき、アメリカはウッドロー・ウィルソン大統領の理想主義的14ヶ条を支持しました。ところが大砲が静かになったとき、ドイツが到底支払うことのできない賠償を要求するという、不吉なベルサイユ条約で幕を閉じたのです。敗者から莫大な賠償を取ることによってのみ、双方に融資した国際金融財閥は貸金を回収し、遥かに多くを取ることができます。
ヒルダー:第二次大戦では、モーゲンソープランを好み、日本とドイツから広大な領土を取り上げた上に、さらに賠償まで取ろうとした国際共産主義者は、特にソ連共産主義者の方を向いていたのではありませんか。
ドール:もちろんですとも。前に言ったように、共産党のエージェントであるデクスター・ホワイトがモーゲンソープランを書いたのですから。
我が国や海外にいる、「ロスチャイルド・コンプレックス」とも呼ばれるべき仲間や協同者たちは、ドイツに対する懲罰的平和条約を推し進めて、強力なドイツの至るところを真空にし、ソ連が自動的に入り込むように仕向けたのです。シカゴトリビューンのワシントン特派員を長く務めた私の友人ウォルター・トローハンは、その1950年5月28日の紙上に「政府と呼ばれる3人の男」と題する論文を載せました。
「国務省の最高筋に近いある人物が、この3人男をアメリカの秘密政府と認めた。フランクファーター(最高裁判事)……彼の子分と共にホワイトハウスに入り込みうる最強力の人物、ハーバート・リーマン(ニューヨーク州判事)……ウォールストリートの有力者、ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア……」
この3人は複雑な国際金融業者と密接に関係しており、同ようにルーズベルト大統領を日本との戦争計画に押しやり、またドイツと日本に対して懲罰的平和条約を要求し、共産主義者とシオニストに利益を与え、もちろん彼らの銀行に奉仕した。彼らはイスラエル国家を造り、ヨーロッパとアジアの半分をソ連が支配するのを許したのです。
ヒルダー:モーゲンソープラン以外に、アメリカを傷つけ、ソ連を助けた事例で、この3人が関係したものがありましょうか。
ドール:あります。単にスターリンに印象を与えるために行われたのが、歴史上比類のない惨殺、無防備都市ドレスデンの残酷なイギリス・アメリカによる爆撃であったことを、我々は決して忘れてはなりません。アメリカ軍の最高当局者の一人は個人的に私に38万5000人の男女、子供がドレスデンで殺されたことを話してくれています。しかもソ連の共産主義者どもに略奪、暴行を許し、ベルリンの包囲を見過ごした。
その上、KEELHAULと名付けられた想像を絶する「作戦」では、100万人のロシア自由戦士を、ソ連の奴隷キャンプで集団殺害させるべくスターリンの手に渡した。彼らは国土を支配している暴君に対して、ドイツと一緒になって戦い、戦争の終わりに、死のキャンプ送りから逃れようと考えて英米軍に降伏したのです。確実な死の待っているソ連への強制送還を命令したのは、ドワイト・D・アイゼンハワー将軍だった。
アメリカの国益を無法に裏切った今一つの例は、いかなる条件もつけずにドル紙幣の印刷原版を、必要なすべての品物、例えば紙幣用紙と我が国の特殊なインキ等をそっくり一揃いつけて、飛行機4台分をソ連に与えた、モーゲンソー長官の計画です。レイシー・ジョーダン少佐は彼の『レイシー・ジョーダン少佐の日記から』という本の一章「いかにしてロシア人はアメリカ財務省の紙幣印刷原版を手に入れたか」に、こう書いています。
「アメリカ財務省はアメリカで印刷したドイツ占領軍票と同様な軍票を印刷できるように、ロシアに原版や他の必要品を送りつつあった。ロシア人が刷り出し、精算されるあてのまったくない金は、約2億5000万ドルに上った。その軍票マルクは後にドルに交換された」
「アメリカ・マーキューリー」誌は1957年6月号の「幽霊マネーがアメリカ財務省を徘徊している」と題する文で次のように暴露しています。
「長官ヘンリー・モーゲンソー、次官ハリー・デクスター・ホワイト、ハロルド・ブラッサーの3人の財務省関係者は、特殊インキを添付した紙幣印刷原版を一機分、紙幣用紙を4機分、ロシア政府に贈ったが、これはソ連占領軍の2ヵ年分のサラリー支払いのためであった」
ヒルダー:もしそれが本当なら、共産主義者、彼らの銀行家支援者、そして左翼の友人たちにとって、戦争は大変に儲かるものでしたね。アメリカに持ち込まれた「避難民マネー」と呼ばれた金の額の見積りはあるのですか(避難民マネーとは、アメリカへ持ち込んだ金や貴金属をいう)。
ドール:あります。「アメリカン・マーキューリー」誌はそれに関連して、「アメリカに入ったこのような金は190億ドルに達し、その内30億ドル以上はカナダから、18億ドルがスイス銀行を通じるものだった」と書いています。
この金の幾分かは多数のホテル、出版、ラジオそしてTV企業の買収に使われたと言われています。これは部分的に我々のアメリカ情報メディアのほとんどが、なぜ左傾しているのか、それらがしばしばフェビアン社会主義と国際ボルシェビズムの目的になぜ過度に同情的なのかを説明するでしょう。例えば現在の宣戦されざるベトナム戦争において、南ベトナムとアメリカによる蛮行が書き立てられています。しかし、ベトコンと北ベトナムによる10万近い無辜の人たちの殺害については、ほとんど書かれません。
第二次世界大戦に関しては、一個の巨大な墓穴に、1万2000人のポーランド将兵を追い込んで殺害した「カチンの森事件」のようなものは、稀にしか報道されない。しかも我々の統制されたメディアは、日本とドイツの残虐を仄めかすどころではなく拡大している。我々の政府は一時も休まず、日本人に対して人種的憎悪を煽っているのです。
ヒルダー:あなたが引用されたレイシー・ジョーダン少佐の日記によれば、2億5000万ドルに及ぶモーゲンソーの「幽霊ドル」が直ちにドイツ内に回った可能性があると推定されていますが、この金が社会主義者ないし共産主義者の手に渡って、ドイツの情報メディアの支配権を買うことはできなかったのでしょうか。
ドール:その通りに行われました。占領軍当局は特殊なライセンスを発行しましたが、それがなくてはどんなメディアも運営することができず、それらはほとんど例外なく社会主義者、左翼、隠れた共産主義者、またはドイツ系でない血筋に与えられ、決して保守的な、活動的な反共的ドイツ人には与えられなかったということを、私は確かな筋から聞きました。ソ連人に与えられたモーゲンソーの印刷原版から現れた幽霊マネーは、ドイツ情報メディアの獲得と早期の運営に重大な役割を果たしたのは確かでしょう。ウルブリヒトの管轄下にあったソビエト占領区域(訳註・東ドイツ)では、共産党がすべてのメディアをコントロールしました。西ドイツでは自由主義的な、社会主義的
な、汎世界的な分子が支配的でしたが、一方独立の、保守的な新聞が徐々に立ち上がりつつありました。今日でさえもラジオ、TVプログラムはドイツ本来のものよりも、「外国」のものが幅を利かせています。
ヒルダー:アメリカにおける金融界、政界のある人たちが、なぜ怪しげな裏口からでなければ入れなかった第二次大戦にアメリカを引き込んだかを、それは説明するものでしょうか。
ドール:それは苦い、恐るべき真実です。我々アメリカ人がこの破局から得たものは、莫大な戦時負債、25万の戦死傷者、そして恐るべき原子戦争という現実です。ソ連に印刷原版を与えたと同じ筋の計画者たちは、モスクワに原爆の秘密を与えるという裏切りをしている。その中には前に述べたヘンリー・モーゲンソーの助手ヘンリー・デクスター・ホワイトがいたが、共産党のエージェントであることがばれたとき、彼は急に姿を消した。伝えられるところでは殺されたという。二人の共犯者、ユリウスおよエセル・ローゼンバークは1953年6月19日に、共産主義のスパイとして処刑されたが、それは巨大な損害が生じた後のことでした。
ヒルダー:これらすべてのことにも関わらず、日本を含めてアメリカと自由世界は、共産主義者による併呑から逃れた。最終的にキューバ、中・東欧、アフリカ、アジアを、汎世界共産主義の圧制から解放することができるでしょうか。
ドール:はい。しかしそれはこの世界的スケールの汎世界銀行カルテルの陰謀を暴く、最も献身的な努力によってのみ可能です。
日本の講和提案を無視した理由
ヒルダー:1945年8月6日に広島に原子爆弾を落とす前に、トルーマンは日本が降伏する用意があることを知っていた何らかの証拠がありますか。(ソ連は8月8日に日本との五ヵ年の中立条約を破って、日本に宣戦した)
ドール:1945年6月25日に、日本はモスクワに接近してワシントンと平和を話し合う仲介の役を取るように依頼している。だがスターリンは最後の瞬間における日本への宣戦を希望して、日本の使節を立ち往生させていたのです。しかし当時、日本はモスクワに依頼していただけではなく、独自にアメリカとの接触を試みていた証拠がいまになって、ますますはっきりしてきました。
ヒルダー:それはどんな証拠ですか。
ドール:ヘルムート・ゼンダーマンという、ドイツの評論家で『モーゲンソー日記』の著者は次のように総括しています。『米・ソの対日謀略』の中で彼は「CFRのメンバーであったアレン・W・ダレスは、早くも1945年5月に、スイスにいた日本の仲介者のコンタクトを取り上げた」と書いています。1945年5月30日、トルーマン大統領の特別代表ハリー・ホプキンズは、「日本は敗北し、それを知っている」と電報しています。1945年5月28日に元大統領フーバーは、日本との和平を交渉する覚書をトルーマン大統領に差し出しています。
より端的には、真珠湾攻撃の前に駐日大使だったジョセフ・C・グルーは、五月半ばに「天皇の地位さえ保証されれば、日本は平和を受け入れるだろう」と、トルーマン大統領に訴えはじめています。ウィリアム・D・リーヒ提督も同様の考えをトルーマン大統領にすすめているのです。トルーマンは弁解をつけて返事をしました。最初に彼は「沖縄の陥落を待つ」と言い、六月半ばにはグルーに、「ポツダム会議が終わるまで待とう」と語りました。
ヒルダー:7月17日のポツダム会議の開始時における状況はどうでしたか。
ドール:それはトルーマン大統領が無辜の都市住民の上に最初に原爆を落とし、戦利品目的のためにソ連が参戦する三週間前のことでした。トルーマンは、私の岳父ルーズベルトと同様、CFRによって重大な影響を受けていたことを忘れてはならない。歴史家ゼンダーマンは次のように報告しています 。 http://www.jiyuushikan.org/img/jugyou/genbaku1.jpg
「ポツダムでトルーマンは、日本と平和を講ずることを主張していた人たちがいかに正しかったかを、直ちに理解したはずである。ここでアメリカの秘密情報機関は東京政府が天皇の代わりにモスクワにワシントンとの平和を仲介してくれるように依頼したことを確認していた。日本が降伏する用意があり、いかなる苛酷な条件でも受諾することに、一点の疑いもなかった。大統領の一言があれば、ポツダム会議の最初の会議が開かれる前にも、アジアの戦争を終わらせるのに十分であったはずだ。しかし大統領はこの言葉を発しなかった…」
そうしないで、彼は8月6日に世界最初の原子爆弾を広島に落とす命令を発したのです。 http://kamodoku.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/08/07/cimg3795.jpghttp://kamodoku.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/pos...
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